「未来への一筋の光」

太白の心は、この一瞬の静けさの中で少しずつ変化し始めていた。過去の痛みや不安は依然として存在していたが、この瞬間、夕嬌のそばにいることで、彼は久しぶりに安らぎを感じることができた。まるで心の奥に張り付いていた重たい幕がそっと剥がれ、その隙間から差し込む一筋の光が未来の可能性を照らしているようだった。


「見て。」夕嬌が突然口を開き、遠く沈みゆく太陽を指さした。「毎日が新しい始まりだよ。昨日何があったとしても、明日は必ず新しい。」


太白は顔を上げて彼女を見た。その目には、感謝と理解の光が一瞬だけ浮かんだ。彼は何も言わず、ただ静かに頷いた。


「太白、自分にそんなに厳しくしなくてもいいんだよ。」夕嬌は顔を彼の方に向け、穏やかな眼差しで続けた。「君はもうここまで来た。たとえ時々、前の道が見えなくなったとしても、少なくとも君は歩き続けている。」


その言葉は、温かな泉のように太白の心に静かに染み込んでいった。かつて彼は、自分が取り除けない重荷を背負い続け、過去の影の中で足踏みを繰り返していると感じていた。しかし、夕嬌の言葉は光となり、彼の閉ざされた心に届いた。


「君の言う通りかもしれない……」太白は低い声で答えたが、その目にはどこか迷いがあった。「でも、本当に手放せるものなのかな?」


夕嬌はすぐには答えず、彼をじっと見つめた。彼女は、彼が続きを話すのを待つかのように静かに寄り添っていた。


太白はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いた。「玉妃のことなんだ。彼女……彼女から連絡が来た。会いたいって言われた。」少し間を置き、複雑な表情を浮かべながら続けた。「なんでかわからないけど、俺はその場で承諾してしまった。手放そうとしているのに、いや、手放せたと思っていたのに、彼女が現れるたびにすべてがまた崩れてしまう。」


夕嬌の表情はさらに穏やかになり、その目には深い理解が宿っていた。彼女は焦らず、ただ静かに語りかけた。「太白、君が自分でよく考えて決めることだよ。会うことが何かしらの答えを君に与えると思うなら、会いに行けばいい。逆に、それが君をさらに迷わせるだけだと思うなら、きっぱり断るべきだと思う。」


太白の心は揺れ動き、玉妃との数々の記憶が脳裏に浮かんだ。彼女の頑固さ、笑顔、そして言葉にしがたい存在感――そのすべてが、彼の心の中に決して切り離せない一部として残り続けていた。


「自分が耐えられるのかわからない。」太白は低く呟き、その声には久しく隠れていた脆さが滲み出ていた。「彼女の願いを無視することができない。でも、そのための準備ができているとも思えないんだ。」


夕嬌は一瞬の沈黙の後、そっと彼の肩に手を置き、優しく言った。「急いで決める必要はないよ、太白。どんな選択をしたとしても、覚えていてほしい。君は一人じゃない。もし助けが必要なら、あるいは誰かに話を聞いてほしいだけでも、私はいつだってここにいるから。」


太白は夕嬌の言葉に込められた温かさと力強さを感じ、その胸に言葉では表せない感情が込み上げてきた。彼はゆっくりと彼女の方を向き、その目には感謝と安堵の色が浮かんでいた。このシンプルな寄り添いと無言の支えが、彼の世界を少しずつ変え始めていた。


「ありがとう、夕嬌。」彼はようやく口を開いた。その声はいつもより低く、しかし真心が込められていた。


夕嬌は微笑みながら立ち上がり、スカートの裾についた砂を軽く払った。「さあ、もう日が暮れるから、そろそろ帰ろうか。」


太白も立ち上がり、胸の中にあった重荷が少し軽くなったように感じた。二人は並んでバス停へと向かい、周囲の風景は次第に薄暗くなり始めていた。しかし、彼の心の中に芽生えた明るさはますます鮮明になっていった。もしかすると、本当に過去を乗り越え、新しい一歩を踏み出せるかもしれないという思いが彼を支えていた。


二人は一緒にバスに乗り込み、窓の外の風景は再び変化し、見慣れたキャンパスや日常の生活へと戻っていった。しかし、太白には確信があった。今夜の海辺での散歩は、彼の心の旅における重要な記憶となるだろう。そして、玉妃から届いたメッセージ――その返事が彼の未来の感情の旅路における新たな転換点になることも、また間違いない。


数日後、鈴木太白の日常は少し穏やかなものへと変わりつつあった。心の中に渦巻く疑問や葛藤が完全に消えたわけではなかったが、彼の行動にはどこか微妙な変化が表れていた。朝早く起きた後は庭で少しの間座り、木々の隙間から差し込む陽光を眺めたり、頬を撫でるそよ風を感じたりしていた。授業中も、以前より集中して取り組む姿が見られ、時折クラスメイトたちと軽く言葉を交わすこともあった。彼の言葉は相変わらず静かで控えめだったが、以前のような壁を感じさせるものではなかった。


昼休みのある日、千葉夕嬌が2つのミルクを持って彼の机のそばにやってきた。彼女はそのうちの1つを彼の手元に置き、隣に座った。「はい、砂糖なしのやつ。」


太白は少し驚いたような表情を浮かべながらミルクを受け取り、小さな声で「ありがとう」と礼を言った。


「最近、調子良さそうだね。何かいいことでもあったの?」夕嬌は首をかしげながら彼をじっと見つめ、少し茶目っ気のある笑みを浮かべた。


「別に特に何もないよ。」太白は首を横に振ったが、その目にはどこか柔らかな光が宿っていた。


「それならそれでいいじゃない。」夕嬌はリンゴを一口かじりながら、軽い調子で言ったが、その声にはどこか真剣さが混じっていた。「少なくとも、前みたいに暗い感じじゃなくなった。正直、結構心配してたんだから。」


太白は彼女を一瞬見上げたが、何も答えなかった。その短い沈黙が、夕嬌に自分の言葉が少し踏み込みすぎたのではないかという気づきを与えた。しかし、彼女はすぐに話題を変えることなく、真剣な眼差しで彼を見つめ続けた。「もし何か話したいことがあれば、楽しいことでも、そうじゃないことでも、いつでも聞くよ。」


太白はしばらくの間黙っていたが、やがて小さく頷き、低い声で言った。「ありがとう。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る