息抜き短編

旅籠はな

おはよう、眠り姫。


《0》

「おはよう、眠り姫。」

 僕は眠る彼女に声をかけた。

 この世には、原因不明の特殊な病が蔓延はびこっている。誰かがそれを、「呪いのようだ」と言った。それから人類はこれらの病を『呪い』と呼ぶようになった。


《1》

「おはよう、眠り姫。」

 僕は眠る彼女に声をかける。彼女が眠り始めて2か月が経った。彼女は今、『眠り姫の呪い』にかかっている。

 呪いが最初に発見されたのは二十一世紀半ば。呪いが発見された当時は治療法がなく、沢山の人が亡くなった。だが、現在、二十一世紀後半。人間の根性と執念と科学の進歩は凄まじいもので、今ではほとんどの『呪い』に治療法がある。この治療法と、『呪い』の症状の種類から、それぞれの『呪い』には御伽話(おとぎばなし)になぞらえて、名前が付けられた。

 例えば、『人魚姫の呪い』。この呪いにかかると足が麻痺して動かなくなる。そのうち呼吸もできなくなり、死に至る。この『呪い』の治療法は愛する人への告白。『呪い』の治療法はどれも非科学的だが、それ故に『呪い』は『呪い』なのだ。

 そして、数少ない治療法の見つからない『呪い』の1つが『眠り姫の呪い』。症状は眠りにつくこと。ずっと、ずっと、眠り続ける。死ぬまでずっと。だから、『眠り姫の呪い』に罹(かか)った者は、1人世話役がつく。家族や恋人、友人などがその対象だ。僕は彼女の恋人だった。彼女の両親は忙しく、妹はまだ高校生。そして彼女の祖父母もも高齢だったので、僕が世話役をしている。彼女が目覚めるのを待ちながら。


《2》

「おはよう、眠り姫。」

 僕は眠る彼女に声をかける。これは毎朝の習慣だ。それからカーテンを開け、彼女の腕に刺さる点滴に異常がないかチェックする。脈拍や血圧などもチェックし、僕は朝食をとる。朝食を終えると僕は部屋の掃除をする。もとは僕と彼女が同棲していた、少し広めの1DK。ハウスダストアレルギーの彼女のために、塵一つないように掃除する。彼女の眠る部屋、僕が仮眠をとるダイニング、その横のキッチン。彼女と僕の、居場所。通っていた大学は彼女の為に辞めた。生活費は国が出す、『呪い罹患者用の生活費』でどうにかやりくりをしている。眠る彼女と僕だけなら、どうにかできる。どうにかする。彼女の為なら。




《3》

「おはよう、眠り姫。」

今日は二週間に一度の、定期検診の日だ。彼女に異常がないか、僕が『呪い』に感染していないかを検査する。

「ごめんね。」

と、つぶやきながら、二か月ですっかり軽くなった彼女を抱き上げる。

 この定期検診が義務づけられたのは、三年程前のことだ。『眠り姫の呪い』の世話役が、生活費だけ盗み、『呪い』に罹った人を見殺しにしてから、始まったそうだ。何故その人は自分がいなくては死んでしまう人間を見殺しにできたのだろうか。それも自分の近しい人をだ。僕はそんなことしない。否、できない。僕の全ては彼女の為にあるし、僕の、存在意義は彼女なのだから。

 僕は彼女の為に生きていると言っても過言ではない。大学は辞めたし、今の人間関係は、彼女に関わるものしかない。愛が重いとか彼女に尽くしすぎだとたまに言われるが、僕には彼女しかいないから仕方がないのだ。


《4》

「おはよう、眠り姫。」

 今日は土曜日。あの子が来る日だ。

 十時ごろ。あの子がやってきた。この子は彼女の妹。僕より3つ下の17歳。高校生の寿佳ことかちゃんだ。

「こんにちは。姉さんは?」

「いらっしゃい、寿佳ちゃん。いつもの部屋で眠っているよ。」

寿佳ちゃんはずっと彼女の手を握って、この一週間で起こったことを話す。その間僕は買い出しに行ったりする。彼女の傍にはいつも誰かがいないといけない。点滴が外れたり、急に血圧や脈拍に変動があると危険だからだ。なので、正直、寿佳ちゃんにはいつも助けられている。


