1‐3  影を視る眼

 剣が舞い、槍が唸り、怒涛のような歓声があがる。


 天幕やねのない宮廷武技場きゅうていぶぎじょうで、武人たちがその腕を競っていた。

 彼らが扱うのは真剣だ。命賭けだからこその、絶妙な緊張感が漲っている。血が噴きあがるたびに観客たちが熱をはらんだ声をあげ、拳を突きあげる。


 広大な会場だ。砂の敷きつめられた武技場ぶぎじょうを、階段状になった客席が取りまいている。一段から三段までは民が埋めつくし、勝敗を賭けて湧きたっていた。四段から五段には官人かんにん士族しぞく等の身分のあるものたちがならび、眼を細めて武人たちを品定めしている。有能なものがいれば、護衛としてひき抜くつもりなのだ。

 最上段にあるのが皇族のための特等席である。ヨウはその特等席につき、腕を組んで試合を観覧していた。


 ここは皇城の南端にある闘技宮とうぎきゅうだ。連日多様な競技が実施されているが、今開催されているのは御前試合ごぜんじあいだ。

 赤と青にわかれて、それぞれの武芸ぶげいを披露している。

 ついに最後の試合だ。


 外套がいとうを羽織り、青い布を髪に結わえた細身の剣客けんきゃくが進みいでた。年齢は丁年(二十歳)ほどか。程よくひき締まってはいるが、肩幅もなく、それほど強そうではない。ひずめのような風変わりな靴を履いてるので、爪先だちになっている。

 相対する赤い布を腰にさげているのは屈強な大男だ。身のたけはゆうに五尺二寸(約2メートル)を超える。弾けんばかりに膨れあがった胸から腕にかけての筋骨は峰を想わせ、たたかうために産まれてきたような体躯たいくである。背には刺青があり、身のたけと同等の斧を担いでいた。


「俺は赤に賭けるぞ」


「私も赤だ」


「青は殺されるんじゃないのか。あんな靴じゃまともに動けないだろう、可哀想にな」


「どうせ奴婢ぬひかなんかだろ」


 誰もが大男の勝利に賭けるなか、試合が始まった。


 大男が突進する。細身の剣客は観客の予想に反して、風にそよぐ柳のような身のこなしで大男の振るう斧を避けた。奇妙な靴で跳躍する様は狐に似ている。一撃、二撃、追撃までもかわされて、大男は弄ばれているような気分になったのか、咆哮をあげて斧を振りまわした。

 その隙に剣客は敵の懐にもぐりこむ。彼は鞘から剣を僅かに抜き、剣の柄頭つかがしらで大男の鳩尾みぞおちを突いた。


 たった一撃だ。


 だが、大男は呻って、崩れるように膝をついた。


 剣客はそんな大男の耳の裏側を指先で押さえ、組みふせる。大男は必死でもがいていたが、剣客を振りほどくことができずに泡をふいて失神する。

 剣客は大男を踏みつけにして、勝利を宣言するかわりに外套がいとうをぬぎ捨てた。

 宮廷の官服かんふくがあらわになる。


「宮廷の官人かんにんだったのか」


「さすがは皇帝陛下お抱えの剣客だ。あんな恐ろしい怪物を、剣も抜かずに倒しちまうたあ」


「皇帝陛下万歳、万歳」


 観客はいっきに盛りあがる。

 歓呼の声を聴きながら、ヨウ睫毛まつげをさげ、ようやく終わったかと腰をあげた。

 退屈にも程がある。試合を観るのが三度の飯より好きだという男たちの神経が知れない。野蛮でやかましいだけだ。


ヨウか」


 後ろから声を掛けられ、振りかえる。


「っ」


 

 牙を剥き、喰いかかろうとする虎がそこにいた。


 夭は身をすくませかけたが、動揺をのみ、冷静をよそおう。瞬きを経れば、それは男だった。


 雄々しい美丈夫びじょうふだ。

 燃えつきた黄昏のような殷紫あかむらさきの服に革の帯を締めているが、服越しにでもそのからだくろがねの如くに鍛えあげられていることがわかる。それでいて皇族の風格というべきか、絶妙な品のよさを漂わせていた。


叔叔上おじうえ様、ご帰還なさっていたのですね」


 彼はキョウシュウ。皇帝の弟にあたり、宮廷の軍を総括する大将軍の官職についている。

 民を惑わす流浪るろうの民族を征伐するべく、孟春もうしゅんから北部に遠征していた。立太子宣明りったいしせんめいに参列していなかった皇族はシュウだけだ。


「お前が武技試合ぶぎじあいを観にきているとは意外だった」


「執務の一環ですから」


 シュウは察しがついたのか、「ああ」と声を洩らした。


「そうか、この春から皇太子になったのだったな。失念していた。それであれば、今後敬語はいらん」


 そこまでいって、シュウは端正な唇をゆがませた。


「ああ……こちらのほうが跪いて、殿下に挨拶するべきだったか?」


 においては志学しがく(十五歳)を迎えてはじめて、成人扱いになる。まだ子孩こどもの身で次期皇帝などわらわせると、言外に挑発あおられているのだ。叔叔おじの腹のうちを察していながら、ヨウはかたちだけの微笑をかえす。


「どうか、そのようなことは仰らず。公の式典や議会ならばともかく、こうして喋っている時はこれまでと変わらず接してください」


 裏がえせば、しかるべき場では次期皇帝として礼をつくせという要求だ。シュウヨウの慇懃な言葉の裏を察して、眼を細めた。

 荒んだ念を映すようにショウの影が怒張する。

 彼の背後で


 出逢い頭に夭が虎と錯覚したのはであった。


 ヨウには物心ついた時から

 あるものは頭部が大きな口になっていて、異様に長い舌を垂らして牙を剥きだしていた。またあるものはいぼのある毒蛙のかたちをして、壁を這いまわっていた。


 邪心あるものは影がゆがむ。


 だからといって、この眼が役にたったことはない。

 ここは陰謀が渦巻く宮廷だ。

 頭をさげ、媚びへつらう官人たちも一様に歪んだ影をひき連れている。誰もが少なからずふた心を持つなかで、誰がいつ、こちらに牙を剥くかなど解ろうはずがなかった。

 こんな眼、わずらわしいだけだ。

 だから、ヨウはそれを眼の患いだと想うようにしていた。

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