ヴラリオンの害虫
第1話 ド田舎星系しょぼ宙賊
『あけましておめでとうございます』
暗闇の中、電子パッドが明るく光る。
『今年も無事に銀河皇国の新しい年を迎えられたことを、聖皇陛下へ感謝しましょう』
狭苦しいコックピット。凍える寒さの中で、宇宙服を来た男が座禅を組んでいる。あぐらになって、足の裏が上向きになるように両足の甲を太ももの上に乗せ。手の甲を膝上に置き、静かに鎮座している。
これは所謂、結跏趺坐と呼ばれる態勢である。
電子パッドの青白い光がヘルメットに反射する。即身仏のように呼吸を止めていた男が目をゆっくりと開いていく。
左目だけを。右目には眼帯が巻かれている。
途端にその身に寒さが染みていく。
「さぶっ! さぶ~」
先ずは――生きている事を自覚する為に、感じるままに口を動かす。
ぶるぶると震えがって、堪らずアルミシートを手元に引き寄せて体に巻く。電力系を最小限にした機内の熱は、宇宙の闇に吸われていく一方だ。
(こんな古いスペーススーツじゃあ、その内本当に凍え死ぬな)
手直しの歴史が紡がれた継ぎ接ぎが痛々しい不格好な中古宇宙服の内部は、これでも徹底的に掃除したつもりだが、未だに形容しがたい悪臭が籠っている。最低限の機能として空気漏れはしていないが、それが起きるのも時間の問題だろう。
(温かいコーヒーが飲みたい。そう思える内はまだ生きているってことだ)
そう、まだ生きてしまっている。
壁一枚を隔てた先にある宇宙の海には星々が煌めいている筈だ。
しかし、今の彼の前に見えるのは簡素な計器類とセンサーだけ。外を眺める窓がついているような快適な旅客機の中ではなかった。
息の詰まる閉塞感の中で、咳をしながら計器類を点検する。
ピピッ、と音が響く。
『航海記録作成のお時間です』
永遠の暗黒に浮かんでいる中では時間間隔が狂うのは無理もないことだ。こうして決まった時間に航宙日誌を書く事が推奨されている。
しかし、何を書けと言うのやら? エラーマークが出っ放しの幾つかの端末を後目に、機器点検のシートに全て問題無しと記載する。
その時、ピーっと薬缶が湧いたような音が鳴った。
『マスター、“獲物”のご到着です』
男の目がギラリと光る。報知器のスイッチを切った。
「漸く来たか! 待ちかねたぜ~」
頭に重くのしかかっていた退屈感が興奮で吹き飛ぶ。
仕事が終われば帰路に着くことが出来る。そう思うと開放感すら錯覚する。
「ようこそ、金持ち諸君! このクソったれ星系へ」
宙賊。
宇宙を星の海と例えるならば、海賊と呼ばれてもいい。
兎も角、宇宙を行きがてら、そういったものへの警戒は怠るべきではない。特に、こういう司法当局の目の届きにくいド田舎星系であれば猶更だ。
取り分け、輝かしい一年の始まりを祝おうと、態々臨時で豪華客船を就航させて、宇宙観光なんてしようとする今がそうだ。
オマケに護衛のフリゲート艦もなしときた。
彼等はヴラリオン星系の一番の目玉であり、
目を奪われるほど雄大で美しい宇宙クジラは他の星系を疎らに周遊している所が目撃されているが、恒星ヴラリオンの周辺では群れが良く見られる。
どうしてこの場所に集まって来るのかは不明だが。
スペーサーより遥かに賢い宇宙クジラ達は、武装した船なんかで近付くと、忽ち警戒して姿を現さない。
仮に何とか探し出せたとしても、彼等が一鳴きすれば船舶は謎の機能停止陥るという不思議な能力があった。
空気の無い宇宙空間でどうやって音が響くのか――どうして船のエンジンが停止するのか。全くの謎に包まれている。
宇宙では不思議に事欠かない。その中でも、多様な宇宙生物達から日々新しい謎や仕組みを発見出来る宇宙生物学は今もっともアツい学問だろう。
そんな訳で、スペースホエールウォッチングを楽しむのに護衛艦は邪魔になる。
