生まれたての世界樹はイヤイヤ期のようです。



「ママ、ひみゃっ!」

 桜那さなの悪意ないストレートな言葉が、授業中の教室に響き渡る。

 杉田諭先生(54歳、普通学科進路指導主官)はショックを隠せないでいた。


「私の授業……暇……ということですか……」


 愕然とする杉田先生。実年齢、0歳。外見は3歳児の桜那に、数学の授業。それは流石に理解は難しいと思うのので、そこまで落ち込まなくても――。


「暇、面白くない、わかんにゃい」

「ん、ぐほっ」


 吐血しそうな勢いで、先生がショックを受けていた。


「だから、言わんこっちゃない。ほら、エリィーの言った通りでしょ? 桜那ちゃんは学校でじっとしているの無理だって」

「……だったら、どうしろって言うんだ?」


 アスがぶすっと拗ねた表情を見せる。でも、正直、悩みどころではある。お留守番をさせてようとした末、桜那が私を探し回ったことは記憶に新しい。かといって、私達がつきっきりというワケにもいかない。本当に悩ましい――。


「はいはい、二人とも子育て中の夫婦の顔になってるわよ」

「「んなっ?」」


 メグに言われて、私とアスは狼狽の声をあげる。それは世界樹の種に選ばれた、仮初めのパパとママでしかないと、今さらながら実感する。この子のことが何も分かっていないことと、それはイコールだった。


 ただ――


 ようやく、耳に馴染んだ単語を改めて、意識して――パパを正視できない自分がいる。


「えりゅ、いくのよ」

『ボク?』


 目を大きく見開いたのは、エルだった。ふよふよと宙を漂っていたエルは、寝耳に水とばかりに、私に助けを求める。


「あら。エルなら、最適ですわ」

『はい?!』


 むしろ、メグに後押しされたエルは、さらに狼狽える。


「エル、考えてみなさい。櫻は、こっちでは学徒であることが求められているの。方や、イスカリオテ・ダダイの問題もあるし、こちらの陰陽師の勢力についても調査し切れていない。眷属であるエルなら、櫻やアステリアとすぐにラインを接続コネクトできるでしょ?」


『うぬぬ……メグは上手に言って、毎回、ボクをこき使うからな。そんなに言うなら、メグが行けばいいじゃんか』


「言ったじゃない、眷属であるエルにしか頼めないって。それとも、エルが私の仕事を肩代わりしてくれて?」

「いっ……?」


 エルの声が引きつる。そりゃ、そうだ。宰相閣下の懐刀、守護者パーティーの軍師、世界樹の錬金術師――それぞれの業界から彼女を評する二つ名である。正式に、要職に就いているわけではないが、事実上、王家の秘書として采配している彼女メグの仕事量は膨大だった。青くなるエルの気持ち、痛いほど分かる。一度、第2王子ウィリーとデートの時間を捻出したいと代役を任されたことがあったけれど――絶対に、もうやりたくない。


「エル、なんとか頼む。後で鯛焼きを買うから!」


 王子が、両手で拝む姿なんて、なかなか見ることはできないと思う。


『王子……お前さ、鯛焼きでなんでも釣れると思ってるだろ。言っておくけれど、ボクはそんなに安い妖精オトコじゃないからな』


 エルの必死の抵抗。でも、それは無駄だと思うのだ。


「あら、そう」


 とメグ。妖艶に笑む唇の端は勝機を掴んだと言わんばかりで。


「折角、本国ウィンチェスターにも鯛焼きを導入しようとしたのに。その試作品を、エルにお願いしようと思っていたけど……残念だわ」


 心底、惜しそうにメグは言う。エルの羽根がピクピク、反応している。あぁ、これはダメだ。メグの話術に、完全にはまってしまっている。


『鯛焼きの……試、作?』

「我が国の特産を輸出し、逆に得るモノは輸入する。それがあっての外交じゃなくて? この国の食文化は豊かだわ。今後、我が国に応用しても良いと思うの。でも……他の協力者を探さないとダメよね。だって、エルは無理そうだし――」


『や、やっても良いぞ』


 はい、釣れた。エル、これで何回目よ? こんなにチョロイ妖精が、世界樹の眷属で良いのだろうか。私は時々、不安で仕方ないよ。


『べ、別に……鯛焼きとか、どうでも良いけどね。世界樹の眷属としては、当然のことだから、さ!』

「さすが、眷属様ね」


 にっこりメグは微笑む。勝利を確信した哄笑にしか見えない。エルはもう少し学習しようね? メグは試作した鯛焼きを、エルに食べさせる気満々だ。旅の途中、激辛ケーキを食べさせられた記憶は、今や風化してしまったらしい。




 ――やっぱり、ノーマルのケーキが一番美味しいわね。


 うん、約800個のケーキを食べさせられた、あの日々を思い出して。記憶の風化って、本当に恐ろしいと思うの。





■■■





「そうそう、桜那ちゃん」

「にゅ?」

「これを持っていって」


 そうメグは、桜那の首に銀のペンダントをかける。世界樹と聖女を象ったレリーフ。ウィンチェスター王家の印証でもある。いわば、世界樹の加護。ウィンチェスターが認めた者にのみ下賜される、いわば特注品である。


「お守りなの。この聖女様、ママにそっくりでしょ?」

「うん、ママだっ!」


 にぱっと心底、嬉しそうに笑う桜那に、私もアスも釘付けだった。


「「やっぱり、桜那と一緒に――」」


 行きたい。

 つい漏れた言葉が、アスと重なった。


「本当にバカップルなんだから」

「「……なにが?」」

「なんでもないわ」


 クスクス、メグが微笑む。


「それじゃ、いってきますっ!」


 ビシッと手を上げて――エルをぎゅっと抱きしめたかと思えば。

 風が渦巻く。


(え?)


