第6話 差

 イヴを一瞬で呑み込み、消し飛ばしてしまった白き極光の熱衝撃波。


 その衝撃波の発射点……抉れた森の遙か遠くに、背中に黒い翼を生やした黒髪少女の姿があった。

 十字架の儀仗を構えて、荒い息を吐いている。マティアだ。


「はぁー…はぁー……ボクの最強の攻撃法術【天輪】……です……

 これをまともに受けて生きていられる人間なんて……いない……」


「ナイス! マティア!」


 銀髪少女――グラムが、マティアへと駆け寄っていく。


「私が注意を引いて、マティアが仕留める! タイミングばっちりだねっ!」


「うん、良かった……ちゃんと殺せたよ、グラムちゃん……えへへ……」


 グラムが無邪気に、マティアが控えめに、互いに手を合わせて勝利を喜ぶ。


「あー、でも惜しかったなぁ~。アイツをバラして、悲鳴とか、苦悶の顔とか色々愉しみたかったんだけどなぁ~」


「か、可哀想だよ……いくら悪い人でも……そんなことしたら……」


 と、その時だった。

 に気付いたマティアが固まっていた。


「ぶーぶー、なんでだよぉ?

 異端者で、帝国人なんて、皆、悪魔のような外道に決まってるじゃん!

 なるべく苦しめて殺すことが、神の思し召し……って、どうしたの?」


 グラムが気付けば、マティアが頭上を見上げて、ぶるぶると震えている。


「噓……そんな……どうして……?

 ボクの【天輪】は確かに命中して……手応え、あったのに……!」


「んー? どうしたの? マティア。木の上に何が……」


 グラムがマティアの視線につられて、その先へ目を向けると。


「……えっ?」


 その先――近くの一際高い木のてっぺんに、まるで重力を感じさせない挙措でイヴが悠然と立っており、グラムとマティアをつまらなそうに見下ろしていたのだ――


 ――――。


「やれやれ。二人とも攻撃力だけは一線級ね」


 私は、銀髪少女と黒髪少女――グラムとマティアを見下ろしながら言った。


「まぁ、その他が全然、なってないわけだけど」


「な、なんで生きてるんだよっ!?

 マティアの【天輪】は確かに、あんたを消し飛ばしてた!

 絶対に命中してた! 私、この目で見たもん!!」


 狼狽え、ダダをこねるグラムへ。

 私はその手の【焔刃】をくるりと回転させて、淡々と言った。

 【焔刃】を構成する炎が、ゆらゆらと揺らめいている。


「……【火幻術】。炎の揺らめきでかける、精神支配魔術よ」


 私は枝を蹴って飛び降りる。


「私がこの【焔刃】を抜いた瞬間に、貴女とコソコソ隠れていたそこの貴女に、幻術をかけていたこと、まだ気付かない?」


「なっ――ッ!?」


 ふわり、と。

 魔術で重力を操作し、私は二人の前に体重を感じさせない挙動で降り立った。


「ほ……炎の揺らめきで……幻術……?

 噓……そんなことできるはずが……」


 十字架の儀仗に縋り付くマティアが、真っ青になって、後ずさる。


「炎を使う魔術師を相手に、炎を見てはいけない……?

