第四話

「ここが……街……」


アドリアン達が目的の街に着いたのは、太陽が真上に昇った頃だった。

雑多な店が並び、露店や屋台が軒を連ねており、ここに住む人々で溢れかえっている。

生命力に溢あふれたその街を、メーラは目を輝かせながら見渡していた。


「こんな大きな街、初めて」


メーラがいた孤児院は、街とは言っても小規模でその周りは森に囲まれていた。

しかしここは違う。見渡す限りの人、人、人。

孤児院のある街から出たことがないメーラにとって、それはとても新鮮なものだった。


「あまり俺から離れるなよー!」


アドリアンは好奇心旺盛なメーラに釘を刺しながら荷車を引く。

自分が側にいる限りは大丈夫だろうが、魔族が一人でいるとろくなことにはなるまい。

メーラもそれを分かっているのだろう、アドリアンの側を離れずにきょろきょろと辺りを見渡している。


「ねぇアド。この街には色んな種族の人が住んでいるんだね」


彼女の目には、人間以外にもいくつもの種族の人々が映っていた。

背が低くガッシリとした体形のドワーフ。

獣耳と尻尾を生やした、獣人。

背がひょろりと高く、美しい容姿をしたエルフ。

メーラが今までに見た事のない種族の人々が、この街には溢れていた。


「ここはどの国にも属さない、少し変わった街なんだよ。地理的にも面白い場所にあってさ。大陸の中央に位置していて、全ての国と領地を接しているんだ」


アドリアンは街の歴史を話し始めた。

この街は交易の中心地として栄えており、どの国にも属さずに独立を保っている。

その立地から多種多様な文化や風習が混ざり合い、独自の雰囲気を醸し出しているのだ。


「大陸の中央にあるから北の帝国や南の王国からも商人や旅人が訪れる。東の草原の部族や西の森林の民もこの街を通って行き来する。だから、この街には本当にいろんなものが集まるのさ」

