第21話 陰陽魚
「うわあ、本当に暗くなっている」
ジャージに着替えた2人が大浴場を出ると、既に廊下の電灯は消され、申し訳程度の間接照明が等間隔に薄っすら光っている。
「そう言えば、寮監さんが深夜1時まで風呂に入れるとか言ってましたけど、どう言う事でしょう?」
センジュの浮遊椅子を押しながら、廊下を歩きつつ、疑問に思った事を口にするエンマ。
「ここの連中はバトルジャンキーが多いからな。0時までは道場や擬似戦闘訓練室なんかが使用可能だから、ギリギリまで自分を痛め付けているやつも少なくないんだよ」
「ああ、成程」
「それに、軍事随行資格を取ると、龍災で緊急出動させられる事もあるから、それで帰りが遅くなって、深夜に風呂に入るやつもいるんだよ」
「へえ」
流石は軍学校だけあって、色々やらされるんだなあ。と思いながら、エンマは階段前で止まる。
「どうした?」
センジュがいきなり自分の椅子を止められ、何事か尋ねようとしたら、階段から誰かがいそいそと下りてきて、危うくバッティングしそうになった。
「うおっ!?」
階段を下りて廊下を曲がった瞬間に、センジュたちがいた事にびっくりして、その数人は足を止めた。
「2年か。緊急出動以外で廊下を走るな。と規則で決まっているはずだが?」
センジュの一言に、
「あ、す、すいません!」
と頭を下げる2年生数人。
「これからは気を付けろよ」
センジュはその場で下級生に注意し、それが終わったタイミングで、エンマはセンジュの浮遊椅子を押して、階段を上っていく。
「今のって、センジュ先輩だよな?」
「ああ。後ろのやつ誰?」
「知らねえ」
注意された2年生は、こそこそと話しながら、大浴場へと歩いていった。
◯ ◯ ◯
「良く、2年生だって分かりましたね」
先程の2年生も深緑色のジャージを着ていたので、エンマには何年生なのか分からなかった。それをセンジュが一目で2年生と見抜いた理由が気になる。
「学年で、ジャージの袖と足の横の蛍光ラインの数が違うんだよ。そこを見れば、そいつが何年生なのか分かる」
「へえ」
エンマが確認すると、確かに自分のジャージは白い蛍光ラインが1本で、センジュのジャージは蛍光ラインが3本ある。
「まあ、この時期はたまに前学年のジャージ着ていて、学年が分からないやつもいるけどな」
「ああ、いそうですね」
センジュの言に容易に想像出来るエンマ。
「そう言うやつは寮監や寮長が注意する。それでも直さなかったら、罰則を受ける事になる」
「罰則ですか?」
「ああ。初犯は腕立て伏せ100回とか軽いものだが、あまりに目に余る場合、必修科目の単位剥奪とかあるから、エンマも莫迦やり過ぎるなよ」
「へ〜い」
単位剥奪はキツいな。と肝に銘じるエンマ。
「それより、どうしてあの2年共が下りてくると分かった?」
「え? 普通分かりません?」
「いや、分からんだろ」
そうなのか。と周りと自分の違いをエンマは認識する。
「多分、うちの寺で修行しているやつらなら、誰でも出来ると思いますよ」
「さっき話題に上がったラセツってやつもか?」
「はい」
これには浮遊椅子の上で「ううむ……」と唸るセンジュだった。
◯ ◯ ◯
「さて、では血を採らせて貰おうか」
部屋に戻ってくるなり、開けっ放しだった窓を閉め、暗い部屋でにんまり顔になるセンジュ。覚えていたのか。とエンマは眉間にシワを寄せる。
「分かりました。約束ですからね」
覚悟を決めるエンマだったが、
「その前にせめて部屋の明かりを点けて良いですか?」
「まあ、そうだな」
センジュ的にはパソコンの明かりだけで十分なのだが、それでエンマが採血させてくれるなら、明かりくらい問題ではない。
パチリと、エンマがドア付近のスイッチを入れると、部屋が一気に明るくなる。いきなり暗い場所が明るくなり、眩しさに目を細める2人。その眩しさに慣れてくると見えてくるあれそれ。部屋が思っていた以上に汚い事に、頭が痛くなるエンマ。
部屋はかなり広く、入口から見て左から、2段ベッド、ソファやローテーブルなどの来客用のスペース、実験用長テーブルが置かれ、窓側の壁際にはパソンに様々な実験設備、右側の壁際には薬品や実験器具を仕舞う棚で埋めてあり、手前の壁際から入口へ向かって本棚が続いている。
