世界で2番目に美しい物語【毎日更新中】
秋桜
1歩目 Girl Meets AI
きっと、さよならが1番美しい物語だ。
ダメになった耐環境コートの電子基板から目を上げて、サクラはそう思った。数日前に遭遇した
サクラが研究所を旅立ってから今日まで、強すぎる紫外線や酸性雨から守ってくれた相棒との付き合いが終わるのは悲しい。機械類の修理は一通りできるつもりだが、基板の回路が焼き切れてしまっては手の施しようがなかった。サクラは南無南無と手を合わせ、廃屋内のダストシュートにコートを放り込んだ。長い付き合いの相棒とはいえ、機能停止した耐環境コートは動きづらくて仕方ない。
「んー。新しいコートをどうしようかな」
不自然なピンク色の髪をかき上げながらサクラは呟いた。透き通るような白い肌も、血の色が透けた赤い目も、紫外線には弱い。どこかで代用のコートを手に入れなければ外を歩き回ることも出来ない。
西暦2206年。人類がヤバめの兵器を10個か20個使ったせいで、この地球は旅をするのに適さない環境になってしまったらしい。文字通り肌を焼く紫外線。目に入れば失明するほどの酸性雨。放射能に異常気象。過酷な環境から身を守ってくれるコートは、サクラが旅を続けるためにどうしても必要だった。
頭をひねっていたサクラがピンと指を立てる。
「……はっ。これはもしやショッピングとやらのチャンスなのでは?」
サクラは日差しを避けるために逃げ込んだ廃屋で地図を広げた。道中で見つけた周辺の地図である。地図に書き込まれた目印(生存者のコロニーや物資の集積所)を全て無視し、不自然に情報の少ない区画を探す。この地図の目印は全て訪ねてみた後だった。分かったのは、この周辺に生存者がいない事と、物資は漁られて何も残っていないという事だけだ。だからこそ何も書き込みがない場所に向かうのだ。
地図に情報が書き込まれない場合、2つの可能性がある。1つは単純に何もない場所。もう1つは、地図の作成者が入れなかった場所だ。
「ふむ、この辺りかな」
街はずれの区画に目をつける。サクラのいた研究所も似たような立地にあった。機密性が高く、侵入が容易ではない場所。すなわち貴重な装備が残っている可能性は高い。
サクラはもう一度地図を確かめると、立ち上がって外の光景を見た。
きっと燃えカスで作った絵の具を使えばこんな色になるだろう。汚れた灰色の空に、ぽっかりと空いた穴のような太陽が浮かんでいる。倒壊したビルも強烈な紫外線にあぶられて灰色だ。空気はざらざらとしていて、吸い込むとどこか焦げ臭い。動物どころか植物すらも見当たらない、灰色の大地。
つまり、サクラにとって日常の風景で、絶好のショッピング日和という事だった。
「ようし。それでは人生初のショッピングにしゅっぱーつ!」
目的地に向かうのはそれなりに苦労を強いられた。何せ強力な紫外線を防ぐコートを失ってしまったのだ。西暦2206年の紫外線事情と言えば、花も恥じらう乙女達が日焼けを気にするというレベルではない。
サクラが生まれる前に始まった戦争は世界中を巻き込み、自分達の住む星をこれでもかと破壊していった。破壊されたオゾン層が素通りさせるようになった紫外線は、長時間浴びれば肌が焼けただれるし、癌などの重大な病気のリスクを蓄積させていく。おかげで地表で暮らす生き物は真っ先に絶滅していった。残ったのは地下に引きこもった生物や、対策を取った人間くらいだ。
「うーん……このクリーム臭いから使いたくないんだけどな」
サクラは自分の体より大きなリュックからチューブを取り出した。コートなき今となっては『耐UV』とそっけなく書かれた銀色のチューブだけが命綱である。手のひらに少し出しては露出している腕や顔に塗っていく。
『絶対に肌を焼きたくないあなたへ。人形のような白い肌をお届け!』23世紀最先端の日焼け止めだ。ただしガソリンみたいな匂いがする。
「ううー臭い……。製作者は乙女心ってものを分かってないよ。お花の香りとかつけようと思わないのかな」
まあ、本物の花の香りなんて知らないけど。自分で自分にツッコミを入れながら、なるべく日陰を選んで移動を開始した。
独り言はしばらく前から始めた癖だ。旅の途中、1カ月ほど声を出さないでいたら酷いかすれ声になっていたのだ。もしも他の人間に会えたら、第一声はきちんと「はじめまして。サクラです!」を言いたい。可能ならば「お友達になってください!」も言えたら最高だ。