「そう、なんだ」


メーラは興味津々でその話を聞きながら、目に映るすべてのものを吸収しようとしていた。

彼女にとって、この街はまるで異世界そのものだ。


「すごい……」


そんな小さな呟きを零すメーラであったが、不意に彼女の表情が暗くなった。

アドリアンがそれに気付き、彼女の顔を覗き込む。

すると彼女は自嘲の笑みを浮かべてこう言った。


「アドは凄いね。昔からこんな風に一人で旅をして、働いて、色々なことを知ってるなんて。それに比べて私は……」


なんだそんなことか、とアドリアンは笑った。

このメーラという少女は常に自分を卑下し、自己肯定感が低い。

それは彼女の種族が関係しているのかもしれないが、アドリアンはそんな彼女に自信を持って欲しかった。


「確かに俺はメーラの知らないことをたくさん知っている。でもな、だからって偉い訳でも凄い訳じゃないんだ」

「え?」


今の知識だって、この世界のアドリアンが元々持っていた記憶をそのまま使っているだけだ。

それが偶然役に立っただけで、アドリアン自身が凄い訳でも偉い訳でもない。


「俺にしか知らない世界があるように……メーラにはメーラの知らない世界があるだろ?それ以外の世界はこれから知っていけばいいんだ。そうすりゃお互い様だよ」


そう言ってアドリアンはメーラの頭を優しく撫でた。


「そう、なのかな」

「ああ。だからもっと世界を見て回ろう。そうすればきっとメーラも楽しくなるさ」


アドリアンの言葉にメーラは無言で頷いた。

生まれ持った性格や気性は急には変わらない。だけど、それでもこれから少しずつ変わっていけばいい。

彼女はまだ若い。時間はいくらでもあるのだから。

そんな想いを胸に秘めながら、ガラガラと荷車の車輪を鳴らしアドリアンは目的地である荷物の受け渡し場所へと向かうのであった。


そうして荷車を引くこと暫く。


目的地……街の南にあるドワーフの工房に着くと、作業着を着た少女が出迎えた。


「はぁ?アデムのおっさんいないのか?」

「あぁ。さっき酒場に行っちゃったよ」


彼女は工具を腰につけたポーチにしまうと、アドリアンから受け取った荷車からシャヘライトを降ろし始める。


「あの酒飲みめ……まだ昼間だぞ」

「何言ってんのさ。アタシらドワーフにとっちゃ『もう昼間』だよ」

「そういやそうだったな」


ドワーフは酒好きが多い種族で、真昼間から飲んだくれているのも多い。

流石に貴族のドワーフは違うが、このような下町にいる労働者階級のドワーフ達はその代表格だ。


「この分じゃ帰ってくるのは明日の朝とかになりそうだ。はぁ、酒場に行くしかないか」

「あはは、やめときなアドリアン。アンタ前に酒場に行ってボロボロになって帰ってきたじゃないか」


そう言って快活に笑う少女。彼女はこの工房の長であるアデムの娘、ライラである。

彼女はドワーフという種族であり、その身長は人間の半分ほど。

ドワーフの男性は屈強で逞しいが、女性はまるで人間の少女のような外見をしているというなんとも不思議な種族だ。


「ところでアドリアン」

「ん?」

「アンタの後ろで震えてるウサギみたいな子はなんだい」


アドリアンに隠れるようにして彼の服の裾を掴んでいるメーラを見て、ライラは訝しげに尋ねた。

ライラがそう言った瞬間、メーラは「ひゃう!」と身を竦ませて完全にアドリアンの後ろに隠れてしまった。

そんなメーラに苦笑いしつつ、アドリアンはライラに事情を説明する。


「この子はメーラ。訳あって俺のとこで預かってるんだ」

「ふぅん。アタシはてっきりアンタがモテないあまり魔族の奴隷を買ったのかと思ったよ」

「……ライラが俺の事をどう見てるかよーく分かった」


ライラはシャヘライトを地面に降ろすとメーラに近付き、彼女を観察するようにじっと見つめた。

「ひっ!?」と更に怯えた様子を見せるメーラだが、そんな彼女をアドリアンが嗜める。


「メーラ、大丈夫だ。ライラは女とは思えない荒々しい奴だけど魔族を食ったりはしないからな」

「アドリアンがアタシの事をどう見てるかよーく分かったよ。今度言ったらぶっ飛ばしでやるから覚悟しな」


ギロリ、とライラに睨まれたアドリアンは何処吹く風でメーラを落ち着かせようとしていた。


「ほら、大丈夫だ。ライラはこう見えて面倒見のいい奴なんだ」

「あ、あの……すいません。私……」

「ああ、別に気にしなくていいよ。こんな性格だし怖がられるのは慣れっこだよ」


そう言ってカラカラと笑うライラ。

メーラも背が小さい方なのだが、ライラは更に小さい。

必然的にライラはメーラを見上げる姿になるのだが、それがまたライラの荒っぽい口調とのアンバランスさを引き立たせていた。

メーラはそんな彼女を見下ろしながら、こんな小さな子も働いてるんだ……とドワーフの風習を不思議に思っていた。

だが、アドリアンが放った一言でそんな考えは吹き飛んでしまう。


「そう言えばライラ。旦那さんは元気か?」

「あぁ、元気だよ。オヤジが飲んだくれてるからその代わりの仕事振られてヒーコラ言ってるけどね」

「ははっ、そうか。相変わらずなんだな」


メーラは一瞬二人の会話の意味が分からなかった。

──旦那?

もしかして、この少女は結婚しているのか?見た目は完全な子供だというのに?


