欲求不満のひなた

「ちょっと、舌打ちしなくてもいいじゃん!」

「うっさい……それで何の用?」


 立ち上がったひなたさんが背に俺を隠す。

 今更隠れたところで意味がないのは分かりつつも、ひなたさんに従うように背に隠れた。


「今更隠したところで意味ないでしょ……」

「ううん、ここには私以外誰も居ないから」

「いや居るじゃん」

「居ない」

「居るじゃん!」

「居ないったら居ない」

「だから居るじゃん!」

「うるさいビッチ」


 流石に気になりひょこっとひなたさんの肩から様子を窺う。

 ひなたさんのビッチ発言に、ちょうど叢雲先輩がムキーッと地団駄を踏んでいる場面だった。


(思ったより面白い……な?)


 せっかくの機会なので、改めて叢雲先輩を見てみる。

 綺麗な金髪のサイドテールに、ひなたさんみたいに胸元のボタンを開けているので谷間が見えているのはもちろん、僅かに黒い下着が見えてしまっている。


(この人も凄く美人だ)


 ひなたさんとはタイプの違う美人であることは確かなので、この人たちと同じ空間に居るのは心底緊張してしまう。


「……はぁ」


 流石に誤魔化しきれるとは思っていないであろうひなたさんは、変わらず俺を背に庇ったまま大きなため息を吐く。

 そして、底冷えするような声音でこう言った。


「この子は私が呼んだ。アンタに分かりやすく言うなら、私はこの子をとことん気に入ってる……だから変なことをしたら友人のアンタでも許さないから」

「……ふ~ん?」


 聞いたことがないひなたさんの声にビビッた俺とは違い、正面から向き合う叢雲先輩は楽しそうに、次いで俺を観察するような視線を向けた。


「ま、ひなたに嫌われたくないし変なことはしないよ」

「……どうだかね」

「うわぁ信用ないなぁ……でも、ひなたがそんな風になることって今までなかったじゃん? 抱き合ってたのを少し見てたけど、ひなたってばめっちゃ表情蕩けてたし」

「……うっさい」


 ひなたさんが照れたように下を向き、その隙を突くように叢雲先輩が近付いてきた。


「何度か見たことあったけど、初めまして。あたしは叢雲ありさ、よろしくね後輩君」

「あ、はい……えっと、三笠椿です……よろしくお願いします」

「よろしくしなくていいから」


 ムッとしたひなたさんが俺の頭を胸に抱いた。

 あまりに一瞬のことだったのと、思った以上に強い力だったせいで抵抗する暇が一切なく、俺はひなたさんの胸に顔面を挟まれた。


「むがっ」

「ほら、暴れないでくすぐったいから」


 よしよしと、頭を撫でてそう言われたが……それならそうしなければ良いのではと言うこともしなかった……喋れないのもあるし、こうしているとひなたさんの温もりと柔らかさが気持ちいいからだ。


「三笠君ね……それにしても、ほんとに気に入ってんのね」

「だからそう言ってるでしょ。椿は私のお気に入り……一応、もう色々としちゃった仲だしね」

「っ!?」

「おぉ……もうそこまで行ってるんだ」


 パチパチと手を叩く音が聞こえる。


「……ぷはぁ!」

「あ、ごめん椿……苦しかった?」

「い、いえ……確かに少し我慢してましたけど、ひなた……さんは俺が大好きなの知ってるでしょ?」

「つ、椿……っ!」

「むがっ!?!?」


 ひなたさんは俺がおっぱい大好き……こう言うと恥ずかしいが、それを知っているからこそ、謝罪なんて要らないことを分かっているはず……それもあって大好きだと伝えれば、感極まった様子のひなたさんにまた抱きしめられたが、今回はちゃんと苦しくないようにしてくれている。


