ざまあみろ



 彼方かなたに消える襲撃者を見送って暫くしても、私は呆然と立ち尽くす事しか出来ませんでした。


(信じられない。サーナでも敵わない相手に勝つなんて)


 相手は間違いなく覚醒を終えていて、それも長い間研鑽を積んだと分かる程の強者でした。おまけに特殊保持者ともなれば騎士や冒険者の中でも上澄みであり、五大国筆頭たる我がフィリアム王国ですら勝てる者は限られる。

 それを私のサポート有りとはいえ退けてしまうなんて、一体どれほどの…。


「ハア、ハァ…ッ!」

「ッ――カナエ様!」


 しかしそこで糸が切れたように膝をつくカナエ様を見てハッと我に返り、すぐに駆け寄って身体を受け止めました。体格差があるため少しよろめいてしまいましたが、何とか支えることに成功します。


「すぐに回復をっ…、いえ休息を取りましょう!」


 戦いが終わって聖なる炎が役目を終えたとばかりに最後の灯火を散らしましたが、実際カナエ様の疵は完治しており回復魔法が必要になる事はありませんでした。

 ですが失った血と体力は依然そのまま。特に血が足りないせいで脳にまで酸素が行かず非常に危険な状態です。急ぎ身体を安静にしなくては。


「それより…この場を離れるぞ……、奴がいつ戻ってくるかもしれない」

「でもッ――、分かりました。さあ行きましょう」


 反射的に諫めそうになりましたがカナエ様の仰られることも事実。なのでグッと堪えます。

 何よりここまで頑張ってくださったカナエ様のお言葉を蔑ろにするのは不義理と考え、多少無理してでも従う事を決めました。


「んっ……《生命の拍動クレセクト》」


 怪我や毒状態を治す通常の治癒ヒールに比べて、免疫を上げたり元々の体質を改善するといった広義の治療ラージヒールは回復魔法の中でも習得が困難とされています。

 ですが私は〖聖女姫〗の名を賜りし後方支援のエキスパート。無詠唱かつ並行してカナエ様を介抱することも可能であり移動の傍ら応急処置を施していきます。


(うくっ……お願い、もう少し持って私の魔力)


 しかしそれも魔力が有ってなせる事。カナエ様の指示に従っていたお陰で異形と化した盗賊相手には殆ど消耗しませんでしたが、先の戦いで使用した大量の付与魔法や常時発動していた回復魔法、それに【結界魔法】も計4回展開したため魔力が尽きそうでした。


 故に今できるのは本当に応急措置だけ。当然ながら身体強化系の能力スキルに回すほどの魔力は残っておらず、カナエ様を引き摺るようにして何とかその場を離れようとしますが非力な身では1m動くだけでやっとのこと。


「カナエ様」

「……」


 焦燥から来る不安感から彼の耳元で声を掛けます。

 ですが聞こえていないのか、それとも返事をする元気も無いからなのかカナエ様の反応がありません。その事に少しの逡巡を挟んだ後、改めてこの場を離れる決断をしました。カナエ様の脇に頭を入れて肩を貸そうとしますが……


「痛っ!」


 足を襲った鈍い痛みに小さく悲鳴が漏れる。盗賊から逃げるのに慣れない山道を駆けてきたことに加え、走るのにそぐわない上質な靴だったが為に脚が二人分の重さに耐えきれなかった。


「こんな、痛み…カナエ様に比べたらっ!」


 でもそれが諦める理由にはならない。誕生日祝いにお父様が新調してくださった思い出の靴でしたが、逃走の邪魔になると見切りをつけて脱ぐと今度は素足で大地を踏み締めます。


「うっ、アァ”っ!」


 その際足の裏に尖った木片が刺さり激しい痛みに襲われる。それでも痛みを堪えて何とか立ち去ろうとした時、何かに上から押さえつけられその拍子にカナエ様を地面に落としてしまいました。


「きゃあっ!? な、何が――ヒッ」


 訳が分からず咄嗟に覆いかぶさるモノを見て酷く後悔しました。表情が凍り付いたのが自分でも分かります。

 だってそれ・・は、今さっきトラウマになった元凶そのものだから。私を執拗に付け狙い無力な存在として思い知らせた原因の一人……


“ハ…ハハハッ! やったぞ、天はオレに味方している!”


