考え続ける街

とおあさ

第1話 沈黙

東京の朝はいつものように始まるはずだった。

この日、街の一部が地盤沈下によって、大きく沈んだとのニュースが日本中を巡った。

新宿一帯に数メートルほどの大穴ができ、死者が出る事態となった。

大通りが裂け、建物は傾き、道路のアスファルトは不自然に盛り上がっている様子が中継で映し出される。

地震でもなければ、ガス爆発でも老朽化でもない。専門家は首を傾げた。


そのニュースは篠崎哲也も観ていた。ニートのような生活を送っている達也は、優雅にコーヒーを飲みながらその惨状を見ることとなった。

その事実に恐怖はしたものの、人生であまりかかわってきたことのない場所なこともあり、大した感情にはかられなかった。

しかし、画面に映る光景の大きな違和感を覚えた。それは、言葉で表せるようなものではなく、何か精神的なものでもあった。

周囲が崩壊した地面の中、とてつもなく大きな人工物―いや、大きな扉のようなもの。鉄鋼とも言えず、いしともつかない素材でできたそのむったいは、あたかも前からあったかのように鎮座してあった。


「あれは何だ?」


思わずつぶやいたが、記者も、周囲の人々も、それに近づく救助隊ですらその存在に気づいていない様子であった。


哲也は立ち上がった。画面に映るそれが、何か自分に重要な意味を持っている気がしてならないからだ。ただ、そんなところに行く勇気は湧くはずもない。

もしかしたら、ついに頭までおかしくなったのではないかと思った。


掲示板、SNS、Webいろいろなものを駆使して自分と同じように見えている人を探した。しかし、軽く都市伝説と受け流されるだけであった。

数日が経過しても、原因はわからず、復旧作業は進展を見せなかった。

何度見ても自分にはあの扉が見える。その事実ははっきりと変わらず。

共感する人がいないことで、頭がおかしくなってしまいそうだった。


何としてでも仲間を探すべきと考えた哲也は、ついに友達や家族、知り合いにまでそのことを打ち明かした。

その勇気もむなしく。帰ってくるのは掲示板などと同じ嘲笑だけだった。

納得がいかない。

哲学の道を進むと決めている哲也にとって、理解が難しい問題をほおっておくなんて、到底できるようなことではなかった。

藁でもすがる思いで、少しでも話したことのある人全員に総当たりで話していった。

無理だ。10日たった日だ郵便受けに、一通の手紙が入っていた。

中身は


「見えています。あの門。一度話をしませんか。」


とある住所だけだった。

その住所は国立の大学で、研究室まで細かく書いてあった。

いたずらだということも考えた。こんなにたくさんの人に言ったのだ、いたずらをする奴だっているはずだ。と、かたずけることもできたが、無理だった。

その日は興奮で眠ることもできず。早速直接会いに行くことにした。


大きな門を抜け、古臭い棟の中へ入っていくと、そこに約束の部屋が。

そして、人影もあった。

丁寧にノックをし、部屋へはいるとそこには初老ともいえぬ40後半の男が一人立っていた。

その男は「日高」と名乗った。急に話し始めた。


「君がいなければ、僕はきっと自分が狂っているだけだと思い込んでいた。それが、扉を見える人がいるなんて……哲学者らしい言葉を使えば、これは偶然ではなく“必然”だったのかもしれないな。この混乱した世界で、僕と同じものを見て、考える相手がいる。それだけで、十分に奇跡だ。」


その声は落ち着いていたが、内に秘めた感情がわずかに震える声の端に現れていた。日高はもう一度短く笑い、顔を上げて遠くの空を見つめた。その表情には、一人ではたどり着けなかった場所に立てたという安堵と喜びが滲んでいた。

