「エッセイなんて書いてても、小説の役に立たないよ!」について

 どうも、熊ノ翁です!

 先日Twitterで「おーし! 11月中に8万文字作品書いてやるぜ! 書けなきゃアカウント全削除な!」と、その場のテンションに任せて出来る可能性の極めて低いたわ言を抜かして自滅していた所、こんな感じのコメントが寄せられまして。


「エッセイをいくら書いても絶対小説を書けるようにはならないと思うけど」


 ぶっちゃけた話、熊はエッセイだけで8万文字を書く気なんて無くて、その大半は自身が書いてるギャグ小説の「日常魔王」か、ジェイソン・ステイサムあたりが出てそうなアクション映画っぽい小説を書くつもりだったんですけどね。

 それはそれとして、なんか「エッセイ書くのは無駄だからやめろや」的な空気をコメントから感じたので「いやあ、エッセイのスキルは結構小説に還元できる所あると思うよ」と返信したのですが……


 相手さん側からは「マジで? エッセイと小説にそこまで差が無いと?! 本気で思ってるんですか? 元のネタがあってそれについて意見を述べるエッセイと、小説が、同列……! マ、マジでそう思ってるんですか? エッセイ書けば小説書けるようになると?」(原文ママ)とのお返事をいただきまして。


 正直「なんやコイツ」と眉をひそめたんですが、それはさておき。

エッセイ書く事のどの辺が小説の役に立つか、改めて考えてみるいい機会かなと思いまして今回のお題にしてみた次第です。

てなわけで、お付き合いいただければ幸いです。


 んで、このエッセイ。

 熊みたいになんかの話題に乗っかって「あーでもねーこーでもねー」とごちゃごちゃ考えて最終的に結論を出すってスタイルの物もあれば、日常の中で出くわしたことについて自分の心境を語るものもあり、後はゆっくり解説動画さながら雑学コラムみたいな物もあったりと、様々な種類の物があります。


 ただ、大半は何か現実にある物事(自分の経験や思った事を含む)について書くわけで、そういう意味では架空の物語を書く小説とは大きく違います。

「異世界転生もの」についてのエッセイはあっても、異世界転生をしたキャラクター達が繰り広げる物語を書いたエッセイというのは、基本ありません。

 そういう点では、確かに小説とエッセイは確かに違います。


 が、ですよ。

 このエッセイと小説。

 両方とも書かれている方はわかるでしょうが、作る工程がかなり似通ってる部分があったりするんすよね。


 たとえば、話の展開。

 物語のよくある定型として「何かトラブルに見舞われて問題を解決しなければならない状況に置かれた主人公が対抗策を練り、実行し、その結果として成功なり失敗なりの結末を迎える」といった物があります。

 とりま熊が今この場でパパっと考えたストーリーはこんな感じ。


 重病で治療に大金の掛かる子供を抱えた工務店を営む主人公は、治療費をねん出する為に懸命に働いていた。

 ある日子供の病状が悪化し、医者からは高額の手術をしなければ子供はまず助からないと告げられる。

しかも間の悪い事に銀行からは契約書の穴を突かれて急に店を差し押さえられ、開業時に借りた資金を期日までに返さなければ土地と店を明け渡してもらうと通告をされる。

 どうも、町の再開発で荒稼ぎをしようとする銀行の大口顧客な不動産屋が裏で手を引いていたらしい。

 店に来る客からも、同じように立ち退きを命じられた人たちが大勢いるといった話を聞く。

にっちもさっちもいかなくなった主人公は、同じように尻に火のついた連中を集めて銀行強盗の計画を立てる。

 工務店の経験を活かし、様々な強盗道具を作り出して集めた仲間たちと共に銀行を襲撃する主人公たち。

計画通り順調に現金を強奪し、現金を預かってもらう手はずになっているもう一人の仲間の場所へと向かうも、途中で予期せぬトラブルに見舞われ警察に追われることに。

 更に逃走の最中で仲間の裏切りに遭い折角盗んだ現金も根こそぎ取られてしまう。

 警察に追われる中で、元仲間を相手に金と命を奪い合う主人公。

 どうにか裏切った仲間を始末し金を取り返すも主人公もまた深手を負う。

 死にゆく主人公に人影が差す。


 数年後、難しい手術を終えて回復した子供が主人公の墓へと医者と共に訪れる。

「自分を助けてくれたお父さんに元気な姿を見せてあげたかった」とこぼし、同行してくれた医者に感謝の言葉を述べる。

 他の患者さんにもこんな風に付き添ってくれたりお墓参りをされているんですか? と尋ねる子供に、医者がゆっくりと首を横に振り、特別な人だけだと答える。

 じゃあどうして、と疑問に思う子供に、医者が言う。

「昔、お父さんには君と同じように助けてもらった事があってね」


 医者もまた、自身の運営する病院を銀行に取られるところであり、主人公には銀行が保管していた契約書を盗み出してもらっていた。

 そして、現金を受け取り預かる手はずになっている仲間こそが、実はこの医者だった。


 とまあこんな具合ですか。

 ここまで書いてて思ったんですが、既存の映画作品とか小説を例に出した方が良かったかなぁ。

 いやでもラストまで書くのはネタバレテロになりかねないし。

 ままええわ。


 そんでですね。

 小説のストーリーはまあこんな具合に考えて作るわけですが、これ構成が結構エッセイと似てるんすよ。

 たとえばですが「男性は後でクレーム言われることを恐れて、倒れている女性にAEDを使いたがらない!」なんて可燃性の高そうなエッセイを書くとして……

 小説と同じで本題に入る前の物語の発端、まず話の引き込みを考えます。

「先日こんなネット記事を読んだのですが」でも「職場の講習でAEDの使い方を学んだのですが」でも「AEDを使おうとする男はあわよくば胸をもんでラッキースケベを狙おうとしている、という意見を先日Twitterで見たのですが」でも何でもいいです。


