第14話 解放の火種

「この先の展望について、話し合う必要がある。」

 柳川龍一が低いながらも硬質な声で切り出した。その声には、長い戦いを経験してきた者ならではの重みがあった。眼光は鋭く、地図の上に印をつけられた幾つかの地点を見据えている。その表情には疲労の影が滲むが、決意を揺るがすものではなかった。

「我々の政治的な発言力を確固たるものにするには、当然だが相応の実力が必要になる。」

 柳川の言葉には、現状に対する不満だけでなく、未来への展望を見据えた冷徹さが含まれていた。

「新たなメンバーを集めるだけではなく、持続可能な支援ルートを確保する。それができなければ、我々は敵に消耗されるだけだ。その為にも、第六収容所の解放を通じ、この国の実情と我々の実力を示す必要がある。」

 部屋にいる全員がその言葉の重さを噛み締めるように小さく頷いた。解放軍はまだその規模も力も足りていない。ただの散発的なレジスタンスに過ぎない現状では、国家という圧倒的な敵に正面から挑むのは無謀以外の何物でもない。全滅を避けるためには、現実を直視するしかなかった。

「今は焦らず、準備に集中すべきだと思います。」

 部屋の隅から静かに声を上げたのは颯太だった。彼の落ち着いた声音が場の緊張をわずかに和らげたが、その言葉の中身は冷徹だった。

「今蜂起し、収容所を襲撃したところで、一般市民からの支持は絶対に得られません。むしろ敵のプロパガンダを補強するだけです。」

 彼は淡々としながらも力強く言葉を続ける。「まずは国のプロパガンダに対抗する手段を得ることが必要です。実力を示すのはその後でも遅くありません。敵の力を過小評価するわけにはいかない。」

「相変わらず悠長だよね、颯太は。」

 瑠璃が苛立ちを露わにして口を挟む。その声は抑えきれない感情を帯びており、部屋の中に新たな緊張をもたらした。

「収容所の中にいる人たちがどんな目に遭っているか、少しでも想像してみたら?待つことで助けられる命なんてないんだよ!」

 その強い眼差しには、過去の苦しみを背負った者にしか持ち得ない鋭さが宿っていた。しかし、その言葉を受け止めた颯太は、表情を変えることなく静かに反論を返す。

「それはわかってる。」

 一瞬の間を置き、彼はさらに続けた。「でも、今のまま行動を起こしたところで、無駄死にするだけだろ。収容所を一つ解放しても、その後に続くものがなければ、それこそ意味がない。」

 言葉の鋭さはないが、その冷静な口調には揺るぎない論理があった。瑠璃は苛立ちを隠そうとせず、拳を握りしめながら睨みつけたが、それ以上言葉を重ねることはできなかった。

 部屋には再び沈黙が訪れる。ランプの光が揺れ、微かに燃える音が耳を刺す。柳川が深く息を吐き出し、両手を組んで額を押さえた。

 場が一瞬沈黙した。瑠璃が視線を逸らし、苛立ちを押し殺すように舌打ちする音が微かに響いた。その音は、張り詰めた空気の中でやけに耳に残る。

 だが、その沈黙を破ったのは、会議室のドアを叩く鋭い音だった。続いて、短い呼吸を整える間もなく声が響く。

「失礼します!」

 飛び込んできたのは諜報担当の構成員だった。解放軍では政府の反魔法使いキャンペーンに対抗するため、内通者の確保や通信傍受を通じて情報戦を展開していた。しかし、彼の顔色は青ざめており、息を切らしてまで報告に来た様子は、単なる異常事態では済まされないことを物語っていた。

「収容所内部での内通者との連絡が途絶えました!」

 部屋の空気が一気に凍りついた。柳川が鋭い眼光でその若者を捉え、眉間に深い皺を刻む。

「どういうことだ?」

「定期的に送られるべき信号が、三日前から完全に途絶えています。」

 隊員は必死に呼吸を整えながら報告を続けた。「さらに、別の内通者から収容所内でのが活発化しているとの情報が入りました。」

 その言葉に、場の緊張がさらに高まる。灯りに照らされた地図の印が、一層重く感じられる。

「内部で何かが起きたのか……」柳川が静かに呟いた後、低い声で問いかける。「こちらの情報が漏れた可能性は?」

 隊員は一瞬躊躇し、言葉を選ぶように慎重に答えた。

「内通者に渡している情報は厳重に制限されています。こちらの作戦全体が漏れる可能性は極めて低いと考えていますが、定期信号のパターンや内容から、内通者の身元が特定された可能性は否定できません。」

