もっと知りたい、アナタのことを ~俺;僕;私の夢~

チノチノ / 一之瀬 一乃

零夢「鮮やかなアクム」

 

 ――ユメを見ていた。


 長くて、しんどくて、先が見えないユメ。進み続ける自分の姿は酷く滑稽で、常に最善の選択肢を選んでいるはずが、手元からは零れ落ちてしまうような、そんなユメだ。しかし、なぜだろう。全く思い出せない。

 遠く、遠いどこかで懐かしい音が邪魔をしてきたからだろうか。


 昨夜、眠れない夜に布団を深く被り、腕と足の位置と枕の高さが落ち着かず寝付けなかった。もう何年も使い古された寝具なのに、体はそれを拒否している。見慣れたはずの天井も、今と昔は変わらず同じままだけど、隣には誰もいないのが酷く寂しくて。しかし、気がついた時には意識を手放していたようだ。それが睡眠。寝る瞬間を認知できる人間などいない。

 

 未だにけたたましい機械音が鳴り響いている。不快の原因なる物を多少乱暴に止める。そしてもう一度、眠りに――、


 

「あんた、おきーな。今日から中学生やろ。はよ準備しー」


「ん? んぃ……」


 返事にもならない声でのそのそとミミズのように動く。目覚まし時計のスマホをストップしようと腕を伸ばすが届かない。伸ばした腕があるはずの場所より手前に置いてあったスマホをつかみ、今度こそアラームを止める。止めた直後即二度寝をしようとした俺を邪魔したのは母さんだろうか。

 一向に起きてこない俺に「寝坊するで!」と朝から語気の強い怒りを孕んだ声が頭に響く。この不愉快な感覚もやけに久々な気がして不思議だ。それもそうか、昨日までは春休みで決まった時間に起きる必要などなかったからだ。


「母さんに起こされたのも、なんか懐かしいな……」


 見慣れた天井をぼーっと眺める。

 まだまだ惰眠をむさぼりたいが、今日から中学生なんだから仕方ない。

 目をこすりながら起き上がると、リビングからはテレビキャスターの声と星座占いの情報が流れている。キッチンには父が新聞紙を広げて難しい顔をしていた。台所を見ると母さんが父さんの分の弁当を用意していた。

 

「ケン。おはよう」

「ケンちゃん、おはよう。もー、やっと起きた?」


 父と母の挨拶に無言のままたちすくむ。台所の方をを見たまま動かない息子を訝しむ目線に意識が返ってきて、遅れて「おはよう」と挨拶を返した。


 いつもと同じように、いつもと同じ顔をして、いつもと同じ挨拶が投げかけられる。


 日常の何気ない朝のやり取りに、普段の自分ならダラダラと台所の自分の定位置に座って、用意された朝食にかぶりつくだろう。


 しかし、今日は違った。

 数秒、いや数十秒以上フリーズした脳ミソには目から入る情報量で埋め尽くされてしまった。眠気も吹っ飛ぶ衝撃がこの世の何もかもを忘れさせた。

 

 ――ただ一つだけの『変化』を残して。


「か、母さん。そ、その……、髪……は?」


「ん? なによ。ずっとそこで。はやく朝ごはん食べちゃいなさい」


「か、母さん……っ! その髪色どうしたんよ!?」


 台所で何やら父さんの弁当の用意をしている母さんの長く綺麗な髪が赤色に様変わりしていた。

 元々綺麗だった黒髪は歳のせいか白髪が増えてまばらに目立つようになり、白髪染めで明るい茶髪で染まっていた、昨日までは。

 でも今は赤色――より観察するなら紅葉のような色で染まっていた。寝る前の記憶はまだ寝起きのせいかおぼろげだが、確かに街中で目立つような髪色ではなかったはずだ。


「はあ? 髪色? この赤色の髪は私が生まれてから今日まで変わらんよ。まるで小さい子みたいなことを言うなアンタ」


「はぁ? 昔から? いや、だって昨日までは確かに茶髪やったはずで……。な、なんで、……あ! そうか俺を驚かせようとしてるんか?!」


 母さんの元までふらつく足どりで近寄り、髪の数本をそっと掴む。染めた、にしてはすごく綺麗で傷んだ様子もない。もっとも、自分に髪質を見抜ける程のスキルは持ち合わせていないが、昨日までの母の傷んだ髪は覚えているからわかる。そういった形跡すらないのだ。しっかりと掴んで触ったことでわかったが、どうやらウィッグでもない様子だ。


