【短編】婚約破棄された平民聖女は、第二王子の計略に囲われる
未知香
前編
「婚約発表だなんて……ああ、もう聖女との結婚は避けられないのか。フィガラ、第二王子であるお前では駄目だったのか……」
諦めたように、兄であるグリアランドが呟く。隣には男爵令嬢であるミルフィアが、グリアランドもたれかかるように座っている。
筆頭聖女シルミーア。彼女が持つ圧倒的な聖なる力と輝き。
何百年かに一度だと言われる強大な力を持った聖女だ。
教会と国は長らく独立した地位をもっていたが、筆頭聖女と王太子であるグリアランドとの結婚が決まり、今日正式な発表をする予定だ。
国民からの支持が厚い教会の力を取り込むため、父である王が腐心していたのをフィガラは近くで見ていた。当然、王太子との結婚でなければ、成立しなかった。
「とても、残念なことです」
フィガラはため息をついて見せた。
「やはりお前もそう思うか、フィガラ! 大体教会が何だというのだ。……私にはミルフィアがいるというのに」
「グリアラント様……。私、許せません。公式の場で、グリアランド様の隣に私が居られないだなんて」
「そんなことはさせない、あんな女なんて関係ない。結婚さえしてやればいいだろう。公式行事は必ず君を連れていく。約束するよ」
「良かった……初夜も、駄目です」
「もちろんだ。平民風情が私の近くにいるだなんてぞっとするよ」
甘い言葉をささやきあう二人を、フィガラは冷めた目で見る。
教会の力を取り込みたい王家の思惑を、何もわかっていない。父上がこの結婚にどんなに力を入れていたのか見ていなかったのだろうか。そんな事をすれば、教会との関係は崩れてしまう。
王族としての自覚が、全く足りていない。
……やはりこんな男の隣に、シルミーアはふさわしくない。
フィガラは真剣な顔で、眉をひそめた。
「兄上とミルフィア様の二人ほどお似合いの方はいらっしゃいません。……今日を逃せば、婚約は間違いないものになるでしょう。兄上と平民との結婚など、信じられない事です」
「……そう、だよな」
「そうです。今日、婚約発表です。今は……まだ、正式な婚約者ではありません」
フィガラの嘯いた言葉に、二人の顔はぱっと明るくなった。
浅はかだ。
婚約の周知はもうなされている。
婚約発表までは正式ではないなど詭弁だ。しかし、彼らはそうは思わなかったようだ。嬉しそうに、身体をくっつけている。
盛り上がる二人を尻目に、フィガラはちらりと侍従を一瞥した。従僕はフィガラにだけわかるように小さく頷き、部屋を出て行った。
王に教会からきていた手紙を、フィガラは止めていた。
従僕はそれを届けに行ったのだ。教会からの手紙であれば、どんなものであれ王はすぐに確認しなければならない。
時間稼ぎには十分だ。
目の前の二人は、愚鈍で王族にふさわしくはない。当然彼女の隣にも。
まっすぐな彼女の瞳を思い出す。
聖女の使命を、しっかりと受け止めていた彼女。
その口元には、ごくわずかな笑みが浮かんでいた。
*****
「シルミーア、お前とは婚約破棄だ! そもそも正式な婚約者でもないのだ、この話は白紙に戻す。何故私が聖女などという平民と結婚しなくてはならないのだ!」
私の婚約者であるグリアラント王子が、忌々しそうに私のことを見た。彼の顔には、聖女である私への嫌悪の色がはっきりと浮かんでいた。
彼の近くでは、確か男爵令嬢であるミルフィア様が心配そうに眉を下げ見守っていた。
グリアラント王子の声は豪華な装飾が施された広間に響き渡り、その場に居合わせた貴族たちが、私を嘲笑うように見つめている。
「グリアラント王子! 教会との関係が重要だと、国王もおっしゃっていたはずです。あなたの立場を考えれば──」
必死に説得を試みる宰相の声を遮るように、グリアラント王子はさらに声を張り上げた。
「教会などどうでもいい! 私は王族なんだ! 聖女と名乗るだけの平民風情との結婚など、侮辱以外何物でもないではないか!」
ミルフィアはその言葉に頷きながら、私の事を哀れんだ顔で見た。
私は淡々とその様子を眺めていた。
実のところ、この婚約には私も乗り気ではなかったのだ。聖女として必死に生きてきたのだ。私は王族との結婚など、望んでいるはずもなかった
……王族との結婚は聖女の死だ。
公務という名の聖女を祭り上げる行事は、実際に聖女の能力を生かせることなどさせる気がないと知っていた。
ただのお飾りに成り下がるのだ。
