幻想九尾の転移録《プロローグ》 ~聖女と歩む勇者の前日譚~
暦月
第零 嘆きの聖女姫篇
嘆きの聖女姫①
大陸の東も東、高い山々と樹齢1000年を超える木々が乱雑に生え立つ秘境の地。人はそこをアトラス大森林と呼ぶ。
ドーヴァ大陸の総面積の内、およそ3割を占めるその未開の大地は、人が住まう領域を東と中央に分け、両者の往来は不安定な気候と、そこに蔓延る魔物の脅威によって何百年も断たれてきたきた。
使者の派遣すら行われず、互いの干渉を受けなかった両地方の者達は、独自の文化を発展させていき、同じ大陸にありながらそれぞれ全く異なる生活形態を完成させていった。
それが崩れたのはつい最近のこと。一人の女性が東から
幸運なのはそこから徐々に文化交流が発展していったこと。結ばれた男女は互いの国でやんごとなき身分を有しており、普通の移民と平民の夫婦が推し進めるよりずっと早い速度で交流の準備が整えられていった。
それから十数年後。かつて〝
とは言え此処が未開の地なのは今でも変わらない。ろくに整備もされておらず、本来であれば
「王都まで残りどれくらいでしょうか?」
その列の真ん中――この集団で唯一つの馬車に乗っている、青と白のコントラストを基調としたドレスを身に纏った少女が、女性ながらも恵まれた体躯を誇る従者に声をかけた。
「はっ。イザナ藩を出て既に七日は経ちますので、残り一週間かと。狭苦しいやもしれませんが今暫くのご辛抱を」
声を掛けられた女性は畏まった様子で答えると、少女の翡翠色の眼を見据え到着が遅くなることを詫びた。
「ふふ、大丈夫ですよ。こういった遠出にも慣れてきましたから。むしろ私の我が儘のせいで皆さんの方がお疲れでしょうからゆっくりでも構いません」
「ありがとうございます、アルシェ様。しかしそれこそ無用の心配というもの。私も、それに部下も伊達に鍛えてはいませんので」
「そう? もし何かあれば言ってね。すぐに治療しますから」
「勿体無きお言葉」
アルシェが窓越しに自身の専属騎士であるサーナを労う。それを見て忠臣は馬車の指揮を取りつつ流れるような動作で最愛の主君に誠意を払った。
今回の移動は何時にも増して長く、それに比例して危険でもある。重い物資と甲冑を身に纏って追従する兵士たちは姫である彼女からすれば苦行そのものだし、何より街から離れてしまえばそこは盗賊と魔物のテリトリーだ。
王家の紋がある馬車なので相手が人間なら余程の愚か者でない限り手は出さないだろうが、魔物には関係ない。なので常に緊張感を持たねばならず、肉体的にも精神的にも辛いのだろうと思う。
しかし彼らも訓練を重ねた立派な兵士。この程度の移動は朝飯前だし、前線で何十日と死線を潜ってきた彼らからすればたったこれだけの護衛で弱るわけがない、はずなのだが……
「あー、イテテ。脚がつった~!」
アルシェの言葉を聞いた途端、兵の一人が倒れて痛みを唱えた。それを見ていた何人かの兵士も慌てたように倒れこみ、各々症状を訴える。
「イテテ。急に頭が」
「あ~、俺も脚つった」
「いっけね。肩が…」
「おっと首が」
耳敏く聞いていた一部の兵士が痛みを訴える中、その余りにもわざとらしい視線に苦笑を浮かべたアルシェ。その隣で彼女の護衛騎士である先程の女性、サーナが剣を抜き軽く威圧する。
「ほほ~う? 私が鍛えてやったその身体が、よもやこの程度で音を上げるとは思わなかったぞ。実に由々しき事態だ早急に鍛え直さねばな」
薄く笑みを溢すが、その眼は笑っていない。その事に慌てた彼らがハッとした面持ちで互いを見据え始めた。
「な、治りました、治りましたよ隊長! いやぁ、あはは! 姫様に手を煩わせる程でもありませんな」
「ええ全く!」
「ただの勘違いでした!」
そういうが彼女が止まる気配はない。それどころか先程よりも深い笑みを浮かべていて…
「あぁ大丈夫だ。ちゃんと治療はしてやる。私がその脆弱な部位を斬り落としてそこを治すついでに強くすれば良いのだろう?」
「いや、隊長あの……自分首なんですが…」
「ばッ――! お前ヤメッ…!」
