第17話 兵庫助の教え

 あれ以来おじじ様の夢を観なくなった。


 やはり、おじじ様が知らせてくれて居たのだと兵庫助は思った。


 それにしても、しんどい敵であった。


 あのようにして、身体を斬りきざんだのは初めてで、気持ちの良いものでは無かった、残酷極ざんこくきわまりない。


 ましてや、姿形は美しい女人であった。


 武蔵も自分も、その時は兵法者ひょうほうものにあらず、ただ、肉の解体作業をしただけだ。


 武蔵と二人で黙々もくもくと作業をしただけだ。


 我が兵法に汚点おてんを残したと語った、武蔵の気持ちは良く解る、兵庫助も同じ気持ちなのだ。


 あの時以来自分の中で、何かが変わった様な気がする。


 小坂部級の鬼が、この世の何処どこかに存在して居るかもと想像すると、背筋が寒く成って来る、二度と関わりたくない。


 しばらく剣のことは忘れて居たい。


 この旅もそろそろ終わりが近づいている。


 尾張徳川家おわりとくがわけより、剣術指南役けんじゅつしなんやくとしてむかえたいとの申し入れがあったのだ。


 兵庫助はそれを承諾しょうだくした、だから旅はもう終わりなのだ。


 あと数か所、めぐって終わろう。


「八郎よ、次は何処を巡ろうか、良い所はないか」


 兵庫助は、忍びの八郎に声をかけた。


 この八郎は、器用人きようにんであり、器量人きりょうにんでもある、頭も良く気も利く便利な男なのだ。


 兵庫助が質問しても、いつも的確てきかくな返事が返って来る。


「そうですねぇ、安芸あき宮島みやじまなど行かれて見てはいかがでしょうか」


 八郎からの返答は、いつも兵庫助の心をつかむのだ。


「ほう、宮島か。 うん、行って見たい」


 海に立つと言う鳥居とりい、宮島の厳島神社いつくしまじんじゃへは一度行って見たいと思って居たのだ。


「よし、次は宮島に向かうとしよう、姫路ひめじにはもう用は無いのでな」


 そうと決まれば、明日には出立する事にしよう。


 ここにはもう用は無い、あの一件以来、小坂部の悪い気が、自分にまとわりついて居る様な気がするのだ。


 丁度ちょうどいい、厳島神社に参拝さんぱいして、その悪い気を洗い清めてもらうのも悪くない。


明日出立あすしゅったつする、八郎、皆に伝えてまいれ」


承知致しょうちいたしました」


 そう言って八郎は兵庫助の前から退散たいさんしていった。


 こ奴は行動も素早すばやい、まこと重宝ちょうほうする。


 厳島神社は日本三景にほんさんけいに選ばれて居るところだ。


 今は夏の終わりなので、着く頃には丁度秋だろう、紅葉乱もみじみだれる美しい景色も見られる事であろう。


 丁度良いことばかりがそろうて居る、正解の旅じゃのう。


 そんな事を考えて居ると、八郎が姿を現した。


「早いの、もう皆に伝えて来たのか」


「いえ、そうじゃありません。 若様に客人が訪ねて参っております」


拙者せっしゃに客人とは、いったい誰じゃろう」


「勘四郎殿に御座います、会われますか」


「会おう、連れてまいれ」


 久々と言ってもまだ三日ほどしか経って居ないが、なぜかなつかしいような気がする。


 八郎に連れられ勘四郎が入って来た。


 八郎は皆に伝えて来ると言って、部屋を退出して行ったので、勘四郎と二人きりになった。


「お久し振りに御座います、兵庫助様」


 勘四郎が両手をついて挨拶あいさつをした。


「おう、勘四郎も息災そくさいで居ったか」


 最後に会ってから、まだ三日しか経って居ないのに、その様な可笑おかしな挨拶になったことを互いに気付き、笑い合った。


「昨日武蔵様が、旅立たれました」


 勘四郎が寂しそうに言った。


「そうか、宮本殿も姫路を離れたか」


 兵庫助の言葉に勘四郎が見つめて来た。


「いや、拙者達も明日、この姫路を立とうと思うて居る」


「えっ、そうなのですか」


 勘四郎が寂しそうな顔になった。


「安芸の国にある宮島の厳島神社へ参拝しようと思って居っての、今からの季節の景色だとそれは美しかろう、そうじゃ勘四郎、そちも付いて来るか、どうじゃ」


 勘四郎は一瞬嬉しそうな顔をした、だが直に元の顔に戻った。


「おさそいとても嬉しく思います、しかし、辞めておきます」


「どうして、路銀ろぎんの心配などしなくても良いのだぞ」


「いえ、そう言う事ではないのです。 武蔵様から、志しのままに生きよ、と申されました。 それで自分の志しについて考えてみたのです。 自分は今、武者修行の身であります。 いずれ、武蔵様や兵庫助様の様な天下に名がとどろく様な兵法者に成りたいのです。 だから、また独り武者修行の旅に戻りたいと考えて居ります」