《5》

「おはよう、眠り姫。」

 僕は彼女に声をかけ、テレビを付けた。テレビ画面に映った文字に僕は驚いて立ち上がった。


“遂に発見。『眠り姫の呪い』治療方法”


僕はテレビ画面を喰い入るように見つめた。


“『眠り姫の呪い』を治療するには――が――”


その文字を見た時僕は呼吸ができなくなった。

息が苦しい。駄目だ。

彼女の、『呪い』は解けない。僕しか解けないのに、僕には解くことができないポトリと、手の平に落ちた雫が涙だと、僕は遅れて気付いた。


《6》

「おはよう、眠り姫。」

あのニュースから一日。今日は彼女の家族がやって来る。

「今日は君の家族が来るんだ。でも、ごめん。僕じゃ君を助られない。」

彼女の手に触れながら言った。


「娘を助けてください。あなたしかできないんです。」

そう言ったのは彼女の父親だ。僕がうつむくと彼女の母親が言った。

「ニュースは見ましたよね。それなら、知っていますよね?あの子を治す方法。」

「ええ。知っています。でも、申し訳ございません。僕はできません。助けられないんです。ごめんなさい。」

僕のこの言葉に最初に反応したのは、寿佳ちゃんだった。

「…なんでよ。あなたしか、あなたしか、姉さんを治せないって知ってるんでしょ?だったら治してよ。姉さんを助けてよ!」

「寿佳、やめなさい。失礼でしょ!」

「母さんうるさい! 治せないって何? あの『呪い』を解くのは患者を愛していて、患者に愛されていた人からのキスでしょ? あたしじゃできない! 血縁者は駄目だもん!」

「寿佳!」

「父さん黙って! じゃあ何? あなたは姉さんを愛してないの? だから治せないって言うの?だって、姉さんは確かにあなたを愛してたもん!」

 寿佳ちゃんは泣きながら僕を睨み付けた。

 僕はなるべく感情が出ないように注意して言った。

「ごめん。寿佳ちゃん。でも僕は君の姉を愛していたし、多分、愛されてた。でも、駄目なんだ。僕じゃ。」

「…なんで?…どうして駄目なの?」

寿佳ちゃんは放心したように言った。

「…僕は、僕も、ある『呪い』に罹っているんだ。」

「えっ?」


《7》

「おはよう、眠り姫。」

 目を覚ました君に、どれほどこの言葉をかけたかったか。

 でも、これができない。僕にはできない。


「僕に罹っている『呪い』は『カエルの王子様の呪い』と言います。」

彼女の両親と寿佳ちゃんはキョトンとした顔でこちらを見ている。

「この『呪い』は5千万人に1人の確率で罹ります。なので、いま罹っている人は全世界で二千五百人以下です。その為、治療法は発見されていません。」

「もしかして、症状は…」

察しのいい寿佳ちゃんはもう気付いているだろう。

「はい。この『呪い』の症状は」

寿佳ちゃんは、また泣きそうになってこちらを見ている。

落ち着け。ちゃんと話すんだ。


「…愛する人とキスができない。キスをすると、僕も彼女も死にます。」


「そんな…なんで…」

寿佳ちゃんも、彼女の両親も絶望的な顔をしている。

「正確には、彼女を助けられます。でも、そうすると、僕も彼女も死んでしまうんです。…本当に、ごめんなさい。」


 彼女の両親も寿佳ちゃんも、「謝らなくていい」と言った。寿佳ちゃんは、逆にぼくに謝ってくれた。でも、皆、どうしよもないやるせなさを抱えていた。


《8》

「おはよう、眠り姫。」

 あの日から何年、何十年経っただろう。僕は自分のしわの刻まれた手を見つめた。

 もう昔のようには、動けない。もはや歩くことさえ、億劫だ。でも、彼女の面倒をずっと見ていた。彼女の白くなってしまった髪の毛をなでる。しわのある手を握る。ただ、彼女が愛おしかった。

 もう、僕も、彼女も長くはない。

 でも、それでいい。彼女とはきっと、また会えると思ったから。

 だから、だから、その時までは、


「おやすみ、眠り姫。いい夢を。」



~END~



※五千万人に一人の部分は人口推移の予測をもとに二千五百人以下としています。

※『カエルの王子様の呪い』は、原作童話版ではなく、ディズニー版のお姫様がカエルになった王子様にキスをすると、二人ともカエルになってしまう方から連想しています。気になったら、調べてみてください。

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