Debussy: Suite bergamasque, Clair de lune (arr. Stokowski)
次の曲の楽器編成は大して変わらないので、本来ならすぐに調整が終わるはずだが、この曲の編曲者であるストコフスキーのように各楽器の位置を神経質に微調整してみた。偉大なるマエストロへのリスペクトってことね。出番がないティンパニは普通なら無人のまま放置でいいけど、スペース確保のために片付けることにしたので余計時間がかかる。あと少しで配置が終わるところで、スレックスが私の行動に疑問を持ち始める。
「そう言えば、アリアさん……この曲の楽譜は、その……訳ありですよね?SWPOの皆さんには……?」
「大丈夫ですよ。ちゃんと説明したうえで協力してもらいました」
前回は突発的イベントでなんの準備もなかったので、スレックスに渡した楽譜はまずい代物であることを音楽史に詳しいシャルカちゃんに気づかれた。シャルカちゃんに心配されたので、もう迂闊なことはしない。SWPOへの説明はやっぱり、クナスブチ商会から入手したアキエタニアの珍しい楽譜――という無難な言い訳だが、今回はリリーちゃんの協力で簡単に見破られないカモフラージュを作った。口裏を合わせるようにリリーちゃんに工作を頼んでみたら二つ返事で承諾してくれた。どうやらアキエタニアでは作曲禁止令に反発する人が多くて、作曲者不明の新曲の楽譜が密かに出回ることなんて珍しくないし、当局も厳しく取り締まるつもりはない。まぁ反骨精神が強いアキエタニアだからね。それでリリーちゃんは私に協力するのは簡単だし、大してリスクはないと判断した。というか、リリーちゃんは対価として訳アリの楽譜を逆に提供してほしいと要求した。やっぱりみんな新しい刺激を求めているだね。「これでアリアお姉さまと共犯関係になりましたね!」と言われるときちょっと不安になったけど……
「次に演奏するのは、これの第三曲です」
「これは……先日アリアさんがくれた曲……」
ステージに上がる前に、私は一冊のピアノ曲の譜面をスレックスに渡す。ドビュッシーの『ベルガマスク組曲』の楽譜は前回スレックスが家に持ち帰ったので、もう一冊創った。あの日スレックスは組曲を一通り弾いてみたので、この第三曲『月の光』のオーケストラバージョンも彼にとっていい刺激になると思う。
ドビュッシーの『月の光』は彼の最も有名な作品、そして印象派音楽の代表作でもある。それでオーケストレーションの試みは非常に多い。数多くの候補の中から選んだのは私が特に好きのストコフスキー版。このバージョンの特筆すべき点は、本来ならディズニーの映画『ファンタジア』に使われるはず<*1>だったかな?ちなみにこのストコフスキー版オーケストレーションの楽譜はなかなか入手困難。本気で探していたわけでもないのもあって、前世は最後まで実物を見ることができなかった。「私が知っている楽曲の譜面を創り出す能力」は本当にすごく役に立つのね。
最初にメロディを奏でるのがフルート二部。下向きに進み、どんどんフルートの低音域に踏み入る。フルートの低音はお淑やかで優しい音色、私は大好きだけど……音量が小さくてすぐに飲み込まれるので、こんな物静かな場面でないと出番がまず来ない。それを初っ端から最前面に出すのがすごく気に入ったよ。
二回目のメロディは弦楽に移動する。次に登場するピアノ右手の密集音符を何重にも重ねた弦楽で捌き、音量の変化で遠近感を形成するのはさっきの『古風なメヌエット』の手法にすごく似ている。ピアノのアルペジオ(和音を構成する音を一音ずつ順番に弾いていく技法)などの技法を再現するために、ハープを重用するのはほとんどのバージョンの共通点となっている。でも主部の最後にある四連続のアルペジオをこのストコフスキー版は意図的に弦楽の長音だけで表現する。おそらく、聴き手の注意力がハープに集中しすぎるのを避けたい、というのが私の推測だ。後の中盤でも、ピアノ左手の分散和音はハープが担当するから。
中盤は少し速くなり、より動きが活発になる。弱音器をつけたトランペットをここで投入するのはかなり大胆な試みと思う。金管楽器の劇的な音量変化を十分に活かせて、元のピアノ曲では絶対にできない芸当を魅せる。それからは潮汐を思わせるように波がだんだん高まり、儚いバイオリンの高音域まで届く。崩れ去る波を木管とハープが受け止めて、幻想的な情景を築き上げる。このあたりの豊富な音色変化も私がストコフスキー版を推したい理由だね。
主部に戻り、今回は弦楽が先導して、そしてまたフルートがメロディの最後の一回を奏でる。まるで月が雲に隠れるように、だんだん弱く、遅くなり、消えるように静かに終わる。最後までとても優雅で美しい、そして優しい思いがあふれる曲だね。
振り向くと、スレックスは今まで見せた一番の笑顔で拍手してる。これで私の伝えたいことがわかってもらえるのかな。この純真な少年が少しでも音楽に対する興味と熱意が再燃してくれたら、私のこの三日の苦労は無駄じゃなかったと自信を持って言える。
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<*1>『月の光』は元々『ファンタジア』の中に含められる予定だったが、制作段階で削除されました。その後は他の映画に転用されたり、DVDの特典に収録されました。
作中の描写通り、ストコフスキー版オーケストレーションの楽譜は入手困難。IMSLPにもないし、購入手段も少し調べてみたけど見つかりませんね。実際に楽譜を見て書いたわけでもないので、もしかして描写を間違ったところがあるかもしれません。
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