第19話 千の手を持つ男

「あれか?」


 部屋から反対側にある階段で伏せるエンマを覗くセンジュ。


「ええ。何と言えば良いのか……」


 まさかあの一瞬であんな端まで逃げるとは思っておらず、菅原もウカも苦笑いだ。


「ふ〜ん。ま、面白そうではあるか」


 センジュが、誰に向かって言うでもなく、ぽつりと呟くと、センジュの乗る浮遊する椅子の後部から、5本指のマジックハンドが2つ、にょろ~んと飛び出しエンマに迫る。


(マジか!?)


 と頭を伏せて階段に隠れるエンマだったが、100メートル以上はあろう廊下を、センジュのマジックハンドはものともせずに、廊下の端まで伸びると、エンマを脇から抱え上げ、部屋の前まで連れて来た。


「…………」


 両脇をセンジュのマジックハンドに掴まれ、だら〜んと力なく宙に浮くエンマの姿は、まるで猫のようだ。とウカと菅原は思ったが、それを口に出す事はせず、


「それじゃあ、2人仲良くやるんだよ」


 と一言口にするに留めて、2人はその場を後にした。


「…………」


「…………」


 2人が階段を下りていった後も、見詰め合うエンマとセンジュ。


「あの、いい加減下ろして貰えません?」


「そんな事言わずに、仲良くやろうぜ、子猫ちゃん」


 にんまり笑うセンジュに、何か背筋を冷たいものが流れた気がしたエンマだったが、センジュはエンマを下ろす事なく、そのまま部屋へ連れ込んだ。


 部屋の電灯は点いておらず、パソコンだけが煌々と光を放っていた。その僅かな光に照らされた部屋は、様々な機器や分厚い本がそこかしこに置かれ、雑然としている。寮生の部屋と言うより、実験室と呼んだ方がしっくりくる。


「ようこそ。300号室へ」


 センジュの背後から、更に2つのマジックハンドが現れると、エンマの靴を脱がせ、資料の墓場と化していたソファから、それらを退かしてエンマを座らせると、自分はパソコンの前に移動する。エンマは何とも居心地の悪さを感じていた。


「姉者から事情は聞いている。司馬エンマ。世界初の症例で、特異体質なんだろう?」


 センジュが自分の事情を知っている事に驚くエンマと、それを見て、悪戯が成功したような顔をするセンジュ。


「自己紹介がまだだったな。あまねセンジュだ」


「遍? じゃあルリ先生の……」


「弟だ」


 それで合点がいった。ルリからセンジュに情報が受け渡されたのだろう。そして部屋は散らかっているが、センジュの部屋はルリの診察室に雰囲気が似ていた。


「さて、それじゃあ、早速お前の血を採らせて貰おうかなあ」


 とどこかから注射器を取り出すセンジュのマジックハンド。


「ちょっ、いきなり採血とか何考えているんですか!」


「大丈夫だ。注射器の扱いには慣れている」


「慣れている……!?」


 高校生が注射器の扱いに慣れるって、どんな生活をしているのか、余計に不安になるエンマ。それを感じ取ったのか、センジュは注射器を下ろした。


「ここは軍学校だからな。軍に駆り出されて、実習と言う形で後方支援的な事をやらされるんだよ。俺は支援科総合班だから、医療から武器の補充、軍用車両の運転まで、色々出来る資格を持っているんだよ」


