【不定期掲載】中古レコード店『スカイウォーカー・チルドレン』の日常

榊琉那@Cat on the Roof

Songs 01 坂本九『心の瞳』

 ある街にひっそりと佇んでいる中古レコード店『スカイウォーカー・チルドレン』。古びたビルの1階にあり、敷地面積はそれ程ではない。その狭い中に、ぎっしりとレコードやCD、音楽書籍類が整理されて並べられている。店主の趣味で置かれているものが多く、メインとなっているのは日本のロック、フォーク、ポップス、歌謡曲、演歌といったレコード類、そしてCD類。次いで70年代を中心としたロックのレコード、但しレア盤と言われるものは少なめである。なかなか市場には出てこないし、もし入っても、どこからか話を聞きつけたマニアによって買われてしまったりするからだ。

 そして店主の好きな60年代末期以降のサイケデリック、プログレッシブロック、ジャズロック、ユーロロックと言われるもの、前衛的なフリージャズといったものは、力を入れているつもりだけれど、買い付けに行ってもなかなか出物が少なかったりするので、なかなか充実しない。まぁ仕入れてもがっつり売れるジャンルではない事は百も承知だけれど。

 そんな感じで、ひっそりと営業している地味な店だけれど、何故か店に引き寄せられるように、常連の客がやって来るのだ。そして暇を持て余している店長の元に、今日も誰かしら暇つぶしにやって来る。別に頼んでいるわけでもないのだが……。


 ……………………


「暑いね」

「暑いですね」

「今、何度です?」

「この辺りの最高気温、38度だって」

「何でこんなに暑い日が続くんでしょうね?」

「でも熊本辺りの大雨の被害が酷いですよ。何で均等に雨が降らないんですかね?」


 こんな暑い日じゃ、客なんて来ないだろうと、中古レコード店『スカイウォーカー・チルドレン』店主の下野はため息をつく。もっとも下野にとっては、この店は道楽でやっているものなので、正直、売り上げなどはどうでもいいと思っている。好きな音楽に囲まれた生活が出来れば、それでいいと思っているのだから。しかしながら、こんな店にも暇つぶしのつもりでやってくる輩がいるから困ったものだ。


「マスター、今日は何の日か知っています?」

 狭い店内で寛いでいるのは、昔からの常連の一人の荒木さん。因みに『マスター』というのは、実は下野は、この中古レコード店を開く前は喫茶店を経営していたため、その時の名残で未だに言われているものだ。荒木さん以外にも、喫茶店時代からの常連は多数いる。まぁそれだけ暇人が多いという事だ。


「ん?今日は何かあったっけ?」

 今日は2025年の8月12日。常連の人の誕生日でもなさそうだし、ちょっと思いつかないなぁ。

「今日は、忌々しい日航機墜落事故が起こってから40年になる日ですよ」

「そうか、もうそんなに経つんだなぁ」


 1985年に起こった日本航空123便墜落事故は、死者520人という日本の航空機史上最悪の事故とされ、世界的に見ても単独の事故としては最悪とも言われている。

「親父、坂本九さんの大ファンだったから、その時はショックで体調を崩したくらいなんだ。散々親父に九さんの歌を聴かされたから、自分も好きになったんだけどね」

 荒木さんは、辛いような表情をしている。亡くなった人の中に坂本九さんの名前も入っていたのだ。当時は荒木さんもまだ小さな子供だったが、何でこんないい人が犠牲にならなければいけなかったのだと、子供ながらもを感じていた。

 坂本九さんは、1961年に『上を向いて歩こう』をヒットさせた歌手であるが、アメリカのビルボードチャートでも1位となっており、これは未だ日本人では坂本さんただ一人の偉業でもある。(なお、タイトルは『Sukiyaki』に変更されています)。


「僕も事故の事を聞いてショックだったよ。あんなにいい笑顔をする人が若くして亡くなるなんて。大ファンという程ではなかったけれど、当時はとても辛く思ったよ」

 下野も当時の事を思い出していた。これだけ大きな事故だったから、連日、ずっとこの事について報道していた。しかしながら、行き過ぎた報道、勝手に他人の家に入り込むなどのマナー違反、更には取材中に山で遭難して救助を求める記者も出たりと、傍若無人の態度のマスコミは、この当時から批判されるべき存在だった。下野のマスコミ嫌いは、この当時からの筋金入りのものであるが、まぁこれはどうでもいい話か。