そう、もしも誰か他の人間に出会うなんてことがあれば。そんな機会は今までに一度もなかったけれど。
太陽の位置を確認しながら廃墟を進んでいく。耐UVクリームを塗っているとはいえ過信は出来ない。出来るだけ直射日光に当たらないよう、日陰を歩く。建物の影が途切れている場所は素早く走り抜けて影に飛び込む。
世界がこうなる前の子供たちが遊びで影を踏んで歩いていたように、しかしそれとは段違いの真剣さでサクラは影を進んでいった。
「よっと……あれ?」
屋根の形が残っている建物に飛び込み、サクラは一息ついた。その建物には珍しく調度品が残っていた。どうやら居住用だったらしく、灰色のソファとテーブルのほか、同じく灰色のぬいぐるみが転がっていた。
可愛らしいクマのぬいぐるみはこの家に住んでいた子供の物だったのだろうか。サクラはこの街で何が起こったのか知らかったが、お気に入りのぬいぐるみを持ち出せないほど急いでいたのだろうと思った。
置き去りにされ、紫外線と酸性雨にさらされたクマは元の色を忘れてしまったようだ。クマのぬいぐるみであれば元の色は茶色だろうか、黄色も可愛いかもしれない。でもピンクが一番かわいいと思う。そんなことを考えながら拾い上げると、クマの頭がボロリと転がった。
風化して脆くなっていたぬいぐるみは、それを合図に腕や胴体まで崩れ始め、数秒の内に灰色の砂になってしまった。長年の劣化で崩壊寸前だったところを、サクラがとどめを刺してしまったようだ。
なんとも言えない後悔と罪悪感を感じて、サクラは肩をすくめたのだった。
しばらく日陰を選びながら廃墟になった街を進み、サクラは目的地に辿り着いた。それは長方形のコンクリートでできた建物だった。飾り気がなく、一見すると豆腐のような外観だったが、サクラは豆腐をアーカイブ資料でしか見たことがなかったので味の想像は出来なかった。
建物の背後には朽ち果てた金属の何かが鎮座している。元は建物よりも大きかったのかもしれないが、元居た住人が資材として持っていったのか、あるいは酸性雨で腐食されたからなのか、何の目的で作られたか推し量ることは出来なかった。
そんなボロボロの金属片の中に、サクラは奇妙なものを見つけた。金属でできた傘のような物体だ。しかし大きさはサクラの何倍もある。
「突然変異で巨大化した人間が傘を作ってみたけど、デザインが気に入らなくて捨てちゃった……わけないか」
首を傾げて考えるサクラだが、服から露出している肌がヒリヒリと痛み始めたので慌てて建物の中へと駆け込んだ。
建物の入り口は破壊されており、中は荒れ果てていた。壊れたイスの残骸や瓦礫が打ち捨てられている。サクラはあちゃーと頭をかいた。略奪が終わった後の光景。つまりはハズレだ。
それでも何かしらの物資が残っている希望を捨てきれず、サクラは薄暗い通路を進み始めた。中に入って気づいたが、この建物は極端に窓が少ない。おかげで視界は悪いが、日光が差し込まないので中にあるものは朽ち果てずに済んでいるようだった。
廃墟で一番怖いのは鋭い金属片や釘などを踏み抜いてしまうことだ。足元を注意して歩いていたサクラは、不意に顔を上げて足を止めた。細長く続く通路の真ん中に、死体が転がっていたのだ。
薄暗い中でも一目で死体と分かるのは、彼の右足と頭がないからだった。サクラはごくりと息を吞んだ。息と一緒に、憂鬱で重たい感情も飲み込んだ。旅の途中で死体を見ることは何度かあったが、不意の遭遇にはまだ慣れない。
「……こんにちは、こんなところで寒くないの?」
傍らに膝をついて声をかける。返されないことが分かっている呟きには寂しさが滲んでいた。
幸いにも、死体はからからに乾燥していて匂いがさほどしない。近くから観察すると酷い損傷が見て取れる。足と頭が千切れ飛んでいるだけでなく、胴体にも大きな穴が空いている。周囲の壁を観察すると、何かが壁を抉った跡が残されていた。
銃弾だろうか、とサクラは考えた。でも、それにしては跡が曲線的だと考え直した。どちらにせよ、ここで何らかの戦闘行為が行われたのは間違いない。