それにしても現状を俯瞰して考えれているような雰囲気であった。


「普通、そんな冷静でいられるか?」と、半ば呆れたように言う。


日高は短く息をついて、微笑んだ。

「混乱は嫌いじゃないんだ。それが問いを生むなら、なおさらね。」


その一言に、恭也は思わず黙り込んだ。冷静というより、混乱そのものを受け入れている日高の態度が、自分にはまったく真似できないものに思えたからだ。


「共通の会話があるわけでもない、さっそく今日の夜一緒に現場へ行ってみないか?」


驚異の行動力だと驚いたが、自分のやりたかったことでもある。

早速向かうことに決まった。


新宿の喧騒を抜け、篠崎恭也と日高の二人は地盤沈下の現場近くに立っていた。フェンスで囲まれた現場を遠くから見つめながら、二人は言葉少なに沈黙を共有している。


篠崎がぽつりと口を開いた。

「やっぱり見えるんだな、あの門。」

「ああ、確かに見える。まるでそこだけ異世界だ。」と日高が応じた。


門は周囲の瓦礫や土砂に埋もれながらも異様な存在感を放っていた。重厚でありながら質量を感じさせないような扉。その表面は幾何学模様で覆われ、かすかに脈打つように光を放っている。


篠崎は腕を組み、首を傾げながら言った。

「一般人には見えない。でも僕たちにははっきり見える。これって、僕らが何か共通してるからか?」

「そうだろうな。」日高は頷き、門に視線を向けたまま続ける。

「僕も、君も、人が疑問を持つことでしか到達できない領域に足を踏み入れた結果、あれが現れた。多次元の生命体が想像したもの――なんて言えば突拍子もないが、僕たちの疑問そのものが形を与えた可能性も考えられる。何を言っているのだと思うかもしれないが、僕はこういうのがとても好きなんだよ。」


篠崎は眉を上げる。

「疑問が形を持つ、か。面白い。けど、この門がただの問いの具現化だとしたら、なんで地盤沈下なんて派手な手段で現れたんだ?誰かに何かを示そうとしてるのか?」


日高はふっと笑った。

「それを確かめるためにいるんだろう、君も僕も。」

確かにそうだ。


二人は再び門を見つめた。しばらくの沈黙が続いた後、日高が口を開く。

「いずれにしても、この門の正体を突き止める必要がある。それも早急にだ。」

「とは言っても、どうする?この状況で俺たちがあそこに近づけるとは思えないぞ。」


日高はポケットから携帯を取り出し、何かを検索しながら言った。

「幸い、僕は大学に研究室を持っているし、それなりのつてがある。門の現場に関して独自に調査できるよう、許可を得られるかもしれない。」


篠崎は軽く肩をすくめた。

「なるほど、頭がいいな。俺だったらこういうのはすぐ諦める方だ。でもさ、これが本当にただの調査で済むと思うか?」


日高は少しだけ間を置いて答える。


「済むわけがないさ。けれど、知ろうとする努力はできる。それに、この門が現れたのは、僕たちがそれを探るべき存在だと選ばれたからかもしれない。そう思えば、答えを知る責任があるだろう?」


篠崎は苦笑する。

「選ばれたなんて大げさだな。でも……まあ、面白そうだし付き合ってやるよ。」


二人はその場を後にし、大学のつてを使い門の正体を探る第一歩を踏み出すべく動き始めた。


篠崎と日高は、ついにフェンスの中へ足を踏み入れた。夜闇に包まれた現場は静まり返り、かすかな風音だけが耳に届く。地盤沈下の中心に立つ門が目の前に現れると、二人は言葉を失った。


門は巨大で、不気味なまでに美しかった。人間が作れるとは到底思えない複雑な彫刻がその表面を覆い尽くしている。螺旋を描く幾何学模様が連続し、細部には何か生物的な意匠が施されているようだった。彫られた模様は時折わずかに光り、まるで脈動しているかのようだった。


「……これが人間の手で作られたものじゃないってことは、一目瞭然だな。」篠崎が呟くように言った。


日高は彫刻の一部に手を伸ばしかけたが、その手を止めた。門には何とも言えない威圧感が漂い、触れることすら躊躇わせる力があった。


「篠崎君、この門……開いている。」日高が静かに言った。


確かに、門は半分以上が開き切っており、その奥には暗闇が広がっていた。だが、その暗闇はただの闇ではなかった。どこか奥深くから光の筋が見え、色彩が揺らめくようにして漂っている。


