第3話 新たな風

 ヴィクトリアがダミアンから婚約破棄を告げられ、代わりにイザベラが彼の新しい婚約相手になってから数日が経過していた。どうやら、ダミアンとイザベラの関係は良好なようで、妹は何度も姉に対して自慢を繰り返している。


 奪い取った喜びを露骨にアピールする嫌がらせも、婚約相手に夢中になって自慢話するだけなら、さほど害はない。ヴィクトリアとしては、二人が仲睦まじくしている限り、余計な面倒事を持ち込まれずにすむと思っていた。巻き込まれないようにすることが、彼女にとって大事だった。


「お姉様は早く、新しい婚約相手を見つけないといけない。大変ですね!」

「えぇ、そうね」


 意地悪そうに笑みを浮かべながら言うイザベラに対し、ヴィクトリアは素っ気なく答えた。


「申し訳ありませんわ。私が、ダミアン様に選ばれてしまったばっかりに!」

「えぇ、そうね」


 わざとらしく同情するふりをする妹に、ヴィクトリアは相変わらず無関心を装う。反応すればイザベラは嬉しそうにするので、スルーするのが一番だった。


「お姉様、私の話ちゃんと聞いてますか?」

「えぇ、聞いてるわよ」


 苛立たしげに問いかけるイザベラに、ヴィクトリアは淡々と返事をした。


 そんな食事の時間、妹の自慢話に適当に相槌を打っていると、珍しいことに二人の父であるフレデリック・ローズウッドが食卓にやってきた。


 仕事が忙しく、別々に食事をとることが多い父だ。わざわざ食卓に顔を出すということは、何か大事な話があるのだろうとヴィクトリアは察した。


「ブラックソーン家のダミアン殿から婚約破棄を告げられたそうだが、それについて詳しい話を聞きたい。どういう経緯で、そんなことになったんだ?」

「はい、説明いたします」


 真剣な面持ちで尋ねるフレデリックに、ヴィクトリアは素直に頷いた。会いに来た理由を理解する。説明すれば良いのね。


「私も、お姉様が婚約破棄された話は知っていますよ! その場に居ましたから」


 そこに、イザベラが割り込んできた。得意げに言う。自分も説明できるとアピールしているのだ。だが、フレデリックはイザベラを制した。


「イザベラの話は後だ。まずはヴィクトリアから聞く」

「はい」

「えー!」


 イザベラは不満そうに口を尖らせた。自分の話を聞くべきだと、彼女は本気で思っていたから。




 ダミアンとの婚約破棄について、ヴィクトリアは数日前に報告書を提出していた。数日前の出来事について、要点をまとめたものを文書に残しておいた。


 フレデリックは、それに一度目を通していた。だが、当事者から直接話を聞くことで事実を確認しておこうと考えた。報告書に書いてあったことは本当なのか、矛盾がないかチェックするために突然話を聞きに来た。ヴィクトリアもそれを理解していたので、矛盾や齟齬がないように注意しながら話を進めた。


 横で聞いているイザベラは、時折顔をしかめては何か言いたげな素振りを見せる。自分の記憶と違うと主張したそうだったが、父の鋭い視線を感じ取ったのか、珍しく黙ったまま。


「――ということです」

「そうか。婚約破棄、とはな……私が忙しくしている間に、こんなことになるとは」


 ヴィクトリアの説明が終わると、フレデリックは腕を組み、渋い表情を浮かべた。優先すべき案件があったとはいえ、この件を後回しにしたことを悔やんでいるようだ。


 それだけ、ダミアンとイザベラの行動はフレデリックにとって予想外だった。


「すまなかったな、ヴィクトリア」

「いえ、私は問題ありません」


 父の謝罪に、ヴィクトリアは穏やかに答えた。


「そうよ! お姉様が悪いんだから」


 イザベラが再び口を挟む。ダミアンに認められた自分こそが正しいという確信に満ちていた。


 既に彼女は、姉を陥れたという事実を忘れ去っていた。むしろ、ヴィクトリアが自分の斬新なアイデアと評価を盗んだ。これまで成功させたパーティーは本当は自分の功績だったのだと信じ込んでいた。ダミアンも事実だと認めてくれたのだから。


