第12話 我が名は残鬼

「なんじゃ、己共おのれどもは隠れ観て居っただけと申すのか」


「さように申されても、姫さま」


「ええい、言い訳など聴きとうないわ」


「しかし姫さま、二名ほど剣の手練てだれが居りまして、とても我らが敵う様な相手では御座いませぬ」


「それで、ただ尻尾を巻いて逃げてきおったのか」


「面目ござりませぬ」


「それでも己らは鬼神だと恐れられて居る鬼かえ、情けない」


「面目ござりませぬ」


 同じことを何度も言い居って、阿呆共あほうどもが。


「殺されるのがそんなに怖いのか、わらわが今この場で殺してやろうか!」


 とくにこの残鬼ざんきよ。


 今わらわと問答して居る鬼じゃ。


 特別にわらわが眼を掛け、残酷ざんこくな鬼と書いて、残鬼と強そうな名前まで付けてやったのじゃ。


 それがどうじゃ、のう、残鬼よ。


 そなたが人間であった頃は、辻斬つじぎりで百もの血を吸うたと言うて居ったではないか。


 そうわらわに自慢して居ったではないか、ええ、残鬼よ。


 辻斬り半平太と、京の都で恐れられて居ったのではなかったのか、残鬼よ。


 そちは辻に隠れて居らねば斬れぬのか。


 その腰の刀は飾りかえ。


 わらわがへし折ってやろうか。


 そうではあるまい、残鬼よ。


 そちは抜き打ちならば我の右に出る者は居らぬと、いつも頼もしい事を申して居ったではないか。


 その自慢の抜き打ちで殺して喰えば良いではないか、残鬼よ。


 そちが本気を出せば、その手練れの一人でも殺せたのではないのか。


 臆しおって、お前は気が弱過ぎるのじゃ。


 鬼の癖にだらしのない、ええ、残鬼よ。


 他の者もそうじゃ。


 鬼は人間に怖がられてなんぼじゃ。


 人間を怖がってどうするのじゃ。


「よくもおめおめと、わらわの前に雁首がんくびを揃え居ってからに」


 ええい、いらいらするわ。


 聞けばその宮本武蔵なる者は、我が赤松家に縁ある者であるらしいではないか。


 こ奴は主家に弓引いて居るのと同じじゃ。


 許せぬ、宮本武蔵許せぬぞ。


 こ奴めだけは、わらわが特別に喰い殺してしんぜよう。


 何が可笑しい、残鬼よ。


 そなたは今笑うて居ったではないか。


 わらわが問いただすと、仲間の仇きが打って貰えるのが嬉しいと申して居るが。


 本当にそれだけかえ、残鬼よ。




 残鬼は辻に隠れて居た。


 狙うのは、柳生兵庫助なる兵法者ひょうほうものだ。


 家臣の鬼が人間に化け、兵庫助の旅籠屋はたごやを突き止めて来たのだ。


 情報によると、三日に一度は身分を隠して大衆の居酒屋へと繰り出すのだそうだ。


 それも伴を1人だけ連れて行くとのこと。


 残鬼にとってこれ以上の好都合はない。


「思い出すのう」


 今の残鬼は残鬼ではない、京の都で恐れられて居た辻斬り半平太だ。


「お前も思い出すか」


 残鬼は腰に差す刀に語り掛けた。


 鬼心丸きしんまると言う。


 残鬼が付けた名だが、その名の通り人の生き血を吸いたがる。


「お前が人間の生き血ばかり吸いたがるのでの、儂は苦労したものよ」


 残鬼はにやりと笑うた。


 あのころの儂は、人を斬りたくてたまらなかった。


 それはそうじゃろう、折角人を斬り殺す為の刀をいつも腰にぶら下げて居るのじゃ。


 人を殺す為の稽古もして居った。


 木刀なんかで済むものかよう。


 毎日毎日人を殺したくて悶々として居ったものよ。


 斬った身体から内臓が飛び出す瞬間を想像しては、自傷行為じしょうこういをして居った。


 初めて人を殺した時は、余りにも興奮コーフンしすぎて射精したものじゃて。


 儂は変態じゃった、そのように神様が儂を作ったのじゃな。


 美しい女人を観ても何とも思わなんだ。


 普通の男ならば、その女人をどうにかしたいと思うのであろうが、儂がどうにかしたいと思うことはちくと違うた。


 切り殺した後、内臓を引きずり出して自分の身体に巻き付けたいと思うて居った。


