ニトロ

コンタ

Ⅰ-壱

「我々は世界をあるがままに見ず、自分たちに合わせて見る」

                            アナイス・ニン


「底の見えない暗い井戸をのぞき込むような空恐ろしさでした」

                              御手洗恭二


 あなたは一二歳だった、わたしは一一歳だった。あなたとわたしは同級生で親友で、ケンカしたけどすぐ仲直り。その次もケンカして、また仲直りして、その次の次もまたまたケンカして、とうとうわたしは殺された。親友で、同級生のあなたに。

ふたりとも、すべてうしなった。家族も、友人も、未来も、過去も、現在も、全部なくなった。お互い永遠に孤独、永遠にひとりぼっち。ひとりぼっちは寂しい? ううん、思ったほど寂しくない。頭のなかがしんとして、むしろ清々しい感じ。だってわたしは死んでるから。もしわたしが生きてるなら、死ぬほどすごく寂しいと思ったと思うよ。ところが死ぬとそんなに寂しくない。身体から解放されたからかな。でももう、遅すぎた。覆水盆に返らず。あなたは得意がって英語ヴァージョンを教えてくれた。"It's no use crying over spilt milk. (こぼしたミルクを嘆いても無駄)"わたしたちは何かと競い合っていた。そういう“お年ごろ”なのかもしれないね。

 どうしてあなたは、わたしを殺したの? 殺すつもりはなくても、当時流行った小説やTVアニメ、映画の影響でしょ、違う? そんなのに踊らされてるの、あなたほんと滑稽だよ。でも本当に滑稽なのは殺されたわたしだよね。まったくやんなっちゃう。

 わたしを殺したあと、あなた狼狽えてたよね? わたし、どうなっちゃうの…って。そんなの、殺されたわたしにもわからない。あなたもあなたで、なぜわたしを殺したのか自分でもわかってなかったよね。

「なぜ」という言葉は意味を持たない。だって理由なんてどうでもいいもの。殺されたわたしの命、傷ついたわたしの身体、哀しみにくれるわたしの家族たちは、もう二度と戻ってこないと嘆く。わたしはもう二度と生き返らない。生とは不可逆的に過ぎ去ること。可能性に満ち、何千という予兆に満ちて、甘ったるい黄金の蜜のように濃密なこの唯一の日は、二度と帰らないものとして過ぎ去っていくこと。…え? こんなかっこつけ、全然わたしらしくないって? じゃあ、ありていにいくよ? ゲームなら何度死んでも繰り返しプレイできるよう設定されてるけど、リアルの人生は一度死んだら取り返しがつかないんだよ? 残機や回復ゼロで、いきなりゲームオーバーだよ? 失敗できないんだよ? わかってるの? こぼしたミルクはわたしなんだよ?

 探偵小説じゃあるまいし、最初から都合のいい推理物語を適当につくって、最初から都合のいい答えを探しあてるなんて、出来レースや茶番、自己完結もいいところ。味気ない弁当工場ならぬ、つまらない推理小説工場じゃないの? そりゃ優れた探偵小説もあるらしいよ、読んだことないけど。でも結局、探偵や刑事は単に仕事じゃんか、食べるための推理じゃんか。見事手柄を取れば手取りも増えるし昇進もするから、誰だって躍起になるでしょ? 犯人がすぐわかって、退屈で退屈であくびが出て最後まで読まなかった推理小説、漫画、最後まで観なかった推理ドラマ、映画がたぁっっっくさんある。そういうの「閉じた物語」だねって、わたしあなたに言ったことある。でもあなた、覚えてないよね?

「なぜ人を殺したのか?」「太陽がまぶしかったから」って答えたムルソーは、検事や司祭を混乱当惑させたけど、殺人の理由なんてそんなもの。「誰にとって」都合がいいかは、ご想像にお任せします。

 人はなぜ生きてるの。わたしたちはなぜ生まれてきたの。「人ひとりの命は地球より重い」なんて言ったのに他人の命は軽く奪える。しょせんキャッチコピー、広告宣伝のポエム用。教えられたわけでもないのに、みんな本音と建て前は都合よく使いわけてる。なぜ人は死ぬの。なぜ病気になったり事故に遭ったりして死ぬの。相手に殺意がなくても人はなぜ死ぬのわたしのように。治療不可のウィルスや細菌はまだ撲滅しないの。難病の治療法はまだ発見されないの。人の心が正常/異常だなんて判断は、いったい誰の許しを得て誰がやってるの。精神鑑定もコンビニのバイトもマニュアルがあって誰でもきる代替可能な仕事っていうけど、本当にそうなの。科学の進歩はどうなってるの。なぜ自殺するの。なぜ殺し合いするの。生きながら死んでいる人たちもいっぱいいる。世のなかそういうものだと思って誰も答えを知らないし、求めもしない。…ふん、まあいいか。