 私が目を大きく見開いた時には、もう遅かった。


 精が、桜那の足下に寄り添うように、子供用のシューズを包み込んだ。


「通信用と、精の加護が受けやすいように、パフもかけておいたわ。これで、そこら辺の悪霊なんか目じゃないくらいに――」





 しゅわーーーーーーーーーーーんっ!


 擬音で表すとしたら、こんな表現が的確か。集う精が、サナの魔力をさらに、充填させ――そして、噴射した。


「桜那、学校の中で走ったら……」

いっくよぉぉぉぉっ!」

『いやぁぁぁぁぁぁっっ!!』


 時、すでに遅し。精を魔力として制御化コンパイル魔術論理コードを展開して、実行エンター


 世界樹だから、当然なのか。

 アスの魔力ももらったから――?


 エルの悲鳴を掻き消すほどの轟音エンジンを吹き上げて、桜那は教室を飛び出していったのだった。









「……やりすぎちゃったかしら、錬金術エンチャント


 メグの呟きは、私はあえて無視スルーすることにする。どこかで、誰かの悲鳴が聞こえた気がしたけれど、授業に集中しなくちゃ。無視、集中、集中。チュー……違う、そうじゃない。メグが変な子と言うから、妙に意識してしまったじゃない。集中して。目を閉じて、落ち着いて、深呼吸。それからキス――。



(違うっ! だから、そうじゃ――)




「その前に、あの先生をなんとかしないといけないんじゃないか?」


 アスにそう言われて、はっと我に返る。


「……私の授業……そんなに、つまらなかったんですね……」


 とことん落ちこんでいる杉田先生をなんとかしないと、授業再開もままならないことに、ようやく気付いた私だった。


 






________________


【庭番見習達のグループLINK】


██:御神木の半身が抜け出しぞ。これはチャンスじゃねぇ?

██:隙を見て確保と思っていたけれど、これは好機だね。


物部:【七不思議】をぶつけようぜ?


██:半身とはいえ、それってヤバくない?

██:先輩達だって、全ての踏破は……。


浅川:ばーか。それぐらい、やらないとアイツの確保なんて無理ゲーだろ。


前田:でも、それって、何か違う気がする。協力して欲しいのなら、素直に榊原に頼めばよくない?


██:何、甘いこと言ってるの? 御庭番をコケにされて。挙げ句、御神木まで奪われたんだよ? そんなことを言っている余裕は――。


物部:え……【七不思議】の一つ――〝底なし廊下〟の反応、消えたけど?

浅川:は? 寝言は寝てから言えって……。


██:〝底なし廊下〟って、霊力を纏いながら、全力疾走しないと反応しないヤツだよね?

██:風の精が、その条件下でのみ、解放されるんでしょ?


物部:完全に消失したね。これ、沖田さんが、僕らの育成に、って呪術をゼロから組み立ててくれた、特別製でしょ? 弁償してどうこうできるモノじゃないよ?


██:どうするよ?

██:報告。御神木の化身、歴代校長の写し絵も撃破!


浅川:は?! 写し絵とは言え、歴代御庭番の局長だぞ?

物部:消失を確認したよ。

浅川:はぁっ?!


██:とりあえず、御神木を追跡するっ!

██:援護します!


物部:全員が出たら、ウィンチェスターの奴らまで釣りかねない。今からリストを式神に送るから、受信したヤツは集合して。〝七不思議〟を高ランクで踏破した面子に絞ってる! 他のみんなは、後方支援を頼む! あくまで隠密行動で! 悟られないように!


浅川:こうが欠席なのてぇぜ。

物部:言ってる場合じゃな――。


██:御神木、〝トイレの花子嬢〟に接触!

浅川:総員、急げっっっ!





________________



【閑話:とある眷属妖精の物語③】




「えりゅ、楽しいねぇ」

『楽しくなぁぁぁぁいっ!』

「「「「「「「「なんなの、これ?!」」」」」」



 校内に桜那の歓喜の声。御庭番見習達の驚愕の声が響き渡ったことを、聖女様ママ王子様パパも、まだ知らない。


 今、桜那と御庭番見習達との仁義なき――庭番見習にとっての、無慈悲な戦いが幕を開けようとしていたのだった。


(以上、現場からヤケクソな眷属ボクがお伝えしましたとさ!)






『――櫻、助けてぇぇぇぇっ!』 


 ボクの必死の叫びは、気脈を無造作にこね回した桜那に除去され、まるで伝わってもいなかったと知るのは、もう少し後の物語。

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