二十一夢「キョウジ」

 俺は、幼いころからバスケが大好きだった。

 学校終わりの手にはいつもバスケットボールがあった。近くの公園で集まっては何度も勝負する。俺がいるチームが負けることは絶対に許さなかった。

 俺は、誰よりもバスケを愛し、上手かった。

 

 ――中学生になるまでは。



 休日の体育館に響く、バスケットボールとシューズの擦れる音。

 本当はその場にいるべきなのは俺だった。俺が出場選手になる予定だった。俺以外にいてはならないはずだった。


 手に汗握る瞬間も、荒れる呼吸も、ゴールを決める瞬間も全て俺のものになるべきだったのに。


 俺は今、なぜ、試合をベンチから眺めているのだろうか……。


「へいッ! ユウトっ、パス!」


 目の前で繰り広げられる練習試合で活躍する唯一の一年生。

 俺と同じ一年生で同じクラスのユウトが、俺と二年生を出し抜いて三年生と一緒に練習試合に出場していた。

 

 数秒前まで相手チームに点を取られる一歩手前のところだった。そこを安定した姿勢でボールを奪い取りあっという間に相手コートまで駆け抜ける白髪の一年生。掛け声に合わせるようにゴール手前で三年生の先輩にボールをパスする。パスカットを狙った対戦相手の選手から危なげなく受け取った先輩は、無駄のない仕草でゴールに向けてシュートする。

 

 惚れ惚れとするシュート姿に誰もが見惚れていた。ベンチで遠目から見ている俺ですら、見惚れてしまっていた。

 

 ゴールリングに触れることなく綺麗に通り抜けたボールに、一歩遅れて拍手が巻き上がった。拍手と歓声で掻き消された試合終了の合図が微かに聞こえる。

 ベンチから立ち上がる努力をしない間抜け共に並んで立ち上がった。


 練習試合ではあるが、実力を遺憾なく発揮することができた試合に、出場した選手は満足気な笑顔で一列に並んでいた。

 対戦相手へ礼をして、ミーティング後は休憩時間が与えられた。


 皆は集まって先輩がすごかったとか、最後の綺麗なシュートはやばかったと褒めちぎる。

 俺はその輪に混じりながらも、横目で先輩から肩を叩かれて笑っているユウトをみた。


 俺だけは見ていた。

 先輩がゴールを決めるギリギリの瞬間、誰もがそのシュート姿と放物線を描くボールの行く末をその場で見届けていた。

 

 しかしユウトだけは違った。

 憧れの先輩であり、エースである先輩の放ったシュートが『外れる』可能性を考慮して、最後まで全力を出してプレイしていた。練習試合だからと手を抜くこともせず、ただチームのために頑張る姿を見てしまった。


 もし、俺がその場に立っていたらどうだったか。その前に俺は冷静な判断を下して先輩へパスができていただろうか。

 できないと思った。残り数秒の間でゴールを決めるチャンスが自分に訪れるのだ。


 無理だ、我慢できない。きっと、独りよがりなプレイをしてしまうだろう。


 

 ×  ×  ×



 今日は水曜日だ。ユウトのエプロンがどこかへなくなってから三日目になる。

 放課後の部活も、どこか集中できていない様子だった。このままだと、俺がユウトの代わりに選抜メンバーの一人になれるかもしれない。腑抜け共の一年と大半の二年、少し尊敬できる一部の先輩方も出し抜くことができる技量を俺は持っている。俺なら、いける。


 空も茜色に染まり、東の空は夜の訪れを知らせる。


 部下鞄を背負いなおし、自宅の鍵を左へ回してから扉を開けた。


「ただいま」


 二階建ての一軒家に住む俺達諏訪一家。姉ちゃんと父ちゃんの帰宅はまだのようだが、リビングの方から鼻歌が聞こえてくる。恐らく母ちゃんだ。どうやら俺が帰ってきたことには気づいていないらしい。

 リビングに続く扉を開けると、母ちゃんはソファでテレビを見ていた。


「ただいま」


「ああ、ユウくん帰ってたん? あ、手洗ってないやろ? 洗いーや」


「わかってるわ。ただいまって言っただけや」


 開けた扉をもう一度締めてから洗面所へ向かう。手を洗い、カバのカバーがついた洗浄液で喉をうがいしてタオルを探す。すると、視界の隅に何か青い物があったことに気付く。洗濯機と壁の隙間の奥に青い袋があった。


