第23話

 男は酒場から追い出されることとなり、しばらくの出入りを禁止されることとなった。酒場内では武器を取り出した時点で、出入禁止というルールがあるらしい。


 狼人の少女は千切れた耳をさすりながら、子供らしい動作でカウンターに戻った。


「耳……? 痛くなかった?」

「…………へいき、ありがと」


 狼人の少女はぺこりと小さな身体ごと頭を下げる。


「僕よりコーラルに言ってあげてよ。彼女が君を助けたんだし」

「…………ありがと」


 無表情のまま、もう一度全く同じ動作を今度はジッパの隣のコーラルに向かって行った。


「か、かわいい……!」


 どうやらコーラルの心をぎゅっと掴んだらしい愛らしい狼人の少女は、コーラルを物珍しそうな目で見つめたあと、興味を無くしたように視線をジッパに戻した。


「……まあこのコーラルって人は少し変わってるかも知れないけど、いい人だからさ、仲良くしてあげてよ」

「…………いいひと」

「いい人だよ! はいっ! わたしがいい人! コーラルって言います、覚えてねっ」


 狼人の少女は、もう一度コーラルに視線を戻すと、金髪の少女はここぞとばかりに手を上げて自らを主張し、自分を奮い立たせているらしい。


「…………あなたは?」

「僕? 名前? ……ジッパだけど」


 どうも言葉の中に主語が含まれていないせいか、やたらと喋りにくい相手ではある。


「…………ジッパ……いいお名前」


 表情を変えないまま狼人の少女は、音が鳴らないほど小さく両手を叩いて拍手をした。


「君の名前は?」

「…………ラーナ・メイライク」

「ラーナちゃん!」


 ジッパを押しのけてコーラルがずいと顔をラーナに寄せる。


「わたしとお友達になってください!」

「…………いや」

「え? ど、どうしてっ」

「…………なんか……いや」


 ラーナは渋るような顔じっとコーラルを見つめると、顔を少し引っ込ませた。


「あーんジッパ! なんか嫌なんだって……わたしは一体どうしたら……ううっ」

「それよりさ、僕とラーナって一回商業区の方で一度会わなかった?」

「そ、それより……!?」そう驚愕し、やがてコーラルはその場に崩れた。

「…………あった」

「やっぱり、あのときの娘だったのか」

「ええっ、二人は知り合いだったの!? ず、ずるいよっ、そんなのずるだよ!」


 瞳を涙で潤ませ始めるコーラル。先ほどの凛とした面影は何処にも見当たらない。


「…………ジッパ……とっても……かっこいい」

「え?」

「…………ラーナは……ジッパと……どうにかなりたい」


 ラーナの小さな桃色の唇からは、とても想像できない妖艶めいた台詞が発せられた。


「ど、どうにか……?」

「…………きっと……それは……いいこと」

「……は、はあ」

「…………ジッパは……何をしているの」


 ラーナは、ジッパに興味を持っているのか、カウンターに小さな肘を乗せて聞き込みを開始した。――一方のコーラルはぽつねんと床に座ったまま動かない。


「ここでってことかな? 僕とコーラルはプロの冒険家志望なんだ。だから冒険家試験を受けたいんだけど、その為の準備をするためのお金がなくてね……ここで数日間働いて稼ごうってわけだよ」