 兵庫助はしばらく勘四郎を見つめた。


「そうか、それは残念ざんねんではあるがそちなりに考えた答えであるのだな。 それは立派な志しである。 そちならば必ずや立派な兵法者に成るであろう」


 兵庫助はそんな勘四郎を見て、若き頃の自分を思い出して居た。


 自分にも、そうこころざす時期があったのだ。


「そちの国は何処どこであったかのう」


 国をたずねられた勘四郎が不思議な顔をして「尾張の国であります」と答えた。


「そうか、尾張であるか」


 勘四郎はまだ不思議そうな顔をしている。


「これも何かのえんじゃのう」


 兵庫助は少し考えて聴いた。


「そちの父は尾張藩士か」


「はい、父も兄達も皆尾張藩士です、俺も、いや、私も武者修行むしゃしゅぎょうの旅を終えれば尾張藩士として職務しょくむに着くつもりであります」


「いよいよ縁を感じるのう」


 勘四郎は意味が解らないと言う顔をして、兵庫助の次の言葉を待っている。


「それならば勘四郎、そちとはまた会える」


「えっ」


「拙者は此度の旅が終われば、尾張藩の剣術指南役として、尾張徳川家より直々じきじきに呼ばれて居ってのう」


「そ、そうなのですか」


 勘四郎もその不思議な縁を感じた。


「尾張にも、そちの様な夢ある志しをかかえる若者が居るのじゃのう、これは、尾張に行くのが楽しみに成って来たわ」


 兵庫助は、おのれ生涯暮しょうがいくらすのであろう、まだ見ぬ地に思いを寄せた。


「私も兵庫助様に稽古けいこを付けて頂けるのは、とても嬉しく思います」


 いかにも勘四郎がお世辞せじを言ってきたが、そこがまた可愛い。


「いずれは師弟関係していかんけいになる間柄あいだがらゆえ、一つ教えておこう」


「はい」


 勘四郎が居住いを正した。


「拙者が観るに、勘四郎は太刀たちにぎる際きつく握り過ぎて居る。 太刀を握る際はこうじゃ、この様に軽く握るが上策じょうさく。 それに馴れる様に工夫くふうする事じゃ。 さすればやいばに角度を付けるのが容易よういになるのでのう。 角度が変われば軌道きどうも変わる。 そうすれば狙い通りに刃を当てる事が出来よう」


 勘四郎が唸った。


「あの闘いの最中に、その様なことまで観られて居られたのですか、流石さすがは兵庫助様。 ただただ頭が下がります」


「世辞を言うでない、しかしこの先の武者修行で死なれては困るからのう、一応伝えて置いたまでよ」


 その後も兵庫助は、二、三、技術面の指導しどうをした。


 勘四郎は熱心に聴いて居た。


「それからもう一つ、大事なことがあるゆえしっかりと聴くのじゃ」


 勘四郎がまた、居住いずまいを正した。


「解って居るとは思うが、あの時、拙者も宮本殿も不細工な戦いをしてしもうた。 これは他言無用たごんむよう、秘密にする事をここでちかってくれぬかのう」


 兵庫助はにやりと笑った、すると勘四郎もにやりと笑い返して来た。


「解って居ります兵庫助様、私は自分の闘いで必死でしたから、他のことは何一つ観ては居らぬのです」


「本当か」


「本当です、観ていたとしても、それははかまで持って行くつもりであります」


 そう言って勘四郎はまたにやりと笑った。


 観て居ったのではないか。


「それでは勘四郎よ、尾張でまた逢おう」


「ご教授有難きょうじゅありがとう御座いました」


 勘四郎が深々と頭を下げ退室たいしつして行った。


 勘四郎が退室するのを見計みはからって、八郎が入室して来た。


「兵庫様、皆に伝えて参りました、皆明日の出立準備しゅったつじゅんびを始めて居ります」


「そうか、ご苦労であった」


 八郎も静かに退出して行った。


 八郎のこう言う所が気に入って居る。


 兵庫助は眼を閉じ、今度向かう厳島神社の光景こうけいを想像した。


 姫路城でのあの件は、もう忘れていた。

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