仲間の一人が制止をかけるが、時すでに遅し。剣の切っ先が部下達の方に向けられていた。
「よし首だな? 動くなよ、後でくっつけるのが大変になる」
「ちょっ!? ちょっと待ってください隊長ッ!」
「問答無用!」
『『『ギャアァァァァ!』』』
その後、サーナの粛正は行軍を遅らせない程度に済むのだが、アルシェはそれをどう収めるかでずっとオロオロしていた。
最終的に主からの「程々にね」というフォローが入ったことで何とか被害を免れた臣下達はアルシェにお礼を言い、それに微笑を浮かべると再び馬車の中から代わり映えの無い風景を慈しんだ。
だが、その様子を遠目から俯瞰している人影があった。
「あれが世に轟くフィリアムの騎士団か。思ってたより大したこと無さそうだ」
視線の数はおよそ五十人近くにも及び、屈強な肉体に襤褸の装備を纏う彼等は世間一般で言う盗賊と称される者達である。
人の道徳などまるで持たない、
普段は旅の道を行く通行人や商人から金品を巻き上げて活動しており、間違っても一国の王族を、それもアトラス大森林などという未開の土地をわざわざ選んで襲うほど莫迦ではない。
リスクとリターンで釣り合いが取れておらず、よっぽどの事情が無い限りはそもそもこの地に赴くことすらしなかっただろう。
「それでは頼むぞ。流れは伝えた通りだ」
「あぁ。頼まれたぜ」
故に、今回に限ってはその
その原因が集団の先頭で野盗に指示を出す黒いフードの男にあるのは、此処にいる者しか分からない。
「よし行くぞお前ら。目標はアルシェ姫だ。上の奴等が仕掛けたら突撃しろよ」
彼らが王族に手を出さないのは単純に割に合わないからだ。だけどもし、その保身に傾いた天秤が均等に釣り合い、無謀が可能になったとしたら、時に彼らは一国の王女にすらその牙を向ける。
下卑た視線を送る盗賊の
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
命懸け? のやり取りは結局兵士の土下座とアルシェの説得により一応は治まったが、粗相を働いた彼らは帰還後の訓練量が倍になるということで話がついた。
その際に愕然とした表情をしていた護衛団だったが、直後にサーナが満面の笑みで「ん?」と返したので、頬を引き攣らせて頷くしかなかった。
「ふう。今回も無事に終わりそうですね」
馬車の中では暇を持て余したアルシェが首から下げたネックレスを指で弄り、その美しさに見惚れていた。
それは装飾品としては少しばかり大きく、しかも加工もせず嵌めただけのシンプルな宝石だった。
透明な
今アルシェが着ている青と白のドレスは彼女の要望を聞いて一流の職人に仕立ててもらったモノだが、それもこの宝石と一緒に着飾る為にある。
父である国王が彼女の身の安全を想い、御守り代わりとしてくださった大切なモノ。本来ならば病床に伏せている父こそ持つべきだと主張したがそれでも食い下がり、必ず返すと約束して預かった代物だ。
王族である父とアルシェ、それに彼女の姉と弟しか持つのを許されない天藍色の宝石を、年齢の割に非常に豊かな胸の前で軽く握り、無事に到着できる事を願った。
しかしその願いは……一人の心優しき少女が切望したごく当たり前な願いは、直後何の予兆もなく崩れ去ることとなる。
「ん? 何だ」
最初に
遠くから微かに聞こえてくる音の刺激が、鋭敏な内耳を刺激したのだ。
「どうかしましたか、サーナ?」
「いえ、何か転がってくるような音が聞こえた気がして…」
サーナの声は最後まで聞き取れなかった。彼女が言い切る前に、左にある山の斜面から轟音が飛び出してきたのだ――!
ズドオォーーォン!
『なっ!?』
アルシェとサーナの声が重なる。いや、彼女達だけでなく、周りを囲む大勢の兵もまた突然の事態に声を漏らした。
「いったい何事だ!?」
音の正体は丸く削られた大きな岩だった。それが山の傾斜に沿って次々と転がり落ちては兵の隙間を、もしくは兵士に襲い掛かろうとしている。
「落ち着け! 岩の軌道をよく見ろ! 慌てず対処すればこの程度、どうという事も無い!」
(クソッ! 探知兵は何をしている!?)
