チャプター8
NO.8-1 鏡の中のアリア
気がつくと私はとても妙な場所にいた。微妙に左へ曲がる一本道が延々と続く無数の鏡に両側から囲まれている。鏡に目を向けるとなぜか悪寒がするので周りを観察することもできず、ただ前に進むことだけが許される。
(そうか、ここは夢の中、か……)
こんな変な場所、夢でなければありえないね。ここまで自覚があると、いわゆる明晰夢というものかもしれない。
どれくらいの時間が経ったんだろう?鏡の回廊を進むと、見覚えのある扉が現れた。
(なんだ、こんなに歩いて結局アリアの部屋に戻ったじゃない……)
「あれ?もう起きてるの?」
「うん。おはよう、シャルカちゃん」
「おはよう。では朝の支度いっくよー」
扉を開けるとシャルカちゃんがいる。夢の中なのに、いつもと変わらない朝風景。鏡の前でシャルカちゃんに髪を整えてもらうけど、やっぱり嫌な予感がするので私は視線を低くして鏡を見ないようにする。
「ねぇ、教えてくれる?アリアちゃんはどこにいるの?」
「ほぇ?私なら、ここにいるじゃん?」
「何を言っているの?」
鏡を指差すシャルカちゃん。ここまで来てやっと鏡をよく見る私だが、鏡の中に映っている私はアリアの服を着ているけど、頭に白いモヤがかかっていて……顔も、トレードマークの炎みたいな赤い髪も見えない。
「ねぇ……あなたはいったい、誰なの?」
――――――――――――――
「はっ、はっ、はぁぁ……」
汗びしょびしょのまま目が覚めて、慌ててベッドから降りる。鏡を見て、自分がちゃんとアリア・クリューフィーネでいることを確認できるまで、生きた心地がしなかった。
(このままでは、まずいかもしれない……)
こんな恐ろしい夢を見た原因に、心当たりはある。
私はこの世界に順応してきたつもりだけど、実は本当の自分をさらけ出していない。
嘘をついたわけではないが、この世界にとって不都合な部分を隠して、ここまでうまくやってきた……と思ったけど、それもそろそろ限界に近いみたい。
「アリアちゃん?どしたの?顔色悪いよ」
夢の中と同じように、鏡の前でシャルカちゃんに支度を整えてもらうとき。さっき見た怖い夢のことは一旦忘れて、普通に接しようと思ったのに、どうしても体が強ばる。
「……うん。その、ちょっと調子が悪い、かも」
「へぇー、昨日一人で外に行ったときヘンなモノでも食べたから?」
「………………そんなぁ~まさかシャルカちゃんが私のことを、そんな風に思っているなんてぇ~あーあショックだわぁ(棒)~あまりのショックで、アンドレイさんに愚痴を言ってしまいそぉ~」
「おいバカやめろ。シャレになんないから、それマジやめて」
現実のシャルカちゃんがいつも通りでよかった。少しじゃれ合ってようやく心の平穏を取り戻した。
朝食の味がよくわからないくらい考え事ばっかりして、アンドレイさんに注意されたけど結局考えがまとまらない。
(私のやりたい音楽には一部、この世界では受け入れてもらえるかわからないところがあるから……私は怖くて、ずっとそこから逃げ続けている)
これまで私がコンサートでやった曲は、卒業コンサートを除けば古典時期か、ロマン期序盤のものばかり。それも大体どちらかというと可愛らしい曲風の、強い感情を出さないような曲。それなら地球との違いを深く考えなくてもやっていけるから。
認めなければならない。転生する前に、管理者が警告していた状況が現実になりつつある。この世界での器への違和感が長期間解消できないままでいると、やがて統合失調症になり、最悪自傷行為もありえる――
(今はまだ取り返しがつかない事態になってないけど、そろそろ手を打たないと……)
よく考えると、今までの私は本当の意味でアリアになったとは言えない。ただアリアという役を演じているだけ。きっとこの壁を越えない限り本物のアリアになれないだろう。
(壁を越えるには、やっぱり本当の私を解放する……つまりこの世界の常識を覆すようなパフォーマンスをするしかないか。でも作曲禁止令のことがあるから、この世界にない曲を披露するという、安易な手段は取れない。既存の曲で違う解釈を見せるしかない。そのためのプランはかなり前から用意を進んでいたけど……私にそんな大胆なことができるのか?)
