「すれ違う心の夜」
夜が更けると、太白は夕嬌が送ってくれたお菓子の袋を開けた。中には手作りの精巧なクッキーが入っており、それぞれの表面にはチョコレートで小さな桜の模様が描かれていた。彼は一つ手に取ってかじり、一口目に広がる甘さの中に、ほのかな苦味を感じた。それはまさに今の彼の心情を表しているようだった。
彼は机の上の紙切れを見つめ、それからスマートフォンに目を移した。しかし、玉妃からの返信は相変わらず届いていない。気を紛らわせようと、彼は参考書を開き問題を解こうとしたが、脳裏には桜の木の下で見た玉妃の表情が何度も浮かび上がった。その深く隠された悲しみは、どうしても彼の心を解放させてくれなかった。
ついに彼は再びスマートフォンを手に取り、新しいメッセージを打ち始めた。
「玉妃、君が何に苦しんでいるのかは分からないけど、覚えていてほしい。僕はいつだってここにいるよ。」
送信ボタンを押した後、彼はスマートフォンを閉じて目を閉じた。自分の鼓動が徐々に落ち着いていくのを感じる。玉妃が返信をくれる可能性は低いかもしれないが、少なくとも自分の気持ちは伝えたかったのだ。
その頃、玉妃は自室に座っていた。机の上には数冊の教科書が広げられていたが、彼女は勉強に集中する気力を失っていた。スマートフォンの画面には太白からのメッセージが表示されている。それは彼女にとって、まるで無言の呼びかけのように思えた。
彼女はスマートフォンを手に取り、指先が画面の上を彷徨った。しかし、最終的には「ごめんね、太白」とだけ打ち込み、送信する前に削除してしまった。
彼女は大きく息を吐き、スマートフォンを一旦脇に置くと、膝を抱えて椅子の上で小さく丸くなった。その目にはわずかな涙が浮かんでいる。
「もし私が全部話したら、太白は今みたいに優しくしてくれるのかな……」
彼女はそう呟きながら、窓の外に目をやった。夜空には星一つ見えず、ぼんやりとした月だけが浮かんでいる。胸の奥に秘められたその重荷は、口にすることも、誰かと共有することもできないものだった。
玉妃は自覚していた。自分が少しずつ鈴木太白から距離を置いていることを。それは、自ら引いた一線だった。
深夜、鈴木太白はベッドの上で横になりながら、何度も手に取ったスマートフォンを傍に置いていた。彼は天井を見つめ、静まり返った部屋には時計の秒針の音だけが響いていた。その焦燥感は潮のように何度も押し寄せ、彼を飲み込んでいく。
玉妃のことが脳裏を離れない。彼女の最近の沈黙、そして垂れた瞳の奥に見える不安の影。それらの断片が、彼の心に鮮明に残っていた。
いつから二人の会話は、これほどまでに浅く、単調なものになったのだろう。太白はなおも彼女からの反応を求め続けているが、玉妃は閉じかけた扉のように、近づこうとする者を拒絶しているようだった。
「彼女は一体何を恐れているんだろう……?」
太白は低くつぶやいた。その声は闇に吸い込まれるほど小さかった。彼は記憶の中から、彼女の些細な言動を思い返した。会話の途中で急に話題を変える癖、遠くを見つめるときのあの曖昧な表情、そして彼女がふいに口にした、自嘲めいた一言——「私なんて、誰にも好かれる価値なんてないよね。」
彼は思わず起き上がり、目をやったのは枕元に置かれた物理の本だった。それは千葉夕嬌が貸してくれた本だが、今の彼はとても読む気にはなれなかった。彼は本に挟まれていた夕嬌のメモを引き抜いた。そこには「これが君の答えを見つける手助けになれば」と書かれている。その言葉はまるで、自分への静かな助言のようにも感じられた。
「答えか……」太白はその言葉を繰り返しながら、小さくため息をついた。そして彼の思考はぼんやりと、玉妃が見せたあの疲れたような表情へと向かっていく。それは意図せず漏れた、心の痛みの証だった。
同じ頃、玉妃もまた、自室の机に向かっていた。物理のノートが開かれているが、目はほとんどページを追っていない。スマートフォンの画面が明るくなったり消えたりを繰り返しているが、太白からのメッセージを開く勇気が彼女にはなかった。
「太白……」彼女はその名前をそっと口にし、乾いた葉のように儚く消えていく声で呟いた。その胸には、伝えたい感情も、抑えきれない痛みも、すべてが押し寄せていた。
玉妃は決して彼を思っていないわけではなかった。ただ、彼のそばに近づけなかったのだ。心の深い場所にしまわれた矛盾や恐れは、無形の鎖となって彼女の感情を縛りつけていた。太白が近づこうとすればするほど、自分が壊れやすいガラスであることを痛感する。触れられれば、壊れてしまう。
「ごめんね……」彼女は小さく呟き、瞳にはわずかに光るものが浮かんでいたが、涙は決してこぼれ落ちることはなかった。彼女は本棚から一冊の本を取り出し、気を紛らわせるように開いたが、どのページも目に入ってこなかった。
窓の外から差し込む月の光が、彼女の影を壁に映し出していた。その影はどこか孤独で、風に揺れる小さな影法師のように儚かった。
この夜、太白は何度も寝返りを打ち、玉妃もまた眠れぬままだった。お互いがお互いを思い浮かべながらも、その距離はどんどん離れていくばかりだった。微妙なすれ違いと隠された秘密は、二人の間に荊棘のように絡みつき、互いの心を傷つけながら、誰もその傷口に触れることはなかった。
彼らは気づいていなかった。この一見静かな隔たりが、二人の間に築かれた信頼と依存を、少しずつ蝕んでいることを。
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