第5話 過去からの刺客
「言えない理由でもあるの?」
渋った顔をしたエンマにルリが尋ねる。
「いや、別に隠しているつもりもないので、言う事には問題ないのですが……」
そう言い訳するエンマの脳裏に浮かぶのは、梅ばあの辛そうな顔であった。しかし目の前の医者が出自を気にすると言う事は、それが今回の昏倒と関係があると言う事だ。口外無用と口止めされている訳でもないので、エンマは自身の出自の説明をする事と決めた。
「俺は養子なので、実の親がどこの誰なのか知らないのですが……」
そうエンマが前置きした段階で、ルリは触れてはいけない柔らかい部分に踏み込んでしまったと少し後悔したが、これも仕事と割り切って、続きを促す。
「俺の最初の記憶は約13年前、燃え盛る炎の中で、養母に抱きしめてられているところから始まります」
いきなり壮絶な過去を語られ、ルリの顔は何とも言えないものへ変わる。
「どうやらそこは実験施設であったらしく、俺は実験体として、そこに監禁されていたようです」
「おおう……」
重いなあ。と後悔に押し潰されそうになりながら、ルリはその時代にあった事件を振り返る。そして1つの事件に行き当たった。
「それって、もしかして長野の?」
「はい。龍仙峡山荘事件です」
「マジかー……」
これにはルリだけでなく、診察室の隅に控えていた看護師も、驚きで口に手を当てていた。
約10年前まで日本では、3つの宗教が隆盛を誇っていた。神道と仏教、そして龍が現れてから生まれた、龍を人間たちの上位存在として位置付け崇める、
長野の山奥に山荘と偽り建設された実験施設では、非合法に人を龍へ、位階を押し上げる為の龍人計画と言うものが進められており、その被害者、実験体には日本各地から集められた信徒の子供が、日夜実験と称した様々な残虐行為に苦しめられていた。
血液を全て龍血に入れ替える実験や、骨髄内の造血幹細胞へのアプローチはまだ優しい方で、実験に耐えられず死んだ子供をサンプルと称して切り刻んだり、ましてや実験に耐えられないと判断された子供に、身体に合わない龍血を注入して、その変化を観察したり、生きたまま切り刻むなど、およそ人としてやってはいけない行為が、この実験施設では、神である龍に近付く為とまかり通っていたのだ。
13年前、征龍暦68年━━。ある龍神教の信徒であった者からのタレコミで、その事実を知った日本征龍軍は、当時中将であった司馬梅子を隊長とした、少数による精鋭部隊で山荘へ突入、実験体である子供の救出作戦を決行するも、結果は惨憺たるもので、救出出来た子供は1人だけ、残る実験体は生死不明となっていた。隊長である司馬梅子は、この結果を重く受け止め退役となっている。
パソコンで軍の情報部へアクセスしたルリは、当時提出された資料に目を通し、数ある報告書や写真にザッと目を通しただけで、またも暗い気持ちに押し潰されそうになった。
「この、司馬梅子って人に心当たりは?」
「それが養母です。身寄りのない俺を引き取って、寺で育ててくれました。今は梅観と名乗って、阿闍梨をしています」
「あじゃり?」
聞き慣れない言葉に首を傾げるルリ。
「宗派によりますけど、うちの宗派で一番偉い人ですね」
「仏教なのに女性が頂点なんだ」
「はい。うちは円月流って言う武芸寺なので、一番強い人が一番偉いんです。本当はこの上に大阿闍梨って言う位もあるんですけど、今は空位ですね」
「へえ」
宗教に特段興味のないルリには、あまり縁のない話であり、それよりもあの事件の当事者としての方が気になっていた。
「この白い髪も、きっとあの施設で辛い思いをしたせいだって、梅ばあ……、俺の養母が言っていました」
「いや、ショックで髪が白くなるのは迷信だから」
「そうなんですか?」
エンマの天然に思わずツッコミを入れてしまい、ルリの気持ちがこちらへ戻ってきた。
「まあ、話を聞いて、どうしてこんな事態になったのか、その一端は見えてきたわ」
居住まいを正したルリに対して、エンマは背筋を伸ばし、聞き耳を立てる。
「司馬くん。君は既に龍血細胞を注入されていたの。その細胞が新しく注入された人工龍血と反発して、ショック症状を引き起こしていたのよ」
「俺の身体に既に龍血が?」
エンマには俄には信じられない話だった。
「龍血適応診断の為に、地元の病院で血を取って、国の機関に送りましたけど、診断結果に、龍血が混じっているなんて書かれていませんでしたよ?」
「そうね。恐らく事件後にも血液検査をして、それでもシロだったから、国も問題なしと司馬梅子さんが君を引き取る事を了承したんだと思う」
「はあ」
ルリの言に、それならやはり自分には龍血細胞はなかったのではないか? と頭に疑問符を浮かべるエンマ。
「君の中にあった龍血細胞は少し特殊でね、血液のサンプルや血液結果を取り寄せてみたけれど、血液からは龍血細胞は検出されなかったわ」
「血液からは、ですか?」
「そう。色々調べてみて、検出されたのは皮膚や筋肉、髪の毛と言った細胞からのみで、何故か血液からは検出されなかったの。それが今回の昏倒を引き起こした要因ね。まあ、龍血細胞に限らず、ミトコンドリアとかの細胞小器官は、体内の部位や臓器によってその量が違うから、あり得なくはないんだけど、龍血細胞が血液から全く検出されなかったのは、私が知る限り初めてのケースだわ」
「はあ、そうなんですね」
知らない言語に頭が混乱するエンマ。いや、ミトコンドリアとかは生物の授業で習ったっけ? と何とも他人事のようで実感が湧かない。ただ、これだけはどうしても聞いておきたかった。
「俺の身体は、それでどうなるのでしょう? これからの生活、大丈夫なんでしょうか?」
エンマの問いに腕を組んで首を傾げるルリ。
「それなんだけどねえ。何とも言えないのよねえ。何せその後に起こった事も初めてのケースだったから」
とルリはエンマの身体に起きた現象を話し始めた。
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