「なんや?」


 気になった俺は手を伸ばしてギリギリのところで掴む。取り出したそれは、青い色の袋で少し膨らんでいる。先週の間毎日のように見たそれと全く同じ物だった。


「……は?」


 頭が真っ白になった。今も真っ白だ。


「給食エプロンがなんで……? 俺はちゃんと月曜日に持っていって確認もしたぞ」


 言葉に出してしっかりと思い出される一昨日の記憶。給食エプロンの番号を確認するも、自分の番号ではない。


「二番? は? 二番って、たしかユウトの。なんで俺の家にあんねん」


 二番のエプロンは一組が紛失しているエプロンだ。それがなぜか俺の家で見つかった。俺は当然先週別のエプロンを使用していたはずだ。

 次の瞬間、気が付けばリビングの扉を乱暴に開けて叫んでいた。


「――ッ! やばい! 母ちゃん! これ急いで洗濯まわしてアイロンしてくれ!!」


「何よ、びっくりするわ。……え? それ先週も洗ったんとちゃうの」


「ごめん、もう一個あった。先週出したやつとは別の。ごめん、でもほんまに急いでくれ!」


「もぉ、しょうがないなぁ」


 ソファから立ち上がった母ちゃんにエプロンを渡すと、そのまま洗面所へ向かった。


 俺はいつも後ろへ流している前髪を乱暴に搔き乱す。

 すっかりと忘れていた。


 俺は先週の金曜日、二番のエプロンを使っていた。なぜ忘れていたのか。

 それは一日しか使っていない。それもあの時はかなり急いでいた。


 木曜日まであったはずの腰巻のエプロンが金曜日になくなっていた。だから俺は教室にあった唯一の二番のエプロンを取って使ったのだ。

 結果的にいうと、元々使っていた腰巻のエプロンは家にあった。鞄に入れてしまってそのまま持ち帰っていたのだ。

 予備のエプロンは当時誰かが使っていた。だから教室には無かったのだ。そして今週の月曜日、予備エプロンはあったし、俺の使っていたエプロンももちろん持ってきていた。だからこれで全て洗い終わったと勘違いしていた。


 しかし、なぜ二番のエプロンがこんなところにあったのか。先週しっかりと洗濯籠に入れていればこんなことにはならなかったはずなのに。なぜ、洗濯機と壁の間にあったのか。思い出そうとするも全然思い出せない。鍵を無くしたときに最後に見た記憶を必死に思い出そうとするときと似ている。部活終わりで疲れ切っていたこともあるだろうか。


 とりあえず、今はこの二番のエプロンを自然に返却するかが大事だ。

 二番のエプロンの持ち主は何の因果かユウトで、ここ数日で紛失したことを責め立てている。これで実は持っていたのが俺でしたなんて話がクラスに広まれば、評価は急降下で逆にユウトは急上昇間違いなし。


 どうにかして、誰にも知られることなくクラスへこのエプロンを戻さないといけない。今日が月曜日だったなら、明日にでもどこか適当なところへ置いておけば済んだ話だが、ここ数日の間でユウトや給食委員のやつらがクラスどころか校内を歩き回っていたのを知っている。


 残された選択肢はやはり一つ。教室のエプロン掛けに、誰にも気づかれることなくこっそりと戻すしかない。


 そしてこの状況を作ることができるタイミング、それは皆が登校してくる時間の前か、放課後。そして安全なのは圧倒的に朝の時間。朝の早い時間に登校してくる生徒の九割は部活の朝練だ。つまり、教室に来るやつはいない。皆体育館か運動場、最後に特別棟で活動している。


 やるなら朝だ。しかし、朝は教室の鍵が閉められているため施錠を解く必要がでてくる。ここで教室の鍵を容易に職員室から受け取った場合、犯人が俺だとバレてしまう可能性が高い。


 朝登校してきたらエプロンがあったと、発見段階で登校していた生徒から鍵を受けとり教室に一番乗りで入ってきた生徒の中に犯人がいるとわかるからだ。そして、俺は朝練の途中で抜け出す必要がある。朝練前に鍵を受け取ってエプロンを置きにいく行為もかなりリスキーだ。

 何も案が浮かなばない。朝が一番安全なはずだが、多少のリスキーは覚悟で行動するしかないのか。もしくは生徒がたくさんいて誰に見られるかもわからない放課後に実行すべきか。


 悩んでいたろころで、昨日の担任の教師の言葉を思い出した。


 『明日提出のプリントちゃんと用意しとくんやぞ』


 俺は二階にある自室に入り、今日皆が担任に提出しているはずのプリントが、今勉強机の上にあるのを見つける。

 それを手に取って、つい口角があがった。


 ――朝練を自然に抜け出し、担任の教師の力を借りずに鍵を受け取った後エプロンを戻し、完璧なアリバイを作れる作戦が浮かんだ瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る