 な、何の冗談だよ、それ……!?」


 動揺はグラムも同じらしく、気丈に剣を構えて私を牽制してはいるが、額に冷や汗を浮かべて、明らかに狼狽している。


 まぁ、無理もないか。

 炎の揺らめきを見せただけで幻術をかけられるということは。

 つまり、私の炎が視界にある限り、常に幻術を警戒しなければならないということだからだ。うーん、我ながらチート。


「貴女達。私の二つ名、知ってる?」


 そんなグラムとマティアへ、私は淡々と告げた。


「《紅焔公ロード・スカーレット》よ」


「ろ、《紅焔公ロード・スカーレット》……?」


「そう。今からその所以を教えてあげるわ……オイタのお仕置き代わりに、ね」


 ぼっと、左手に炎を灯らせて。

 私はグラムとマティアの二人へ向かって、悠然と歩いて行く。


 自然体に見えるだろう。

 ただただ無防備にも見えるだろう。

 だけど、仮にも偽翼天使である二人ならば、わかるはずだ。

 今の私に、隙など微塵も無いということが。


「……う……」


「……ぁ……ぁ……あああ……!?」


 そんな私の姿に、グラムとマティアがわかりやすく恐怖していた。

 恐らく二人の生存本能は、今、最大限の警鐘を上げていることだろう。


 自分のすぐ目の前に死神が迫っている。きっと殺される。逃げられない。

 戦場で、そんな恐怖を振り払おうとする兵士の行動など読めている。


「ぅ、うぁあああああああああああああああああああああーーっ!!」


 グラムは咆哮を上げて、絶望的な突撃を私へと仕掛け――


「しゅ……”主よ”……ッ!!」


 マティアは十字架の儀仗を私に向け、祈りの聖句を矢継ぎ早に紡ぐのであった。


 ――――。


 私が、グラムとマティアがと交戦を始めて、僅か十分。


「噓っ!? 噓噓噓噓噓ーーっ!?」


 グラムは、ただただ半狂乱で私から逃げ回るだけになっていた。


「な、なんなんだよ、あんた!? 強すぎるよ……ッ!?」


「《紅蓮の獅子よ・憤怒のままに・吼え狂え》!」


 私は黒魔【ブレイズ・バースト】の呪文を唱えた。


 超高熱の火球が、弧の軌道を描き、逃げ回るグラムへと飛んで行く。

 その数――十発。

 この程度の重唱は、イグナイトである私にとって造作でもない。


「ぅ、うわぁああああーーっ!?」


 着弾と共に大爆発を起こして、爆炎をまき散らす火球を、グラムが右に、左に、必死にかわしていく。

 だが、かわしきれない熱波が、グラムを焦がしていく。

 ……まぁ、かわしきれないよう、狙ってやっているのだけれど。


「――《爆》」


 そして、私は黒魔【クイック・イグニッション】の呪文を唱えた。

 グラムの眼前で突然、何の前触れもなく爆炎が爆ぜさせる。

 完全にグラムがどう動くか読み切った上での、先置きボムだ。


「ああああああああああああああーーっ?!」


 牽制用の爆炎なので、威力はたいしたことないが、グラムを吹き飛ばし、地面をバウンドさせ、確実に打撲と熱傷ダメージを蓄積させる。


「く、くそ……駄目だ……っ! 地上でゴチャゴチャやっても勝てない!

 だから……マティア、お願い!!」


「う、うんっ!」


 見れば、マティアが空を飛び、私の遙か頭上を取っている。

 より高所を取った方が圧倒的優位。それは自明の理だ。


 マティアは遙か空から、十字架の儀仗を私に向かって構え、聖句を唱える。


「”主は正義をもって世界を裁き、公平をもって悪を裁く”――【天輪】!!」


 アレは、最強クラスの攻撃法術【天輪】だ。

 神の雷とも称される、あらゆるものを消し飛ばす光の熱衝撃波。

 その極光が、マティアの杖先に壮絶に充填されていき――


「遅い。《天に満ちし怒りよ》」


 だが、それより私の黒魔【メテオ・フレイム】の呪文の方が、圧倒的に速く起動していた。

 逃げる暇も、防御の法術を編む暇も、微塵も与えない。

 マティアの頭上へ、自分で数えるのも馬鹿馬鹿しい無数の炎弾が、広範囲に雨霰と降り注ぎ――


「きゃあああああああーーっ!?」


 マティアが叩き落とされ、炎上しながら地上へ落下していく……可哀想だから、重力を操作して地面に叩きつけられるのを防いでやるか。


「ま、マティア――!?」


 そして、仲間の窮地で動きの止まったグラムへ。


「《真紅の炎帝よ・劫火の軍旗掲げ・朱に蹂躙せよ》」


 私は左手を掲げ、黒魔【インフェルノ・フレア】の呪文を唱えていた。


 私の背後に上がる真紅の極光。極炎の火柱。

 それがうねる灼熱劫火の津波となって、グラムを呑み込もうと押し寄せて行く――


「く、そ、ぉおおおおおおおおーーっ!!」


 なんと、グラムは覚悟を決めて、押し寄せる炎の津波に突撃してきた。

 身を焼き焦がされるのも構わず、真紅の灼熱の中を一気に突っ切り、こちら側へと突破してくる。


(悪くない判断ね。……普通なら)


