第25話 港町にて

「ほう、これが海か。本物は初めて見た」

 目の前に広がる白い砂浜と、青空の下で輝く水平線に、リューリは思わず呟いた。

「リューリちゃん、海は初めてか。ハルモニエにも海はあるが、ここも美しいな」

 潮風になびく髪を押さえながら、アデーレが言った。

「前世では、ほとんどの時間、引きこもって魔法の研究をしていたからな。今思えば、勿体ないことをしていたかもしれない」

 初めて目にする本物の海をよく見ようと、リューリは波打ち際に近付いた。

 足元には小さなかにが遊び、ところどころに渦を巻いた貝殻が埋まっているのが見える。

「あまり波打ち際に近付くと、危ないですよ」

 ローザが言うのと同時に、リューリは突然襲ってきた大きな波に足を取られて転んだ。

「大変だ!」

 そのまま波にさらわれかけていたリューリを、ジークが目にも止まらぬ速さで駆け寄って抱き上げる。

「すまないジーク……うう……しょっぱい……想像以上だ……」

 海水が口に入ってしまい、リューリは、その塩辛さに辟易した。

「今日は風があって、波が高いみたいだね。とりあえず水分を飛ばそう」

 ウルリヒが魔法で水分を飛ばすと、ずぶ濡れだったリューリの服は、見た目には元の乾いた状態に戻ったようだった。

「ウルリヒは器用だな。あとで、私にも、やり方を教えてくれ」

「お安い御用さ。ただ、水分を飛ばしただけで塩気は残っているから、真水で洗ったほうがいいね」

「しかし、大人の体格なら平気だったと思うんだが、子供の状態だと不便だな……」

 リューリは、溜め息をついた。

「では、急いで宿を探して、リューリちゃんをお風呂に入れてあげましょうね」

 ローザの言葉で、一行は街へと向かうことにした。

 ここマーレは大きな港街であり、物流のかなめの一つとも言われている。

 出入りする人間も船員や商人に観光客と様々な為、宿泊施設も充実しており、すぐに宿は見つかった。

 案内された部屋の浴室で、リューリは軽く湯浴ゆあみした後、清潔な衣服に着替えた。

 ――思えば、生家にいた頃は、いつから着ていたのか分からない服を、ずっと着ていたっけ。汚しても叱られたりしないのは、本当に幸せなことだ。

 アデーレとローザに手伝ってもらいながら、リューリが身支度を済ませると、誰かが部屋の扉を叩く音がした。

「この音は、ウルリヒだな」

 そう言ってアデーレが扉を開けた先に立っていたのは、ウルリヒだった。

「よく分かるな」

「それは、子供の頃から一緒にいるからね」

 リューリが目を丸くすると、アデーレは微笑んだ。

「……ええと、リューリちゃんを誘いにきたんだけど」

「私を?」

 ウルリヒの言葉に、リューリは首を傾げた。

「この宿に来るまでの間に、結構大きな魔導具屋があったんだ。夕食まで時間があるし、興味があるなら一緒にどうかと思って。あ、ちなみにジーク様は偵察に行くと仰って出かけられてるけど」

「魔導具屋? それはいいな! この街には色々なものが集まっているらしいし、魔法に使う素材もありそうだ。是非、見に行きたいぞ」

「リューリちゃん、魔法のことになると目が輝いてしまうのね」

 ローザが言って、ふふと笑った。

「私は、もう少し宿で休むつもりですが、夕方には戻ってきてくださいね。アデーレは、どうします?」

「それでは、私は護衛としてローザ様とご一緒させていただきます。ウルリヒ、リューリちゃんを頼んだぞ」

 アデーレとローザに見送られ、リューリとウルリヒは部屋を後にした。

 宿から、ほど近いところに建つ「魔導具屋」は、どちらかといえば仕入れに来る業者向けの、半分倉庫に近い造りの店舗だった。

 それだけに、置いてある品物の種類は多岐にわたり、リューリにとっても見ごたえのあるものだ。

 ローザから渡されていた小遣いで、リューリは魔術師用の小さな杖ワンドを購入した。

 トネリコの枝で作られたそれは、魔法を使う際に精神集中しやすくなるほか、僅かだが、発動した魔法を強化する効果もあるという。

 ウルリヒが持っているスタッフに比べれば遥かに小ぶりなものだが、現在のリューリの体格には、それでも少し大きい感がある。

「お嬢ちゃん可愛いから、このベルトも付けてあげるよ」

 店員が「おまけ」だと言って、ワンドを剣のように腰から下げられるベルトを付けてくれた。

 ――なるほど、見た目が子供だと、こういう利点もあるのか。

 腰に巻いた「おまけ」のベルトから下げたワンドを眺めつつ、リューリは思った。

「これは何だ?」

 リューリは、商品棚に並べられた、魔法薬の材料が数種類詰め合わせてある袋を見付けた。

「作りたい薬の種類ごとに、最初から材料が揃えてあるのか……説明書には初心者用って書いてあるね」

 袋の内容を確かめたウルリヒが頷きながら言った。

「なるほど、最近は便利になったな。……こっちは何だろう」

 近くに置かれていた、色の異なる袋を手に取って、リューリは説明書を読んだ。

「……初心者向け・よく効く媚薬びやくの作り方?」

「それは、お嬢ちゃんには早いんじゃないかな」

 通りかかった店員が困ったような笑顔で言った。

「これは、何の薬?」

「それはね……男の人と女の人が仲良くなる薬さ。子供には毒になるから、使っちゃ駄目だよ」

「そうか、ありがとう!」

 リューリが礼を言うと、店員は、そそくさと去っていった。

「……リューリちゃん、知ってて聞いたでしょ?」

 ウルリヒが、少し呆れた顔をした。

「この姿だと、どういう反応をされるかと思ってな。だが、私には必要なくても、ウルリヒたちなら、使い道があるんじゃないか?」

「僕……たち?」

 リューリの言葉に、ウルリヒは、きょとんとした。

「アデーレとは、恋人同士だろう?」

 リューリも、きょとんとした。

「ええッ?! そんなんじゃないよ!」

 ウルリヒは即座に否定したが、その顏は熟れたリンゴのように赤くなっている。

「そうなのか? いつも一緒にいるし、私から見ても距離が近いし、てっきり付き合っているのかと……す、すまん」

 早とちりしたと、リューリも顔を赤らめた。

「ぼ、僕が彼女に『そういう目』で見てもらえるなんて、考えられないよ……」

 そう言って、ウルリヒは眉尻を下げた。

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