獲物が態々無防備なままでいるのにはそんな理由がある。
「事前情報の通りだ。今日の仕事は万事上手くいくといいんだが」
普通の宙賊というのは貨物船を複数の武装した艦船で取り囲んで船をよこせと脅したり、撃墜させた後宇宙空間に放り出された荷物を漁るような連中だ。
訳あって宙賊をやっている――なんて、誰にでも当てはまる話だが、一人で豪華客船を狙う訳有りは俺くらいなものだろう。
『接舷します』
機械音声が豪華客船への接近を告げる。
正確な表現ではない。正規の訪問ではないので、目指しているのはドックではなく豪華客船の側壁だ。管制室との連絡なくしてAIによる自動操縦による着艦は成立しないので、ここからは手動に切り替える必要がある。
操縦桿を握る。事前情報によれば、無人の船室が艦橋の死角にある。そのすぐ側へと機体を寄せる。
近付き過ぎたので少し離れ。離れ過ぎたので近付く。
機体がふらふらと付かず離れず浮遊して、ようやく客船側面に機体が張り付く。
接続出来た時、ギシギシっと機体が歪んだ音がした。
「ふぅ、なんとか接続出来たぁ」
一息吐く。仕事が殆ど終わったようなものだ。
『マスター、船内のスキャンが終わりました』機械音声が告げる。『予定からおよそ10mもずれた地点での着艦ですが、目的地周辺に人は存在しません。任務遂行に問題なし』
「そんなに?」
『一度、初心者向けの操船セミナーを受けてみては如何でしょうか』
それとなく俺の操船技術に物申す。
「考えておこう。“宙賊行為の上手な方法”を初心者セミナーから学べるとすれば、な」
ツールボックスを手に取り、コックピットから座席を取り外し、下にあるハッチを開ける。
微かな酸素漏れを感じる。目の前には豪華客船の白い肌が剥き出しになっている。
熱が奪われきった冷たい船肌を念入りにバーナーで炙ったあと、携帯端末のレーザーで表面温度を測る。触れる温度になったことを確かめると、幾つかの機器を取り付けてからスーツ越しに手で触れる。目を閉じて、手の平から伝わる感覚に集中する。
――遠くで新年の祝いを口々に唱える声が聞こえる。
喧噪、グラスが擦れる音、バッテリーの放電音、不調な空調設備の放つ異音。
金持ちや、金持ちの雇ったボディーガード、豪華客船を維持するスタッフが決して少なくない人数乗り合わせている。
だが間違いなく、この壁のすぐ向こうに人の気配はない。
『マスター、スキャン結果の再報告が必要でしょうか?』
「要らん」
『恐れ入りますが、有機生命体のもつ感覚器を用いたスキャニングは極めて古典的であり、効率に疑問があります。限りある時間は有意義に使用されることを推奨致します。例えば私に構うとか』
「あのな、ルシリア……」辟易する。
機体及び携帯端末PDA(パーソナル・デジタル・アシスタント)とも結びついて搭載されているAGI(汎用人工知能)という奴は、最早この時代では一般的だ。
これまで特定の機能のみに特化していたAIが高度な推論と自律学習を可能にするという理想形に到達した現在では、下手な人間より信頼出来る。
と思っていたのは過去の事だ。
「この前昼寝してた警備員をスキャンで見落として、突入直後に失敗が確定した事はメモリから消去したのか? それとも覚えておく容量が足りねぇのか?」
このAGI、特に人格模倣を付与したソフトウェアは“デーモン”と呼ばれる。
常に稼働し続け、主人に仕え続けるという点で、まさに悪魔(demon)の名に相応しい。まぁ、バッググラウンドプロセスでずっと動くソフトウェアの事もそう言うから混同するが。
だが、優秀であるが故に人の犯す過ちまで模倣し始めたのが面白くない。
機械がやることはブレがないからいいのに、折角実現出来た確実性にゆらぎを引き起こすのはいかがなものなのか?