 川に流されたスヴェン以外で唯一生存した盗賊(リドル)が異形の・・・で《・》私を押さえつけ、四つの眼を喜色に輝かせていたのだから。







オレが生まれたのはド田舎にある普通の家だった。

安い稼ぎのために大人たちが朝から晩まで働き、ガキが外で遊び惚けるような何処にである普通の村。

斯く言うオレもある程度年をねたら仕事に駆り出されることになった。


朝起きて、飯食って、村の通い所から帰れば仕事して。

そんでまた飯食って寝て明日に備えるんだ。


ああ、何て退屈なんだ。ずっと同じことを繰り返す日々の何と味気ないことか。

勉強も好きではなかったが、周りより優秀だと気持ちいいからという理由で続けられるくらいには刺激が無く。

そんな事思いながら一生を此処で過ごすのだと気付いた時には絶望すら抱いた。


だが思春期に入り、オレに好きな女が出来た。


相手はやはり同じ村の子供で見知ったやつだった。

そいつの家は村の中じゃ金を持っている方で、いつも質の良いアクセサリーなんかを付けて勉強に来ていた。

おまけに同年代にしちゃ気立てが良く、勉強で分からないところがあれば嫌な顔せず教えて回るような性格をしていた。


当然村の外という外界を持たぬ狭いコミュニティだ。

村の女衆の中じゃそいつが一番人気で、当然オレもその中の一人だった。


だがそいつには付き合っている男がいた。相手の男はガタイが良く、大人と混じっても遜色ない働きをする村の有望株だ。

頭は大して良くないが頼れる男というのは立派に見えるらしい。当然オレとしちゃ面白くなかった。


だから口先で騙してその女を襲った。


村の閉鎖空間では良くも悪くも噂の回りが早い。一度関係を持った以外の相手と結ばれるのは外聞が悪く、周囲からは忌避される。

当然オレも無事では済まないだろうが村に執着が無かった身としては追放されたとて痛くも痒くもない。

あわよくば村八分にされる者同士、仲良くできないかと淡い期待を抱いていた。


だがそんなオレの計画は、目の上のたん瘤だった奴の介入によって阻まれてしまった。


あと少しという所でその男は異変に気付き、オレを殴って行動不能にする。

それが村民の耳に入り奴は英雄、横から強引に彼女を寝取ろうとしたオレは酷い罵声を浴びせられ当然勘当された。


死んだおかしらと出会ったのはその時だ。

ほぼ身一つで村から追い出されて途方に暮れていた所に、これからある村を襲いに行こうとしていた彼等とばったり遭遇した。


その襲撃する村というのがオレの故郷……いや元故郷の事だった。

全力で命乞いして村の情報も全部吐いたオレを頭は面白がって生かしてくれるばかりか、盗賊団に入れてくれてオレを救ってくれた。

まあ、単に平気で村の連中を売るオレを楽しんでいただけかもしれないが。


そんなこんなで盗賊の襲撃に遭った村は大した抵抗も出来ずに壊滅した。


男は死に、女は強姦されるか子供と一緒に売られていく。

両親や友人、オレに石を投げつけてきた正義感の強い連中が為すすべなく蹂躙される様を呆けて見ていたその時、手に入れられなかった女の姿が視界に入り気付けばオレもそこに混じっていた。


隣にはあの時殴ったクソ野郎もいた。

オレはそいつの見ている前で恋人の女を犯し、叫んだまま死んでいく様を見て今までの人生では味わえなかった幸福感を味わうことになる。


これだ。盗賊コレがオレに生きている実感を与えてくれる。

その後は積極的に盗賊活動を続け、人の幸福を奪っては犯し自分の糧にした。


人材が足りていない裏方の仕事も押し付け…もとい任せられる内にお頭からの覚えも良くなり、気付けば団の中でも悪くないポジションに落ち着いていった。

そんなオレを面白く思わない奴がいるのも知っていたし、力では敵わないことも知っているので調子に乗らずにあくまでサポートという役割に徹していた。

今まではそれで良かったし、これからもそうなるものだと思って我慢していた。


だがお頭が女騎士に敗れて死亡し、更には勇者に蹂躙される光景を見てまるで麻薬が切れたみたいに心が怯えた。

今まで好き勝手出来ていたのは盗賊の……ひいてはお頭の影響があったからだ。

所詮自分は頭を使う以外能が無く、力を取り上げられたらまた弱い頃の自分に戻ってしまう。

あの、生きてる実感も湧かず正しい誰かから奪われていく側に。


嫌だ。そんなの認められねえ!


