御出でませ、八十神怪異探偵事務所の陰陽師様!

夢咲蕾花

【壱】一千年の時を超えた邂逅

序幕 獄門妖怪の悲哀

 桓武帝が山城国の北に平安京たいらのみやこを定めて、長岡より都遷りして五十年ばかりが過ぎた頃。

 その都からは遥か遠く離れた里で、ある悲哀の物語が終幕を迎えつつあった。


 豪奢な唐紅からくれない小袿こうちぎと緋色の長袴が血に沈み、美しい面立ちの白い顔から生気が抜け落ちていく。

 長い漆黒の髪を太刀のようにしたそれ。髪を剣に、あるいは槍にして扱うその妖怪の名は髪鬼。里の屋敷のど真ん中に、その髪鬼が佇んでいる。髪鬼の女は髪太刀を貴族の女から引き抜き、軽く血振りした。鮮血が、板の間に点々と散る。黒い着物に赤い羽織の女は前を見た。

 風除けの屏風には、飛沫のような赤い血が散っていた。いずれも、殺した貴族の娘のものである。

 殺すことに躊躇いはなかった。好いた男を寝取った女だ。そこには憎しみに近い愛情さえあり、同時に奇妙な哀しさもあった。言葉にはし難いその感情を右手に握り込み、ため息をつく。

 これであいつとの関係も終わる。良くも悪くも、くだらぬ愛などというまやかしから解放される。


 ふと、赤子が泣き始めた。

 女はハッとして顔を殺した貴族の娘に向けると、彼女に抱き抱えられた赤子が血の匂いで起き、泣き喚いていた。母君の死を悟ってか、声を放って泣き喚く。

 髪を太刀に変え、赤子を斬り殺そうと振り上げ――……やめた。

 その泣き声に、――そう、興が削がれた。決して、慈悲ではない。そのような感傷的な感覚が爪の先ほどにも残っていれば、こんな凶行は犯さなかったと自覚している。

 気まぐれのような感情。あるいはその子供の顔に、愛した男の面影を見たからか。


 女は屋敷を出た。そこにはすでに隊士が揃い、太刀や槍を抜いてこちらを睨んでいる。真ん中には、橘紘麿たちばなひろまろ。――己が愛した、人間の男。


「妾に牙を剥くか、紘麿」

「お前は一線を超えてしまったな。ここで止めねば、都から本格的な征伐隊が送られよる。……せめて儂の手で止める。止めねばならんのだ」


 紘麿が印を結んだ。女は髪を広げ、それを無数の太刀に変えて彼らに挑みかかった――。

 そうして女――髪鬼という妖怪は一人の陰陽師の前に敗れ、その首を落とされるのだった。

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