第4話:闇の兆し、街に迫る危機

 カルマシティは夜更けとともに、静寂と重圧に包まれ、街全体が影に飲み込まれているかのようだった。暗く滲む街灯の下、白羽光里しらはね・ひかりは足早に影の守り人の拠点内にある診療所に向かっていた。

 陰湿な雰囲気の中、光里はふんわりとした優しい雰囲気を持ち、長い焦げ茶色の背中まである長い髪が特徴だ。大きな瞳はどこか夢見るような柔らかさを持っており、彼女の内面を反映している。小柄で華奢な体つきながら、彼女の佇まいにはどこか芯の強さを感じさせた。


 彼女は、影の守り人たちを支援することが使命だが、この街と拠点の異様な雰囲気にはまだ慣れない様子だ。訓練されたはずの心が、微かに緊張で揺れている。


「……まるでこの街全体が、息をひそめているみたい」


 光里の小さなつぶやきは、夜の静寂に吸い込まれ消えた。かつて賑やかだったカルマシティは、影獣かげじゅうの脅威にさらされ、今や人々は夜になると街から消え去る。しかし、光里の心には、守り人たちを支えたいという強い使命感が灯っていた。


 拠点にある診療所の扉を開けると、そこには意外な人物が待っていた。黒華くろか――影の守り人たちの中でも屈指の実力者で、冷静かつ威厳を漂わせた女性が立っている。月明かりが彼女の黒髪を照らし、影の一部のような冷たさを感じさせた。


「あなたが白羽光里ね」


 黒華の冷たい視線に、光里は少し緊張しながらも真剣な眼差しでうなずいた。


「はい、今日からこちらでお世話になります。まだ不慣れですが、精一杯頑張ります!」


 黒華は厳しい表情を崩さないまま冷静にうなずいた。その視線には、守護者としての責任と、光里へのわずかな期待が込められているようだった。


「ここは影の守り人の支援の場、そして最後の癒しの場でもある。支える者として、覚悟はできている?」


「もちろんです。この街の人々が安心して暮らせるよう、できる限りのことをします」


 光里の言葉に宿る決意に、黒華もわずかに満足そうにうなずいた。その時、診療所のドアが静かに開き、黒猫の姿をした結女が足音もなく入ってきた。


「こんばんは、光里ちゃん」


 振り向いた光里は、黒猫が音もなく人の姿に変わる様子に驚きながらも、親しげに声をかけた。現れた結女ゆめの姿は、漆黒の長い髪が艶やかに肩を滑り、紫がかった瞳が静かな輝きを放つ。

 彼女の纏う和服風の衣装は、伝統的な美しさとどこか現代的なアレンジを融合させたデザインで、神秘的な雰囲気を際立たせている。結女は柔らかさを湛えた眼差しで光里を見つめ、穏やかな微笑みを浮かべている。


「結女さん……!」


 光里は親しみを込めて彼女の手を握り、結女もまた温かく応じて手を包んだ。


「これから大変なことがあるかもしれないけれど、あなたなら大丈夫。皆を支える力がきっとあるから」


 その言葉に、光里の胸にはほのかな温もりが広がった。未知の世界に飛び込む不安が、結女の言葉で少しずつ和らいでいく。


「私ができることがあるなら、全力を尽くします」


 光里の言葉に結女はふっと微笑み、彼女の肩にそっと手を置いた。


「その気持ちを忘れないでね」


 和やかな雰囲気に包まれた瞬間、再び重い足音が響き、扉が開いた。冷たい視線を向けて立っていたのは凛――影獣を討つために影の守り人に加わったばかりの青年だ。黒い刀を握る手には固い意志が宿り、その瞳には冷徹さと深い闇が垣間見える。