「それは、本気で言っているのかイザベラ?」


 娘の発言に眉をひそめるフレデリック。


「どういう意味ですか? お姉様が悪いに決まってます。だって嘘をついてるんですもの」

「……」


 父の表情も気にせずに、イザベラは自信満々に答えた。


 娘の発言に絶句する父の表情を見て、ヴィクトリアは密かに安堵した。少なくとも父は、状況を正しく理解してくれているようだった。


 イザベラのことは、一旦置いていおく。先に、ヴィクトリアのフォローが必要だと考えた。なので、フレデリックはヴィクトリアと再び向き合う。


「それでお前は、どうしたい?」

「どう、とは?」


 父の問いかけに、ヴィクトリアは首を傾げた。どうしたいのか聞かれても、わからない。そこで、フレデリックは選択肢を提示した。


「もし関係を元通りにしたいのなら、交渉するが」

「ダメよ! ダミアンは私と一緒になるの。お父様は邪魔しないで!」

「黙れ、イザベラ」

「……」


 口を挟むイザベラを一喝し、フレデリックはヴィクトリアの答えを待った。彼女の意向が何より大事なのだ。


 しばし考えた後、ヴィクトリアは口を開いた。


「ダミアン様との婚約破棄は受け入れました。ですので、このままで構いません」

「そうか」


 数日前に既に受け入れており、納得もしている。だからこそ、関係を元に戻す交渉など必要ないと答えた。フレデリックも短く頷き、娘の意思を確認して納得した。


 イザベラも内心、奪い返されずに済んだとほっとしていた。




「実は、ハーウッド家のエドワード殿からヴィクトリアに会いたいと言われてな」


 フレデリックは話題を変え、切り出した。


「ハーウッド家というと、軍事貴族のハーウッド侯爵ですか?」

「ああ、そうだ」


 社交界ではあまり顔を見せない家柄として知られているが、軍事面での手腕と功績は誰もが認めるところだ。ヴィクトリアは興味を持って尋ねた。


「お姉様は、"侯爵家"のエドワード様という殿方が新しい婚約相手としてお似合い、かもしれませんわね!」


 イザベラは「侯爵家」という言葉を強調し、意味ありげな笑みを浮かべた。自分の婚約者であるダミアンは公爵家の息子である。一方で、侯爵家はそれより格下だ――そんな優越感が彼女の態度から滲み出ていた。


 生意気な妹の言葉は無視し、ヴィクトリアは父との会話を続けた。


「わかりました。一度、会ってみます」

「そうか。日時を調整して、面会の日を知らせる。それまで待て」


 ヴィクトリアとの話を終えると、フレデリックは先ほど告げた通り、イザベラの話を聞くために向き直った。


「さて、次はおまえの話だ」

「やっとね! じゃあ、順番に話すけど、まず――」


 イザベラの話を静かに聞くフレデリック。ヴィクトリアも途中で口を挟んだりせず黙っていた。そして、自分勝手なことを言っているなと思いながら聞き流していた。


「――って、ことだったのよ。酷いでしょ?」

「そうか」

「え、ちょっと、まだ話は終わってないのに」

「すまないが仕事が立て込んでてな。大方の話は聞き取ったつもりだ。まだ言い足りないことがあるなら、また後日聞かせてもらおう」


 イザベラの話をひととおり聞き終えると、フレデリックはそう告げて席を立つと、仕事に戻っていった。まだしゃべり足りないイザベラだったが、さすがに父の仕事を邪魔するわけにはいかず、大人しく見送る。


 そのタイミングを見計らい、ヴィクトリアも席から立ち上がり、自室へと戻った。先ほどの父との会話を反芻しながら。




 ヴィクトリアはハーウッド家のエドワードに会うことになったが、実は社交嫌いとして有名な家でもあるので、どんな人物なのか想像つかなかった。


 これまで幾多のパーティーを成功させるため心を砕いてきたヴィクトリア。そんな自分と、社交嫌いらしい人物と上手くやれるのか。一見すると相性は良くなさそうと思ってしまうが、ちゃんと会話が出来るのか不安だった。


 だけど、向こうから会いたいと言ってきた理由が気になった。父も勧めるのなら、会ってみる価値はある。


 ヴィクトリアは、この予期せぬ出会いに、控えめながらも確かな期待を抱いていた。

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