七夢「罰と罪」

 

 入学式から三日が経ち、全教科の授業が本格的に始まった。

 八重から命に関わる大怪我をすると聞かされ、決意を固めたとはいえ、内心ビクビクと過ごしていた。しかし、案外普通に生活を送っている。思っていた以上に何もなく、普通なため拍子抜けだ。


 これなら、過去を振り返ってもいつも通りの生活。


 給食時間が終わり、各自の食器を食器籠に収集する。

 給食当番がダラダラと鍋やボウルを給食室まで運びに廊下へ出る。他の学年でも同様の光景が確認できるはずだが、なんだか一フロア上の教室からは異様なほどの足音が響いていた。


「木町、行くか」


 先週委員総会の無断欠席が理由でこっぴどく怒られた俺と木町は、昼休みの時間を委員の仕事に使って償っている。


 木町が自席を元の位置にがたがたと引きずりながら移動しているのを横目に教室から出る。

 後ろで木町がクラスメイトに「どっか行くの~?」と呼び止められていたが「『たち当番』だから」と断るやり取りが聞こえた。


 俺たちが向かっているのは給食室。

 目的は一つ、『たち当番』があるからだ。

 もともとは一、二ヶ月に一回やってくる交代制の仕事だ。しかし第一回委員総会に二人そろって無断欠席をしてしまった罰として、一ヶ月間『たち当番』を命じられてしまった。


「最近の挙動不審がなおったね」


「……。酷いな。俺には命の危機が迫ってたんやぞ? こうしてる今も危険が迫ってるんかもしれん」


「もしかして、厨二病?」


「ちゃうわ」

 

「まあ、いいか。たち当番、はやく終わりたいね」


「そーやな~。まあ、自業自得やしな。仕方無いよな」


「ハヤシくんがせめて出席してくれてたら、こうはならなかったかも」


「いやいや、木町が出席してくれてたら、こうはならんかったな。そうに違いない」


 お互いに責任転換を繰り返しながらも、適当に会話する。

 一週間もすればお互いに気の留めない友達になった。言い合いも結構する。


「おかげで昼休みが十分しかない。最悪や」


「返却が遅いクラスがいたら、走って呼びかけに行かないとダメだしね」


 たち当番の仕事は給食室まで返却に来る食器や鍋などの受け取りと、給食室前がごった返しにならないように誘導、補助をするのがメイン。だがしかし、返却にいつまで経っても来ないクラスがたまにいる。これに参上するのがたち当番の大仕事。


 最上階にクラスを構える三年生が遅れていると地獄だが、実際に多いのは一年生。三年生はむしろ返却が一番早い。


「もーーー、一組おそーーい」


 給食室前まで来た俺たちに間延びした声で睨みを聞かせるのは、美術の授業を担当し、給食委員の管理担当である先生だった。前回こっぴどく怒られたこともあって少し気まずい。

 すいませんと一礼して仕事をこなす。食器籠や鍋を返却しに来た生徒の補助を着々と行う俺達給食委員の面々。

 他のメンバーに負けないように俺も精一杯頑張る。他の誰よりも頑張ると言ってしまった手前、手を抜くことはできない。


「ハヤシくんもだいぶ板についてきたな」

 

 重たい食器籠を返却棚に戻していると、後ろから声をかけられた。

 振り返ると、様子を見ていたらしい給食委員長、そして水泳部部長でもある先輩が立っていた。爽やかな笑顔で「おつかれ」と言われて「今日もご苦労様です」とお辞儀をする。


「まさか、初めての委員総会を無断欠席したコンビの一人がハヤシ君やったのは驚いたわ」


「その説は、すいません……。水泳部も遅刻しちゃって」


「ええで別に。皆には変に思われたかもしれんけど、そこは頑張って」


「はい、頑張ります……」


「じゃ、返却も全部終わったみたいやし、終わろうか」



 給食委員長であり、水泳部部長を務める上に爽やかなイケメン。生徒会の一員であることからわかるように、どうやら頭もいいとか。


 完璧な部長の合図にならって返却口の前に給食委員が横に並ぶ。


「今日も一日ありがとうございました」


部長が言ってから空間にパンッと乾いた音が響く。習って手を合わせて「ありがとうございました」と合掌した。当番全員でお礼を告げるまでが仕事の一環。おばちゃん達もニッコリと笑顔を返してくれる。


 仕事を終えて解散する一同。隣に立つ木町が中庭をみつめながら「今日は楽だったね」と悪い顔でこっちを見上げた。


「あーーそうやな。あと一ヶ月はこんな感じで行きたいわ」と冗談ではなく本気で返したら、ふふっと吐息に混じったような笑い声がした。


 俺も木町も仕事が終わっても教室には戻らなかった。戻らずに、ただ中庭をぼーっと見つめる。

 

 給食室前には大きな中庭がある。

 そこからたまに桜の花弁がひらひらと風に流されている。花びらが散る様子は、少し寂しい。

 緑に埋め尽くされた枝葉に混じるピンクの花びらが、春の終わりをギリギリ先延ばしにしているように感じた。すっかり街中の木々は青葉で埋め尽くされていることも後押ししているのだろう。

 季節が少しずつ夏に向けて移り変わっていくのを実感した。


「もうすぐ予鈴のチャイムが鳴るね」


「もうそんな時間か、たち当番のせいで昼休みがあっという間やな」


「あ、ちょっと声が大きい」


 俺たちは給食室の前に広がる中庭にぽつんと置かれているベンチに座って話していた。

 俺の声は喧騒の中でも通ってしまうくらい聞こえやすいらしい。入学早々、授業で先生が変わる度に軽く自己紹介をしたものだが、かなりの確率でこの声を褒められた。そんな俺の声は皮肉さえも人の耳に届いてしまいやすい。困ったものだ。