 黒華が凛に視線を向け、厳かな声で尋ねた。


「凛、自分でここまで来たようね。負傷したと聞いたけれど、具合はどう?」


「ああ、問題ない」


 凛は冷たい眼差しのまま、短くうなずいた。黒華もまた冷静に見つめ続け、彼がただの復讐者ではなく仲間であることを意識させるような言葉を続けた。


「あなたも影の守り人の一員。私たちと共に、この街を守る者としての自覚を持ちなさい。互いに支え合い、そして必要なら頼ることも覚えて」


「……わかっている」


 凛は短く答えたが、その表情からは冷徹な復讐心が消えることはなかった。彼の姿に一瞬胸が痛んだ光里は、勇気を振り絞って一歩踏み出し、凛に向かって言葉をかけた。


「私には、戦う力はないけれど……影獣に襲われた時、影の守り人の人たちに助けられました。その時の感謝を返したくて、この街に来たんです。だから、私の力が少しでも皆さんの助けになるなら、それが私の戦いです」


 凛は驚いたように光里を見つめ、その真っ直ぐな眼差しが心にかすかな動揺を呼び起こすのを感じた。


(……守りたい、か。そんなもの、まだ俺にあるのか?)


 一瞬迷いの表情を浮かべた後、小さくうなずいた。


「……助けが必要なら、頼むことにする」


 その言葉に、光里の瞳がわずかに潤んだ。


「ありがとうございます、凛さん。これからは一緒に戦いましょう」


 ふと視線が光里の胸元に向かい、青いペンダントが控えめに輝いているのに気づいた。


(あれは……どこかで見た記憶がある)


 凛は無意識に目を細め、つぶやくように言った。


「そのペンダント……どこかで見た気がする」


 光里は少し驚きながらも、微笑んでペンダントを撫でた。


「これ、母からもらったんです。『天照あまてらすの光』って呼ばれてて、災いから身を守るお守りだって」


 その言葉を聞いた結女が近づき、輝くペンダントを見つめた。


「……ただのお守りじゃないわね。それが青く輝く人は珍しい。光里ちゃん、あなた、天照の力に近い適性があるのかも」


 光里は驚いたようにペンダントを見下ろしたが、結女はふっと微笑んで「まあ、今は気にしないで」とだけ告げ、そっと離れた。


 凛は結女の言葉を聞き流したかのように振る舞いながらも、内心では別の記憶が揺れ動いていた。


(……ユウキのペンダントと似ている。もしや、あれも……)


 心の中にかすかな疑念を抱えつつ、彼は視線をそらした。


 黒華が厳しい表情で皆を見回し、冷静な声で告げた。


「私たちは影の守り人として、互いの力を合わせなければならない。それぞれが自分の役割を果たす覚悟を持っているわね?」


 光里は強い眼差しでうなずき、結女は穏やかに微笑み返した。凛もまた、冷徹な表情のまま、わずかにうなずいた。


 光里、結女、凛、そして黒華。影の守り人たちはそれぞれの心に異なる思いを抱きながらも、カルマシティの拠点で出会い、その夜に控える戦いに向けて準備を進めていた。


 夜の帳が深まるにつれ、カルマシティの空気はさらに重く、冷たくなっていく。影獣の気配がじわじわと街全体を覆い、診療所の窓から見える外の闇は、どこか息苦しいほどの静寂に包まれていた。


 診療所の中で、光里は包帯や薬を整えながら、負傷者に迅速に対応できるよう準備を進めていた。その表情には強い決意が浮かんでいる。


「大丈夫、私がいる限り……」


 光里は小さく自分に言い聞かせるようにつぶやいた。影の守り人たちを支えたいという彼女の意志は、ここでの生活や任務に不安を抱えながらも、強く確固たるものだった。


 その頃、凛は診療所を出て、静まり返った街の路地を一人で歩いていた。手に握った黒い刀を軽く振り直しながら、闇に沈む街並みを見渡す。その瞳には、復讐心と深い孤独が渦巻いている。


(守るべきもの……か)


 光里の言葉が、彼の胸の奥にかすかな違和感を残していた。戦い続けることでしか自分の存在価値を示せないと信じてきた凛にとって、「誰かを支える」や「支えられる」という感覚はあまりにも遠いものでしかなかった。