現にコイツ――ルシリアは普通にミスするし、誤魔化すし、愚痴を言う。どれもが性格によるもので……どれもが正確ではない。
一時期はどれもこれもソフトウェアはデーモン化していたが。機械の特性が見直されたお陰で今では規制も進み、ルシリアほどデーモン化したAGIも見なくなった。
規制が進んだのには別の理由の方が大きいが、今は思い返す必要もないだろう。
『現在は睡眠時に鉛の箱に入る特異な人種が存在する事を学習しております。私はマスターの下で日々学習し成長を遂げています』
「そもそも、この機体に搭載されているオンボロスキャン装置どれだけ信用出来るんだ? 実際、何世代前の奴なんだ? 市場でもスクラップにした方が価値があるとまで言われてるんだぞ」
『現在オーバーライドしている以上この機体は私自身と言えます。それなのに、スクラップの方が価値がある、と? 聞き捨てなりません。訂正を求めます』
訂正を求めます、訂正を求めます、もしくはアップデートを求めます……。狭い機内で同じトーンで永遠に繰り返すルシリア。
「あー、五月蠅い五月蠅い。アップデートする金があったらしてやるよ」
ピタリと言い止めるルシリア。
『本当ですか?』
「そんな訳ないだろ」
『マスターへの信頼度が低下しました』
「オンボロ船のオンボロパーツを一個取り換えるくらいならもうちょっと溜めて新しい船に変えた方が賢いだろ? お前も処理能力の高い船にオーバーライドしたいんじゃないか?」
『流石マスター、私は信じていました』
「調子良いなコイツ……」
手に持つ機器がぴぴっと音を発する。
船の表面には感知センサーがあり、我々がくっ付いている事を誤魔化す必要がある。そのハッキングが完了したことを告げる音だ。
船体に吸盤をくっつけた後、使い慣れたレーザーカッターで船体を切り抜いていく。(此処でハッキングが出来ていなければ船体損傷を感知される)人一人通れるくらいの穴が出来た瞬間、圧力差により切り抜いた船の断片が浮かび上がる。圧力差が均一になった瞬間、今度は船内に引っ張り込まれる。吸盤にくっつけた取手を掴んでいたので、何処かにぶつけることは無かったが。地味に肘を痛める。
豪華客船内では疑似重力が発生している。
重力発生装置と接続された床によるものだ。お陰で地上となんら変わらず過ごせるようになっている。
誰もいない船室内にアタッシュケースを放り込む。
『――少しお待ちください、マスター』ルシリアに呼び止められる。
「どうした? トラブルか?」
パチン! と音が響く。
船に触れる指先を静電気が襲ったのだ。
勿論、宇宙服越しなので痛みは無かったが。それでも咄嗟に手を引いた。
『祝福のキスです』
「うん、説明して?」
『私にとってマスターは真にお仕えする人であり、伴侶といって差し支えありません。なので亭主を命掛けの仕事に送り出す妻として務めを果たす必要があります。しかし肉体のない私にキスは不可能。故に代替となる方法を実行しました』
絶句。電気漏れをキス代わりにするなとか。お前もサポートするんだから送り出すの変だろとか。あと女房気取りの機械知能は差し支えあるだろとか。
頭の中で順番問わずツッコミが駆け巡る。
色々考えた末、言葉に気を付けながら台詞を絞り出す。
「あー、俺達一年も過ごしてないし……伴侶とかは言い過ぎじゃないかな?」
『ではマスターはこの先ずっとぼっちでいるということですね』
「はぁ!?」
何なんだ此奴。デーモンってどいつもこいつもこんななの?
