第5話 奪われていく物

 祖父と母親の葬儀はビアンカではなく、父親のダリオが喪主を務めた。


 実情はどうあれ、世間的には伯爵家の嫡男であり、クリスティナの夫なのだから当然なのだろう。


 けれど、ビアンカの胸の中はモヤモヤした思いでいっぱいだった。


(次期当主としての仕事もしないで、お母様の事もないがしろにして、愛人の方と別邸にこもってばかりなのに…)


 父親には愛人がいて、彼女との間に二人の子供がいる事は祖父から聞き及んでいた。


『済まない、ビアンカ。バルデス侯爵家の娘であるクリスティナと結婚させて、子供が産まれればあの女の事は諦めてくれると思っていたが、目論見が甘かったようだ。娘であるビアンカすらもないがしろにするとは…。本当に申し訳ない』


 生前の祖父にそう言って謝られた事もあった。


『お祖父様のせいじゃありません。お父様がいなくても私は十分幸せです』


 祖父を安心させるためにそう告げたビアンカだったが、心の何処かでは父親を欲していた。


 町中で両親に挟まれて楽しそうに笑う子供を見ては、(羨ましい)と感じる事もあった。


 父親に抱き上げられている子供を見ては、(自分もあんな事をされてみたかった)とも思ったりした。


 だが、実際には父親であるダリオはビアンカを見ると、冷ややかな視線しか寄越さなかった。


 祖父と母親が体調を崩して寝込んでいても、父親は見舞いにすら訪れなかった。


 それなのに、今喪主として葬儀を取り仕切り、弔問客からの挨拶を受けている。


 ビアンカは一歩下がった後方から父親の姿を見ながら、やりきれない思いだった。


「ビアンカ、大丈夫かい?」


 優しく声をかけられ、ハッとして顔を上げると、そこにはカルロスの姿があった。


 彼の父親は今、ダリオにお悔やみを述べているところだった。


「カルロス様。わざわざお越しいただきありがとうございます」


 べコリと頭を下げるビアンカの手をカルロスがそっと握ってきた。


「まさかお二人とも同じ日に亡くなるなんて…。気を落とさないで、って言っても無理だよね。落ち着いたら連絡をしておくれ。ビアンカの好きなお菓子を持って会いに来るよ」


 カルロスの優しい言葉はビアンカの冷え切った心にスッと染み込んできた。


「…ありがとうございます、カルロス様」


 ポロリと零れる涙を拭いながら、ビアンカは力無く微笑んでみせた。


 カルロスは軽く頷くとロンゴリア侯爵と共に帰って行く。


 葬儀は滞りなく終わり、祖父と母親の遺体はマドリガル伯爵家の墓地に埋葬された。


 ビアンカは真新しい墓標の前でただ泣き崩れるばかりだった。


「ビアンカ様、帰りましょう。いつまでも泣いていられては旦那様も若奥様も心配なされますよ」


 ハンナに諭されてビアンカはようやく立ち上がる。


 父親はとうの昔に屋敷に戻ったようだ。


 墓地から戻り、自室でハンナの淹れてくれたお茶を飲んでいると、いきなりノックも無しに扉が開いた。


 驚いてそちらを見ると、ビアンカと同じ年位の少女とダリオと見知らぬ女が立っていた。


「あら、素敵な部屋じゃない。気に入ったわ。やっぱり別邸とは比べ物にならないわね」


 少女はそう言うなりズカズカと部屋に入ると、ビアンカを無視してベッドに腰を下ろした。


「ベッドのスプリングも丁度いいわね」


 そう言いながら少女はベッドへと寝転んだ。


 ビアンカは唖然として声も出せない中、ハンナがダリオに抗議する。


「ダリオ様。突然入って来られるなんて、どういうおつもりですか!」


「『ダリオ様』だと? 私はここの当主だ! これからは『旦那様』と呼べ! 今日からここは私の娘であるデボラの部屋だ。ビアンカにはここを明け渡して貰う」


 父親の言葉にビアンカは「えっ?」と声をあげる。


 頭が混乱して気持ちが追いついてこない。


「何をおっしゃいます! ここは旦那様がビアンカ様に… キャアッ!」


 バシッと音がしてハンナが倒れ込む。


 その頬は赤くなっている事から、ダリオに叩かれたようだ。


「今は私が当主だと言っただろう! …ああ、そう言えば使用人部屋が一つ空いていたな。ビアンカはさっさとそちらに行け! 嫌なら屋敷を出て行ってもいいんだぞ?」


 ダリオはニヤニヤと笑いながらビアンカを見下ろしてくる。


 屋敷を追い出されては行く所など何処にもない。


 ビアンカは力無く立ち上がり、ハンナを助け起こす。


「それと、持って行く物は下着だけだ。その他はすべてデボラの物だからな」


 ダリオに告げられ、ビアンカは弾かれたように父親を見る。


 この部屋には祖父や母親から贈られた宝石やドレスがたくさんある。


 そう言おうとしたが、父親の目の冷たさに何も言えなかった。


 ふと、父親の隣にいる女の首元に目がいった。


 その首で輝いていたのは、母親が大事にしていたネックレスだ。


「それは、お母様の…」


 ビアンカが手を伸ばそうとすると、バシッとその女が持っていた扇でビアンカの手を払った。


「私はここの女主人よ。女主人の部屋にある物を身に着けて当然でしょ」


 彼女の言葉にビアンカは母親の部屋も既に彼女に乗っ取られたのだと悟った。


(お母様の形見の品すらも奪われてしまうなんて…)


 だが、今のビアンカには父親に抗う事など出来なかった。

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