 その時、後ろから静かな足音が近づく。振り返ると、黒華が冷静な視線で凛を見つめていた。


「こんなところで一人で考え込むなんて、君らしくないな」


「……何か用か?」


 冷たく返す凛に対し、黒華は微かに笑みを浮かべ、彼の隣に立った。


「守り人としての覚悟を確かめたかっただけだ」


 黒華の言葉に、凛は黙り込む。しかし、その視線は正面を向いたまま、言葉が続くのを待っているようにも見えた。


「君が何を背負い、何を見てきたのか、すべてを知るつもりはない。ただ、私もかつて……守りたかった人を守れなかった。力を求め、孤独に戦い続けた結果、誰も救えなかったことを後悔している」


 凛は目を細め、黒華の横顔をちらりと見た。その静かな声には確かな真実と痛みが宿っているのを感じた。


「だからこそ言う。君が一人で戦うことだけに執着するなら、それは過去の自分を慰めるだけの行為になりかねない。力を貸してくれる者を信じることも、守るための力だ」


「……俺には、そんなもの必要ない」


 凛の声には冷たさが混じる。しかしその一瞬、彼の瞳に微かな揺らぎが映ったのを黒華は見逃さなかった。


「必要ないなら、そうだな。でももし必要だと思ったときには――誰かが君を支えてくれる場所がここにはある。それを覚えておいてくれ」


 黒華はそれ以上言葉を重ねることなく、踵を返してその場を後にした。凛はしばらくその場に立ち尽くしていたが、やがて深いため息をつくと、刀を握り直しながら再び歩き始めた。


 その夜、拠点から影の守り人たちが次々と出撃準備を整え、任務に向かっていく。光里は診療所の中で、闇に立ち向かう彼らの背中を静かに見送っていた。


「皆さんが無事に戻れるように……」


 小さく祈るようにつぶやきながら、光里は再び薬品の整理に取りかかる。凛、結女、黒華、それぞれの姿が夜の闇に溶け込むように消えていく。


 巨大な影獣が暗闇の中から姿を現した時、彼らの戦いは始まった。黒華は即座に指示を出し、結女は黒猫の姿に戻って影の中を駆け抜ける。凛は冷徹な動きで影獣に接近し、黒い刀を一閃させた。


(守るための力――本当にそんなものが、俺にもあるのか?)


 凛の中で、これまで孤独だけを信じていた信念に、小さな揺らぎが生まれていた。光里の言葉や黒華の話が、彼の心の奥深くに微かな波紋を広げつつある。


 影獣との戦いが激しさを増していく中、彼らの思いが交錯し、絆の兆しが少しずつ形になろうとしていた。


 戦いの終息は唐突だった。影獣が最後の一撃で消滅した瞬間、周囲には深い静寂が戻った。荒れ果てた路地には、戦いの痕跡だけが残る。


 凛はその場に立ち尽くし、黒い刀を静かに鞘に収めた。左腕の傷口からは微かに血が流れているが、痛みを口にすることはなかった。視線を地面に落としながら、思考に沈む。


(……これで、また一つ影獣を討った。それだけだ)


 しかし、心の中で響く光里の声や、黒華の言葉が微かに彼を苛んでいた。


「凛、無事だな」


 背後から黒華の声が響く。彼女の冷静な瞳が彼の状態を確認するが、それ以上何も言わない。代わりに、結女が黒猫の姿から人の形に戻り、そっと近づいてきた。


「怪我、放っておいたら良くないわよ」


 凛は短く息を吐き、「問題ない」とだけ答える。だが結女は構わずに彼を診療所へと促す。


「光里ちゃんが待ってる。治療も、君に必要な支えよ」


 無言のまま従うように歩き出した凛だったが、その足取りはどこか不安定だった。


 診療所の扉が開いた瞬間、光里の視線が凛に向けられた。彼の血にまみれた姿を目にした光里は、一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに手元の医療道具を手に取り、彼に駆け寄る。


