宵が回る

ほとけのざ

いつものルーティン


「―はい、すみません。来週の金曜には給料が入って来るので、それまで待っていただけませんか。」


「本当に頼みますよ!まったく…。

 あなたみたいな人に家を貸してる、こっちの身にもなってくださいよ!」


 大家の嫌味と共に、ドアが閉まる。


 ―はぁ。


 思わず口から溜め息が出てきた。


 毎夜毎夜、好きでもない相手のために自分の体を捧げる。わざと気持ち悪い声で喘いで。甘く、優しい言葉で誘惑して。さも、それが正しいかのように振る舞う。

 私は、それによってご飯を食べている。


 自分の中身ではなく、上澄みを売ってお金を得るのは、気楽だが虚しい。

 に就職して、に働いて、にお給料を貰っている人達が羨ましい。


 ―――――――――――――――――――――


 現在の時刻は16時17分。昨日は帰りが遅くなってしまったので、必然的に起きるのも遅くなってしまった。

 お腹が空いたので冷蔵庫を覗く。中身は空だ。


 買い物、行きたくない。今から行くのも億劫だなぁ…。


 私はこんな怠惰たいだな自分に嫌悪する。人生を棒に振るって、日々を妥協して生きている自分に。


 私は深く溜め息を吐いて、玄関へ向かう。

 かかとを踏んだままスニーカーを履いて、私はドアを開けた。


 乾いた目に映るのは、たった今沈もうとしている落陽らくようだ。


 小さい頃は、こんなものにでも感動していたなぁ。―今じゃただ、1日何もしなかった自分の人生に焦りを感じているのに。




 スーパーへ向かう道すがら、私の背後には、幼少期の「私」がくっついていた。



 ―――――――――――――――――――――


「ありがとうございましたー」


 心にもない感謝の言葉を掛けられて、店を出る。

 抱えているレジ袋からは、1本318円の大根が顔を覗かせていた。


 キャミソールがしっとりと汗ばむ。思えばもう7月に入る頃だ。



 防波堤沿いを、男子学生が走っている。彼らは、私とは違う世界を生きている人間だ。


 それを横目に、私は家に帰った。


 ―――――――――――――――――――――


 キッチンにレジ袋を置くと、ドサドサと音を立てて牛乳が雪崩なだれた。


 私はそれを救出して、冷蔵庫に入れる。


 納豆。

 大袋のもやし。

 抹茶味の「そう」。


 少しずつ賑やかになっていく冷蔵庫を見て、心が満たされた。

 極めつけはそう…ビールだ。


 私は数本のビールを、キッチンのテーブルに置いた。

 テレビを点ける。画面の奥の人間達は、私を見て笑っていた。


 何だかやるせない気持ちになって、私はプルタブを引っ張って開けた。


 ぷしゅ。

 しゅわしゅわしゅわ。


 炭酸のさっぱりした音が、部屋中に広がる。

 お酒を自分で買って呑むなんて、いつぶりだろうか。

 その爽快な音に、味に、魅入られて私は一気に3缶、呑み干してしまった。

 途端に、胃の中を引っ掻き回されているような感覚が私を襲った。私は、よろよろと覚束おぼつかない足取りでトイレへ急いだ。



 分解できずに残った液体が、ドロドロと食道を遡って、口から出て行く。「それ」を見るだけで、気分が悪くなった。  



 吐き気がようやく収まると、私は何だか眠くなって、そのまま眠りについてしまった。



 ―――――――――――――――――――――



 夢を見た。




 瞼を開けると、そこには小学校高学年くらいの女の子がいた。髪をお団子に結っていて、少し背が小さい。

 耳たぶに手を当てて考える癖。


 間違いない。過去の私だ。


 教室には彼女以外誰もいない。今はお昼休みなのだろうか。

 私は彼女を俯瞰ふかんする。


 彼女は鉛筆を握り、一心不乱に何かを描いている。

 そうっと後ろから覗くと、紙には犬が映っていた。不器用で、頑固そうな柴犬。なかなかに上手く出来ている。


 彼女はスケッチブックのページをめくり、また新しい絵を描き始めた。

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