「スパイが敵の手に落ちたと考えざるを得ない状況か……」柳川が重々しく言葉を吐き出すように呟いた。

 短い沈黙が続く中、瑠璃が冷たい声で言い放った。

「つまり、タイミングを考える余地はなくなった、ということね。」

 その言葉には感情が混ざり、彼女自身の焦燥感が隠し切れない。柳川が静かに視線を向けるが、反論する気配はない。事態は、それほど切迫していた。

「なるほどな。」

 それまで黙って議論を見守っていたミナトが、低く呟きながら立ち上がった。静かに動いた彼の姿に、一同の視線が集まる。会議の中で発言することの少ない彼が口を開くとき、それは簡単に聞き流せるものではない。

「もうこちらの情報が漏れている前提で動くべきだろう。」

 ミナトは地図に目を落としながら、抑揚のない声で言葉を続けた。

「そうなると、戦力が足りない現状で、少ない人数でどう戦果を上げるかを考えるしかない。感情だけで突っ込むのは全滅を招くだけだ。」

「それがわかってるなら、どうすればいいのか教えてほしいけど。」

 瑠璃が皮肉めいた調子で言い返した。腕を組みながら鋭い視線を向ける彼女に、ミナトは一切動じる様子を見せない。

 彼は目線を地図に固定したまま言葉を発した。

「魔導機を出す、これしかないだろう。」

 その一言に、一瞬場の空気が変わった。全員の視線が彼に集中する。薄暗いランプの光が彼の顔を照らし、その無表情が何かを含んでいるように見えた。

「今の俺たちで、国の戦力と互角に渡り合えるのは魔導機だけだ。」

 ミナトは一度地図から顔を上げ、一同を見回しながら言葉を続けた。

「通常の陸上戦力じゃ話にならない。だけど、その魔導機を生かすには、優れたパイロットが必要だ。戦力を補うには、新たな搭乗者を育てるしかない。」

「搭乗者を鍛えるって?」

 颯太が目を細め、ミナトをじっと見つめる。「そんな時間、今の俺たちにあるのか?」

 ミナトはその質問に一瞬も迷わず答えた。

「時間を作るんだ。そのために、作戦は段階的に進める必要がある。」

 彼の声には確信が宿っていた。自信というよりも、経験に裏打ちされた静かな決意が滲んでいる。

「まずは情報収集を徹底し、収容所の区画や守備戦力の配置を明らかにする。それと並行して、魔導機部隊を強化し、収容所への突破力を確保する。その間にも陽動や欺瞞工作を行い、高千穂ベースの存在が露呈しないようにする。」