そんな嘗ての自分が思い起こされる中、仲間である筈のスヴェンにまでぞんざいに扱われ愈々いよいよ不安が限界に達した――その時。


勇者とスヴェンの戦闘の余波に巻き込まれ意識が落ちる正にその最中、鬱蒼とした森の闇をも照らす聖女姫アルシェの神々しさに目を奪われた。


オスの本能を刺激する端正な顔立ちと、白露の如き透き通った肌。聴く者を魅了する未だ蕾の声と口。

メリハリ付いた曲線の最前部にはしゃぶりつきたくなる豊満な果実が2つも実っている。


アレだ。あの二人の戦う理由であり世界最高の王女と唯一無二の聖女の二つの顔を併せ持つあの女を奪ったら、それは得も言えん幸福に浸れるだろう――と。


 そしてまさに今、くだんの少女はオレの手へと渡った!







 湊に意識が向いていたところを強化された力で押し倒し、着ていたドレスを掴むとそのまま乱暴に組み敷いた。


「きゃあっ!」


 幸いなことに土が盛り上がっている場所に投げ出されたため怪我はない。しかし顔を上げた先で見た光景にか細い悲鳴が零れる。


「ひっ、嫌…」


“がはははは!”


 見れば異形にその身を堕とした男、リドルが醜悪な顔を更に凄惨に歪めアルシェを見下ろしていた。その醜さと言ったら女性の不倶戴天の敵である〈豚人族オーク〉と間違われても何ら不思議でなかった。もしかしたらそれより悍ましいかもしれない。


「~~ッいい加減にしてください! 私はこれからカナエ様を介抱しないといけないんです!」


 それでも彼女は勇敢に立ち向かおうとした。自分に向けられる下卑た視線よりも湊を失う方が余程怖く、そんな出会って間もない勇者へ抱くにしては強すぎる想いが彼女に立ち向かう勇気をくれる。


“げへへ、黒の下着たァ中々大胆だなお姫様”


「えっ、あっ……」


 だがそれも一瞬。リドルのこの発言で頭が真っ白になる。


 お城の中で蝶よ花よと育てられたアルシェにとってリドルは最早恐怖でしかなかった。湊に慰められたとはいえ先程のトラウマも払拭できていない中、むしろよく一度は反抗できたと称賛を送りたいぐらいだ。一瞬で背中が粟立ち、足の痛みも忘れてその場を後退る。


「ああぁッ、嫌ァーーーっ!!」


“くははははッ! たまんねぇなッ!”


 しかし後ろを向いたところで服を掴まれ、嫌がるアルシェを嗤いながら思いきり背中の生地を引き裂いた。


「いやっ! この身体はあの方だけ――カナエ様のものなんです! 彼しか触れちゃダメなのっ!」


 スヴェンの手はそこで終わらない。湊が貸したカーディガンにも手を掛け、それが服の意味を為さなくなるくらい徹底的に破壊し尽くす。それにより露になった豊満なバストを両腕で必死に隠した。


「ぐすっ……もうやめて…」


“うおおぉっー、でけェー!”


 アルシェが泣いてお願いするも聞かず、その肉付きの良い身体を舐め回すように視姦した。これほど大きく形の良いものは娼婦であってもそうは居ない。

 おまけに娼婦と違い儚く純情で、高貴な雰囲気を醸し出している。世界に称賛されるこの端正な顔立ちが屈辱で歪むと思うとそれだけで昇天しそうだった。


「こ、来ないで! きたら舌を噛みまンむぐぅ――!?」


“うるせえ黙ってろ”


 アルシェの警告よりも速く口に何かを詰められる。これで自死を選ぶという脅しも封じられた事になった。


「んんぅっ! んん”ーーっ”!!」


“…ははっ、はははははッ!! 見ろッ、王族にもオレは勝った! 世界一だ!”


 意味不明な事を叫ぶ男の下でアルシェも必死に抵抗するが抜け出せない。そのうち体力が尽きると、余りの恐怖に身体が金縛りに遭ったかの如く動かない。

 

“くはははは! オレは強え、強いんだ! 誰もオレに逆らえやしねえ!!”


 そんな言葉と共に体重を掛けられたからには、もうアルシェに逆らう手立てなど無い。反射的に身体を隠したばかりでそれ以上の抵抗は望めなかった。


(――カナエ様っ!)


“はぁ、はあっ。お、俺の……俺のもんだぁーーー!!”