 自分の落ち度を自覚しながらも、自分の声についてここ最近でした先生とのやり取りを思い出す。


「俺の声、いい声らしいからな」


 少し自慢げに言ってみたものの、反応が返ってこないのが気になる。ちらっと横に座る彼女を盗み見る。

 肩まで伸びた茶色の艶めいた髪が、頭のてっぺんまで登った太陽によって照らされていた。その横顔は髪の毛で隠れてしまって見えない。しばらく見惚れていると、気づかれてしまい、顔がゆっくりとこちらを向く。中学生ながらに既に大人の女性として出来上がりつつある綺麗な顔立にドキリと胸が高鳴る。やがてその目は細められ、ジト目に変わった。


「……それ、イケボってわけじゃないからね」


「わ、わかってるわ」


 びっくりしたことを悟られないように顔を背け、中庭をもう一度みる。真ん中に大きな木が一本、天まで伸びるように育っている。しかし、四階建の校舎に囲まれた中庭には、その木は窮屈そうに思えてならない。


 視界を埋め尽くす物を見ていると、「あの木」と彼女が大きな木のことを指しながら言葉を繋げる。


「伝説があるの知ってる?」


 こちらを揶揄からかうような表情で紡いだ言葉に、思わず俺は「ハッ」と馬鹿にしたような笑いで続きを問う。伝説? 漫画じゃあるまいし、そんなの知るかと思ったのがすぐにでてしまった。


 「むっ。馬鹿にした? じゃあ教えてあげないけど」


「いや、ごめん。馬鹿にしたんじゃないで。ただ漫画でしか聞かんような設定で笑ってもうた」


 誤解ではないものの、今後の関係に亀裂が生じるのはよくないので前言撤回した。


「設定じゃないよ! まぁ、いいや。――あの木にはね、伝説があるの」


 要約するとこうだ。

 今ではすっかり四階の腰くらいまで伸びた大木が、二階くらいまでしか成長していなかった頃の話だそうだ。

 そしてその木の下で、学年一のマドンナと言われている女子生徒が、どこにでもいるような冴えない男子生徒に告白されたらしい。


 察しのいい俺はこの時点で先の展開が読めた。なんてつまらない御伽話おとぎばなし。そんなめでてー話はない。あったとしても認めない。


「で、その冴えない男子生徒は無事マドンナ様と付き合えた「いや違うけど」わけ……って、は? 違うんか」


 え、じゃあ何が伝説なん? 月とスッポンが交わりあってめでたしめでたし、って話じゃないのかと困惑する。


「じゃあ、振られた……?」


 雲行きの怪しくなった話に耐えられず、質問する。

 ニヤっと意地悪な笑みを浮かべる木町に、俺は思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。話を聞き入ってしまっている俺の反応に満足したのか、納得したように頷く彼女は続きを話す。


「でも振られた男子生徒は翌日も変わらずに接し続けようとしたみたい。何度もこの木の下に呼び出して、振られて、を繰り返したって」


「なるほどな、悪い意味で伝説……なんか。じゃあこの木は悪感情を吸い取ってここまで大きくなったってことか」


 有名な話だが、植物にも感情があるとされている。

 二つの同じ植物に同じ条件下で生育し、一つには前向きな言葉を毎日かけ続け、残る一つには否定的な言葉を毎日投げ続けた場合で検証するといったものだ。その結果、前向きな言葉を毎日かけ続けられた方がすくすくと伸びたそうだ。

 この木の下で振られ続けた男子生徒の後ろ向きな感情と、マドンナの「ごめんなさい」の言葉を聞き続けた木は、先の検証でいうなら後者といえる。


 一人で納得していると「いや、それも――」と彼女が何かいいかけたと同時に予鈴のチャイムが校内に鳴り響く。俺はそれを聞いてベンチから立ち上がった。木町も立ち上がる。


「さっきの話の続きだけど」


「いや、それよりはやく教室に戻らんと。次、国語の授業やし、小テストあるやんか」


「え、まじ? やば!!」


「あ、ちょ待てよ」


 言葉を聞くまえに駆け出した木町の姿はすぐに校舎の中に消えてしまった。取り残された俺は『伝説の木の下』で、天まで伸びる大木を見上げる。


 振られ続けた彼の恋路は実らなかった。それは住む世界の違う彼女に好意を抱いてしまった罰なのかもしれない。それでも諦めきれなかったのだろうか。


 中庭を離れ、校舎に戻る一歩手前でもう一度振り返る。

 四階の腰の位置まで大きく伸びる一本の木。それを囲むように低木や花壇を彩る様々な花。名前の知らない数々の草木が中庭を豊かにしている。なにより、伸びっぱなしではなく綺麗に整えられた花々は美しい。


 ――でもなぜ、こんなにも悲しい気持ちになるのだろうか。

 

 見上げた先の空は青々としている。でも、ここから見える空は狭かった。あの木から見た景色はどうだろうか。それは校舎に囲まれてしまっていて、とても窮屈そうだ。

 もしも、あそこの木の下で、告白が成功していたのなら……、


 ――この木は外の世界を見渡すことが、できたのだろうか。


 ぼーっとした頭で空を見上げていたら、もう一度チャイムの鐘が校内に鳴り響く。

 あれ、この鐘の音、二度目? たしかさっきも……。


「って、やば!! 本鈴の……!! 遅刻やーーーーー!!!!」

 

 最初に鳴っていたチャイムは予鈴。五分後に本鈴が鳴り、授業が始まる。そして校内に今もなお鳴り響く鐘の音は二度目のものだった。

 俺は慌てて廊下を走り抜けるも、当然、国語の授業に遅刻した。


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