死に戻りの処方箋
沢野 りお
プロローグ
第1話 白薔薇散る
はあ、はあ、
口から漏れ出る息がどこか遠くで聞こえるようだ。
走って転んでまた走って、ようやく辿り着いたその場所には、興奮した多くの人が集まっていて、黒いローブを目深に被った貧相な娘のことなど誰も目にとめない。
はあ、はあ、
息が整わない。
心臓がドクンドクンと動き、頭の中で血が流れる音が反響するように響く。
目を大きく見開いて、目頭が切れそうなほど大きく見開いても、目に映るものが変わることはない。
「……ああ、お兄様……」
口元に両手を持っていき零れた声は、周りの歓声に紛れて自分の耳にすら届かなかった。
いつもは人の出入りを厳しく制限されているはずの王城の門は市民のために開かれ、整然としていた広場は人で埋め尽くされている。
集まった市民たちは、城のバルコニーにいるはずの王族たちを見ようと背伸びをしたり木に登ったりしている。
だが、彼らは、王族すらも、今から始まるショーを見るために集まっていたのだ。
――王族暗殺犯の処刑。
がくがくと足が震え、信じられない状況に頭が思考することを放棄する。
目の前に、一段高い壇上の上に、粗末な服を着せられた愛する家族が力なくへたり込んでいた。
「……お、にい、さま。なぜ……」
なぜ、王族の暗殺など? と問う声ではない。
あの優しい兄が誰かを殺そうとするはずがない。
しかも、毒殺だなんて!
一人の文官が巻物をシュルシュルと紐解き、罪状を読み上げていく。
「違法薬物の生成、販売」「公金横領」「文書偽造」「王太子妃毒殺」
そして、罪人の名前「サミュエル・アルナルディ」が告げられると観衆は異様な熱気に包まれて大声を上げ始めた。
ギラリと処刑執行人が掲げる凶器が光を反射して輝き、あまりの恐ろしさに顔を背け目を瞑る。
ドクン、ドクン
心臓が痛い。
耳が、興奮した人の声で溢れて何も聞こえない。
ちがう。
聞こえないように、誰かの叫びが聞こえないように、自分の両手で耳を塞いでいるからだ。
わあああああああぁぁぁぁぁぁぁっ!!
一際大きい歓声に、弾かれたようにその場を飛び出した。
「奥様のお兄様は今日、城の広場にて処刑されるそうですよ」
くすくす。
身分を弁えずに嫁いだ公爵家では、当たり前のように虐げられた。
婚約しているときから、一欠けらの興味すらも向けられなかった旦那様とは白い結婚になってしまった。
旦那様の帰ることのない屋敷に一人残され、使用人たちにさえも嘲笑される日々を耐えたのは、能力を評価され王城勤務となった兄や貧乏子爵と侮られた父のため。
それなのに、自分よりも身なりが美しいメイドに教えられた現実。
なぜなの?
お兄様は学園在学中に発表した新しい薬を認められ、第二王子殿下の推薦で王城に研究室を与えられていた。
殿下が紹介してくださった由緒ある伯爵家の令嬢と結婚もし、薬草栽培しか目立つ産業もなく貧乏だった子爵家もようやく潤ってきていたのに。
王太子妃の毒殺?
違法薬物の栽培?
いったい、なんのことなの?
王城の広場から抜け出して無意識に足が向いたのは、凍えるほどに冷たい婚家ではなく懐かしい子爵家。
気が付いたら生まれ育った子爵家の領地へ行こうと、全身で今見た現実を拒絶し震える体を乗合馬車の狭い座席に押しこめていた。
風が吹く。
領地に広がる薬草畑から、青臭い匂いが鼻をかすめる。
それだけで涙が零れた。
「お父様……」
あの場所に父はいたのだろうか?
最愛の家族の悲劇を見てしまったのだろうか?
まだ兄妹が幼いときに母が亡くなり、再婚もせずに育ててくれた愛情深い父は、最愛の喪失に耐えられたのだろうか?