 だけど「なぜ殺したのか?」という他人行儀な問いは、得意になって我先に原因や理由を探るよね。ワイドショーでやってる殺人事件のスクープも、いやらしくてスキャンダラスで、下世話で出刃亀みたい。みんなそう、みんな同じ。なぜ犯人は殺したのか、なぜ被害者は、なぜ、なぜ、なぜ……ばっかみたい。世界は矛盾に満ちている。すっきり答えが出て誰もが納得できる理想の世界に、あなた行ってみたい? わたしは…。


 あなたは北に向かう電車に乗っている。ぼんやり窓辺を見つめて。左から右へと流れる凡庸で退屈な景色のように、土産物屋の安っぽい絵葉書のように、季節は夏を通り越して秋に向かっている。隣にいる大人の男女ふたりは誰? あなたの保護者たち? それとも代理人かな? 傍から見ればお父さんとお母さんと子ども三人の疑似家族の観光旅行に見えるけど、誰もが笑顔にならない不自然なよそよそしい関係に見える。二人の大人はどっちも上下黒のスーツ。こんなの家族じゃないって見抜けるよね? 電車のボックス席で、窓辺の席があなた。通路側はふたりが占めている、あなたが逃げ出さないように見張っている。あなたの向かいがわたし。わたしが目の前にいてもあなた全然気づかない。わたしは両手で頬杖ついて、いろいろ変顔してる。ああ、退屈。名前で呼んでみる。…あれ? あなたの名前、なんだっけ。

 知らない町、知らない風景、知らない人たち。家族からひとり離されて、これからどこに行くの? それでもあなたは冷静に、無表情に、涼しげな目元で、窓の外を見つめてる。天気は快晴で窓の陽光があなたの顔を明るく照らしている。なんて穏やか、なんて平和なんだ。なのにあなたの目に映る風景はみな死んでいる。あなたの気持ちはまったくわからない。誰にもわからない。

 いい天気だね、あの山きれい、あの湖きれい、トンネルに入ったね…隣の人たちは最初にあなたと会ったときには交互に懸命に話しかけ、あなたが黙って答えずにいると半ば諦めかけて、鞄のなかから十数冊の単行本を差し出し、どれ読む? とあなたに訊いた。『ジェーン・エア』『アメリカの鱒釣り』『ドグラ・マグラ』『失われた時を求めて』『にんじん』『自然と愛と孤独と』『苦海浄土』『ダロウェイ夫人』『異邦人』『あいだ』『悪童日記』『三十歳』『恐るべき子どもたち』『狭き門』などなど、どれも薄い本。これって完全に隣の人たちの趣味だよね。あなたは『異邦人』を手に取り、表紙を開いた。

 

 きょう、ママンが死んだ。もしかすると、昨日かも知れないが、私にはわからない。


 あなたは続きを読む。主人公はムルソー。養老院にいた母親が死んだとき、ムルソーは葬儀に行ったけど泣かなかった。翌日、ムルソーは海に泳ぎにいき、好意を持っていた以前の同僚マリイと偶然再会。海で戯れてコメディ映画を見た後、部屋でいちゃいちゃした。

 しばらく後の日曜、友人レエモンの誘いで、マリイとともにムルソーはレエモンの知人を訪れた。名前はヴィラ。レエモンとヴィラの三人で近くの海岸を散歩中、ムルソーは前日レエモンに絡んできたアラビア人の一団と遭遇した。男たちはナイフでレエモンの腕に怪我を負わせ、その場を去った。レエモンは医者に手当をしてもらい、大事には至らなかった。

 しかしその後、ムルソーがひとり浜辺を歩いているとき、ふたたび一団のひとりを前方に発見した。ムルソーは酷暑が身体に堪えていて、照りつける太陽から逃れ泉のあるほうへ行きたかったので、引き返さずそのまま進んだ。

 すると男が刀を持ち構えた。ムルソーは汗がまぶたに流れ、太陽と刃で反射した光のちらつき以外見えなくなった。ムルソーはレエモンから預かっていたピストルで男を撃ち、命を奪う。

ムルソーは逮捕され、裁判にかけられる。裁判では、母親の葬儀で涙を流さなかったこと、葬儀の翌日には情事に耽っていたことなどを指摘され、人間味のかけらもない冷酷な人間であると検事から糾弾される。裁判の最後に、ムルソーは殺人の動機を「太陽のせい」と述べた。そして彼は死刑判決を下される。

 死刑囚となったムルソーは、懺悔を促す司祭を激しく非難し、監獄から追い出す。そして、死刑の際に人々から罵声を浴びせられることを人生最後の希望にする。

…これのどこが『異邦人』なの? 母親の葬儀で泣かなかったこと? 翌日、マリイとデートしたこと? アラビア男をピストルで撃ち殺した理由に「太陽がまぶしかったから」って答えたこと? そんなの当り前じゃん。あんたたちはやったことないの? 親しい人が死んでも泣かないことはあるだろうし、みんないちゃいちゃ大好きでしょ? 何でもいちいち理由をつけて行動したら、それこそ “異邦人”だよ。


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