本来ならば落石が届く前に処理すべき事態を、ここに至るまで発見できなかったことに苛立ちを募らせる。もし万が一アルシェが怪我などすれば彼女の護衛騎士失格だ。
職務怠慢を行った部下を今すぐにでも叱責したいが、生憎そんな暇はない。主を護るためにも、今は現場に指示を与え隊を機能させるのが彼女の役目だ。
ザッと周囲の状況を確認し、未だ混乱の渦中にいる兵達に声を上げ、迅速な対応に努めさせる。
「第一、第二部隊と近くの小隊は岩を退かして下敷きになった者の救助を! 魔導部隊は山からの落石を壊すか防ぐかしろ! 残った兵は私と共に姫様の護衛だ、急げッ!」
サーナの指示と同時に全員が動き始め、落ちてくる岩に対策できない騎士たちは岩を退けるため全体に散らばり、魔導士たちは一列に並んで詠唱を唱える。
「サーナ、怪我人は私が診ます。皆に私の所に運ぶよう伝えて!」
「…畏まりましたっ!」
本来
おまけにこういう時は制止したとしておよそ聞かないだろうから、時間的猶予と肉体的労働力を惜しんで即決する。
兵士が順調に負傷者を運んでいく中、第二波が襲いかかる。だがその時には最前列を務める魔導部隊も準備を終えていた。
「〝燃やし尽くせ〟《
「〝切り捨てろ〟《
「〝砕けろ〟《豪風》」
「〝落ちろ〟《
熱を宿した火球が岩を砕き、細い刃状の水が真っ二つに切り裂く。不可視の風が岩ごと飲み込み、突如空いた落とし穴に岩が吸い込まれていった。
その後も落石を処理していく魔導士たちを横目に、サーナは馬車の周りに集められた負傷兵を見回した。
(これで全員か、早くせねばな。魔導士たちの魔力が切れれば襲撃者共も襲ってくる筈だ)
サーナは既にこれが自分達の戦力を削ぐための作戦であると気づいていた。
王家の紋を構えた馬車を狙う理由は分からないが、だからこそ足早にこの場を去るべきだとも思う。
仮に狙いが自分達なら返り討ちにしてやるところだが、最大の護衛目的であるアルシェの安全を確保する為には引くしかない。
そしてその事はアルシェ自身も思い至っていた。
「〝悠久よ、我を知り彼らを癒したまえ〟《
術を唱えた途端、彼女を中心に半径十メートル程の円が展開され、中にいた兵士の傷を瞬く間に癒していく。中には骨を何本も折る者までいたが、それさえ術が消えたときにはまるで何事も無かったように、綺麗に完治している。
一級魔導士5人掛かりで行う上級魔法をアルシェは詠唱省略して発動してみせた。正しい過程を踏んでないが為に魔力をごっそり持っていかれたが、これで出発の時間を早める事が出来た。
「これで一先ずは大丈夫な筈です。後は……ッ、また来ます!」
しかしそこに間髪入れず次の脅威が迫っていた。後の処理を部下に任せて速やかに下がろうとしたところで、再び山上から第三波が押し寄せて来たのだ。
それだけならば別に魔導部隊が片を付けるだけで済むのだが、如何せんその規模が問題だった。
前二つの波を合わせても足りない程の物量で転がり落ちてきたソレは、もしこのまま直撃すれば詠唱が間に合わず部隊が壊滅、良くても分断されてしまう。
それを察した全員の表情が一変し、即座に防御体勢へ入ろうとする。
「皆を守って。【
しかし予期していた衝撃は訪れなかった。衝突の瞬間、皆を守るようにして巨大な結界が両者の間に出現したのだ。
「おおっ、姫様!?」
「助かりました姫様!」
彼等は知っている。その結界が誰の力によるものなのかを。そしてその魔法が誇る圧倒的防御力も。
「えぇ……皆さん、お怪我はありませんか…?」
「ええ、問題ありません。今ので最後だったようです」
兵士の一人からその報告を聞き、ホッと安堵の息を吐く。そして魔法を解除するが、その時頬を伝う汗を見てサーナの眉間に皺が寄った。
(不味いな。あの大きさのを発動したとなると、幾らアルシェ様でもかなり魔力を消耗した筈だ)
サーナの懸念通り、アルシェの顔には安堵の他に疲労の色が見て取れる。慣れない長旅に加え、結界や回復魔法に魔力を割いているのが原因だった。