部屋に閉じこもって思案すると、シャルカちゃんが入ってきて来客を知らせる。そう言えば、エリカは今日うちに来ると言った。
「当家の領地から物産が届いたので、お裾分けしようと思いまして」
カレンデム家の領地モラウーヴァはワインの名産地。アリアはワインが好きのを知ってるからエリカはよくそれを贈ってくれる……あっ、そうか。まだエリカに私はもうワインが飲めないのを伝えていないか。
他に用事はないけど、せっかく来たんだし、エリカとお茶を楽しむことになったが……考えがまとまらなくて、エリカの話が頭に入ってこない。
「……アリアさん?聞いていますか?」
「あっ、ご、ごめん。なんの話でしたか?」
「……そうですね。アリアさんは、近い内にダリスリル男爵令息と婚約する、というのは本当のことですか?」
「なっ、ななな、なにを……!?」
私の慌てる様子を面白がるエリカは、手で口元を隠して上品に笑う。
「ふふ、ごめんなさいね。アリアさんが相槌ばっかりだからつい意地悪したくなりました」
「わ、私は、スレックスさんと知り合ったばかりで、」
「冗談ですよ。本当はわかっています。まだ顔合わせの段階に過ぎません。アリアさんをからかっていましたわ」
「もう……ひどいですよ、エリカさん」
「アリアさんがよくアイミたちで遊ぶからですよ。臣下の無念を晴らすのも、貴族の務めではありませんか」
実に楽しそうに笑うエリカ。まさかこんな形で意趣返しされるとは。これも全部、あのハーミナというクソバ、コホンッ……おしゃべりなおばさんのせいよ。スレックスがうちに来たこと自体は別に秘密じゃないけど、あのおばさんに音楽評論誌のコラムで暴露されてなかったら、きっとここまで知れ渡ることもないだろう。
「しかし、アリアさんは一体、どうしましたの?さっきからずっと上の空ですよ」
「うっ、ごめんなさい。今日は、その……悪い夢を見たので、少し気分が悪いです」
「何か、お悩みでもあるのですか?」
今の話を聞いて、普通なら悪夢のせいで体調不良だと思うだろうが、エリカは原因が精神的なものだと見抜いた。どう答えればいいのかと困る同時に、友達がちゃんと自分のことを見てくれることに少し心が温まる。私が拾い食いしたと思ったあのシャルカちゃんとは大違いだね。
「もしかして、自分がこのままでいいのかと、悩んでいるのですか?」
「……えっ?」
どうして、そんなピンポイントに……エリカって、エスパーだったの?
「そんな驚くようなことでもないでしょう。わたくしの方が一歩先に行きましたから」
「あっ、そういう……」
そう。エリカの言う通り、今の世間では私よりエリカへの関心と評価が高い。音楽評論誌を見れば、どっちの人気が高いかがはっきりとわかる。四ヶ月前のことだし、「真紅の新星」のドラマチックなデビューはもう過去のこと。今注目すべきのは最悪の失敗を乗り越えた「逆襲の金星」。人々はいつだってそんな華麗な逆転劇が好きだからね。
正直、指揮者としての力量はエリカよりアリアのほうが上だと私が思ってる。これは別に自惚れてるとか、エリカを見くびっているとかじゃない。単純に前世の私がより長い時間勉強したし、より多くの経験を積んだから。16歳にしてエリカはすごく優秀、前世の私が16歳の時点ではその足元にも及ばないが、あくまで今のアリアとエリカで比べるなら負けるはずがないと自信を持って言える。しかし今の世間の評価は逆。仕方がない。あの『フランチェスカ・ダ・リミニ』は本当にずるい。あれより優れるパフォーマンスをどうしてもイメージできない。「アリアという役を演じている」今の私では絶対に勝てない――
「どうやら、わたくしが恩返しをする時が来たようですね」
「恩返し、って……」
「あの時のわたくしのように絶望したわけではありませんが、今の立ち止まっているアリアさんには、背中を押してくれる人が必要なんじゃないかと思いまして」
「どうして私が、立ち止まっていると思うのですか?」
「当たり前じゃないですか。アリアさんが指揮したベートーヴェンの『第八番』も、シューベルトの『第五番』も、わたくしは観ましたわ。何かを隠していて、本当の自分を曝け出さないようにしているのが見え見えですわ」
本当、私のことをよく見ているのね……そうか。エリカのことを助けたいと色々頑張ったあのときの私のように、エリカも私の力になりたくてずっと様子をうかがっていたのか。
「アリアさんは一体何を恐れているのかはわかりませんが、今は前に進むべきです。どうかわたくしを信じてください。当事者より第三者の方がよく見えている時もあります。ときには大胆不敵のように見えて、突拍子もないことをするが、わたくしは知っています。アリアさんの本質は慎重、それも少し臆病なくらい。だから今はわたくしが勇気付けないといけないと考えて――」
「今日のエリカさんは、弁舌が立つのですね」
「あっ、いいえ、わたくしは、ただ……あぁもう!真面目な話をしてるのに、茶化さないでください!」
真剣に考えてくれるエリカの気持ちに感謝しながらも、さっきの仕返しを忘れない。まぁ、ここまで必死に私を励まそうとするエリカを見ると、なんか恥ずかしくなってきたからこうしてごまかすしかない。
(エリカにここまで言われると、やらないわけにもいかないね。ちゃんと向き合おう……私が思い描く、この世界の常識とは違う音楽を魅せてやろう!)
決意を固めたのは今だが、実はこのときのためのプランはあらかじめ練っていた。私がこの世界にとっては異物だということを気づかれるのが怖くて、ずっと踏み出せなかった。今はただそれを実行するだけでいい。
(そう。私が考えたあの白昼夢に、みんなを案内してあげよう!)
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