第117話 負けない同調圧力

「い、いえ、処断で生じる諸問題を懸念していた訳ではありません。そもそも僕が腹を立てるような事は何も無かったです」


 倫理観の欠けた人は怖いなぁ……と、内心で恐れ慄きながらも鼻血を流すチャラ青年を庇っておく。


 しかしチーフさんは恐ろしいが、彼もまた連綿と続く企業体質の犠牲者という可能性はある。なんとなく悪人に見えないという事もあるので、価値観の相違程度で拒絶する訳にはいかないだろう。


 そして今更ながらに『この人たちは何処のブラック企業に勤めているのだろう?』と思って素性を尋ねると、チーフさんはハッと我に返って事情を話してくれた。


「…………なるほど。お話は分かりました。ちなみにですが……エディナさんは前髪を綺麗に切り揃えた、黒い豪奢なドレスを着ていた方ですよね?」


 一通り話を聞いた後に念の為に確認してみると、チーフさんは紳士の仮面を被ったまま「左様です」と頷いた。


 やはり間違いない。もしかしてと思ったが、エディナさんは漂流中に舟板を渡した女性だ。あの人は無事に助かっていたのだ。


 よかったよかったと安堵するものの、それと同時に疑問が湧く。なんでも僕との再会を望んでいるとの事だが、四精のエディナさんが精霊無しに何の用なのか?


 ひょっとして、舟板を渡されたお礼をしたいという事だろうか? ――いや、相手は四精を務めるほどの人物だ。僕が余計な真似をしなくても独力で助かっていた可能性が高い。


 となると、逆か。


 上級貴族のプライドを傷付けたので『生爪を剥いでやりますわ!』と制裁を与えたいのかも知れない。僕は精霊欠落者で相手は上級貴族なので充分にあり得る話だ。


 お屋敷に行きたくないなぁ、生爪を剥がれたくないなぁ……と僕が胸中で苦悩していると、天光のような温かい声が降り注いだ。


「ヒルトロン家の息女が、ぼくのコール君に何の用があるのかな?」


 僕の所有権を主張するように声を上げたのはフィース君。本来なら上級貴族の召喚要求を拒絶する事は不可能だが、フィース君は同じ上級貴族の権威を使って僕を守ろうとしてくれていた。


 これには感謝の言葉もない。召喚要求を断ると家族に塁が及びかねなかったので、今回の呼び出しを断ろうにも断れない状況だったのだ。


「オ、オルテリウス様……」


 やはりと言うべきか、チーフさんはフィース君の素性を知っていた。僕に関する情報を集めていた節があるので、唯一の友人であるフィース君の事を調べていないはずがなかった。


 それにしても、チーフさんの反応が妙だ。


 上級貴族を相手に緊張するのは分からなくはないが、優しく声を掛けられただけで玉の汗を浮かべている。


 少しでも返答を間違えたら殺されるかのような、喉元に刃を突きつけられているかのような緊張感だ。常に紳士然とした態度を崩さなかった人なので違和感が大きい。


「いえ、その、私も詳細を把握していませんが、決して悪いようにはしない、と考えております……」


 もはやチーフさんは汗びっしょりだ。これまでの余裕を失ってしどろもどろで返答する姿には同情を覚えてしまう。


 聖人的なフィース君に声を掛けられただけで動揺するのは不可解だが、それはそれとして召喚要求にネガティブな気配が無さそうなのは良い兆候だ。その場凌ぎの虚言には聞こえないので僕の未来は明るい。


「――――ところでコール君。ヒルトロン家の息女と面識があるみたいだけど、二人はどんな関係なのかな?」


 フィース君の追求の矛先は僕に変わった。

 その疑問はもっともだが、しかし生を諦めようとした事を告白するのは少々気まずい。ここは嘘を吐かずに当たり障りのない答えを返しておこう。


「いや、別に関係と呼べるほどの関係はないよ。綺麗な人だなぁとは思ったけど……ちょっと目が合って、ちょっとプレゼントを送ったくらいだね」

「…………へぇ」


 僕は正直に事実だけを話してしまう。これにはフィース君も納得して続く言葉を発しない。上手く誤魔化せてよかったよかった。


 まぁなんにせよ、フィース君の権威に守られた以上は怖いものはない。貴族とは極力関わりたくないので召喚は諦めてもらうとしよう。


 そう思って断りの言葉を口にしようとしたが、それを察したチーフさんは先んじて予想外の行動に出た。


「お嬢様はコール様との再会を心待ちにしています。なにとぞ、なにとぞお嬢様の念望を叶えて下さいませんか……!」


 チーフさんは頭を地に擦り付けていた。――そう、土下座の体勢だ。その信じ難い行動に思わず目を見張る。


 チーフさんは自身も貴族だと言っていたし、ヒルトロン家の名前を出した以上は大家の看板も背負っている。


 そんな社会的立場のある人物が、平民で精霊無しの僕に頭を下げている。それは生半可な覚悟で出来る事ではなかった。


「ど、どうか頭を上げてください。行きます、お屋敷に行きますから……!」


 こちらも負けじと頭を下げながら声を出す。チーフさんより低姿勢にならなくてはという事で、地面に腹這いになりながらの呼び出し快諾である。ここまでの事をされて断れるはずもないのだ。


 ちなみにチャラ従者さんはほえーっと突っ立ったままだ。一般的な心理では『上司が土下座したから自分も続かなくては』と同調圧力で土下座してしまいそうなものだが、そんな事は微塵も考えずに完全に他人事のような様相だ。ブラックな職場に負けない強靭な精神力である。


 まぁともかく、こうなったからには腹をくくるしかない。チーフさんの話では首をくくるような事態にはならないはずなので、ここは覚悟を決めてヒルトロン家を訪問させてもらうとしよう。

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