 薄っすら涙を浮かべているアルシェに我慢の限界が来たのか、大声で捲し立てると剣胼胝でゴツゴツの手をアルシェの双丘へと伸ばそうとする。


(助けて、カナエ様ッ)


 純潔を奪われる直前、アルシェは湊を想い叫んだ。

 まだ出会って間もないどころか性格さえ掴めない彼だが、自分を優しく気にかけてくれたあの人にこそ此の身を捧げたかった。あの天を突く銀柱の下で見た時より鳴る心の音を、彼の心音で溶かして欲しかった。



  ゴオオォーー!!



“ごがあッ!”

「ふぇ…?」


 アルシェに伸ばされた手が身体に触れる瞬間、横から桁ましいぐらいの轟音を引き連れて風が襲い掛かってきた。

 それに弾かれたように――というか実際に弾かれて――手を弾いた勢いそのままにアルシェの上で跨がっていたリドルごと吹き飛ばされると、不意を食らった後は一度も地面を転がることなく近くの木に叩きつけられた。


“い、一体何が『ザンッ』――はへ?”


 起こったのか。それを確かめる前に磔にされた樹木ごと縦に割られ、身体が内側から崩れていく感覚を以てようやく状態に気付くと言葉にならない怨嗟を残して消えていった。

 こうして下着以外が無惨に引き裂かれたものの、結果的にアルシェの身の潔白は無事守られた。


「カナエ様! ごめんなさいわたくしまたっ!?」


 誰が助けてくれたかなど考えるまでもない。振り返って目線を見上げた先にアルシェが願ってやまなかった銀髪の青年――天宮湊が彼女を護るように立っていた。


「ハッ……ハッ…」


 呼吸が浅く間隔が短い。まだ動ける状態ではないのだ。それでもアルシェを救いたいという気持ちがこうして彼を駆り立ててくれたことに申し訳なさと万感の思いが込み上げてくる。


「ぐすっ、行きましょうカナエ様。……カナエ様?」


 溢れる涙を必死に堰き止めてこの場を離れようとするが、彼女の誘導とは反対の方に身体を向けた。そこは先程フードの男と激闘を繰り広げた戦場跡しかない。


 ドンッ!!


……え?」


「ふぅむ十五歩か。随分遠くまで飛ばされたものよ」



 第一声が聞き慣れた、もう二度と聞きたくなかった声だと認識したアルシェを再び絶望が襲う。信じられない気持ちと何故戻れたのかという疑問が入り混じり、間違いなく現実の筈なのに夢に見るような虚脱感を感じずにはいられない。


「飛ばされた時は焦ったが保険を置いといて正解だったな。これが無ければ場所が分からず貴様らを逃がしていたところだ」


 男の言う保険とは刀身が粉々になった魔剣の事だ。武器としての機能を失って使い道が無いかと思われていたが実は壊された時からずっと魔力を通し続けていたのである。

 そして湊の《無限連鎖反応》を力づくで突破した後はそれを目印に跳んで来たという訳だ。


「しかし…刀に弓ときて今度はか。臨機応変に対応できて且つ使いこなせるのだから羨ましい限りよ」


 アルシェは気付いていなかったが確かに湊の神器が3つ目の形態へと変化していた。相変わらず硝子で造られたようなデザインは一貫しており軽く打ち合っただけで壊れてしまいそうな見た目だが、実際は魔剣が壊れるような衝撃にも罅一つ入らない強度を誇っている辺り【特殊能力】に違わない性能をしているのは確かだ。


「諦めろ、と言っても従わないのは分かっている。次は四肢を捥いでも強情を張れるか試してやろう」


 そう言って予備の剣――これも恐らく魔剣――を湊に向けて脅しをかける。


「……」

「む?」


 だが反応が無い。そういえばアルシェを助けてからまだ一言も発していない事に気付き顔を上げ、瞬間息を呑んだ。つられて男も強く瞠目した。


「……カナエ様?」


 その眼にもう光は入っていなかった。左腕でアルシェの肩を借り、立って男に槍を向けたまま――気絶していた。


(なんと見事な事か)


 男はそんな湊に強く魅せられた。歴戦の強者つわもの達が揃ってみせたあの姿を、あの佇まいを、この少年は既に会得しているのだ。


「カナエ様、カナエ様……?」


 アルシェがユサユサと身体を揺らし反応を待つが返答はない。驚きに目を見開き全てを悟ると、湊の胸に顔をうずめて涙を流した。


「終わったな」


 勇者は気絶。聖女姫の方は戦意喪失。

 これで歯向かう者はいなくなった。二人の実力も間近で見ることができ、思った以上の収穫となった。


(これでまた目的に一歩近付いたな)


 そっとほくそ笑むと、ゆっくり二人に近付いていった。アルシェは男に反応を示さず、ずっと俯いたまま哀しげに抱きつくだけだ。最も彼女が一人何かをしたところで直ぐに鎮圧されるだけだが。



(……おかしい)



 しかしそこで違和感を感じ、二人に向けていた歩みを止めた。


(何故奴の槍が消えない。それどころかどうして白銀・・輝い・・のだ…!?)


