第7話 父親からの命令
クローゼットの中に下着と数枚のドレスを片付けると、ビアンカは力無く椅子に腰を下ろした。
父親と義母達の態度からすると、一緒に食事を取ったりする事はないのだろう。
使用人部屋にビアンカを押し込めたという事は、ビアンカに使用人の仕事をさせるつもりなのだろうか?
だが、ビアンカはまだ十三歳で学生だ。
今更学校を辞めるとなると、他の貴族達から何を言われるかわかったものではない。
父親もそれをわかっているはずだから、ビアンカを退学させたりはしないはずだ。
ビアンカがそんな事を考えていると、部屋の扉がノックされた。
ビアンカの横に立っていたハンナが扉を開けると、そこにはマルセロが立っていた。
「ビアンカ様。旦那様がお話があるそうなので、お越しいただけますか?」
(きっと、これからの事についての話だろう)
そう考えたビアンカは「わかりました」と言って立ち上がった。
ハンナがビアンカの後をついて来ようとした時、マルセロがそれを遮った。
「ハンナ。これからはデボラ様のお世話をするようにと、旦那様からのお達しです。すぐにデボラ様の所に向かってください」
「えっ、そんな…」
ハンナはビアンカのそばを離れる事に難色を示したが、雇い主であるダリオの命令を聞かないわけにはいかない。
「ビアンカ様、申し訳ありません」
「いいのよ。お父様が雇い主である以上、仕方がないわ。私の事は気にしないで」
ハンナは後ろ髪を引かれるような思いで、ビアンカのそばを離れていった。
ハンナの後ろ姿を見送りながら、ビアンカはきつく唇を噛み締めた。
マルセロの後をついて歩いて行くと、辿り着いたのは祖父が使っていた執務室だった。
「旦那様、ビアンカ様をお連れしました」
ノックの後でマルセロが告げると「入れ」と父親の声が聞こえた。
マルセロが開けた扉から中に入ると、いつも祖父が座っていた椅子にふんぞり返っている父親がいた。
また一つ、ビアンカの思い出が奪われていく。
黙ったまま父親の前へ進み出ると、ビアンカを見てフンと鼻を鳴らした。
「相変わらず愛想の無い顔だな。少しでも私に似ている所があればちょっとは可愛がってやったのに…。まぁ、いい。それよりも、学校へは来週から通うんだな?」
父親が確認してきた通り、今は忌引のため休みを貰っている。
そのまま学校を辞めろと言われるのかと、ビアンカはドキドキしながら答えた。
「…はい、そうです」
ビアンカの答えに父親は苦々しい顔を隠しもしない。
「まったく…。このまま学校を辞めさせたいが、それをすると我が家の恥になるからな。仕方がないから卒業までは学校に通わせてやる。その代わり、学校が休みの日は一日中、メイドとして働くようにしろ」
「えっ、そんな…」
「嫌なら出て行ってくれてもいいんだぞ? お前の顔なぞ見たくもないからな」
ビアンカは父親にそう言われて、俯くしかなかった。
この家を追い出されたら、行く所など何処にもない。
カルロスと婚約はしているが、ビアンカがマドリガル家を追い出されたと知って受け入れてくれるかどうかは怪しいものだ。
母親の実家であるバルデス家とは、まったく交流がなく、ビアンカは母方の祖父母の顔も名前も知らない。
どうして交流が無いのか尋ねても、教えて貰えなかった。
今日の葬儀にしても、お悔やみの品を届けられただけで、参列すらもなかった。
ビアンカが訪ねて行った所で門前払いを食らうのがオチだろう。
結局のところ、カルロスと結婚するまで、この家から離れられないという事だ。
「…わかりました、お父様」
ビアンカが答えると、父親はまたもやフンと鼻を鳴らす。
「お前に『お父様』と呼ばれると虫唾が走る。これからは旦那様と呼べ! 私の妻や子供達にもちゃんと『奥様、ミゲル様、デボラ様』と呼ぶんだぞ! いいな? 食事や風呂は他の使用人達と、同様に行うようにな」
メイドとして働かせる上に、扱いも他の使用人と同じようにするつもりらしい。
「…わかりました、…旦那様…」
ビアンカがようやく声を絞り出すと、父親は満足そうに頷いた。
ビアンカはきつく唇を噛み締めながら、学校に通うようになったら、この現状を誰かに訴えようかと思案した。
けれど、訴えた所で家の恥を晒すようで、口にして良いものかどうか迷ってしまう。
そんなビアンカの葛藤に気付いたのか、父親がニヤリと笑う。
「ああ。ミゲルとデボラも一緒に学校に通うからな。お前が変な事を口にしないように監視させるつもりだから、不用意な事を口にするなよ。もっとも家の恥を晒したいのなら止めないけれどな。卒業まで黙っていたら、クリスティナの宝石を返してやってもいいぞ」
父親の提案にビアンカは弾かれたように顔を上げる。
(お母様の宝石…)
生前、ビアンカが結婚する時に持たせてくれると言っていたネックレスがあった。
あのネックレスだけはどうしても母親の形見として返して貰いたい。
それまではどんな事があっても我慢しようとビアンカは心に決めた。
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