「…………ラーナも……そうだよ」

「え、そうなの? そんなに小さいのに?」

「…………そう……ほら、……だから……どうにかなるべき」

「うん……いや、それはよくわかんないんだけどさ」


 ジッパは困ったような表情を浮かべながら、小樽に入れられたミルクをこくこくと喉に流し込む狼人の少女の様子をじっと眺めていた。


 耳の傷はいったい何があったのか……可愛らしい容姿に相反して、その部分だけがやたらと痛々しく見えてしまうのだ。


「…………飲みおわった……から……いく」

「もう行くの? もしよかったらだけどさ……僕たちと一緒にパーティーを組まない?」


 ジッパはにっと笑って、そう告げる。嫌な印象を与えていないと思っていたため、この誘いには乗ってくると踏んでいたが――。


「…………やることが……あるから……いい……ラーナは……独りでいい……さよなら」


 カウンター席を立ち、小さな背丈で靴音を鳴らしながら、見るからに場違いな酒場の入り口に身体を向けるが、一度踵を返した。


「…………しけんの……いりぐちは……きっと一つじゃない……これ、じょげん」


 ラーナはそれだけ告げると、歩みを進めたが、もう一度振り返って無表情に言った。


「…………やっぱり……また、どこかで……あうかも……ミルク、おいしかった……コーラルにも……よろしく」

「うん、言っとくよ、またね、ラーナ」


 ジッパは微笑みと共に掌をひらひらとさせると、


「…………またね」


 ラーナもそれを真似した。



 * * *



「ふう……ようやくだねっ、ジッパ! クリムちゃん!」


 コーラルは蒼天の朝日を浴びながら、キラリと光る青い瞳を細める。


「ふぁあ……眠いなあ……ああ、眠いよ。もうちょっと寝るべきだったよ、これは」

「お主は何時間寝ようと、いつだってそう言うだろうが」


 眠そうな瞼を擦りながらジッパは大きなあくびをした。一方帽子の上のクリムも青年に動きを合わせるように、同じ動作をする。


「もー、何言ってるのー? きっかり八時間も寝たのにっ! いったいどれだけ寝れば気が済むの?」

「……そうだね、半日かな」

「寝過ぎだようっ! もうっ! 寝ぼすけさんめっ! えいっ、えいっ」


 コーラルはにっこりと笑顔を絶やすこと無く、肘でジッパの脇腹辺りを小突く。


「……コーラルは朝っぱらから元気だね……ちょっと鬱陶しいくらいに」

「えぇ!? う、鬱陶しいの!? ひどいよ!」

「……はあ、もう酒場の仕事はこりごりだし、コーラルの代わりにマスターやキャサリンさんたちに頭を下げるのは嫌だよ……何だか旅路の前にえらく疲れちゃったな、僕は」

「だいじょぶ、だいじょぶ! ジッパなら頑張れるよ!」


 一体何の根拠があって言っているのか、ジッパにはよくわからなかったが、叩かれた背中に背負う《異界への鞄》を実感すると、そんなことはどうでもいい気もしてきた。


「とりあえずこれだけは本当に取り返せてよかったあ……おかげでまた貧乏生活だけど」

「ふふ、楽しみだなあ……わくわくするよっ」


 コーラルは虎人の店主から購入したばかりの刺突剣を腰に差して、抑制しようとしているようだが、やはり我慢できないのか、頬が上がってしまっている。


 余程この旅路を待っていたということなのだろう。青年はそう思うと何だか自分も嬉しい気持ちになっていた。


「……物はきっと良い品だと思うから、今後もあの店主さんと仲良くしておくといいよ」

「うん、そうだね! ……ところで、ジッパは何の武器を使うの?」


 不思議そうにジッパの姿を上から下まで眺めるように凝視するコーラルを余所に、青年は笑う。


「僕は今回武器所持の“アイテム資格”は取ってないんだ。だから今回は特に無しかな。資格の存在を知らなかったときは何でもかんでも使ったもんだけど……また“所持品全紛失”なんかしたくないし……しっかりこの世界の法に従わせてもらうよ」


 心的外傷(トラウマ)になりつつあるジッパだったが、現在では幾つかの資格を取得し、法に守られ、アイテムを正規に所持しているということになる。


 無事二日間の酒場の働きぶりを評価されたジッパとコーラルは、相応の対価を手に入れると、コーラルの刺突剣、王国に没収されたジッパの《異界への鞄》、食料、その他消費アイテムを購入した。ある程度溜まった金銭はあっという間に使い果たしてしまい、元の状態へと復帰したというわけである。


「……じゃあついに冒険の旅だね! 早く行こう! ほらほらっ、早くはやく!」

「無一文に等しいから、もちろん徒歩だけどね」

「よーし、行こー!」

「フン……うるさい奴が同行することになりおったわ……ふう」

「そうは言いつつクリムってば、ちょっとずつコーラルへの口当たり良くなったよね」

「えぇ、そうなのクリムちゃん!」

「そんなことあるわけがなかろうが……恥を知れ、舐めるな小娘がッ」


 こうしてジッパたちはこの近辺にあるという農村を探す事から始めたのである――。

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