「凛さん、大丈夫ですか? 今すぐ治療を始めます!」


 凛は無言で診察台に座り、光里の献身的な手つきに身を委ねる。光里は包帯を丁寧に巻きながら、小さな声で語りかけた。


「あなたが無事でいてくれるだけで、皆さんにとって大きな力になります。だから、どうか無理をしないでください」


 凛はその言葉に目を伏せ、短く答えた。


「……分かった」


 その一言に光里の瞳がわずかに潤む。彼女はそれを隠すように微笑み、手当てを続けた。


 その様子を見守っていた黒華が静かに言葉を紡いだ。


「光里、君のその気持ちを忘れないでくれ。君の支えが、この場所を守る力になる」


 光里は黒華の言葉に頷きながら、改めて自分の役割を胸に刻み込んだ。


 夜明けが近づき、診療所に朝の気配が漂い始めた。治療を終えた凛は、一人で窓辺に立ち、まだ暗い空を見上げていた。


(……俺は、何を守ろうとしている?)


 彼の心の中で問いが膨らんでいく。それは、自らの復讐心と、光里や黒華たちとの関わりの中で生まれた新たな感情の間で揺れ動くものだった。


 その時、光里の声が背後から聞こえた。


「凛さん……」


 振り返ると、光里が彼を見つめている。その視線には、ただ相手を思いやる純粋さが込められていた。


「あなたが一人で戦わなくてもいい日が、きっと来るはずです」


 その言葉は、凛にとって驚くほど温かいものであった。彼は一瞬目を見開いたが、すぐに視線をそらして短く答えた。


「……そうかもしれないな」


 その場を去ろうとする凛の背中に、光里が静かに微笑みかけた。


「その時が来るまで、私はここで待っていますね」


 その言葉に、凛は振り返ることなく診療所を後にしたが、その足取りには少しだけ迷いが見える。


 夜明け前、診療所の外に出た凛は、冷たい風を感じながら歩みを進めた。街の路地は静まり返り、影獣との戦いの名残を感じさせる痕跡だけが残っている。彼の手には黒い刀が握られていたが、その力強い握りしめ方には、どこか迷いが見え隠れしていた。


(……俺が守りたいものなんて、あるのか?)


 ふと、光里の言葉が頭をよぎる。彼女が見せた純粋な献身と、あの胸元に輝く青いペンダント――「天照の光」と呼ばれるそれが、彼の中で何かを呼び覚ましていた。


「お前はまだ、誰かを守れると思ってるのか?」


 自分自身に問いかけるようなその言葉は、空気に溶けるように消えていった。


 その頃、光里は診療所の片隅で静かに座っていた。手の中で青く輝くペンダントを撫でながら、彼女は小さくつぶやく。


「お母さん、これが私を守ってくれるって言ってたけど……本当かな」


 その声に、どこからか聞こえるように結女が現れた。猫の姿のまま、静かに光里の膝に飛び乗る。


「そのペンダントが青く輝くのはね、特別な適性があるからなのよ」


 光里は驚きながらも結女を見つめた。


「適性……?」


 結女は意味ありげに微笑みながら言葉を続けた。


「天照の光と呼ばれる力。それを扱える人は限られているの。でも、今はまだその力が眠っているだけ」


「私にそんな力が……?」


 戸惑いを隠せない光里に、結女はそっと寄り添いながら優しく語りかける。


「焦らなくていいわ。力を持つことが重要なのではなく、それをどう使うかが大事。光里ちゃんはその答えを見つけられる子だと思う」


 光里は結女の言葉を胸に刻むように頷き、再びペンダントを握りしめた。


「私ができることを、精一杯やってみます」


 診療所を出た光里が朝の空気を吸い込んだとき、黒華の姿が目に入った。冷たい風の中で静かに立つその背中には、孤独と責任の重みが漂っている。


「黒華さん……」


 光里が声をかけると、黒華はゆっくりと振り返り、光里に視線を向けた。


「どうした、こんな朝早く」


「私、ちゃんとこの街を支えられているのかなって……少し自信がなくて」


 黒華はわずかに目を細め、光里の言葉を受け止める。


「光里、支える者に自信は必要ない。ただ、その場所に立ち続ける覚悟があれば、それで十分だ」


 その言葉に、光里の胸に灯った迷いが少しずつ晴れていく。黒華はさらに言葉を続けた。


「この街は深い闇に包まれているけれど、どんな暗闇にも光は射す。君が持っているもの――その輝きが、きっと道を切り開くはずだ」


 光里は自分の胸元のペンダントに触れ、小さく頷いた。


「はい……私、頑張ります」


 夜明けの陽が少しずつ街を照らし始める中、影の守り人たちはそれぞれの場所へと歩みを進めていた。


 凛はふと立ち止まり、振り返るように診療所の方角を見つめた。その瞳にはまだ冷たさが残っているが、心の奥底ではかすかな温もりが芽生え始めている。


(……支える、か)