篠崎は一歩前に出て、門の開口部を覗き込んだ。だが、次の瞬間、彼は立ち止まった。


「なんだこれ……前に進めない。」


篠崎は全身を押し戻されるような感覚に襲われていた。見えない壁に阻まれているようでもあり、あるいは目には見えない力が身体全体を押し返しているようでもあった。


日高も一歩踏み出してみたが、同じように足が止まった。

「まるで……拒絶されているようだな。」彼は額に浮かんだ汗を拭いながら言った。


「この力、ただの物理的なものじゃない。俺たちの意志そのものが門に触れることを拒まれてるみたいだ。」篠崎が苦笑しながら言う。


日高は門を見つめ、冷静に分析を始めた。

「これは試されているのかもしれない。もしかすると、僕たちが門を通る“資格”を持っていないと判断されたのか……。あるいは、この先に進むためには何か条件が必要なのか。」


篠崎は不満げに腕を組んだ。

「条件ってなんだよ?哲学の命題でも解けっていうのか?」


日高は門から目を離さずに答える。

「可能性は否定できない。哲学者や研究者がこれを見ている以上、僕たちが“考えること”が鍵になるのかもしれない。」


篠崎と日高は門の周囲を歩き回り、調査を続けていた。門の細部を見つめても、その材質や構造について何一つ手がかりが得られない。二人が途方に暮れ始めたころ、不意に背後から小さな物音がした。


「ん?」篠崎が振り向くと、そこには一人の女性が立っていた。


彼女は地味なオフィスカジュアルをまとい、少し困惑したように二人を見つめている。どことなくおとなしそうな雰囲気で、天然さを感じさせる仕草だった。


「あ、えっと……」女性は言葉を探すように口を開いたが、その視線は二人ではなく門に向けられていた。


日高が即座に反応する。

「君、その門が見えているのか?」


女性は一瞬驚いたような表情を浮かべた。

「え、ええ……あの、私だけですか?」


その答えに、篠崎と日高は目を見合わせた。これまで一般人には門が見えていないと確信していた二人にとって、これほどの驚きはなかった。


「君、何者なんだ?」篠崎が思わず詰め寄る。


女性は戸惑いつつも答えた。

「私はただの会社員です。普段は営業の仕事をしていますけど……。あの、ここに来たのは偶然なんです。美術が好きで、あの門がどこかの現代アートかと思って。」


「美術オタク、ね……?」篠崎が呆れたように言うと、日高が真剣な表情で口を挟んだ。

「いや、待て。偶然というには出来すぎている。この門を見られる人間が現れたのは意味があるかもしれない。」


女性はますます困惑した様子だったが、日高の冷静な説明に耳を傾け、門の奇妙な性質について理解を深めていった。篠崎も彼女に親しげに話しかけ、自然と三人の間に奇妙な連帯感が生まれた。


三人は門についてさらに議論を進めた。最終的に、門をこの場から移動させる必要があるという結論に至る。門を放置しておけば、この地盤沈下の復旧作業の一環として埋め立てられてしまう可能性が高かったからだ。


しかし、門は物理的な手段では触れることすらできず、一般人には存在が見えない。そのため、重機や作業員を使って移動させる計画を立てることも不可能だった。何日も試行錯誤が続いたが、方法は見つからず、状況は次第に追い詰められていった。


そしてついに、行政が現場を完全に埋め立てると正式に発表する。埋め立ての開始は明日の早朝。三人は、もう門を守る術はないのかと諦めの気持ちを隠せなくなっていた。


埋め立て前夜、三人は近くのカフェに集まり、うなだれていた。篠崎は手元のコーヒーカップを見つめ、ポツリと呟いた。

「結局、どうすることもできなかったな……。」


日高もまた静かに首を振る。

「人間の限界を感じるよ。僕たちは見えるけど、それ以上の力は持たない。」


女性も、珍しく感情を表に出していた。

「なんとかしたかったです。でも、もう時間がない……。」


誰もが諦めの空気に包まれる中、日高が最後に言葉を絞り出した。

「こうなったら、この門がただの現象で終わらないよう、記録だけでも残そう。」


その言葉に、篠崎と女性は小さく頷いた。


しかし、夜が更け、現場に異変が起きる。埋め立ての準備が進むその直前、門は突如として姿を消した――まるでそこには初めから何もなかったかのように。




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