「因みに、マスターは坂本九さんのレコードとか持ってます?」

 荒木さんからの唐突な問いに、下野の答えはこうだった。

「『上を向いて歩こう』とかのシングルは持っていないけれど、九さん最後のシングルは探して買ったんだよ」

 下野は私物のコレクションを捜してみる。程なくして1枚のシングルレコードを持ってきた。

「これが九さん最後のシングルだよ。残念ながら、これは売り物じゃないけどね」

 持ってきたシングルのタイトルは、『懐かしきラブソング』。下野はどうしても欲しくて色々な所を探してやっと見つけたものだったりする。


「実は、亡くなった当日にFMで放送される番組を収録されていて、後日、NHKFMで放送されたんだ。自分もリアルタイムで聴いて録音しているんだけど、残念ながら録音したカセットテープが行方不明になっているんだ。幸いにもYoutubeに、その時放送されたFM放送の全編があがっている。どうです?一緒に聴きませんか?」


 店に置いてあるノートパソコンを操作し、該当の音源を探し出した。そして暫しの間、その音源を荒木さんと一緒に聴くのだった。55分程度であるが、坂本さんの人となりが、これだけでもよくわかるものだ。


 https://www.youtube.com/watch?v=WHzZcC8RpBs


 「この時に聴いた『懐かしきラブソング』が気に入ってね、でも当時は貧乏でレコードもおいそれとは買えなかったから。結局、ずっと後になって中古を探し回って、やっと見つけたんだけど、見つけた時は嬉しかったな」

「僕は『見上げてごらん夜の星を』がいちばん好きだなぁ。後、『悲しき60才』がユーモラスで好きかなぁ」

 暫しの間、下野と荒木さんの間で、坂本九さんに関する話で盛り上がった。(因みに『悲しき60才』というのは、『ムスターファ』という中東の民謡曲に日本語の歌詞を付けたカバーです。どうでもいいかもしれませんが、訳詞は、青島幸男さんだったりします)


「それとやっぱり、シングルのB面に収録されている『心の瞳』、坂本さんにとって、特別な曲だったみたいで。出来立ての曲を真っ先に家族に聴かせたというから。こういう事は初めてだったらしいね」

 坂本さんが『心の瞳』をすごく気に入って、いずれはコンサートのラストに歌うようにしたいと希望していたらしいとの記事は、事故からかなり年月が経ってから読んだ気がする。実際、坂本さんの葬儀の時には、娘さんがこの曲をピアノで演奏したというエピソードもあった。


「坂本さん、家族を大切にしていたって聞きますよね。だからあの笑顔は演技ではなく、素のままだと思いますよ。だから誰からも愛されたんだと思いますよ」

 との荒木さんの言葉。確かに下野も感じていた。わざとらしさ等、微塵も感じられない素敵な笑顔。それが坂本さんの魅力だと。


「そして、『心の瞳』に魅せられた人は他にもいたんだ。さっきの最後の公開収録、それを聞いて『心の瞳』を気に入ったある学校の先生が、合唱曲としてアレンジして演奏をしたんだ。それを元に広がって行って、今では合唱曲の定番の一つになり、教科書にも載る程になったんだ。坂本さんが伝えたいと思っていた家族の絆。それがこのような形で伝えられるなんて素晴らしいじゃないか」

「いい話ですね。坂本さんも喜んでいると思いますよ」


 暑い夏の午後の話。普段は下らない話をするばかりだけれど、たまにはこんな風に真面目に話すのもいいものだ。世の中には埋もれている曲が沢山ある。そんな曲たちを下野は探して伝えられたらと思うのだった。



 ○○○○


『心の瞳』のエピソードは、比較的最近に目にしたものです。合唱曲として教科書に載る程になっているとは知りませんでした。後世にも伝わるようになったのは、良かった事だと思います。


『心の瞳』オリジナルバージョン

 https://www.youtube.com/watch?v=ENgNiqc0m3I


『心の瞳』合唱バージョン

 https://www.youtube.com/watch?v=fM04b4BDxyw


 そして坂本さんの三十三回忌の時に、オリジナル音源に家族である柏木由紀子さん達がコーラスを加えたというバージョンが発売されています。家族にとっても特別な曲、家族が再び一緒に演奏して形になるのは素晴らしい事ですね。


 https://www.youtube.com/watch?v=ktOdCe-UEmM



 余談になりますが、この日航機123便、乗ろうと思っていて結果的にキャンセルになって難を逃れたという芸能人が結構いるみたいで驚きです。

 Wikipediaによると明石家さんまさんがよく利用していたけど、収録番組の都合で当日の便はキャンセルしたとの事。

 当時の『笑点』の大喜利メンバーもこの便に乗る可能性があったけれど、林家こん平師匠の「急ぐ必要はない」との言葉で乗らなかったとの事。もし乗っていたら、この時点で『笑点』は終了していたかもしれません。

 旧〇ャニーズ事務所に関連する人も乗車予定をキャンセルしており、それ以外にも幾人も乗らずにいた芸能人がいたみたいです。やはり芸能人は強い運を持っているのでしょうか?



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