 彼の心に去来する光里の笑顔と、黒華の言葉。それは、孤独に閉ざされていた彼の胸に少しずつ染み込んでいく。


 凛はその場で小さく息を吐き、再び足を踏み出した。その一歩は、今までとはどこか違う力強さを帯びていた。


 同じ頃、結女は静かに夜の街を歩いていた。


 黒猫の姿を保ちながら、影獣の気配が漂う路地を慎重に進む。彼女の鋭い目が暗闇を捉え、僅かな異変も見逃さない。影の守り人たちが戦いを準備している間、結女には別の役割があった。


(……光里ちゃんのペンダント。あれが青く輝いたのを見たのは久しぶりね)


 結女の心には、ある記憶が蘇っていた。かつての装着者――「天照の白夜」と呼ばれる全身甲冑の戦士を思い出す。光里の持つペンダントと同じ輝きを放ち、その力を完全に引き出せた者の姿。


(まさか、この街に新たな装着者が現れるなんて)


 結女は小さくため息をつき、黒猫の身体を伸ばした。未だに力を目覚めさせていない光里の姿を思い返しながらも、彼女の成長を信じていた。


「時期が来れば、きっと自分の力に気づくわね……」


 そうつぶやき、結女は足音を消して街の奥へと進んでいった。


 その夜、黒華は影獣の動きを監視していた。


 診療所の屋上に立つ彼女の姿は、冷たい風の中で揺るぎない威圧感を放っている。手にした武器――長い双剣の柄を静かに握り、辺りを見渡していた。


(……この街は深く侵されている。影獣の力が以前より増しているのは確かね)


 彼女の瞳には決意が宿っていたが、その奥底にはわずかな不安も隠れていた。影の守り人として数多くの戦いを乗り越えた黒華でさえ、最近の影獣の動きには警戒を隠せない。


 その時、彼女の背後に軽い足音が近づく。振り向くとそこには凛が立っていた。


「……何か用?」


 黒華が問いかけると、凛は黙ったまま、じっと彼女を見つめていた。


「お前は……どうやって守り続けているんだ?」


 その問いかけに、黒華は一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐに落ち着きを取り戻した。


「どうやって、か。それは単純だ。ただ、守りたいものがあるからだ」


「……それだけで、ここまでやれるのか」


 凛の声には迷いがあった。黒華は彼の瞳を見据えながら、静かに答える。


「そうだ。そして、それ以外の理由なんて必要ない。けれど……君にはまだ、その『守りたいもの』が何か分からないのだろう?」


 凛は言葉を返さなかったが、その視線にはわずかな動揺が浮かんでいた。黒華は微笑みもせず、彼の肩に手を置く。


「探しなさい。自分が何を守りたいのか。それが見つからなければ、この戦いの中で君自身が飲み込まれる」


 凛はその言葉を深く胸に刻み込むように、小さく頷いた。


 診療所で迎える新たな朝――。


 朝日が差し込み始めると、光里は目を覚まし、診療所の準備を整え始めていた。彼女の動きは慌ただしいが、どこか晴れやかだった。


(……私ができることを一つ一つやればいい。それで、きっと皆を支えられるはず)