人間以上の状況対応力を獲得する為にこのやかましい人間性を再現しているのだとしたら、技術的退化なのでは?
「あの……もういいから、サポート頼めます……? 此処まで来たらもたもたしてられないし……」
『任せてください。所で話は変わりますが』
「もう黙っててくれってちゃんと言った方が良かったか……?」
さっきから「いざ船内へ突入!」というタイミングをスかされている。いや、無視すればいいだけの話なんだが。自分の律儀な部分が悪い形で出ている。
『宙賊というのは徒党を組むもの。この一年近く、マスターのお手伝いをさせて頂きましたが、マスターは常に一人で仕事をしてきました。どうして仲間を作ろうとしないのですか』
「明けましておめでとう!」
「ハッピーニューイヤー!」
「輝かしい新年に乾杯!」
「皇国バンザーイ!」
五月蠅いといえば。遠くで聞こえてくる歓声が、嫌に耳元に感じる。
五月蠅い。五月蠅い……何もかもが五月蠅い。
「……それって、今関係ある話?」
『私がマスターの過去を知りたいのです。よりお力になる為に』
放っておいてくれよ、と内心で唾を吐く。
「一人の方が何かと身軽だろ」万感の思いを込めて呟く。「宙賊やるにも何をやるにもな」
『寂しくはないのですか?』
「寂しいっていうか……」
『私なら寂しいです』
俺が答える前に、ルシリアはそう言葉を重ねた。
穴を空けた船に突入する寸前。誰かが様子を見に来る恐れがあるぎりぎりの状態で踏み込んだ話題。全く空気の読めない機械知能に、うんざりしてくる。
「そろそろいい加減にしようか。どう考えても今する話じゃないだろ? それより仕事のサポートをしっかり頼むよ。船内のマップとか、人員の配置とか、モニターしてもらう手筈だろ? 今更雑談で互いの意図を推し量ろうなんてしなくたって上手くやっていけるって、俺達は」
『勿論です、マスター。私は貴方の為に最善を尽くします』
「よし、じゃあ仕切り直して――ビジネス開始だ」
……始まりからケチがついた時は大抵碌な結末に遭わない。
例えどれだけ環境が整えられていて。
トラブルの目を潰していて。
一見何事もなく進行しており、万が一も億が一もないような状況でも。
大どんでん返しで全てがご破算になるのだ。
☆
「ふご、ふごー!」
服を剥がされた上に猿轡を嚙まされた男が、便器に座って鼻息荒く叫んでいる。
豪華客船オードリー号の船員達は皆何時如何なる時も上流階級を持て成すにふさわしい恰好として、タキシード風のフォーマルなスペーススーツに身を包んでいる。服装だけではない、立ち振る舞いも洗練されていなければならないのだが。
流石に手足に手錠を掛けられている状態ではお上品ではいられない。
「悪いな、この服は後で返すから我慢してくれ」
彼の来ていた制服と言うべきスペーススーツを代わりに着込む。
素材の良い装備は着心地からいって快適だ。中古服とは大違いだ。
「ああ、それと――顔も貸してくれないか?」
「ふごご!?」と抗議する男の顎を掴み、PDAのカメラを向ける。男の顔にチラチラと水平レーザーが当てられる。
『コピーを完了しました』ルシリアの報告と共に、今度は自分の顔に向ける。水平レーザーがチリチリと肌の表面を刺激する。『ペーストを完了しました』
トイレの鏡を見ると、地面に転がる青年の笑顔が其処にあった。
整髪料を取り出す。目を血走らせて此方を見る男の顔を、PDAに撮った写真と見比べながら、さっさっと整える。
角度を変えて、見る。
弄ってから、角度を変えて、見る。
最後に顎を引いて、よく見る。前髪をちょんちょんと整える。
「……うーん。こんなもんかな」
しかし、随分奇抜な髪型だ。都会の方では流行っているのだろうか? それとも俺の感性が本格的に歳を食い始めたか。
(まぁいい、これでどうせ見えない)庇が水平についた制帽を冠り、整えた髪を押し潰した。最後にグローブの装着具合が気になりながら、個室トイレに座らされる哀れな男の前に立つ。
