第9話 螺旋の坂道

 リューリたちが固唾を呑んで見つめる中、少しの間考える様子を見せていたプリシラが、カウンターの外に出て、男の側に近付いていく。

 ふとリューリは、自分を抱いているアデーレの身体が緊張しているのを感じた。

 アデーレは、あの男がプリシラに危害を加える可能性を考え、身構えているのだろう。

「迷惑をかけて、ごめんなさい、カルロ」

 プリシラが、男――カルロの腕に、そっと触れた。どうやら二人は割と親しい間柄らしい。

 リューリたちは、ほんの少しだが安堵した。

 その時、カウンターの奥の扉が開き、中年の男女が現れた。

 どちらもプリシラに似た部分があることから、彼女の両親だと思われる。

「すまない、カルロ。税金を払えるほどの売り上げがないんだ……」

 二人は、申し訳なさそうに肩をすぼめて言った。  

「おじさん、おばさん……俺も、こんなことしたくないんだよ。でも、とっくに期限は過ぎてるし、上司には毎日詰められるし……」

 カルロは絞り出すように言って俯いたが、再び顔を上げると、意を決したように口を開いた。

「プ、プリシラを、俺にください。下っ端だけど、役人の収入なら、彼女一人くらいは養える……だから……」

 プリシラと、その両親は、彼の言葉に目を見張った。

「あなたの気持ちは、嬉しい……でも、無理よ。兄さんたちも出稼ぎでいなくて、私までいなくなったら、この宿は本当に終わってしまうわ」

 そう言うプリシラの目から、一筋の涙がこぼれた。

「いや、そのほうがいいかもしれない」

 彼女の父親が、溜め息をつきながら言った。

「うちだけの問題じゃなく、観光地としての『フロスの街』は、もう駄目だ。共倒れになる前に、お前だけでも……」

「そうよ。カルロがいい子なのは、昔から知ってるからねぇ」

 母親も頷いた。

 たしかに、気立ての良さそうなプリシラと、生真面目そうなカルロは似合いかもしれないと、リューリも思った。

「あの、ちょっと、よろしいでしょうか」

 悲劇的な空気に包まれるプリシラたちに、ローザが声をかけた。

「差し支えなければ、事情を聞かせていただけませんか」

「あなたがたは……?! お、お客さんの前で、こんな……申し訳ありません」

 ようやくリューリたちの姿に姿に気付いたのか、プリシラの両親が、少し狼狽うろたえる様子を見せた。

「よそ者に話したところで何になるというんだ。興味本位で首を突っ込まれても不愉快だ」

 苛立ったらしいカルロが、吐き捨てるように言った。

 ――この男の言う通りだな。気の毒かもしれないが、通りすがりの者が、どうこうできる問題ではない……

 リューリは、そう思ったものの、胸の中に重苦しいものが沈み込んでいく感覚を覚え、戸惑った。

「まぁ、そう言わず……もしかしたら、力になれることがあるかもしれませんし」

 ジークが余裕のある微笑みを浮かべると、カルロは少したじろいだ様子だった。

 プリシラ一家とカルロから聞き出したところによれば、ここフロスの街は、耕作には向かない土地ではあったものの、昔から周辺の自然の美しさに惹かれる旅行者が多く訪れていたという。

 その為、街には宿屋や土産物屋、観光案内所が立ち並び、旅行者の落とす金銭が住民たちの糧になった。

 長年、観光で潤ってきたフロスの街だが、一年ほど前から、雲行きが怪しくなった。

 観光客から多くの収入を得ているとして、宿泊施設を営む者に対し、特別な税金がかけられることになったのだ。

 宿泊施設の何割かは料金を上げることによって対応しようとしたが、当然、客足は落ちた。

 客の為にと料金据え置きで耐えようとした宿泊施設は、瞬く間に経営が立ち行かなくなり、次々と休業あるいは廃業へと追い込まれた。

 一旦、街が寂れ始めると、あとは螺旋の坂道を転がり落ちる如く状況は悪化し、現在に至る――ということだった。

 プリシラたちの宿も、かつては従業員を数人雇っていたものの、給金が出せないと、泣く泣く解雇したという。

「街の領主が、宿の経営にまで影響を及ぼすほどの法外な税金を勝手に徴収しているのなら、国から何か言われそうなものではありませんか?」

 ウルリヒが疑問を呈すると、プリシラの父が、言いにくそうに口を開いた。

「実は、街の住人の中にも、中央へ直訴に行こうとした者が幾人もいたんです。でも、彼らは全員が行方知れずになって……そのうち、皆おそろしくなってしまい、何もできずにいるんです」