 ちなみに余談ですが、AEDでラッキースケベ云々のファンキーな発言については、マジでそんなご意見がTwitterに流れてました。

 インターネッツって怖い所ですね。

 

 話を戻して、まずその話題について語る切っ掛けを書き、次に本題に入っていきます。

 さっき熊の書いた小説で言う所の、準備段階からですね。

 まずAEDは本来どのような効果があってどう活用すべきかを語ります。

 AEDが出来るまでの歴史に触れるもよし、AEDがある事によりどれだけ多くの人が救われるかを語るもよしです。

 この機会は本来こんなに役に立つのだよという理想をまず述べます。


 次に、その理想を阻む要素について書き出します。

 AEDの場合、確かにその使用を躊躇する男性の方も少なからずいらっしゃいます。

 何故そのような考えに至ってしまうのか、その原因を探ります。

 痴漢冤罪や、どうかしている過激なフェミニストの発言とそこに群がる賛同意見、もし疑われてしまった際にどんな社会的制裁が考えられるのかの恐怖といった事柄を書き、乗り越えるべき障害を書き出してみるのがまあ典型でしょうか。


 次は解決編です。

 書き出した阻む要素に対して、実際の所そのような不安は果たしてどの程度脅威なのかを提示します。

 AED使用時に起きたトラブルの実際の判例を持ち出して、実際に冤罪になった事例があるのかどうかを提示してみたり、後は助けを求める人を見殺しにした場合のペナルティでどのようなものがあるのかを説明してみたり。

 また、スムーズにAEDが使用されなかったばかりに大切な人を失くしてしまった方の声を載せて、心情面に訴えかけてみるのも良いかもしれません。


 最後に結論、というか締めです。

 AEDが活用されればどれだけの命を救えるか。

それを阻んでいる偏見や分断はどのようなものか。

 そして、これを読むあなたはどんな選択をするのか。

どういう視野と未来を望むかを問いかけて、締めとする。


 エッセイの場合はこんな感じでしょうか。

 構造、結構小説書くのと似てませんか?

 問題提起、解決準備、すり合わせ、まとめと結論。


 最初に自分で考えた解決案に現実の要素をぶつけて、すべて否定されるけども新しい解決案を提示して「これならうまくいくんじゃないでしょうか皆さん」といった感じでどんでん返し的に締めるといった事も出来ます。

 AEDでネタ考えるならこんな感じですかね。

 以下オチ


 いやこれ考えてみたら、人類が服なんて着ていてハダカは猥褻だなんて考えに囚われているからこんな悲劇が起きてるわけで。

 もし仮に人類が「人間社会においては、はだかこそフォーマル! 服なんて自分を身を隠す物を纏うのは、自分にはやましい所があり隠し事があると主張してるも同じで無礼極まりない!」という価値観の下、常にハダカだったらAEDを使う際に服を脱がすのがどうとか悩む必要なんてそもそも無いはずです。

 というわけで一人でも多くの人間を救うため、信じ合い助け合う社会を作るためにまずはハダカこそが人類のあるべき姿なのだと主張する所から始めましょう。

 手始めに、フルチンで街中でも散歩しますかね。

 小さな子供たちに「ハダカは自然な物なのだ」と知ってもらうために、小学校の回りでも股間をブラつかせながらブラついてみますか。

 ブラり途中下車の旅、なんつて。ハハハ。


 あ、何ですかお巡りさん?

 いや違うんです!

 自分は今、人命救助の精神を広め助け合う社会を作るためにあえてハダカで小学校の回りを……

 ああっ!?

 手錠はやめて、やめて!


 とか、まあこんなかんじですか。

 や、クオリティに関しては一旦置いといて。

 とりまエッセイ作るとして、こんな構造の物がよくあるパターンだったりしますし小説と作り方が結構似通ってるんすよね。

 だから「エッセイを書いた所で小説を書けるようになんてならない!」ってのは、んなこたぁ無いんじゃないかなぁと熊は思うんですが、皆さんどうですかね?


 このエッセイ自体も「こんな事あったんですわ」という問題提起、次に意見の確認をしてみる解決準備、そして実際に小説とエッセイの作り方を比較してみるすり合わせ、とここまで大体そんな感じで進んでいて、後は「締めとまとめ」を残すのみだったりします。


 てなわけでそろそろオチを考えたい所なんですけど、どうしましょうかね。

 とりあえずハダカになって町中ウロつけば良いアイデアが……

 あ、ちょ、通報は、やめ、やめて!


 違うのマタギさん!

 これはやましい気持ちからじゃなくて、あくまでクリエイティブな活動のために……嫌ぁ! 猟銃は嫌ぁ!

 誰か、誰かAEDを熊に、熊にぃ!


「エッセイなんて書いてても、小説の役に立たないよ!」について……END

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