「強化するとして、誰を乗せるの?」

 瑠璃が腕を組み、挑発するような口調で問いかけた。その視線にはまだ疑念が宿っている。

 ミナトは一瞬黙り込んだ後、視線を涼に向けた。

「涼、お前しかいない。」

 唐突な指名に、涼は目を見開いた。彼女の肩が微かに震えるのが見えた。

「私が……魔導機に?」

 涼の声には、戸惑いと恐れが入り混じっていた。瑠璃がすかさず非難の声を上げる。

「本気?」

 その言葉には怒りよりも困惑が混ざっていた。

「涼の実力を否定する訳じゃない。でも、碌に魔導機を操ったこともないのに、そんなことさせるのは無茶でしょ。」

 ミナトは瑠璃の言葉に反応せず、ただ涼をじっと見つめていた。涼は俯きかけたが、拳を握りしめる。その姿はどこか小さく見えるが、その肩には僅かに力が入っていた。

「でも……」

 涼の声は小さかったが、その響きは確かに場の空気を変えた。

「誰も行動しなければ、誰も救えない。」

 その声は震えながらも、次第に力を帯びていく。

「収容所にいたとき、誰かが来てくれるのをずっと待ってた。でも、誰も来なかった……」

 涼は顔を上げ、その目で瑠璃を真っ直ぐに見つめた。その瞳に宿るものは、覚悟と決意だった。

「だから、今度は私が誰かを助ける番だって思うの。」

 瑠璃は一瞬、言葉を失った。涼の瞳に宿る決意に、自分が否定する言葉を失ったかのようだった。

 やがて彼女は溜息をつき、小さく肩をすくめると、ぼそりと呟いた。

「……なら、しっかり覚悟しなさいよ。それが戦場に立つってことなんだから。」

「その覚悟があるなら、まずは試してみろ。」

 ミナトが静かに言った。場の空気を切り裂くようなその言葉に、全員が耳を傾ける。

「魔導機はお前を守る手段でもあり、誰かを救う力でもある。その力を自分のものにするかどうかは、お前次第だ。」

 涼は一瞬目を閉じ、震える息を吐き出した。そして、過去の記憶と決別するかのように顔を上げた。

「やってみます。」

 彼女の声は、初めはか細いものだったが、次第に強さを帯びていった。その一言が、場の空気を変えた。

 瑠璃が彼女を見つめながら小さく息をつく。いつもの鋭い視線は、その瞬間だけ和らいだように見えた。

「簡単にできることじゃない。それはわかってる?」

 瑠璃の声には厳しさが残っていたが、その奥には微かな期待が感じられた。

「でも、その覚悟があるなら……私も手伝う。」

 涼は驚いた表情を浮かべ、瑠璃の言葉を反芻する。続けて瑠璃は、軽く肩をすくめながら言った。

「覚悟を見せられたら応じなきゃ。それに、涼が戦えるようになれば、それだけ私たちも助かるし。」

 颯太がそのやり取りを見ながら、静かに微笑む。

「これで決まりだな。彼女が本気なら、俺たち全員でサポートする。」

 涼の胸に、じんわりと熱い感情が広がっていくのを感じた。彼女の覚悟が、仲間たちの認識を変え、支えを引き出したのだ。その事実が、彼女の中に新たな力を呼び覚ましていた。

「ありがとう……本当に……」

 涼は小さな声で礼を言った。その声には、確かな感謝と決意が込められていた。

 ミナトはそんなやり取りを一歩引いた場所から見つめていたが、目を細めながら微かに頷いた。そして、何も言わずに地図に視線を戻した。


 夜更け、ミナトは拠点の整備エリアに一人で立っていた。薄暗いランプの光が、その背中を長く地面に映し出す。目の前には霞切――「焔」の巨大なフレームが鎮座していた。ここではもう、名を偽る必要はない。ここでなら、自分がかつての過去に縛られることなく、新しい役割を見つけられるかもしれない――そんな予感がしていた。

 彼は工具を手に取り、黙々とフレームを調整しながら小さく呟く。

「戦うために戻ったわけじゃないのにな……」

 彼は呟きながら、自嘲するように笑った。どれほど平穏を望んでも、この機体を整備するたびに、自分が戦場という場所に引き寄せられていることを痛感させられる。それが焔の持つ呪いなのか、それとも自分自身がそう望んでいるのか――答えはまだ出ていない。

 彼は作業を一旦止め、機体全体を見上げる。

 焔は外見こそ霞切のように見せかけているが、その内部構造は完全に異なっていた。

 焔のフレームの大部分には、民間用モデル「霞切」の新品フレームが流用されている。これにより、見た目では一般機に偽装されているが、内部には徹底的な強化が施されていた。

 主要骨格部分には軍用機仕様の補強材を装着。民生仕様の霞切では耐えられない高出力運用にも耐える。さらに、採石場のような高負荷環境で用いられる高強度ダンパーを流用し、地上戦での衝撃吸収性能を大幅に向上。

 焔の心臓部にあたる魔力炉からは、通常のハーネスではなく、「疑似神経型魔力伝導ハーネス」が用いられている。これは、特殊素材で構成された高効率魔力伝達装置であり、人体の神経伝達を模倣して設計されたことで、魔力炉からの出力をほぼロスなく各部に伝達できる。

 さらに、強化されたエネルギー伝達系統に対応するため、冷却ラインにも最新技術が採用されている。

 また、地上戦だけでなく、短時間の空中戦闘にも対応できるよう、特殊部隊向けの高出力スラスターを裏ルートで調達している。これは通常の霞切には存在しない特殊仕様だ。これらは裏ルートで入手されたものであり、国軍用の装備ではなかった。その出どころは、中東の大国・オスマン連邦だという。

 オスマン連邦は、九曜インダストリーを通じて特殊部隊向けに高度な魔導技術を提供していることで知られている。焔に使用されているスラスターもその一つであり、軽量化と推力強化に重点が置かれている。その設計思想は、都市戦闘や局所的な制圧作戦を想定しており、限られた空間での迅速な機動を可能にしていた。

「なぜこんなものがここにあるんだろうな……」

 ミナトは工具を手に取りながら小さく呟く。解放軍がこれほどの技術を持てるのは、九曜インダストリーの影響力によるものだ。それがどのような代償を伴うのか、彼は深く考えないようにしていたが、技術そのものが持つ冷たい現実は否応なく彼の胸に重くのしかかっていた。

 ミナトは、魔力炉周辺の配線を確認しながら、小さく息をついた。

 焔に込められた力が、彼にとって希望でもあり、恐怖でもあった。これほどの力を振るう理由があるのか、それを再び戦場に持ち出す価値があるのか――答えはまだ見つかっていない。それでも、この機体を手放すことはできなかった。

 ふと遠くから聞こえてくる仲間たちの声に、彼の思考は途切れた。若い整備兵たちが談笑しながら新しい部品を運んでいる音、訓練を終えた隊員たちが小さく笑い合う声。それらは、この場所がまだ命を繋いでいる証のようだった。

「少しずつ進んでる、か……」

 ミナトは呟き、再び工具を手に取った。次に動く時のために、この機体を万全の状態に仕上げる。それが今の自分にできる唯一の仕事だった。

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