「ぁああああああああああああ!! もらったぁあああああああ!!」


 その勢いに任せて、グラムは大剣を繰り出してきた。

 体当たりするように、私の胸部へ剣を突き立ててくる。


 だが――


「……えっ?」


 次の瞬間、グラムの剣で胸部を貫かれた私の姿は、幻のように霧散した。

 当然、私の【炎幻術】である。


 そして、グラムの剣が貫いていたのは、代わりにそこへ配置していた【ブレイズ・バースト】の莫大な熱量が滾っている火球だった。


 当然、起爆。


「うああっ!?」


 爆炎と爆圧に叩きのめされながら、グラムが吹き飛び、転がっていく……


「……何度同じ手に引っかかれば気が済むのよ?

 私が幻術を使うのは、もう知っていたでしょう?」


 私は、自分の足下に転がってきたグラムを、呆れたように見下ろした。

 そして、ついでに回収しておいたマティアを、グラムの傍に放り捨てる。


「あぐっ……」


 呻き声を上げて、転がるマティア。


「く、くそぉ……っ!」


 グラムは地面に這いつくばりながら顔を上げ、憎々しげに私を睨み上げてくる。


(……ま。こんなものかしら?)


 多分、もう二人とも心は折れているだろう。

 私と自分達の圧倒的な実力差を、痛感したはずだ。

 実際、グラムもマティアも私を見上げて、ぶるぶると震えている。怯えている。


(いじめ? いえ。私、ちゃんと手加減してるのよ?)


 そう。実力差がありすぎるから、そう見えるがそうじゃないのだ。

 そもそも仕掛けてきたのはこいつらからだし、派手に炎は撃ったけど、基本的には爆風などの衝撃で叩きのめしただけだ。

 熱ベクトルはきちんと制御して、二人はだ。


 ほら。その証拠に、周囲を見回せば、どこも延焼していない。煤の一つもない。

 何事もなかったかのように、元の鬱蒼とした森の光景のままだ。

 見よ。この環境にまで優しい、私の魔術運用を。これがイグナイトだ。


 だから、うん。私はいじめっ子ではない。


「なんで、ただの人間がこんな……!? 何者なんだよ……!? 悪魔……?」


「どうしよう……失敗しちゃった……死ぬ……殺される……っ! やだ……!」


「マティア……逃げて……! こいつは私が食い止める……から……!」


「そ、そんな……グラムちゃんを置いていくなんて……!」


「でも、このままじゃ、二人ともこの悪魔に殺されちゃう! マティアだけでも……!」


 ……いじめっ子じゃないよね?。

 くそう。やめーや、貴女達。私を悪者みたいにすな。


 そんな二人を見下ろし、私はため息を一つ吐いた。


「あのね。何か勘違いしてるみたいだけど、私は別に……」


 弁明しようとした、その瞬間だった。

 不意に、私は自分に叩きつけられてくる猛烈な憤怒と殺気を感じた。


「!」


 私がその憤怒と殺気が迫ってくる方向――頭上を見上げると。


「はぁああああああああああああああああああああああーーっ!!」


 一人の少女が黒翼を広げ、両手で長柄の十字斧槍を振りかざし、私を真っ直ぐ見据えて、真っ直ぐに突進して来ている。


「うわー、あの子、すっごい見覚えあるわー。

 ていうか、さっき会ったばっかりだわー」


 つまり、また面倒事のお出ましである。

 もう帝国に帰っていいですかね? 女王陛下。


 そして、そんな風にぼやく私の脳天目がけて、その少女――カノンは容赦なくその斧槍を振り下ろしてくるのであった――

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