「い、一応聞くけど、染めた?」


「アンタほんまに様子おかしいで?」


「俺は大丈夫やから! 答えてくれ、髪染めた?」


「あー、もう、うん。染めたよ」


「なっ! なんや!! ほらやっぱり!」


「でも! 白髪染めしただけ。別に色変えようとなんて思ってないよ」


「え……? じゃ、じゃあほんまに最初から赤……?」


「だからぁ、そうやって言ってるやんかー! ほんまにどうしたんよ!?」


 訳がわからないまま、無理やり納得して食卓で朝ごはんにありつく。パンが喉を通らずに、無理やりコーヒーで流し込む。

 やっと頭が覚めてきて、周りを冷静に見ることができ始める。

 隣の弟の椅子は空席だ。まだ起きる時間でもないらしい。対面に座る父さんは新聞紙を読んでいる。その父さんを何度見ても頭で鳴る警報が静かなままだったことに気が付いて、せき込んだ。


 「と、父さんは、黒髪のまま、なんやな」

 

 新聞紙を両手で広げていた父さんは、息子からの言葉に反応した後、静かに新聞紙を畳む。昔から使用している回る椅子を回転させて、父の顔を真正面から見る。

 自分と似ていると言われる父さんの顔をこうしてじっくりと見るのは久々だが、その意識と視線は口元に集中する。ずっと閉ざされていた唇がゆっくりと開くのを、激しくポンプする心臓が早く聞きたいとせかす。


「何を言ってるんや、ケンゴ。お前の黒髪はパパ譲りの遺伝やろうが」


 静かにはっきりと告げる父さんの言葉を、またゆっくり咀嚼する。つまり父は昔から黒色、ということだ。

 まだ鏡を見ていないので確認はできていないが、俺の髪色も黒髪らしかった。


 少しずつ、なぜこうなったのかは理解できないが、状況は飲み込み始めた。すると自分の発言と取り乱し用を恥ずかしく思いはじめて、両親の顔をみることができない。

 先ほどまでのやり取りを誤魔化すために適当に話を振る。


「弁当、母さんが用意してるん?」


「……? いつもママが用意してるやんか」


「そ、そうやっけ。 なんか最近、というか、しばらくずっと父さんが自分で用意してた気がするんやけどな」


「はあ? あんたいくら朝が弱いからって寝ぼけすぎてるんちゃう? 昨日何時まで起きてたんよ」


「そこまで遅く起きてないけど。……三時には寝たはず、やけど」


 「あんたなぁ!」


 俺とお母さんは相性が悪い。仲が悪いわけでは無い。でも口喧嘩は毎夜絶えず、父から説教をされるまでが流れだ。しかし今日は違う。母さんは髪色が変わっても『母さん』が変わったわけではないことに少し安心する。だからいつもはここで俺も反発するが、今日は黙った。


 父の「ケン」と呼ぶ声に騒がしかった空間が静まり返る。


「今日から、中学生や。その自覚がケンにも芽生えたか。成長したな」


 突然父さんに褒められた事実に、空いた口が塞がらない。別に褒められて嬉しくないわけではない。ただ今は複雑な気持ちでいっぱいだからだ。口論が発展しなかったのも。今の俺の精神面が成長したからではなく、混乱しているから怒りの感情がわかないだけだ。

 

「……大丈夫なんか」


 昔よりは父と話すことが多くなったものの、まだこの独特な距離感に馴染むことはなかった。今後の学生生活よりも父との会話の方が緊張する。

 

「どうやろ。なんか疲れてるんかもしれん……」


「そうか。無理はするなよ」


 ただそれだけを聞くと、父は席を立って洗面所へ行った。

 あまり緊張はしていない。

 自分の通う中学校の生徒数は市内でも有名な少数校であり、市立のため決められた区画に住む生徒だけが通ってくる。そして学年の半分は同じ小学校の生徒。ほとんどが顔見知りと思えばなんてことのない。


 残ったパンを急いで口に放り込み、残りをコーヒー牛乳で流し込む。

 自分も学校の準備をするかとハンガーに手をかけたとき、テレビからまた俺の誕生月の星座の名が聞こえてこないことに気付く。嫌な予感をしながら画面を睨んでいると、


『12位の方はごめんなさい、ふたご座のあなた。思わぬことの連続でハプニングになるかも!?』


 最悪なお知らせは聞いていたそばから吹っ飛んだ。原因は星座占いの画面から数人のアナウンサーが映し出された瞬間に理解してしまったからだ。

 

「……黒髪やったのが、緑色になってる」

 

 ——髪色が変わったのは母さんだけではない。そして、以前と同様に黒髪の人もいる。


我が家で起こった事件は、この世で起こった大きな事態へと大きく舵を切って動き出す。

 幸先の悪い学生生活に一株の不安を感じながら、ブレザーの制服に袖を通し、準備を終えた俺は紅葉色の髪を纏めた母と一緒に家を出発したのだった。

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