 幼き頃は皆そう思うて居ると思って居た。


 しかし、近所の犬やイタチを捕まえては、内臓を引きずり出して喜ぶ儂を観て、皆が気持ち悪いと言い出したのじゃ。


 その時儂は皆とは違うのじゃなと解った。


 それからはその行為を隠すようになった。


 しばらくはそうして居った。


 じゃが、思春期を迎えた儂はそうは行かなくなった。


 思いが強烈に襲って来たのじゃ。


 あれを我慢の限界と言うのかのう、その日より辻斬りを始めるようになった。


 始めは一月に一度と決めて居ったよ。


 しかしそれじゃあ物足りなくてのう、直に三日に一度に変わった。


 京の都は恐怖におののいて居ったわ。


 そのことも、楽しい気持ちじゃったわ。


 百は殺したかのう、いや、もっとじゃ。


 そんな儂でも、不思議とその気に成らぬ日もあったのじゃが、そんな日に限ってこの鬼心丸が泣きよるのよ。


 生き血が吸いたいと申してのう。


 その頃になると儂も自分では抑えが効かなくなって居った。


 何度か内臓を持ち帰り、焼いてそれを喰うたこともあったが、今ほど旨いとは感じなんだのう。


 楽しき想い出じゃ。


 ある日儂はいつもの様に辻に隠れて居ったのじゃ、その日も興奮して居ったのう。


 そして儂は辻から勢いよく飛び出した。


 囲まれて居ったよ、役人どもに…


 市中引き回しの上、三条河原さんじょうがわらで貼り付けにされ、槍で突き殺されてしまった。


 それが人間であった頃の、辻斬つじぎ半平太はんぺいたの最後じゃ。


 しかしそれが最後ではなかった、長い間暗いなかを彷徨い続けて眼が覚めると鬼に生まれ変わって居ったからのう。


 今の自分には満足して居るよ。


 なぜ神様は、始めから儂を鬼として生ませてくれなかったのかと、今でも思うて居る。


 間違って人間として生まれたが為に、悶々とする日々を送らねばならなんだのじゃ。


 あれはかなり苦痛であったわ。


 生まれ変わった儂は、水を得た魚じゃ。


 腕を切られても、足を切られても生えてくるからの。


 しかし、首を斬られれば終いじゃ。


 次に死ねば、もう生まれ変わって来られぬであろうな。


 あの宮本武蔵にしても、柳生兵庫助にしても、いきなり首を狙うてくるから驚きじゃ。


 儂らの習性を心得て居るのか、それとも兵法者としての感であるのか。


 どちらにしても用心せねば成らぬ。


 宮本武蔵は姫さまが始末すると申して居ったゆえ、儂はもう一人の手練れである柳生兵庫助を殺ることに決めた。


 儂が兵庫助を始末しまつすれば、姫さまもお喜びに成られようて。


 先日は姫さまには、散々ののしられたからのう。


 ここら辺で挽回せねば、儂の面目が立たぬであろう。


 兵庫助の剣技は観た。


 天下に名の轟く兵法者であることは、調べも付いて居る。


 しかし儂も鬼の端くれ、人間如きに臆する訳はない。


 首さえ取られなければ、幾らでも再生出来るのだ、簡単ではないか。


 それに今は初心に帰り、辻斬り半平太の姿に成り、辻に潜んでいる。


 自分の最も得意とする体制を整えて居るのだ、儂が負けるはずが無い。


 抜き打ちは儂の得意とする所。


 ましてや兵庫助は油断もして居ろうし、酒にも酔うて居ろう。


 きっと抜くことすら出来まいよ。


 そのように考えて居ると、遠くから兵庫助が近づいて来るのが解った。


 鬼は暗闇で眼が見える。


 ここからは残鬼の独占場だ。


 ぎりぎりまで調子を測り、丁度良い所で抜き打ちと共に音もなく飛び出した。


 鬼心丸が叩き折られて居た。


 返す刀で残鬼の首を狙って来る、速い。


 残鬼は仰天したが、辛うじて回避して脱兎の如く一目散に走り逃げた。


 脱糞していた。


「おのれ、仕損じたか」


 遠く後ろで兵庫助の呟く声が聴こえた。

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