◆第四章 道草は冒険家の醍醐味

第21話

「ジッパ……遅いなあ」


 ひんやりと冷たい夜風がコーラルの頬をくすぐる。


 既に陽は傾き、街を出歩く人々も減っていた。待ち合わせ場所である酒場の入り口で、コーラルは建物の柱に背を預けている。


 ショートブーツの先が地面を叩く度、自分が独りであることを再認識する。


 コーラルはふと、青黒い夜の色を見上げると、心淋しくなった。


 いつも自分の周りに人が居たせいかもしれない。しかし、今はどこを見渡しても自分独りだけだった。


 これを自分は望んでいたはずで、これからだってそのはずだった。それでも、いざ直面してみると、自分が考えていたものとは少し違っているような気もした。


 ――夜は怖い。少しだけ、寂しい。


 早く夢見るような冒険譚のような旅路がしたかった。


 甘いと言われたっていい。自分がしたいことがしたいのだ。少女はそれを選んだ。


 シャツの赤いブローチに月光が反射して、本来の輝きを露わにする。コーラルにとって、とても大事なものでありながら、今の自分がここにいる理由でもある。


 コーラルは少し困惑していた。自分がこれから何をすべきなのか、具体的な物事の進め方が全くもってわからないからだ。


(一体……今どこにいるの、貴方は。わたしも連れて行ってくれるんでしょう? だからこれをくれたんだよね。それにあのお姫様は……)


 整理できない頭を無駄に働かせても答えが出てこないことはわかっていた。だが、二つほど、自分がやらなければいけない使命があるのはコーラルも理解していた。


 それは――冒険家試験を合格し、正規の冒険家にならなければいけないということ。そして自分たちの前に現れたパール姫の依頼を受けなければいけないということ。


「そうなんでしょ……ファスナル?」


 少女は寂しげな夜空に問いかける。しかし、その返答はない。


「――わたし、頑張るからねっ」

「……何を?」


 コーラルがぎゅっと拳を握りしめると、にゅっと突然ジッパが現れた。


「わわわっ、ジッパ!! きゅ、急に出てこないでよ! ビックリするじゃん!」

「あはは、ごめんよ、遅くなって。結構待った? これでも急いだんだよ」

「むぅ、待ったよー、わたしそれはもうさび――しくはないけど、あーあ、もぅ! お腹減っちゃったなあ!」

「今度お詫びも兼ねて僕が美味しい物でも作るよ……それはそうと、試験のほうはどうだった?」

「むっふっふ」


 わかりやすい笑みを浮かべると、コーラルは胸を突き出した。


 やんわりと膨らんだ胸部には、菱形で飴色のバッジがキラリと光った。絵柄には細い剣と手が見える。色と絵柄によって“アイテム資格”は一目で判断がつくようになっている。


「わあ、おめでとう! 本当に刺突剣が使えたんだね」

「ふふん、当然だよ、ジッパは? 結局教えてくれなかったけど何を受けたの?」

「えっとね……なんだっけな」


 ジッパは懐をごそごそとあさるような仕草で、取り出した物を手元からいくつか零した。


「えっ……ジッパ。それって――」

「んー、えっとねえ……『第三種薬物類所持資格』でしょ、あと『第三種薬物類特殊知識取扱資格』と……ああ、『二種』と『一種』『第二種希少』も取った。それと――『第一種帽子所持資格』に『第一種帽子特殊知識取扱資格』――それから後は~……」