幾度かの顔合わせでは、グリアラント王子は嫌味を言い全く会話にならなかった。私だけではなく、教会を、聖女を見下しているのも、明らかだった。
いくら鈍感な私にさえ、グリアラント王子も乗り気じゃないことははっきりと伝わってきていた。
もっと相応しい女性がいると言っていたのは、きっと今私の事を見下した目で見ている彼女の事だろう。
当然、私だって彼に愛情はない。
いくら整った顔をしていて権力を持っているとしても、彼から慈愛の心は感じない。いいように使われることが、わかりきっている。
聖女という仕事を愛していた。
しかし、教会と国との取り決めだという事で、これも筆頭聖女の仕事だと覚悟を決めたのだ。
それなのに、この騒ぎ。ため息の一つでもつきたくなるものだ。
……それにしても、婚約発表という公式の場でこのような発言は、あまりに幼稚じゃないかしら。
「あの、もう少し声をおさえられては」
仮にもこの国の王太子の婚約発表の場だ。
騒ぎになるのを避けたくて、グリアラント王子に近づき進言する。
「近寄るな平民が!」
しかし、彼は私の事を突き飛ばし、私は勢いよく床に転がってしまった。聖女らしいということで着せられていたドレスが、床についてしまう。
貴族たちの悲鳴とも嘲笑ともつかない声が聞こえてきた。
……もう、婚約発表などという状況ではなさそうだ。
国王が来るまで持たないんじゃないかしら。
そんな中、すぐ隣にいたグリアラント王子の弟フィガラ様が、微かに溜め息をつき、静かに言葉を漏らした。
「聖女の価値がわからないなど、兄上は本当に救いようがないな」
「な、なんだと! お前……」
その声は小さく、グリアラント王子にだけ届くように抑えられていたが、彼らのすぐ近くで倒れていた私の耳にもはっきりと聞こえた。
驚いた。
これまで第二王子であるフィガラ様は物腰柔らかく、礼儀正しい貴族そのものだった。
どんな時も冷静で、決して感情を表に出さない彼が、兄に対して「救いようがない」と言い放つとは。
私は思わずフィガラ様を見上げた。
彼も私に気付いたらふっとふっと嬉しそうに笑みを浮かべた。
「え……」
その場違いな笑顔に、動揺してしまう。
……どうして、この場面でこんな笑顔を見せられるのだろう?
フィガラ様の意図が全く読めず、私は言葉を失ったまま彼を見つめた。
「さあ立ち上がって。あなたには堂々と聖女でいてもらいたい」
フィガロが私を見ながら囁き、意味ありげな笑顔を見せた。
その瞬間、すべての疑問が氷解した。
これはフィガラ様が仕組んだものなのだ。
そうか、これは全て計算づくだったのか。フィガラは初めから、兄を追い落とすためのこの茶番劇を演出していたのだ。
私はフィガラ様に向かって微笑み、手を出した。
彼は当然のように私の手をつかみ、私を引き上げた。
「グリアラント王子、ご心配には及びません」
私はゆっくりと立ち上がり、埃を払うように優雅にドレスを整えた。
「聖女という身分に相応しくない方との婚約など、私にとっても望むところではありませんでした。グリアラント王子、婚約破棄を受け入れさせていただきます」
私の声は、予想以上に凛として響いた。
「ぶ、無礼な……」
「この女、なんなの……」
弟の裏切りに動揺していたグリアラント王子は、まだ状況がつかめていない。いつのまにかミルフィア様は彼の腕に心細げに掴まっていた。
仮にも婚約発表という場でこんな姿を見せる彼らに、ため息をつきながら首を傾げて見せた。
「ですが、筆頭聖女として一つ申し上げます。この国の次期君主には、もっと思慮深い方のがよろしいのでは? ……私は、教会の指定する筆頭聖女です。後ほど教会から正式に抗議いたします」
その言葉と共に、私は優雅にスカートを持ち上げ礼をした。貴族たちの動揺の声が上がるのが聞こえてくる。
「平民聖女が、侮辱するな! 婚約破棄など、当然だ!」
「……では、これで失礼いたします」
グリアラント王子の叫ぶような声を背に受けながら、私は広間を後にした。
私は清々しい気持ちで歩き続けた。
これで全て終わり。そう思った瞬間、驚くほど心が軽くなった。
筆頭聖女である私に婚約破棄を申し渡すなど、国民からの王族の評判は地に落ちるだろう。
教会は国民の信仰なのだ。その力を軽んじるのは浅はかだとしか言いようがない。
教会がどれだけ力を持っているのか、思い知ればいい。
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