第97話 活かされた経験
僕は本場の無心確殺流に感服していた。
養父さんの稽古は大変に厳しいと評判だったし、それを乗り越えた皆伝者として誇りを持っていたが、イーオンの道場も想像を絶する稽古を積んでいた。
道場の中は死屍累々と見紛うような惨状。辛うじて生気は感じられるものの、五体が無事な門下生など一人も居ない。
骨にヒビが入っているどころか骨が見えている者も居るほどだ。自分が厳しい稽古を
「稽古に熱が入るのは分からなくもないけど、あの人は行き過ぎてるんじゃないかな? まともに動けない相手を殺そうとするなんて狂ってる。完全に異常者だよ」
あの大男には明確な殺意があった。激しい攻防の過程で殺してしまうのは仕方ないが、完全に勝負が付いている状態で殺そうとするのは論外だ。心を病んでいるとしか思えないので『貴方はビョーキです!』と追放もやむなしだろう。
「ち、違います。稽古の一環じゃなくて、あの人は道場破りです」
「道場破り……?」
意外な答えに一瞬だけ思考が停止する。
道場破りとは、懐かしい響きだ。一時期は養父さんの道場にも現れていたが、片っ端から撃退していく内に全く来なくなった。
いやはや、これは恥ずかしい。無心確殺流の剣士に異常者が居るはずもないのに、もう何年も道場破りを見ていないので咄嗟に思い至らなかった。……いや、待てよ?
「…………あの、ひょっとして、看板を賭けてデスマッチをしてたのかな?」
「い、いいえ、そんな事ないです」
僕がこわごわと問い掛けると、女の子は首をぶんぶん振って否定した。その返答に思わず安堵の息を吐く。大男が子供を殺そうとしていたので反射的に飛び込んでしまったが、両者が事前にデスマッチの取り決めを交わしていた可能性もあった。
場合によっては『無粋な横槍は止めてくださいッ!』と罵倒されかねなかったので一安心である。……まぁ、それはそれとして。
僕には先程から気になっている事がある。まだまだ聞きたい事はあるものの、これは早急に確認しておくべきだろう。
「なるほど、なるほどね……」
僕は平静を装いながら大男の元へと歩を進める。道場の端でぐったりしている大男。激しく突き飛ばしてしまったので壁に激突して大ダメージを負ったのだろうと思う。僕は内心で嫌な予感を抱きながら、ピクリとも動かない大男を診察する。
「…………うん。死んでるね」
「えええっ!?」
大男の死亡報告に仰天する女の子。
まさか死んでいるとは思わなかったのだろう、なにしろ僕も思わなかった……いや、思いたくなかったので気持ちは分かる。おそらく打ち所が悪かったのだ。
なにはともあれ、不幸な事故死に女の子が真っ青になっているのは良くない。ここは年長者としてフォローしておくとしよう。
「ふふ、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。ちょっと待っててね」
僕は懐から紙とペンを取り出す。女の子が訝しげに見守る中、僕はサラサラと一筆書いてしまう。
「ほら、これで大丈夫。この『念書』があれば訴えられても安心だよ」
この問題に関しては養父さんの経験が活きた。厳しい稽古で門下生に死亡者が続出していた頃、遺族から訴えられて面倒な事態になった事がある。その反省から『死は覚悟の上です』と念書を書いてもらう慣習が出来たのだ。
当人が死亡していては手遅れだと思うところだが、もちろんその問題もクリア済みだ。僕は女の子を安心させるようにニッコリと説明する。
「当人の署名についても抜かりはないよ。これは僕の特技なんだけど……対象の骨格、筋肉の付き方、身体の動かし方、その辺りが分かれば大体の筆跡が分かるんだ。――そう、僕が代筆すれば訴訟問題は恐るるに足りないという訳さ」
「い、いいえ、法的な問題を案じていた訳ではありません……」
おや、おかしいな……?
完璧なフォローをしたはずなのに、女の子の顔色は依然として冴えないままだ。心なしか僕のフォローに引いているようにも見えてしまう。
…………いや、もしかしてアレだろうか。
この子は道場破りの仲間たちの証言を恐れているのかも知れない。完全無欠な裏工作でも、相手方の関係者に聞かれていては意味が無いと考えているのだ。
しかし、その心配は無用だ。
僕は一人ではない、この場にはフィース君も居る。僕が女の子を介抱している間に『どこから湧いて出やがった!』などと騒いでいた男たちを気絶させてくれている。
そう思って女の子の視線をフィース君に誘導すると、僕と目が合ったフィース君は爽やかな笑みを浮かべた。
「――――うん。この二人も殺したよ」
えっ!? ど、どういう事なんだ……?
男たちが静かになったので気絶させたものと思っていたが、どうやら永遠に黙らせるという手段を取っていたらしい。しかも僕が暗黙の内に依頼したかのよう。
…………いや、違う。
これはフィース君の気遣いに他ならない。
意図した事ではなかったとは言え、結果的には道場破りとの立ち合い中に部外者が横から命を奪ったという形だ。この事が公になれば道場の威信に関わりかねない。
後出しの念書があっても部外者が横槍を入れた事は目撃されている。だからこそ、フィース君は目撃者の口を封じてくれた――そう、自分の手を汚して道場の名誉を守ってくれたのだ。いやはや、彼女の優しさは留まるところを知らないなぁ……。
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