ピエロとお嬢様の悲喜劇的革命譚
杏林キタリ
プロローグ
西暦2036年。第二次世界大戦にて勝利国となった大日本帝国は絶対王政の下、栄華を極めていた。
頂点に君臨する皇族。『特権』を与えられた華族。日々を生き国を支える国民。なんの権力も持たない非国民。
諸行無常を否定する千年帝国へと昇華に至った。
が、史上最悪の独裁者により、まもなく終焉を迎える----
言い直そう、まもなく終演を迎える。
日本一の移動サーカス団『ピカレスク』は今日も観客席をオーディエンスで満たしていた。
舞台の上では像に乗ったピエロがワイヤーで空を飛ぶ悪魔と激しくも爆笑の攻防を繰り広げている。
もちろん全てが虚実でお遊びだ。
巨大なテントは全てを見せず、オーディエンスの歓声は全てを聞かさず、ピエロのメイクは真実に触れさせず、演技と舞踏に隠れる闇はお天道様すら照らせない。
「笑えないな」
舞台裏にて呟くは冷めたピエロ。
純白スーツにドス黒ネクタイ、赤く染まったパーマはオールバックにセッティング、涙を流した白塗りピエロ、皆が彼をこう呼ぶ『役立たずのフライハイト』と。
「おいフライハイト、早く檻を運んでこい! もうすぐあのライオンの出番だ!」
「……はい」
彼は日の目に出ない日陰者、スポットライトも当たらない雑用庶務。
しかしそれは全て表の顔。
ならば裏の顔は本性か、いやそれすら違う。
彼は何者で何を成すか。
いつか彼が日に当たる日を夢見よう。
フライハイトは舞台裏の闇に溶けていく。
舞台上でピエロの大技に悪魔がトドメを刺された、拍手喝采そしてスタンディングオべーション。
たった1人を除けばだが。
「笑えるわ」
口が裂けているのではないかと疑ってしまうほど優雅に歪んだ笑い。
猫というより獅子の人相。
赤く染まったバブルドレス、難攻不落な高潔さ示す引き締まり切ったウエスト、はたまた空を飛ぶ鳥よりも自由にはばたくように膨らんだスカートとフリル、赤丸が如くギラギラ煌めくゴールデンロングパーマ、彼女を知るものは今におらず、未来にあり、後の『人類史上最悪の独裁者』
まるで華族だが彼女は違う。
しかしてなら彼女は誰か。
それは今後のお楽しみ。
団長の盛り上がり口上が火を吹いた。
『さあ皆さんお待ちかね! おむつは出口で売ってます! お子さん連れは気をつけて! 百獣の王から一を抜け! 白獣の王のお出ましだ!』
舞台の床が装置で開き穴から現れたのは
『ほぉわいとぉライッオンッ!』
現れたのは、何もなし。
テント内が冷めきった。
誰もが黙りこくった。
悪い意味で期待を裏切られた観客たちは、冷めきった後、活火山のマグマのように熱くなる。
噴火寸前の寸暇。
舞台裏から空を裂く悲鳴。
そして悲鳴、またもや悲鳴、さらに悲鳴----
悲鳴を纏って衆目に現れたそれは----
血塗られた白い毛を持つ獣----
白獣の王ここに君臨。
『観客の皆様直ちに避難を、ホワイトライオンが脱走しました。スタッフの誘導に従ってください』
混沌。
混乱。
混濁。
たった1匹の獣によって逃げ惑う人の津波が生まれた。悲しいかな、津波は自壊しながら突き進む。
「早く進め!」「前は何してんだ!」「押さないでよ!」「子供を優先するべきです!」「知るかんなこと!」「どこだよスタッフ!」「おい今足踏んだろ!」「ママぁ!」「クソ! クソ!」「痛いよぉ!」「お客様!どうか落ち着いて!」「死ねピエロ!」「あんたたちのせいでしょ!」「なんで、なんで、なんで」「私を誰だと思っている!」「誰だよ!」「財布盗まれたあ!」「馬鹿! 戻るな!」
全ての人間が他人を顧みずに突き進んだ。
「愚民が」
日村テルコ。
彼女だけは席を立たずに未だ着席。
足を組んで頬杖をつく姿はまさに王のそれ。
彼女の眼前で唸っているホワイトライオンにも引けを取らなかった。
「ぐるるぅぅがあぁ----」
白獣と淑女が睨み合う。
刺股を持ったピエロが続々集まる。
「お客様何を⁉︎」「お逃げお!」「生きて!」
テルコは微動だにせず睨み続ける。
白獣もそれに応えるように睨み返す。
火花どころか爆発寸前。
ピエロたちは白獣に立ち向かう。
刺股を首に、前足に、後ろ足に、全身に----
だがまだ足りない、体長3メートル、丸太かと見まごう4本足、硬く綻ばない爪、鈍く輝く牙、圧倒的王者の暴力にはまだ足りない。
瞬きの間に全てのピエロが一撃で薙ぎ払われた。
またもやたった1人を除いてだが。
「く、このっ、とまれえぇ!」
首に刺股を突きつけた唯一のピエロ。
白獣の薙ぎ払いを回避。刺股で繋がっているため吹っ飛ぶ勢いを利用して巨大な体躯に飛び乗り揺れ動く巨獣をロデオが如く乗りこなして見せた。
フライハイト。
「あら、見込みのあるピエロもいるようね」
「早く逃げてくださいよぉ! 見知らぬお嬢様!」
アクシャは懐から麻酔注射器を取り出す。
白獣はさらに過激に暴れ出す。
「こいつッ、理解しているのか!?」
揺れで血管に麻酔を注射するのは不可能。
哀れなピエロに出来るのは白獣が疲れ果てるまでロデオを続けることだけ、しかしそれまでに怪我人を出さないこともまた不可能。
「クソ、こうなったらもう----」
人差し指と親指をピンと立てる。
銃が如く、白獣の首に突きつけ。
「バ----」
「手伝ってあげましょう」
刹那、テルコは白獣の額に手のひらを当てる。
そして呟いた
「王のもとに跪け、『支配権行使』」
嵐のように暴れていた白獣が、凪ぐ。
「時間は数秒よ、道化」
「感謝します、お嬢様」
サーカス白獣脱走事件は終焉を迎えた----
「あの、誰とも知らないお嬢様」
「なにかしら、カウボーイピエロ」
「どうやってライオンを止めたのですか? 支配権と言っていましたが」
「あら聞いていたの」
「ええまあ。もしかして『特権』ですか? しかし、支配権などという特権は聞いたことがありません。あなたは一体----」
「あたくしは日村テルコ」
「……やはり聞いたことがありません。華族じゃないとしたらなぜ----」
「ワルサーピエロという銃を知っているかしら?」
「!」
「ナチスが遺した銃。非人道に非人道を重ねた人体実験によって作られた銃器。通称『人間銃』」
「……なにが言いたいのでしょう」
「ただの都市伝説でしてよ。そういえば、ピエロの方は完全なる語呂合わせですけれど、ワルサーは本来『ヴァルター』と言いますの」
「俺は----」
「ドイツ語で支配という意味でして」
「……俺はフライハイトです。俺は……自由です」
「あたくしは未来の支配者日村テルコでしてよ」
日村テルコはサーカスを後にした。
この日からが大日本帝国終焉の始まり。
ピエロとお嬢様の革命的出会い。
始まりがあれば終わりもある。
まもなく終演でございます。
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