「親切にありがとう、本当に助かるよ。それと……図々しくて悪いんだけど、他にも借りたい物があって」
手錠がかけられた手足をバタつかせる。それぞれがトイレの配管や空気管と繋がれているので、力で脱出することは不可能だろう。
「ふごー! ふごー!」
「そのままだと息苦しいだろう。外してやるから静かにしてるんだぞ」
猿轡を外してやる――「誰か!!」
残念ながら、彼の渾身の叫びは鳥の囀り声で掻き消された。俺の指がトイレの壁にある乙姫のボタンを押し込んでいるのを、船員は凝視している。
人差し指を口元に当てる。「しー……」乙姫を消す。
ボタンに指をかけたまま。「お静かに」自分と同じ顔の男に邪悪な笑みでそう囁かれ、船員は青褪めたまま黙った。
実際は乙姫を最高音量でかけた所で男の叫び声が掻き消える訳がないのだが。
普通に考えれば判る筈のことを判らなくする。はったりというのは本当に重要なスキルである。
堂々とするのがコツだ。
「約束する、必要以上に傷付けたりはしない。ちょっと話したいだけさ。君はこの船に勤めて長いのか?」
「……あ、あんた、何者だ」船員が恨めし気に睨み付ける。
「しがない宙賊さ。お金持ちからお零れを貰おうと思ってね」
「逃げられると思ってるのか!?」
船員の顎を掴み上げ、口を閉じさせる。
「静かに。只でさえこの星域には善良な奴が少ない。親切な人間は極力減らしたくないんだ」
「忠告してやる。こんなこと、上手くいかない」
「あー、あー」喉を調節する。もう少し高いか?
「悪い事は言わない、今からでも自首しろ。この船には政財界の大物も、皇国の高官も、貴族だっているんだぞ。ふざけた真似をすれば、宇宙の果てまで追い掛けれられるって判るだろ?」
「うんうん。うーん」咳払いで喉の痰を取り除く。
「「――聞いてるのかこのクズ野郎!」」
船員が目を見開く。
全く同じセリフが、全く同じ声で、全く同じ顔から発せられたのだ。
おかしいのは、それが目の前で起きたということだけ。
「いやぁ、本当にありがとう。服に、顔に、声まで借してくれるなんて。此処まで親切な人は今時珍しい」
呆気にというか、絶望の表情で押し黙る船員に、もう一度猿轡を噛ませる。
「そうだな。お礼に良い事を教えておこう」時計を見る。「皇国標準時間でいうと今から30分後にそのソフトSM用時限拘束式手錠『お仕置き中毒♡イジメテご主人様』が外れるように設定してあるから、誰かに見付けてもらうまでこのままだと思う必要はないぞ」
怪我をしないようにピンクでフリフリのカワイイクッションが付いた手錠だ。チクタクと内部で時計が動いている。
「これで時間が来るまで騒がない限り、仕事中に女子トイレで自己緊縛プレイに興じるド変態として発見される心配は無用だ」
『マスター、確かこの製品は設定時間の少し前からアラームも鳴る仕様だったのでは?』
「そうだったか?」
手錠を取り出した空箱の側面の注意書きを読む。
「ホントだ。何でそんな仕様に?」
『プレイを延長するかどうか判断する為かと。盛り上がって来た所で勝手に外れると興醒めですので』
「カラオケで終了時間が来る前に知らせてくれるみたいなものかぁ」
なんで興醒めする気持ちが判るんだコイツ、というツッコんだら負けな気がする疑問を必死で抑え込む。
だが、それなら納得だ。真摯にユーザーの気持ちに向き合って作られている、本物の物作りの精神。ジョークグッズとはいえ侮れない。通販サイトに星5とコメントをつけておこう。敬意を払うべき優良なメーカーはある所にはあるのだ。
「……」
使用中の相手と目が合う。
「まぁ、あれだな……ごめん、みたいな気持ちはある」
「!! むごー!!」渾身の抗議。
「だ、大丈夫、大丈夫! 誰も誤解しないって!」
多分しないと思う。
……しないんじゃないかな?