そんな部屋には、実験用の長テーブルや来客用のローテーブルやソファの上に、資料系の鈍器のような分厚い本や薬瓶、実験器具などが散見されるのはまだ可愛い方で、床にはそこかしこに飲みかけのペットボトルや、食い散らかしたお菓子の袋が散乱していて、足の踏み場もない。
「とりあえず、部屋片付けません?」
「必要か、それ?」
「おい」
ゴミを挟んで睨み合うエンマとセンジュ。
「部屋を片付けるなら、勝手しろ。だが、まずは採血だ。結果が分かるまで色々やって、1時間ぐらい掛かるから、その間に部屋の片付けなり何なりすれば良い」
センジュのあんまりな言動に、エンマの中にあった反発する気も失せてしまった。
「分かりました。それじゃあとっとと血を採って下さい」
エンマがソファに座ると、センジュが待ってましたと、注射器を取り出し、血を採り始める。
「あと、唾液と髪の毛を何本か欲しいな」
「ええ?」
そう言いながら、センジュはエンマの返答を待つ事なく、更にマジックハンドを増やして、エンマの口に何かを突っ込んだり、髪を抜いたりした。
「せめて俺の了承を得てからにして下さい」
「男がこれくらいで、ギャーギャー言うなよ」
「俺の身体は爪先から頭まで、貴重なサンプルなんですから、これは当然の要求だと思いますけど?」
これにはセンジュも反論出来ない。エンマと言う存在の希少性を鑑みれば、エンマにはセンジュの要求を拒否する資格があるだろう。いや、そうでなくとも、他者の生体組織を勝手に拝借するなどやってはいけないのだが。
「分かったよ。これからは、な」
渋々と了承するセンジュに、エンマは嘆息する。しかしセンジュはそんな事に興味がないのか、エンマから必要量の生体組織を手に入れたら、パソコンの方へ向き直ってしまった。
「じゃあ、俺はこれらをじっくり観察しているから、掃除よろしく」
エンマはもう一度嘆息しながら、
「とりあえず、窓開けますよ」
「いや、駄目だろ」
窓に近付いたエンマに注意するセンジュ。いきなりの駄目出しに、「ええ!?」とエンマは思わず声を漏らしてしまった。
「埃が入る。窓を開けるな」
「我儘な。部屋がこの状態なのに、埃も何もないでしょう」
エンマに注意し返され、部屋の惨状に目を向けると、確かに。と思わずにはいられないセンジュだった。これまでは1人だけだったし、部屋の明かりは消して生活していたから、気にならなかったが、部屋の惨状はセンジュが思っていた以上であった。
「だが、窓を開けるのはなしだ。こっちは防護幕に籠もるから、そのつもりでな」
と透明な幕で部屋の一角を区切るセンジュ。そこにはパソコンを始め、様々な機器が置かれており、その一角だけは綺麗に整頓されている。どうやらそこだけは実験などをする時に、埃などが入ってこないようにしてあるらしい。呆れた実験莫迦ぶりに、またも嘆息が漏れるエンマだったが、これ以上討論するのも莫迦らしくなってきたので、さっさと部屋を片す事に思考をシフトさせた。
(とりあえず、お菓子類をゴミ袋に……、ゴミ袋……)
見当たらない。
「先輩、ゴミ袋は?」
「知らん!」
ここまでくると、この人はどうやってこれまで生活を成立させてきたのか、不思議に思うエンマだったが、まずはゴミ袋か。と部屋を出ていこうと考え、いや、それならあっちもと、目を向けたのは、部屋の端にある2段ベッドだ。
上段には特に何も置かれておらず、下段は掛け布団の上に下着類が乱雑に積み上がっており、ここで寝ていたの? と何度目かの嘆息がエンマの口からこぼれる。
「俺、ベッド、上段ですよね?」
「俺が上段のベッド使える訳ないだろ」
とチクリと言葉で刺してくるセンジュ。そんなつもりはなかったのだが、センジュの柔らかい部分に触れてしまったらしい。
「すみません」
「謝るな」
「はい」
自分の短慮を反省しつつ、エンマは上段に自分の荷物(肩掛けバッグとスポーツバッグ)を置き、下段のベッドから、下着類と一緒に、シーツや枕カバーなどを剥がすと、
「俺、もう一度脱衣所の洗濯機まで行ってきますね!」
と努めて明るくセンジュに声を掛ける。
「行ってらー」
どうやらセンジュはそこまで怒っていないようだとエンマは判断し、洗濯物を持って脱衣所へ向かうのだった。
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