「……信じられないくらいゾッコンじゃん。そもそもアンタ、幼馴染の元カレにしか名前呼び許してなかったのに」

「不愉快な単語を出さないでくれる?」

「ごめんごめん」


 そこでようやく、今度こそひなたさんの胸から脱出した。

 そうなると叢雲先輩と向き合うのは必然であり、彼女は頭から爪先までじっくりと眺めてきた。


「普通の後輩君って感じだけど、ひなたが気に入る何かがあるってことなのかなぁ?」

「ジロジロ見るな」

「ほら、そんな風に思うくらい後輩君が……えっと、あたしも椿君って呼んでいい?」

「あ、はい」

「ありがと。あたしのこともありさって呼んでいいよ」

「呼ばなくていい」


 キッとひなたさんが睨む。

 ひなたさんとありささんの間に、バチバチに飛び交う火花……そうは言っても、俺としては特に慌てるようなこともなかった。

 この場だとこんな風に言い合いまくってはいるものの、何度かこの二人が一緒に居るのを見ていたから仲が良いのを知っているおかげだ。


「ところでさ、二人は付き合ってるの?」

「ううん」

「付き合ってはないですね」

「へぇ……」


 そう、俺たちは付き合っていない。

 付き合ってないにも関わらずひなたさんと抱き合っていたこと、そしてひなたさんの様子からどんな関係であるのかをありささんは分かったようだった。


「セフレ……の割にはこのひなたの気に入りようは凄いよ? こうなってくるとちょっとあたしも気になるじゃんか」

「……………」


 舌なめずりをしたありささん。

 本来であればこんな仕草をされたらドキッとしたが、変に勘違いを起こしていた可能性がある……でもそうならないのは、ひなたさんと親しくなったおかげもありそうだ。


「ありゃ……クラスの男子でもちょっと顔を赤くするんだけどな」

「その……確かにドキッとはしました。ありささんは美人ですし、スタイルも良いですし……でもひなたさんと接しているからか耐性がある程度付いてるみたいです」

「へぇ……それってひなたがあたしに似て美人で、スタイルが良いってことを言ってる?」

「はい、そう言ってます」


 胸を張ってそう言った瞬間、肩に手が置かれた。

 もちろんその手の主はひなたさんで、そのままありささんを素通りして歩かされる。


「ひなたさん?」

「体育倉庫に行こう」

「え?」

「ひなた?」

「ここじゃエッチできないし」

「っ!?」

「ちょ、ちょっと何スイッチ入ってんの!?」


 ガシッとありささんが肩を掴み、ひなたさんの動きを止めた。

 このまま止められなかったら間違いなく連れて行かれたというか……俺自身が特に足を止めようとしなかったあたり、どっぷりとひなたさんに浸かりすぎだろうと思わなくもない……重症か?


「椿は、どうする?」

「っ……ここで聞いてくるのは卑怯な気がします。でも学生ですから授業はちゃんと受けましょ? もう休憩も終わりですし」

「……椿がそう言うならそうする」

「おぉ……あのひなたがこんなに物分かり良いなんて」


 俺は、まだ普段のひなたさんをそこまで知らない。

 それでもこうして友人のありささんがそう思うのは、それだけ普段のひなたさんと違うってことか。


「ありさ、分かってると思うけど変なこと言ったら許さないよ」

「確かにこうやって見つけたけど、そんなことしないって。そこに関してはひなたが一番分かってるっしょ?」

「……それもそうだね。てか、アンタは絶対にそれをしない……だって椿ってモロアンタの好みじゃん」

「……うん!?」


 何やら聞き捨てならない言葉が飛び出たぞ……!?

 俺がありささんの好みだって……? いやいや、まさかそんなことがあるわけ――。


「も、もう何言ってるの!? ほぼ初対面の子にそんな……! ちょっとこうやって話してみて良いなぁって思ったとか、弟みたいで可愛いなぁとかそういうの全然ないから!!」


 お、思いっきり意識されてるぅ!?

 顔を真っ赤にして身振り手振りを添えながらの否定ではあるが、だからこそあまりに分かりやすすぎて嘘が吐けない人なんだろうなとも思う。

 ひなたさんが耳元に顔を近付け、ボソッと囁いた。


「ありさはね? 一つ下の義理の弟が居て可愛がってたんだけど、最近反抗期ってやつで仲悪いんだよ」

「へぇ……」

「それで同じく一つ下の椿が弟みたいって言ったんだと思う」


 一つ下……この言い方だと俺と同い年か。


「別の高校に通ってるし、そもそも雰囲気も顔付きも椿は似てない。たぶん私に可愛がられてる椿を見て可愛いって言ったんだと思う」

「なるほど……」


 結局、顔を真っ赤にして悶えるありささんとはそこで別れた。

 心底名残惜しそうにするひなたさんの表情は、俺からしても離れたくないなと思わせられる力がある。


「またね……」

「あ、はい」

「……またね」

「あ、はい……また」

「……またね!」

「いい加減しつこいでしょそれ……」


 そんなこんなで、これがある意味でのありささんとの初コンタクトだったわけだが……まさか、その放課後にまたありささんと出くわすとは思っていなかったのだ。


「ちょ、ちょっと卓也――」

「あぁもう! ウザいって言ってんだろクソ女!」


 不穏な空気の中、クソ女と言われたありささんを俺は見た。

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