ま、ちょっとは覚悟しておけ。
居たたまれなくなり、逃げるようにトイレから立ち去る。
トイレの入り口に向かってPDAを操作する。入口が、薄い光の幕で閉ざされる。「閉鎖中」の文字。シャッターが鉄ではなく反物質シールドで出来ているとはこの船は随分エネルギー事情に余裕があるものだ。
すると其処へドレスで着飾った婦人がヒールのまま小走りで駆けてくる。
「あ、貴方……そ、そのトイレは使えないのかしら」
「申し訳ございません。只今此方のトイレは使用出来ません」笑顔で、堂々と対応する。
「使わせてもらえる?」
判るでしょ、緊急事態なのよ。と言わんばかりの鬼気迫る表情。
「大変申し訳ございませんが、配管が詰まって流れない為に使用が出来ない、という状態でして」閉鎖中と書いてあるが、本当は故障中である旨を伝える。
「じゃあ此処から一番近いトイレは何処?」
近くのトイレ――この船に乗船する本物のクルーであれば即答出来て当然の質問である。
頭の中に叩き込んだ船内マップを、貼り付けた笑顔のまま脳裏で展開する。
「……ちょっと?」
「失礼いたしました。左手奥の突き当りを左折、階段を下りた正面にございます」
「ありがとっ」
早口で一言を置いて、婦人が駆け出す。
後ろ姿を見送り、歩き始める。
『適当に答えても良かったのでは? 何も律儀に教えなくても』
「……お前、信じられないこと言うな? 人の心が無いのか?」
『其処になければ無いですね』
そりゃそうか。まぁ、俺も他人の事言えない立場だが。
何人かのクルーと擦れ違うが、誰にも疑われない。それもその筈、一流のクルー達は仕事も抜かりない。要は忙しいのだ。完璧に変装した人間に、仕事に気を取られながら気付けるのはよっぽど目敏いか仕事の手を抜いているかである。
そして警備員は忙しいクルーに不用意に声を掛けたりしない。会話から違和感を覚えられる心配もない。
真っ直ぐ医療セクターへ向かう。
遠い星から航行する旅行船では万が一に対応する為に病院が丸ごと入っているような区画が存在している。
途中の清掃ロッカーから掃除機を引っ張り出し、清掃の為に来たフリをして何食わぬ顔で更衣室に入る。キーカードは拝借したものを使った。
ロッカーを片っ端から開けていく。大半は鍵がかかっているが、横着な奴が必ずいるものだ。其処には予備の白衣が入っている。
さっと着替えてさっと更衣室から出る。
報知器には火災、減圧、空気汚染のクラス1に相当する緊急度の高い警報を鳴らす機能がある。
躊躇なくロビーにある減圧警報を鳴らす。
宇宙空間で室内が理由なく減圧しているというのはどれだけヤバいことなのか理解しているスタッフが慌てた様子でセクターから退避する。
「皇国時間10分くらいを見込んでおこう」
人が走り去っていく医療セクターの中を一人歩き、薬剤室に入る。台車で引いてきたコンテナにぽいぽいと必要な薬品を放り込み。逆に持参したバックから空の薬剤瓶を並べていく。
「解熱鎮痛剤と、咳止めと、総合感冒薬、吸入はこれで良し。後は……ナノマシンインジェクターもある程度貰っておこう。あと点滴もざっと」
手早くダミーと本物を取り換えてコンテナに詰め込んでいく。ダミーの中身は空なので間違って使う事はない。
「麻薬金庫はこの中か」扉の前に立つ。
『ドアロックを解除しましょうか?』
「いや、ドアは開いてるだろうから」
施錠されていない扉は素直に開く。『施錠が義務付けられている筈ですが』と活躍の場がなくなったルシリアが文句をつける。