いやだなあとぼやきながら先へ進む。大抵の部屋は物が持ち去られてがらんとしていた。僅かに残された物をかき集めてみたが、やけに軽い金属片や壊れたセンサーなど、役に立ちそうもないものばかりだ。
唯一無事だった物といえば空の瓶で、ラベルには『NH4ClO4』と印字してあった。
「
中には僅かに無色の結晶が残っていたが、怖いので置いていくことにした。可燃性物質と合わせて燃やせば激しい爆発が起きる。燃焼時に発生するガスだって有毒だ。持ち運ぶには危険すぎる。
成果なしの現状にサクラのやる気が尽きかけた頃、破壊されていないドアを発見した。
金属製の丈夫なドアだった。他のドアと違い破壊されなかったらしい。サクラは取っ手に手をかけたが、押しても引いてもびくともしない。どうやら鍵が掛かっている感触がある。サクラは取っ手やドアの隙間を調べ始めた。
「うーん、エイジス1型のロックシステムかな? このシステム、安全装置ガバなのによく使ってるね。耐用年数は長いんだろうけどさ」
サクラは近くから細長い金属片を拾い、ドアの隙間に差し込んだ。そうして上下に動かして反応を見る。
「この辺に接触型のセンサーが……あるはず……あった!」
ピピッと電子音が響き、ドアが開く。手などが挟まれた際の安全装置を誤作動させたのだ。緊急時の動作なのでドアが開いている時間は短い。サクラは素早く部屋の中へと滑り込んだ。
部屋の中は暗かった。数少ない窓から差し込む光も、この部屋には届いていないようだった。サクラの暗視能力といえば人類の平均値に収まる程度なので、おとなしくライトをつけることにした。
ライトを取り出すために大きなリュックを床に降ろしたとき、部屋の奥、サクラの正面で低いブゥンという音が響いた。
「っ!」
サクラは瞬時にリュック脇に固定してあった警棒を引き抜き、バックステップで音の発生源から距離を取った。
サクラの脳が高速で回転を始める。こういう施設には、警備用のオートマトンが残っていることがある。世界中が戦争をしていた時代に量産されたオートマトンは、人間を殺すことに特化している。無尽蔵の体力で動き回り、人間をはるかに超える力と精密さで人体を破壊することだけを目的に作られた機械。
『ロボットは人間に危害を与えてはならない』という、ロボット三原則の一番大事な条項を取っ払われ、命令権を持つ主人が死んだ野生の殺人機械に出くわしたら、ただの人間がどうなるかなんて火を見るより明らかだ。
サクラは右手の警棒を前に向けつつ、左手でドアの取っ手を引く。しかし退路となるべきドアはびくともしなかった。エイジス1型のロックシステムは、安全装置が作動した後たまに誤作動で内側からも開かなくなることがある。
ポンコツめ、と舌打ちをしてからサクラは部屋の暗闇に向き直る。退路は断たれた。どうせ死ぬならせめて一発はぶちこんでやる。そんな思考と共にサクラは警棒を握り直し覚悟を決めた。その時だった。
「生体反応を検知。スリープモードを解除。COSMOS-v3システム、研究者様への奉仕を再開します」
「え? ほうし……何?」
植物みたいに無感情な声が聞こえて来た。暗闇の先でぼんやりとした灯りがつく。端末のディスプレイが起動したのだ。ディスプレイにはロケットを模したシンボルと、『COSMOS-v3 発話中』という文字が躍っていた。
「IDをスキャン中……認証失敗。いらっしゃいませゲスト様。本研究所の見学にはゲスト登録が必要になります。受付でゲスト登録を済ませるか、COSMOS-v3システムで登録を行ってください」
「いや……ええと……」
「所内ネットワークに接続失敗。受付業務の円滑な遂行に支障が出ていると判断し、COSMOS-v3システムでゲスト様の入館登録を行います。ゲスト様のお名前を入力してください」
サクラはしばらくぽかんと口を開けていた。危機的状況だと思ってフル回転させていた脳がカラカラと空回りをしていく。結局サクラに出来たのは、気の抜けた声で返事をすることだけだった。
「ええっと……はじめまして。サクラです……」
「サクラ様、登録完了。ようこそ、第8外宇宙開発研究所へ」
これがサクラとCOSMOS-v3の出会い。滅びた世界を旅する相棒との出会いの話。
つまりは、さよならに続くお話の始まりだ。
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