幾ら聖女として桁外れな魔力を誇ろうが、人の子は人。際限なしに力を注げば、何れ限界は訪れる。
そうしている間にも治療の手は止まず、そうなれば如何に桁外れな魔力を誇っていようが人である限り限界は来るのだ。
「結界のおかげで負傷者はいません。皆無事のようです」
「そう…。それは良かった」
(っ、これは早急に離れるべきだな)
会話中も治療の手は止まず、そうこうしている内に粗方の処置が終わったようだ。
故に、即座に命令を出す。
「全兵に告ぐ、撤退するぞ! 急いで準備しろ!」
言うが速いか、その号令は瞬く間に全兵へ行き渡る。
アルシェの魔法に浮き足立っていた者達も、サーナの檄にハッとする。治しても気絶したままの者達を除き、急ぎ全員でこの場から去る準備を始める――
「がっ!?」
「ぐぇっ!?」
――がしかし、ここで一つ目の誤算が生じた。
「……え?」
「盗賊!? 馬鹿なッ、何処にいたッ!?」
突如何も無い場所から盗賊が一斉に出現した。その数、ざっと見積もって三十人以上。
サーナの命令で動いていた彼らの首と胴体に永遠の別れを告げさせ、状況についていけない兵の胸や背中には、彼らの得物と思わしき剣や槍が深々と突き刺さっていた。
「あ、あぁ――そんな…っ」
「~~っ、クソッ!!」
それも岩の対処に当たっている魔導部隊と治療を行ったアルシェ達の間に割り込むような形で出現したのである。
これにはサーナも驚愕と悔しさに声を荒げ、アルシェに至っては脳が目の前で起きた事態の把握を拒みもしていた。
「私としたことが、何たるザマか……!」
しかし尚も混乱は続く。突如として出現した目の前の不届き者共を討とうとした直後、今度は反対側の奥、即ち魔導部隊の後ろから、これまた急に盗賊が現れたのだ。
これによりサーナたちと挟撃する形だったのが、逆に自分達の方が挟まれる事となり、碌な近接手段を持たない魔法職の精鋭たちは見る見るとその数を減らしていく。
これが二つ目の誤算。
「ぐっ!」
「がはっ!」
盗賊が現れてから落石がピタリと止んだ。しかしそれが気休めにもならぬほど今の状況は逼迫している。
魔導士たちは咄嗟の事に反応できず次々と屠られていき、元々岩の迎撃で魔力を消耗した状態とあって、まともに太刀打ち出来ずにいる。
それでも量と質では勝っているのだが、奴らはどういう訳か消えたり現れたりを繰り返しながら応戦し、サーナたちの加勢を阻んでいる。まるで噂に伝え聞く〖白銀妃〗が如く、ゆらゆら此方を幻惑するように。
「だがパターンは見えた! その姿を消す奇術、どうやら消えながら攻撃は出来ぬらしいな!?」
「がッ――、」
「あグっ!?」
「ウソだろッ!? 幾ら何でも早すぎゲブッ」
それでも回数を重ねれば、一定以上の実力を持つ者達は慣れ始める。
勿論サーナも剣を手に取り、これまでの鬱憤を晴らすかの如く一太刀の下に断ち伏せ、今築いたばかりの死者の道を踏み歩き驀進する。
「それに一度姿を表せば再発動するまでにインターバルを数秒挟む必要があるようだな。お陰で大体の位置と人数を把握できた」
そういう彼女の瞳の奥は怒りで燃えており、それを直感で感じ取った数人が、彼女と距離を開け、警戒心を引き上げた。
「退けッ! 不覚にも着せられた我が汚名、ここで貴様らの亡骸を積むより、主の盾を残す方が返上出来よう! ならば盗賊とて、邪魔をするなら一切の出し惜しみはせんぞ!」
声高々く、言葉のみで戦意を挫くかの如く威圧する。
実際に所見殺しの策が見破られ、格上との戦闘も殆ど経験してこなかった大多数の盗賊共はサーナから漏れ出るオーラに当てられただけで戦う気力を失い、武器を手放してしまった。
サーナとて出来る事なら部下の命を奪ったこの為らず者達を首討ちにしたかったが、そこは大国の姫の護衛を任せられたエリート騎士。
私情を持ち込まず、ただ
実際、その考え自体は間違っていなかった。
正体不明の攻撃に慣れたとは言え、それが出来るのはサーナを含めて本当に僅かしかいない。であるならば、早々にこの場を離れるか、もしくはそう仕向け、後日現場や拾った死体から謎の現象のカラクリを明かせばいい。