 ペンダントの輝きをそっと確認しながら、光里は強くそう思った。


 その時、入口のベルが鳴り響く。振り向くと、凛が静かに入ってきた。彼の腕にはまだ包帯が巻かれている。


「……少し、痛むだけだ。気にするな」


 そう言いながら診察台に座る凛に、光里は微笑みながら近づいた。


「気にしないわけにはいきません。私の仕事ですから」


 光里は丁寧に包帯を外し、手当てをしながらそっと問いかけた。


「凛さん、私がここに来た理由……信じてくれるかな」


 凛は彼女の顔を見つめ、何も言わずに頷いた。その瞬間、光里の胸に小さな喜びが広がった。


 その後、影獣の気配がさらに増大しているとの報告が届く。黒華、結女、光里、そして凛。影の守り人たちはそれぞれの役割を胸に、街の防衛に立ち上がる。


 この街を救う鍵となる「天照の光」。その力が目覚める日は近づいていた。


(……私はここで、皆と一緒に戦うんだ)


 光里の瞳に決意の光が宿り、彼女は凛たちとともに新たな戦いへと歩みを進めた。


 闇夜が再びカルマシティを包み込む頃、黒華、結女、凛、そして光里は各々の準備を整え、影獣の出現に備えていた。黒華は先頭に立ち、作戦の指示を出す。


「結女、影獣の弱点を探って隙を作ってくれ。凛は正面から攻撃を仕掛けろ。光里は負傷者の治療と、緊急時の後退ルートの確保を」


 光里は緊張しながらもうなずいた。黒華の言葉には迷いがなく、彼女たちを守る意思がはっきりと伝わってくる。


「私も……できる限り頑張ります!」


 その声に結女が微笑む。「頑張るだけじゃないわ。あなたなら大丈夫」


 凛は無言で黒い刀を抜き、鋭い視線を前方の闇に向けた。


 影獣が姿を現したのは、街の中心部に近い古びた広場だった。空気が凍りつくような低い唸り声が響き、光里は体を硬直させたが、結女がすかさず囁いた。


「大丈夫。怖くないわけじゃないけど、動き続ければきっと乗り越えられる」


 結女の言葉で、光里は一歩前に出た。黒華が先陣を切り、影獣の攻撃を受け流す。凛はその隙を突き、鋭い斬撃を叩き込むが、影獣の動きは素早く、反撃が凛を狙って放たれる。


「凛さん!」


 光里が叫ぶと、結女が即座に影獣の注意を引きつけた。黒猫の姿に戻り、影の中を駆け抜ける結女が、影獣の動きを一瞬止めた。


「今よ!」


 黒華の指示で、凛が再び攻撃を仕掛ける。今度は確実に影獣の弱点を貫いた。


 戦いが一段落した後、光里はすぐに負傷者の治療にあたった。凛の腕には再び深い傷があり、光里はその傷を見て眉をひそめた。


「無茶をしすぎです……ちゃんと治療しないと」


 凛は黙ったまま、光里が傷口を手当てするのを見つめていた。その手つきは真剣そのもので、彼の心にわずかな変化を与える。


「……どうしてそこまで真剣になれるんだ」


 光里は手を止め、凛の目をまっすぐに見た。


「誰かがあなたを支えることで、少しでも楽になれるなら。それが私の役目だと思うから」


 その言葉に、凛は何かを言いかけたが、結局黙って視線をそらした。


 戦いが終わり、一行が拠点に戻ると、黒華と結女が静かに話し始めた。


「光里のペンダント、やはり……」


 黒華の言葉に結女がうなずく。「ええ。彼女が覚醒するまで、まだ少し時間がかかるかもしれない。でも、確かな適性があるのは間違いないわ」


「そうだとしても、彼女にすべてを背負わせるわけにはいかない。凛や私たちが支える必要がある」


 結女は微笑みながら黒華を見つめた。「そうね。でも、彼女の心の強さは私たち以上かもしれない」


 その夜、光里はペンダントを見つめながら、診療所のベッドに腰を下ろしていた。


(これが……本当に天照の光なの?)


 思いを巡らせる中、ふとペンダントが静かに輝きを増した。その光に気づいた光里は、不思議と胸の奥が温かくなるのを感じた。


「……大丈夫。私がここにいる限り、みんなを守る力になる」


 小さく呟く光里の声は、静寂の診療所に吸い込まれていった。


 一方、街の片隅では、影獣のさらなる侵攻が始まろうとしていた。呻き声が夜風に混じり、遠くから迫る不気味な気配が、次なる戦いの予感を漂わせている。

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