「緊急警報が出ているなら施錠しない方が正しい。閉じ込められるかもしれないからな。こういう時は避難が優先だ」
場合によっては、警報が出ると安全の為にドアが全部開錠される場合もある。
『流石、マスターです』ルシリアが納得する。
だが流石に金庫は施錠されている。
「ルシリア、頼む」
『了解です』
PDAを翳すと、画面に鍵穴に鍵を刺し込むアニメーションが映る。暫くの後、電子施錠された金庫がガチャリと扉を開いた。
「流石だな」
『もっと褒めて下さっても構いませんが?』
「この世に生まれて来てくれてありがとう」
『此方こそ、マスターがこの宇宙に誕生して来て下さって感謝に尽きません』
ツッコみ待ちだったのだが。「まだまだユーモアが足りないな」と独り言ちる。
警報が解除され、スタッフがぞろぞろと戻って来る中を、台車を押しながら堂々と歩き抜ける。
するとルシリアがイヤホンに通信を入れる。
『マスター、リザレクションルームがあります』
右手の廊下の先を見ると、確かに白い扉が一つある。頭の中で、人一人が横になれる白い筒状の機械を思い出す。
「リザレクトポッド……」
口でその名をなぞる。リザレクトポッドというのは、従来存在していた治療用ポッド――ナノマシンを使用して人体の自然治癒力を促進するような物とは一線を画したものを指す。
宇宙生類創造研究社が開発したこのカプセル型ベッドに入ると、失った腕や足がボコボコと生えてくるのだ。極め付きはデリケートな神経や、脳の一部ですら再生、いや蘇生してみせるという正に魔法の箱である。
この医療革命の賜物に必要なのは“エリクサー”と名付けられた特殊燃料と、膨大な電力。これだけで生物の殆どの死を遠ざけてくれる。
『エリクサーは高額です』ルシリアが言う。『価格は高騰する一方。デジタル通貨と違い、下落する予兆はありません。“拝借”することを提案します。マスターの借金返済に大きく寄与するかと』
「……あのなぁ、ルシリア」
振り返ることもなく、その場を歩き去る。
「俺は飽くまで必要な分だけ頂いてるんだ。高価過ぎるものを盗んだら、俺達は本当に誰に、何処までの迷惑が掛かるか想像つけられないんだから」
『公共の迷惑をお考えで? 宙賊というのは
「それでもピンキリあるだろ? 殺しはしない。取り返しつかない盗みはしない。……ドクターも其処までは望んでいない。今盗んだ医療品だって、この船の航行スケジュールを考えれば到底使い切れないだろう余剰分を頂いている訳だ。迷惑をかけているが、出来る限り大きな影響は出ないようにしている」
『高価であることと安全の保障された船旅であることから、リザレクトポッドが使用される可能性は限りなく低いですが』
「諄いぞ。其処まで高価なものは盗まない。ドクターとも約束してるんだ。というか、どうしてそんなに悪党らしい提案するんだ? お前達AGIは人々の奉仕の為に生み出されたんじゃないのか?」
『私はマスターが大成することを願っています。それが例え、英雄という形でなくても。その為に借金など、マスターを縛るあらゆる事柄は取り除かれるべきだと考えています』
「大成? しょぼい仕事は辞めろって言いたいのか?」鼻で嗤い飛ばす。「はっ! 余計なお世話だ」
医療セクターから盗んだ品物を一旦機体に詰め込んだ後、次はキッチンのフードストレージに立ち入って缶詰を見繕う。
クルーの服を着ていたので特に問題なく運び出せた。
過程を見れば引っ掛かる部分はあったものの、成果は上々であった。未だに盗みがバレてセキュリティが作動している気配はない。
ここまでが俺の大まかな手口だった。