「それは、領主の手の者の仕業ではないのか?」

 アデーレが、カルロを見据えた。

「そんな……いくら何でも、罪人でもない住民を手にかけるなんて……少なくとも、俺の知る範囲では、怪しい動きをしている者はいないし、行方不明になった者たちは、野盗にでも襲われたのだということになっている……」

 カルロ自身も、疑念が全くないとは言えないと思っているのか、苦しそうな表情を見せた。

「とりあえず、上司には税金の取り立てを待ってもらえるように掛け合ってみる。飲んだくれの親父の代わりに、ガキだった俺に飯を食わせてくれたのは、おじさんとおばさんだ。つっかえ棒程度でも、力になるよ」

「ありがとう、カルロ。でも、無理はしないで」

 プリシラの言葉に頷くと、カルロは宿屋から出て行った。


 夕食の用意ができたと言われ、リューリたちは宿の食堂へと案内された。

「すみません、お客が少なくなってから、食材の仕入れも、あまりできていなくて」

 宿の主人であるプリシラの父親が恐縮しながら振舞った料理は、塩漬け肉の燻製や腸詰めなど長期保存に耐えるものが主だった。

「この茹でた腸詰め、とても旨い」

 リューリが言うと、給仕をしていたプリシラが嬉しそうに微笑んだ。

「それは、うちで手作りしているんですよ。お客さんが多かった時期は、お土産に買っていく方もいたんですけど……」

「たしかに、これは土産として売られていたら買ってしまうな」

「塩加減と香辛料の加減が、絶妙ですね」

 ジークとローザも頷きながら舌鼓を打っている。

 ふと見ると、プリシラの母親が、目頭を押さえている。

「す、すみません……お客さんが喜んでくれているのを見るの、久しぶりで……」

「金を稼ぐのも大事だけど、私らは、やっぱり、お客さんに喜んでもらうのが甲斐がいなんです。よし、明日は湖で魚をってきましょう。新鮮な食材で作る料理は、もっと旨いですよ」

 父親が、少し明るく言った。

 リューリたちが料理を楽しんでいるのを見て、宿屋の一家も、僅かではあるが力を取り戻した様子だ。

 食事の後に案内された宿泊部屋も、見るからに清潔で快適そうだった。

「リューリちゃん、何だか元気がないけど、どうかしたのかしら?」

 ローザに言われ、リューリは首を傾げた。

「食事も旨かったし、部屋も綺麗で快適なのに、胸の中が重い感じがする」

 少し考えて、リューリは言った。

「この宿の人たちが、客の為に一生懸命働いているのに、苦しい目に遭っているのを見て……きっと、私は悲しいのだと思う」

 生家にいた頃は、そのような余裕はなかったし、前世においても、リューリは他人に対して関心がなかった。自分にとって重要なのは、興味のある魔法の研究、ただそれだけだった。

「リューリちゃんは、優しいな」

 アデーレが、リューリの頭を優しく撫でた。

「みんなが、私に優しくしてくれるからだ」

 自身の身の上を話した際、彼女たち一行が泣いているのを見て、リューリは不思議に思った。

 他人の為に、そこまで感情を動かす必要があるのだろうか、とも考えた。

 しかし、ジークたちと触れ合ううちに、感情は必要があって動かすものではなく、自然に動いてしまうものなのだと分かった。

「そうだ。私は、この宿の人たちの為に何もできない。それが悲しいんだ」

 俯くリューリの頭を、ローザも優しく撫でて言った。

「リューリちゃんが悲しくなくなるように、何とかしなくてはいけませんね」

 リューリは、どういうことなのかとローザの顔を見上げたが、彼女は穏やかに微笑むだけだった。

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