第2話 「二人の心が求め合うまで、それは大事に取っておこう」

 瞬く間に半年が過ぎて季節は木枯らしの吹く年の瀬になっていた。愛理と修二は頻繁に逢うようになっていた。

 愛理はマフラーを買って修二に贈った。修二はセーターの上から胸を抑えながら嬉しそうにマフラーを首に巻いた。

「なんだか勿体無いな、俺なんかにこんな物は」

「良いのよ。気に入って貰えたのなら使ってくれれば・・・」

「気に入るもなにも・・・恐縮してしまうよ。高かっただろうに」

「そんなんじゃないの、冬のボーナスが出たのよ」

修二がマフラーを手に言った。

「何かお礼をしなくちゃいけないな」

「じゃ、映画を観に連れてって」

「良いね、此方が頼みたいくらいだ」

 愛理は子供の頃から映画が大好きだった。暗闇の中の明るいスクリーンで躍動したり悲嘆にくれたりするヒロインの世界に没頭する二時間余は愛理にとって至福の時間だった。

 

 約束をした夕暮れ、愛理は大通りの先に在る地下鉄駅の前で修二と待ち合わせた。

黒のジャケットを羽織り、黒いタートルネックのセーターを着た修二は遠目からでも直ぐに判った。

「待たせちゃったかな」

「ううん、大丈夫。未だ五分前よ」

並んで歩き始めると愛理は、自分の贈ったマフラーを首に巻いて、靴底を鳴らして歩く修二が恋人のように思えた。

 映画が終った後、二人は中華料理の店へ入った。修二の修業しているのは和食の道だったので、流石に二人は和食の店は憚られた。テーブル席だったが、愛理は生まれて初めて紹興酒を呑んだ。

「そんなに勢いよく飲んだら酔っ払うぞ」

「平気よ。お酒は強いみたいだから」

「へえ、見かけによらないな」

「会社の慰安旅行で飲んだ時、一寸も酔わなかったもの。あなたはお酒強いの?」

「俺はあんまり強かないよ」

「そんな風には見えないわね。お酒の為の料理を作る人が、ね」

 それから、話題を替えるように、愛理が修二に訊いた。

「さっきの映画みたいに、男と女はあんな運命になるのかしら?」

それはフランス映画で、駆け落ちをしようとする二人が運命の悪戯で擦れ違ったまま別れてしまうストーリーだった。

「そりゃ現実は映画みたいには行かないさ。でも・・・」

そこで修二は言葉を停めた。

「でも何?」

愛理は修二の眼を覗き込むように聞いた。

修二はその視線を気にしながら答えた。

「男と女は何かの拍子で、くっついたり離れたりするもんじゃないかな」

「そんなことがあったの?」

「いや、無いよ、別に」

修二が慌てて首を振った。愛理がクスッと笑った。

「何が可笑しいんだ?」

「だって顔が真っ赤よ」

「俺は直ぐに酒が貌に出るんだ」

修二は不器用に笑った。

 中華料理店を出てバス停まで歩く時、信号を待つ拍子に修二が愛理の手を捕って腕を組むようにした。さり気ない動作だったので愛理もそのまま腕を組んで歩いた。擦れ違う男女が同じように腕を組んでいるのを見ると、愛理は自分の連れを自慢したいような気持に駆られた。飲んだ紹興酒の所為か、師走の喧しい喧騒の所為か、自分が一段と大人の女性に成長した気がした。

 その夜を境に、愛理は修二の存在を職場に居る時でさえ、ふと意識するようになった。「美濃利」の前を通ったりする時には、わざと歩調を緩めて中の気配を窺うようにもなった。

それから二人は週に一度は会うようになった。映画を観て食事をして帰るだけだったが、修二の心が少しずつ自分を包むようになって行くのが愛理には解った。


「花見をしようか」

春になった或る日、突然に修二が言った。

「良いわね」

二人は神社の裏手に拡がる幸徳公園の桜の下で花を見上げた。酒と肴を買って夕暮れから呑み始めた。食事をあまり摂らないで酒を飲んだのがいけなかった。愛理は見上げた桜の樹がぐるぐる回り出した辺りまでしか覚えていない。

 

 目覚めると、仄暗い橙色の枕燈の燈ったベッドの上に仰向けに寝かされていた。周りを見回すとマンションの一室のようだった。修二が壁に凭れてタバコを吹かしていた。愛理は咄嗟に、身仕舞を正そうと身体を動かしてみたが、着衣の乱れは特には無かった。

「ご免なさい、どうしてしまったのかしら、私・・・」

愛理は努めて冷静を装って言った。

「空き腹であんなに勢いよく飲んだからだよ」

それから修二は追い被せるように言った。

「安心しろ、俺たちは未だ互いに綺麗な躰だよ」

「えっ?」

「泥酔して何も解らなくなった女とやるほど俺は薄汚れてはいないよ」

「わたし、そんなに魅力無いの?」

「そうじゃないよ。意識の無い女に自分の欲望だけをぶつけてもみても何の感情も生まれないだろう、お互いに、な」

愛理は修二の矜持の高さに胸が熱くなった。パッとベッドから跳び起きると修二にしがみ付いた。直ぐに熱い唇が重なった。が、そこまでだった。

静かに唇を話すと、修二は愛理の両腕を掴んで諭すように言った。

「二人の心が互いに真実に求め合うまで、それは大事に取っておこう、な」

愛理は修二の眼をじっと見て、うん、と頷いた。

「さあ、もう遅いから送って行ってやるよ」

「有難う」

外へ出ると、朧月夜の濁らぬ光が川面にゆらゆらと揺れていた。

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