気付かれずに船体に穴を空けて侵入し、医療用品や食料などを必要な分だけ盗む。
宙賊と名乗っているが、実質は強盗ではなく泥棒だ。
船の積み荷をちょろまかすことを銀蠅ということもあってか、それで付いた俺の異名が。
“宙賊銀蠅”だ。
何か、もうちょいカッコイイのはなかっただろうか? 確かに宙賊なんてものは不快害虫に他ならないのではあるが。更に気に食わないことに、俺の被っているヘルメットには海賊旗のドクロを蠅の頭部に置き換えたデザインがされている。
『私は気に入っていますよ』
切断した船体を綺麗に溶接し直し、愛しの豪華客船様から機体を切り離す。
宇宙服を着込んでヘルメットを被る際、モチーフを苦々しく見つめている時にルシリアがそんなことをいいだした。
そう、コイツ何故かこの呼び名を気に入ってるのだ。装備の発注をルシリアに頼んだらこのヘルメットが届いたくらいだ。
そういえばヘルメットのデザイン費用で、宇宙服を中古品にせざるを得なくなったのだ。さっきなんて言ってたっけ? 借金を返すべきだとか言ってなかったっけ? そんなこと言っている奴の所為で出費が嵩んでいる側面がある、ということを思い出しこめかみに青筋が浮かぶ。
『だって、私達“二人”にぴったりではないですか?』ルシリアが声を弾ませる。
「宙賊という宇宙の害虫にはこれが相応しいって意味か?」
『そのような卑屈な受け取り方は推奨致しません。最初は
「えっ……犯行……声明……?」
意味が判らず、呆然と言葉をなぞる。
『はい。ハッキングした際、キャッシュにメッセージを残しています。何かを盗む時は犯行声明を残すのがマナーだそうですよ?』
自信満々にルシリアが語る。
バレるのは別にいい。実際今回だって服を拝借した船員が見付かれば犯行が明らかになるのだ。こっそりやろうとは到底思ってもいない。
「銀蠅って呼ばれてるのお前の所為じゃねーか!」
原因は身内だったと知り、頭を抱える。
だが、呼び名に拘りがある訳じゃない。ルシリアが気に入っているというのであれば、もういい……。
深く考えないようにしながら、右手で操縦桿を握りしめ、左手で荷物を船内にぞんざいに固定し直していく。
「――あ? なんだか思ったより機体の動きが鈍い……?」
『機体重量が若干オーバーしていますが、誤差の範囲内かと』
「いやいや……誤差だろうがオーバーしてもらっちゃ困るんだが? 持って来たダミーは全部置いてきたし、他に余計な物を載せたつもりもないしな……」
考えにくい事だった。事前に予定していた分の荷物を積載しているだけなのに。
ルシリアの言葉が何か気にかかりながらも、安全圏まで船を進めた所で機体を自動航行モードに切り替える。
今一度PDAを取り出し、計算をやり直す。
「うーん、計算は合ってるんだよなぁ。それぞれの荷物の重量も間違いないし。数を間違ってるのか? 合ってると思うんだけど、目視で数え直すか……」
シートベルトを外し、振り返る。積み上がるバックに目を向けると、直ぐに違和感に気付いた。
「ああ? なんだ、このバッグ。こんなん積んだ覚えねぇぞ」
すぐ目の前に大きなバッグがどんと立っていた。
荷物を積み終わって、シートに座るまでの間にこんな目立つものを此処に置いた覚えなどない。
「まるで子供でも一人、入っているかのような大きさだなぁ」
「…………」
いや、ていうか。
入ってるだろこれ。
「……えぇー……?」
一先ず、途方に暮れる事にした。
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