そのためには此方との実力差を痛感させた方が手っ取り早い。殺気を滾らせ、死体を量産することで相手方の士気が見るからに下がる。
ジリジリと前線が後退し、壊走する者も視界の隅で出始めている。
そのまま戦意を折ろうと、足を一歩踏み出す。
同時に、今まで向けていた警戒の色を前方のみに絞り、攻勢を強める準備に掛かろうとした。
だがそれこそが彼女の
盗賊を退ける考えに至るまでは良い。しかし、それを為すための手段の選択を、最後の最後に違えてしまったのだ。
「ぁぐッ!?」
「っ! サーナ!」
「隊長!」
剣を上段に構え、味方の救助を図ろうとしたサーナの腹を、
「へっ、呆気ねぇ。何だかんだとご高説を垂れようが、結局騎士様も
厳つい顔つきにヨレヨレのレザーアーマーを着た大柄の体躯を誇る男――この盗賊団を纏める頭領だった。それがサーナに致命傷を負わせた剣の持ち手を掴み、彼女の反撃を潰す原因を今まさに演出していた。
「ぐっ――貴様ァ”ァ…!」
溢れ出る血と眩暈を気力で押さえつけると、身体を前に倒し、無理矢理剣を抜く。開いた傷口から腹部が真っ赤に染まるのを意識的に思考から外し、それを為した下手人をまるで呪い殺さんばかりに睨み付ける。
しかしその目が……男が手にする或るモノを見た瞬間に、それは驚愕へと塗り替えられた。
「なっ…そんなッ、
有り得ない。どうしてそんなものを、たかだか盗賊如きが持っている!
「さ~て? 最近の盗賊には必要なモノだったりしてな!」
「巫山戯るなよ! そんな訳があるか!」
男の軽い態度に苛立ちが募る。そんなサーナを目の前の大男は一笑に付すと、剣を高々と上げて嫌みな笑みを晒した。
「はっ、冗談が通じねぇ姉ちゃんだぜ。まぁ良い。用があるのはそっちの姫さんだけだ。テメェは死んどけ」
「っ!」
そう言って膝をついてしまったサーナ目掛け、引き抜いた剣を振り下ろす光景がゆっくり流れる。
その瞬間、サーナは己が失敗を悟った。
一部隊を率いる身でありながら、行動の選択を誤り、その結果何もできずに命を摘み取られる直前まで来てしまった。
確かに『霧』の
あれはそもそも国家が独占するために、市井では存在すら秘匿されているような代物だ。サーナすら数える程しか使用したことがない超一級品を、こんな場所で、しかもこれ程の数運用してくるなど果たして想定できようか
しかし、それでも――
(可能性の一つとして頭に留めておく位は出来た筈だ!)
何せヒントを散々実践されたばかりではないか。それも目の前で。
そこまで行って可能性に至れなかったのは、相手が盗賊だったからに他ならない。
これがもし国家間の戦争だったなら、たとえ相手が保有しているという情報が無くとも警戒に居れていた筈だ。
何せ、これ一つで戦争の勝敗が決まりかねない。
それ程の劇物と、こんな場所で襲撃してくる成らず者集団が結びつかないのは至極当然の話。
相手はそこを逆手に取り、此方の油断を誘うべく
そして恰も
そうして過去の過ちは代償となって彼女の身に降り掛かり、その凶刃が命を散らさんと首を断たんとする。
「させません、【
「ぬおっ!?」
「っ、姫様!」
だがそこへ正六面体の結界が現れ、攻撃を阻まれた。
更には男が怯んだ隙に今自身が設けた結界に干渉し、次々と中級、或いは上級魔法を発動させていく。
「いきます! 《
「ちっ! 流石だな〖聖女姫〗、アンタが一番厄介だよ!」
結界内にいるサーナの腹部が劇的に回復している様子や、他にも何か施している様を見てアルシェを危険だと判断したのだろう。予定を変更し、先に彼女を捕らえにかかる。
「させるかっ!」
「邪魔くせぇんだよ!」
当然アルシェを守護する騎士達に邪魔されるが、手にもった
「ぐっ…」
人がいきなり消えるという事に困惑している彼らを勢いそのままに斬り捨て、眼前に迫ったアルシェの細く白い首を片手で掴み持ち上げた。
「…ぁ……ぅぐ…」
「ったく、とんでもねぇ姫様だぜ。まさかあれほどの魔法の後に