一歩、一歩、重い足を動かし屋敷への道を進んでいく。
「っ!」
煙が一筋天へと昇っていくのが見えた。
まだ恐怖に震える足を叱咤して、まろび転げるように走りだした。
屋敷が燃えている。
王家の血を引く公爵家に嫁いでから五年。
一度も帰省しなかったアルナルディ子爵邸が燃えている。
バリンと窓ガラスが割れる音に顔を見上げてみれば、父の執務室からゴウゴウと火が唸っていた。
「お父様……」
この時間、父はいつもあの部屋で書類を確認しサインをしていた。
もし、王城の広場に行かないで仕事をしていたら、この炎に……。
ブルブルと頭を激しく横に振る。
いいえ。
兄が罪人、しかも王族殺しならば、父も王城にいるはず。
今頃は貴族牢の中で兄や私を心配している……はず。
ガチャリ。
金属の嫌な音に、さっと身を大木の影に隠す。
そろりと覗き見れば、見慣れた騎士たちが数人、屋敷の周りを歩いていた。
……なぜ第二王子護衛の王国第三騎士団が?
一人の騎士の手に火が消えた松明が握られているのが視界に入り、体の芯から凍るような、全身の血が抜き取られたような恐怖を覚えた。
逃げなければ。
そっとその場を離れてそろりそろりと歩きだして思いだす。
母と兄との思い出。
母のお気に入りの温室。
母が亡くなるときに残した言葉。
「あの温室は……誰にも触れさせてはならない」
母が亡くなり、唯一温室で薬草が育てられた兄もいない今、あの温室は私の手で壊してしまわなければ。
不思議な温室だった。
あんなに仲のよかった父でさえ、母の案内なしでは敷地内に建てられた温室へ辿り着くことができなかった。
温室で育てられた花や薬草は珍しいものが多く、母と兄しか育てることが許されない。
私は母の案内なしでも温室へは行けたが、兄の真似をして植物の世話をすると、必ず枯らしてしまった。
できることは水やりだけ。
そんな不思議な温室は、兄とともに失くしてしまうべき。
一人、古ぼけた温室に入り、奥に隠された魔道具を取り出す。
母に教えられた秘密の魔道具は、この温室を一瞬にして破壊してしまう恐ろしいもの。
「お母様……ごめんなさい」
ふう、ふう
なぜ、逃げるの?
もう、家族は誰もいないのに?
一人で生きていても、しようがないでしょ?
でも、私はまだ生きている。
屋敷の裏にある山を越え、隣の領地へと逃げられれば、そこから馬車を乗り継いで海へと出られる。
船に乗れば隣国へと渡ることができるだろう。
ポツポツ。
運命にとことん嫌われてしまったのか。
雨まで降ってきた。
ふふふ。
笑えてくる。
一人生きるために浅ましくも貴族が、公爵夫人が、山を登っているなんて!
でも、私にはやるべきことが残されている。
兄が薬草を悪事に使うことなんて絶対にない。
誰かに嵌められたんだ。
それを暴いてやる。
靴のヒールはとっくに折れた。
ドレスの裾は泥と雨水でどっしりと重く、ヒラヒラの袖は木の枝にひっかかってボロボロだ。
ローブのフードをぐっと下げて顔を雨から守り、一歩ずつ山を登っていく。
ヒヒーン。
「馬?」
あの騎士たちの馬?
もしかして、私がいることがバレてしまった?
「いそがなきゃ」
ふう、ふう
もう少し、もう少し。
雨が激しくなってきた。
雨で視界が白くけぶる。
疲労で体が支えられず、落ちていた枝を杖代わりにする。
はあ、はあ
「……ぞ。い……ぞ」
男の声。
見つかった。
早く、早く。
生きて必ず兄の冤罪を晴らす。
父の仇を取る。
必ず、必ず。
「シャルロットー!」
なぜ?
なぜ、あなたがいるの?
振り返ろうとした私の足がズルッと泥に滑り、ふわっと体が浮き上がる。
しまった。
崖に体が吸い込まれるように落ちていく。
ガクン!
崖から伸びていた一本の細い枝にローブが引っ掛かり、体がブランブランと大きく左右に揺れた。
た、助かった?
顔を雨粒に叩かれながら見上げると、あなたが私へと手を伸ばしているのが見えた。
「……っ」
あなたに殺されるの?
あなたと結婚できると知ったとき、私がどれだけ嬉しかったか。
貧乏子爵令嬢だけれども、あなたのためにどんな努力も厭わない。
立派な公爵夫人になれると思っていた、愚かな私。
あなたに殺されるぐらいなら……。
キッとあなたを睨み、自分の体を大きく揺さぶるとボキンと枝が折れる音がした。
「シャルロット」
「……嘘つき」
落ちていく崖の下へ。
堕ちていく闇の中へ。
怖い。
私は母からもらった家族の印のペンダントをギュッと握りしめた。
白いバラのペンダントトップが淡く光ったような気がした。
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