「け、結婚……してるんですか?そんな若いのに?」


思わずそう聞いてしまうメーラ。

するとライラは「若い……?」と首を傾げて、次にあはは!と笑った。


「こんなオバさんに何言ってんのさ!魔族ってのはお世辞が上手いんだねぇ!」

「へ?」

「メーラ。ドワーフやエルフってのはな、若く見えても実年齢はもっと上なんだ。ライラもこう見えてもう50近いぞ」

「え……」

「ちなみに子供も2人いる。こんなちんちくりんなのにな」

「アドリアン、アンタは後で覚えときな」


ライラにギロリと睨まれて「おお怖い」と肩を竦めるアドリアン。

そんな二人を見て、メーラは呆然とするのであった。




♢   ♢   ♢




この街は混沌とした場所である。

大陸の中央を流れる川を基点として広がる街は、様々な種族が行き交い、交易が行われている。

時代と共に支配勢力が移り変わり、今現在はどの勢力にも属さない独立した都市である。

名をフリードウィンドといった。

自由の風が吹くこの街の一角……。労働者たちが集う酒場はまだ昼間だというのに、大勢の労働者で賑わっていた。

ここでは種族も性別も関係ない。日々の労働と夢の達成を祝って、酒と料理に舌鼓を打つ。


「オヤジ!エール3つ!」


そんな酒場のカウンター席で1人のドワーフが叫んだ。ドワーフは大酒飲みが多い。特にドワーフの男性はその傾向が強い。

アルコール度数の高いエールを水のように流し込みながら、この酒場の常連であるアデムは顔を真っ赤にしながら叫んだ。


「ぷはぁ!やっぱり仕事終わりのエールは最高だな!」

「おいアデム、飲み過ぎんなよ。またライラにどやされるぞ」


そんなアデムに注意する酒場のマスターもドワーフである。彼はこの酒場を1人で切り盛りしている苦労人だ。


「いいじゃねぇかよ!最近は酒飲んでる暇もなくて口寂しかったんだからな!」


そう言ってエールを煽るアデム。もう何を言っても無駄だな、と悟ったマスターはその場から離れた。

そうして一人きりになったアデムが思う存分、酒と料理を楽しもうとした時。


「昼間から飲む酒は美味いか?おっさん」


ひょい、と酒の入ったジョッキが横から取り上げられた。


「な、なにしやが……ってアドリアンじゃねぇか」


アデムが振り返ると、そこには彼がよく見知った顔があった。

街から街へとシャヘライトを運搬する仕事を生業としている人間の青年……アドリアンである。


「何してんだこんなところで。早く酒を返せ」

「何してんだ、はこっちの台詞だっつーの。何昼間から酒飲んでんだ」


アドリアンの言葉を無視し、アデムは酒を彼から奪い返す。

そして一気にグビグビと飲み干した。


「ぷはぁ!人間のガキには分からねぇだろうがよ、ドワーフってのはな、酒と仕事さえありゃあ幸せなのよ。俺の幸せな時間を邪魔すんじゃねぇ」

「じゃあついでに俺も幸せにしてくれると嬉しいね。シャヘライトの搬入終わったから、さっさと報酬をくれ」

「報酬ぅ?あぁ、工房に戻ったらやるからちと待ってろ。具体的には明日の朝くらいには帰ってやるからよ。がははは!!!」


そう言って大笑いするアデムに、アドリアンはため息を吐く。

同時に、この世界のアドリアンの記憶が流れ込んでくる……。

このオヤジはいつもこうで、ドワーフにあるまじきルーズさで毎回アドリアンを困らせていた。


「もう既にデキあがってんなこのおっさん。はぁ、どうしたもんかね」


アドリアンは腕を組んで唸る。

この酒場は男臭い乱雑な場所なので、流石にメーラはライラに預けてきた。

長い時間彼女を待たせるのも悪いし、心配するだろう。

なのでさっさとこの酔いどれジジィを工房に戻さなければいけないのだが、この調子じゃいつ終わるかも分からない。

アドリアンがそう悩んでいる時だ。アデムがニヤリと笑って言った。


「おいおいアドリアンよ。ワシを連れ戻そうとしても無駄だぞ。それよりここに長居していいのか?また前みたいに絡まれたら困るんじゃないのか?」

「前みたいに……?」


その言葉を聞いた瞬間、またもアドリアンの記憶が呼び起こされる。

以前……この世界のアドリアンがシャヘライトを納入したのだが、今回のようにアデムが工房にいなかった。

その時は次の仕事の依頼が入っており、時間の余裕がなかったのでアドリアンがこうして酒場に訪れてアデムに催促をしに来たのだが……。


「あぁ、あったなそんなこ……」

「おい、お坊ちゃんがまたこんなところに来てやがるぜ!」

「はぁん?ぎゃははは!ミルクでも頼みに来たのかぁ!?」


不意に、アドリアンを囲むように巨大な影が3つ程並んだ。

それはこの街の労働者達であった。彼らも昼間から酒場で飲んでおり、その巨体を真っ赤にしながらアドリアンを嘲笑する。


(またこの展開か……)


アドリアンの背は人間にしては高い方なのだが、労働者とは思えない身体付きであり華奢な印象を抱かせる為、このようなガラの悪い連中に絡まれることが多々あった。

特にこの地域は獣人やドワーフ等の気性の荒い労働者が集まっている為、自然とガラの悪い連中が集まりやすい。

アドリアンが以前酒場を訪れた時も全く同じ展開で、その時のアドリアンは成す術も無くボコボコにされたのだ……。


「どうする?さっさと逃げた方がいいんじゃねぇのか?心配すんな、明日には報酬やっからよ」


助ける気もないのだろう、アデムはニヤニヤと笑いながら酒を呷る。


──あぁ、メーラをここに連れて来なくて良かった。彼女がいたら、きっと怯えさせてしまっていただろう。

こんな下らない喧嘩を純真な彼女に見せる訳にはいかない。

アドリアンはやれやれと首を大げさに振った後、絡んできた3人に向き直った。

そして、言った。


「昼間っから飲んだくれてる立派な顔ぶれに囲まれるとはね。お前ら、仕事もせずにここで何してるんだ?まさか、俺に会うためだけに時間を割いてくれたのか?あぁ、仕事がないだけか。ごめんよ」