「カッ…ハ――ァ…」
「悪いが終わるまで眠っててもらうぜ。アンタが動くと面倒だ」
「ッ…!」
アルシェから抵抗する力が失われていき、そっとほくそ笑む。しかし…
ドスッ
「ガっ!? ――んだ、とぉ!」
「その手を離せ下郎。その御方は貴様如きが気安く触れて良い人では決してない」
誰もいない筈の背後から――否、盗賊から鹵獲しておいた
「う”っ……がふッ! (おいおい、幾ら何でも治るのが速すぎんだろ! まだ一分も経ってねえんだぞ!?)」
突然の事に動揺し、アルシェを掴んでいた手が緩む。それを地面に落ちるより先にサーナが優しく抱き止めた。
「ッ…ゲホッ、ゲホッ!」
「申し訳ございませんアルシェ様。私の不甲斐なさが招いた結果です」
閉じていた気道に空気が入ったことで肺に酸素が入り渡る。アルシェは霞む意識の中でサーナをぼんやり見つめ、そして瞼を落とす。
中級魔法と言えど詠唱破棄と
「クソ、が。あれだけ手間暇かけたってのに、あっさり回復しやがって…!」
「当然だ、アルシェ様から直々に施しを戴いたのだからな。それに応えぬ私ではない。何より…」
「っ!?」
目の前にいるサーナから大瀑布のような圧を浴びせられ、背筋が凍りついた。
治したと言ってもあの短時間で腹に空けた傷が完治できる筈もない。穴は塞がったようだが、受けたダメージは確実に奴を追い込んでいる。
しかし感じる。自分と奴との圧倒的な“格の差”を。一生賭けても埋められないであろう格の違いというやつをだ。
「お…お……おぉぉぉぉぉ………!」
「何より…貴様は姫を傷付けた。その事実がお前を殺す」
「おおぉ…おぉぉぉ~~~っ!」
頭が震える、脚が震える、声が震える、全身が震える。
「覚えておくと良い下郎。世界には喧嘩を売ってはいけない者達が3種類いる」
「オ”オ”ォ”ォ”ォ”ォ”~~~~~ッ!」
腱が震える胃が震える心臓が震える脳が震える…
「一つはこの世を治める神々、又はその手足たる天使と。もう一つは悠久の時からこの世に生きる神獣達。そして最後に……」
「~~~~~~~~やめッ!」
ドパンッ!!
「この世の数ある『
そこに有ったかつて人だったモノは口から血を吐き、肉が裂けて骨が覗き、股間の辺りもビショビショに濡れてしまっている。
普通なら大の男でも直視することを躊躇う光景だが、サーナは冷めた眼を向けるだけで何も感じていなかった。
ただこれを敬愛する主に見せる訳にはいかないので、その事だけは気を付けねばと思った。
辺りを見渡すと事態はほぼ沈静化している。盗賊が持っていた
『気配遮断』『身体強化』はまだしも透過能力まで備えていた。普通に売れば一個数百万はくだらないだろう。
しかしそれに比例し魔力消費も馬鹿にならなかった。常日頃から訓練された自分の兵なら兎も角、奪うことしか能がない盗賊では所詮宝の持ち腐れだ。
現に今も何人かは魔力枯渇を起こして立つこともままならない。サーナが盗賊らの親玉を殺したのもあるだろう。最初の勢いは消え、四十人程いた奴等も今では半分ぐらいまで減っている。
(もう収まるな。ならば私はアルシェ様の安全を…)
サーナはアルシェを抱えたまま歩を進めようとする、が…
ざわッ――
「ッ!!?」
突如前方より放たれる隔絶した魔力に脚を縫い付けられる。
先に見せたサーナのプレッシャーよりも遥かに上。そう思わせるだけの強烈な気配が此方に向かって来る。
それはサーナに限らずこの場にいた全員が同じらしく、兵も盗賊も攻撃の手を止め一概にその方向を見ていた。
「ほう、もう立て直したか。
兵を挟んでサーナの反対側。そこに現れたのは黒コートにフードを被った謎の人物だった。声からして三十代以上の男であると推測できる。
だがそれ以上は分からない。強いて上げるならこの男が敵であること。そしてもう一つが…。
(コイツには勝てないっ!)
サーナをもってしても勝利の見込みが薄れいということだった。
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