 ジッパは手元から転がった様々な絵柄がデザインされたバッジを拾いながらコーラルの知らない資格名称を口遊むようにした。


「えっと……全部で十六個合格してきた……かな」


 ジッパの両手には溢れる程のバッジが月光の光を浴びていた。


「十六個――って……えぇ!?」


 当然の様に少女は驚愕し、その声は黒ずんだ空に響いた。


「何とか時間をやりくりしてさ、今日受けられそうなのはほぼ全部受けたかな。予定ギッチリだったんだけどね」

「普段節約家のくせに変なところで浪費が激しいやつだな、お主は」


 人通りが少なくなってきたからか、クリムはジッパの服から飛び出し帽子の上に乗った。


「すごいっ! 全然よくわかんない! 凄すぎてもうよくわかんないよ、わたし!」

「試験管さんにも言われたなあ。前代未聞なんだってさ、この際いっぱい取ってしまおうって思っただけなんだけどね……僕は……本当に自分の世間知らずのせいで……大切なアイテムの多くを……くっ」

「やめておけ、自ら傷口を広げようとしてどうする。それに資格が手に入ったのなら、いくつか返してもらえるのでは無いか」

「それもそうだった! ……『第一種希少鞄所持資格』も手に入ったことだし……ふふふ、これで《異界への鞄》が取り返せるね……くくく。勝った。もうこれ勝った」

「何にだ、お前は一体何と戦っている」


 なにやら黒い笑いを浮かべながらジッパは手元のバッジを指で転がした。


「ジッパ……ちょっとそこに座って」

「……? どうして」

「いいからいいから」


 コーラルはジッパを段差の上に座らせ、懐から薄色のスカーフを取り出してた。


「クリムちゃんちょっとだけ退ける?」

「何を! お主、小娘の分際で高貴たるこの我に~――」

「もういいから、もうめんどくさいから、ほらクリム」


 ジッパが邪魔者を追い払うように帽子から退けると、次に、目前に膨らんだ双丘が迫ってきた。青年は頬を染めながらにして訊ねる。


「わっ、あの……コーラル? ……え?」

「ちょっと待っててね」


 目の前でふるふると揺れだしそうな二つの乳房を眺めながら、とてもいい匂いの香りが青年の鼻腔を刺激する。ジッパは緊張した面持ちでコーラルの言葉を待っていた。


「……はい! かんせーい……だよっ!」


 両手を広げ拍手をするコーラル。先ほどのスカーフはジッパの帽子に巻かれていて、そこにバッジが取り付けられている。


「きっと無くしちゃうかと思って。これならだいじょぶ!」

「あ、ありがとう」


 ジッパは少し朱がさした頬を掻きながらそう返答する。


「ふふっ、どういたしまして!」

「フン……なんだそのふざけた布は。お主も盛大に浮かれおって。どうせ卑猥なことでも考えていたのだろう、むっつりジッパよ」

「べ、別に考えてないってば!」

「ヒワイ……? 怖い……みたいな?」

「……そうそう、それだよそれ、コーラル。……でもこれありがとう、凄く嬉しいよ」


 ジッパは帽子に巻かれたスカーフの感触を確かめるようになぞりながら微笑を浮かべる。


「そういえば……試験に関する情報を少し手に入れたんだ。試験管のおじいさんと仲良くなってね、秘密だけど、ってちょっと教えてくれたんだ」

「ほんと!? やった!」

「どうもこの付近にあるっていう小さな農村……そこに冒険家試験に関する何か手がかりがあるらしいんだ」

「ええっ、早く行こうよ、もう今夜にでも!」

「焦っちゃダメだよ、僕らはまだ旅立つ準備さえしてないんだ。コーラルも資格だって取ったんだし、武器も買わなきゃいけないでしょう。僕も王国で引き取れるだけのアイテムを取り返して買い出しにも行かないと。……でもその前にもっと重大なことがあるんだよ」

「じゅ、重大な……こと?」

「うん。それはもうとんでもなく大変な事なんだよ、コーラル。わかる?」

「ええ……なんだろう、実はもうわたしたちは秘密の試験を突破し、正規の冒険家になっていたとか?」

「違う」

「ふあぁ~、くだらん……」


 妙にくり広がる緊迫間の中クリムが大きなあくびを一つ。


「それは……もうお金が一銭も無いということなんだ」

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