「支援科総合班……?」


 首を捻るエンマを見て、溜息を漏らすセンジュ。


「何も知らずに放り込まれたみたいだな」


「はい。何せこの学校に通うように言われたのも、今日の昼なので」


 これには呆れて閉口してしまうセンジュ。


「それはご愁傷様」


「いや、第一に来られたのは、どちらかと言えば幸運ですね」


 そう嬉しそうに語るエンマへ、半眼を向けるセンジュ。


「お国の為に死ぬなんて、莫迦のする事だぞ」


「死ぬ気はありませんよ。養母に、自分が見ていないところで死ぬな。と約束させられましたから」


「…………そうか。失礼」


 センジュの何が失礼なのか分からず、首を捻るエンマ。その姿にセンジュはまた溜息を漏らす。これはさっさと話を切り換えようと、話題を変える。


「説明すると、まず1年は一般科と言われて、軍での様々な事を学ぶ。軍人としての下地を作るのがこの1年だ」


 センジュの説明に、ふむふむとエンマは頷く。


「そして2年になると、1年で学んだ事から、自分の得手不得手や、行きたい進路、教官の勧めなどで、兵科と支援科のどちらかに進む事になる。そしてその兵科や支援科にも、様々な分類分けがされていて、兵科歩兵班や兵科工兵班、支援科衛生班、支援科兵站班など、様々な選択肢が用意されている。その中から1年時に優秀だった学生が、兵科総合班や支援科総合班に選ばれるんだ」


「へえ。そうだったんですね」


 何とも分かっているのやら分かっていないのやら、エンマの顔があまりに呑気なので、心配になってくるセンジュだった。


「と言う訳で、支援科総合班の俺は、注射器を扱う実習をちゃんと受けているし、何なら戦場で被災者に注射を打った事もあるから、心配しないで良い」


「はあ、分かりました。…………ってなる訳ないでしょ! 普通にいきなり部屋に連れ込まれて、血を採るとか言われたら、狂気だから! ホラーだから! 映画なら、1番始めに殺される役だから!」


「大丈夫。痛くしないから」


「しゃべり方が何かねっとりしていて、信用出来ないんですけど!」


「心外だなあ」


 と言いつつじりじりとエンマに近付いてくるセンジュ。部屋の暗さも相まって、正にホラー映画のワンシーンのようだ。


「だ、だいたい、何の為の採血なんです?

これ?」


「ん? お前の血を観察する為だが?」


「思いっ切り私情じゃねえか!」


 先輩とは言え、私情で採血なんてされたくないエンマは、思わずタメ口でセンジュにツッコんでいた。


「何を言っているんだい、エンマくん。科学者が未知の存在を前に、それを解明する行為を止めるなんて出来るはずないだろう」


「嫌だー! そんな理由で血を採られたくないー!」


 頑なに嫌がるエンマだったが、センジュの浮遊椅子後部から更にマジックハンドが現れ、エンマの両手足を捕まえる。


「ふっふっふっ。これでもう逃げられまい」


 完全に悪のマッドサイエンティストのような言葉を吐きながら、にじり寄るセンジュ。が、ここで無抵抗で終わるエンマでもなかった。


「うりゃあ!!」


 と掛け声一つと共に、身体を素早く捻り、マジックハンドの拘束から逃れるエンマ。


「くっ、やるな。流石は三ツ目の龍を倒した男」


 そう言いながら、更にセンジュのマジックハンドが増える。いったい幾つあの浮遊椅子に格納されているのか、ゾッとするエンマだったが、


「あの、分かりましたから、とりあえず一時休戦しましょう」


 と切り出す。


「どうした? 逃げられないと諦めたか?」


「違います」


 そう言い返すと、エンマはスタスタと窓の方へ向かい、カーテンで閉ざされていた窓を開け放った。ここの窓も鉄格子が付いているのか、と若干呆れながら、


「この部屋臭いんですよ! 薬品の臭いなのか何なのか知りませんけど、人が生活出来る環境じゃないから!」


 とエンマはセンジュに言い放った。


「く、臭くないし……」


 これには堪えたのか、目を逸らすセンジュ。それを感じ取ったエンマは、今度はセンジュの方へと歩いていき、その臭いを嗅ぐ。


「……臭い」


「臭くないし!」


「臭いですよ! いつお風呂に入ったんですか!?」


「…………」


 目を逸らして何も語らないセンジュに、くらっと目眩がするエンマ。


「行きますよ」


 爆速でセンジュの後ろに回ったエンマは、取っ手部分を掴み、センジュの浮遊椅子を移動させようとする。


「い、行くってどこに?」


「お風呂ですよ。そんな不潔な身体で、良くも採血したいなんて言えましたね」


「風呂は、風呂は嫌だー!」


「嫌がるな! お風呂に入ってくれたら、採血でも何でも手伝いますから!」


「なっ!? 本当だろうな!? 今、言質取ったからな!」


「はいはい。お風呂行きますよー」


「うう。でもやっぱり風呂は嫌だー!!」

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