 能力というのは普通、使用者が倒れれば自動的に解除されるものだ。その定説が覆されたばかりか、意識があった時には見られなかった変化が如実に表れれば警戒もする。

 森を照らすように反射する艶やかな白銀色の光は、湊が気を失って尚その彩りを崩さないでいた。顔を伏せていたアルシェもその異常に気が付いて言葉を失った。

 

 一体湊に何が起きているのか。

 その答えを出す前に事態は最後の局面を迎えた。



「――ッ!」

「きゃっ!?」


「馬鹿な…まだ動けるだと!?」



 なんと湊は意識を失ったままアルシェを抱えて男に突っ込んで来たのだ。これには流石の彼も面喰らい、驚きで思考を吐露する。更には初めての槍捌きを無意識下で披露したものだから本気で吃驚した。


「来い。最後の手合わせだ」


 だが男は素早く立ち直ると、身体から程よく力を抜いて剣を構えた。そして細心の警戒を払い湊を迎え撃とうとする。


「…ッ!」

「はっ!」


 二人の一撃が交差する。その際辺りに衝撃が撒き散らされ、そこからまた速さと伎倆の応酬が繰り広げられる――なんて事にはならなかった。


「なッ!!?」


 槍と剣が交わった瞬間。上から振り下ろされた湊の一撃は、下から突き上げるように放たれた剣をまるでバターのように易々と斬り伏せたのだ。二つの武器がぶつかった瞬間に魔剣は一切の抵抗も出来ずにブレイドを真っ二つにされ折れてしまった。


「くっ!」


 当然遮るものが無くなった逆放物線上には男の身体があって、動揺を晒した刹那後には魔剣を斬った白刃が目の前まで迫っていた。

 それを横に体を投げ出す感じで避けるが、剣を握っていた右腕だけは槍との位置が近くどうしようもない。魔剣と同じく何の抵抗も見せずに斬り落とされてしまった。


「ぐっ、この……っ、待て!」


 咄嗟に右腕を庇った男は思考を切り替え、湊の無力化に動こうとする。だが男の予想に反して湊は向かって来ず、男を斬った場所から一度も方向転換することなく茂みの中を突っ走って行った。


「ま、まずい。あの先は…!」


 湊の行く先、それはスヴェンを突き落としたあの崖だった。


「させるか――っ!」


 湊の意図を察した男が腕の痛みに耐え、斬られた魔剣を持って二人を追おうとする。しかし湊の表情に目を戻した途端、それまで行っていた全ての動きを忘れた。


 嗤っている。


 血を吹き出して槍を握ったまま。アルシェを抱き抱えた湊は初めて意思を取り戻したかのように口を開いて男を嘲笑った。



          ざ ま あ み ろ



 言外にそう告げられた気がして、男はこの時初めて湊に『恐怖』を覚えた。彼よりも圧倒的に力で劣る筈の、一人の青年に。


 そして男の追跡を振り切った二人は――そのまま崖下へと身を投げ出した。





◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆





「何だったんだ、奴は」


 二人が落ちた様子を呆然と見つめた後は、暫くその場を動くことが出来なかった。腕の痛み然り、湊の行動に然り。ここ数年で経験してこなかった“未知”というものに男は気持ちを落ち着かせられずにいた。


「ここにいても仕方あるまいか。戻るとしよう」


 逃がしたのが惜しい戦力であったが失敗したのでは仕方無い。それを嘆くでもなくあっさり割りきった男は落ちていた剣の刃先と自分の腕を拾い上げ、彼が言うところの協力者・・・の元へと帰っていく。


「む……名字を聞き忘れたな。まぁカナエで良いだろう」


 ふとそんなことを思ったが、次の瞬間には自己解決した。


「待っていろ勇者カナエ、それにアルシェ姫。今度は勝たせてもらう」


 よく見るとフードの中の双眸が怪しく燃えていたが、それは誰にも――男自身にも気付かれる事は無かった。



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