その瞬間、酒場に静寂が訪れた。あれだけ騒いでいた労働者達が、一瞬にして黙ったのだ。

3人はアドリアンに鋭い視線を向けると、バキバキと指の骨を鳴らしながら近付き始める。


「……いい度胸してるじゃねぇか。この前痛めつけてやったのにそんなこと抜かせるとはな」

「今度は前よりもっと痛い目に合わせてやるぜ。その綺麗な顔が腫れ上がるまでな」


猫の耳を生やした獣人が耳と尻尾の毛を逆立て、狼の獣人が鋭い牙を見せつけるように口を開く。

そして熊のような巨大な男(どうやら人間らしい)が、憤怒の表情を見せながらアドリアンに顔を近付けた。


「俺らに喧嘩を売ったからには、タダじゃおかねぇ」

「そんなに怒るなって。顔がトマトみたいに真っ赤になって可愛くなってるからさ。あ、ずっとそのままの方が可愛くて女子ウケがいいかもしれないな?はははっ」

「「「……殺す!!」」」


一瞬の静寂の後、3人は一斉にアドリアンに殴りかかった。

だが、アドリアンは動かない。無防備に、3人を見据えたままだ。

そしてそのまま拳はアドリアンの顔面に直撃した。


「っ!?」


しかし、アドリアンは倒れなかった。それどころか一歩も動かずに直立している。

3人の拳を顔に受けたにも関わらず、彼は平然と立っていたのだ。

それどころか、攻撃した3人の拳が衝撃で腫れ上がり、全員が痛みに身を悶えさせる。


「ぐ、が……っ」

「な、なんで……」


3人は怒りで更に顔を赤くするが、アドリアンはポリポリと頭を掻き、ため息を吐いていた。


「『拒絶者』の加護があるから喧嘩もつまんないんだよな。勝手に発動しちゃうし」


──『拒絶者』。

それはアドリアンが持つ加護の一つで、受けるダメージを大幅に減少させ一定以下の攻撃は通用しないという加護だ。

あらゆる干渉を激減させるこの加護は、『拒絶』の名の通り、あらゆる事象をアドリアンから遠ざける。


「お前ら、もう少し鍛え直した方がいいな。これじゃそこら辺の婆さんの方がまだ強いぞ」


その瞬間、アドリアンの姿が消えた。


「っぐぼぉ!?」


次の瞬間には獣人の前にアドリアンが現れ、その身体を指でちょん、と押した。

すると獣人は吹っ飛び、酒場の壁に激突する。壁は大きく凹み、獣人は白目を剥きながら気絶した。


「えっ……?」


残りの2人は何が起こったかも理解していないようで、呆然としている。

そんな彼らに考える隙を与えぬようにアドリアンはもう一人の獣人の前に瞬時に移動すると、その顎目掛けて強烈な蹴りを繰り出した。


「んがぁーーっ!?」


ドンッ!!という轟音と共に獣人は天井に激突し、そのまま意識を失った。

プランと天井からぶら下がる獣人を見た他の最後の1人は、アドリアンと一瞬にしてやられた仲間を何度も見比べる。


「え……?あれ……?え?」

「しまった、やりすぎたか……?でも獣人だし無駄に頑丈だろうから、大丈夫だよな!キミもそう思うだろ?」


アドリアンは残りの1人、巨漢の男にそう問いかけた。

ニコニコと笑みを浮かべるアドリアンに対し、男は顔を青くしながらガクガクと震える。


「あ……は……はい……」

「だよな?良かった良かったぁ!これで安心だな!」


何が安心なのか分からないが、アドリアンは男の肩をポンポンと叩きながら笑顔を向けた。


「キミも頑張ったね!でも喧嘩を売る相手は選ぼうな。後、俺みたいなか弱い人間相手に3人がかりは良くなかったぞ」

「……」


完全に勢いを失った男は呆けた顔で返事をすることしかできない。

それは彼だけではなく、この喧嘩……いや、一方的な蹂躙劇を見ていた酒場の客達も同じであった。

静寂が酒場を支配し、アデムも目を白黒とさせながらその光景を見ていた。

そんな彼らを横目にアドリアンはふんふんと鼻歌を歌い、酒場のカウンターまで歩く。

そして呆然としているマスターに向かって笑いながら言った。


「マスター!治療費と修理費、アデムのおっさんの工房にツケといて!」


ガランと。アデムの手からジョッキが滑り落ちた。

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