第二章【無謬の白氷】

第41話 フィースという少女

 ぼくは幼い頃から人より優れていた。


 身体に宿っている規格外の精霊もそうだったが、特別な努力をしなくとも文武で並ぶ者は居なかった。その状況に変化が訪れたのは十二歳の時。ぼくが学園の中等部に上がった時だった。


「――――フィース様、お聞きになりましたか? この学園に、あの『精霊無し』が居るらしいですよ」


 精霊無し、精霊欠落者。この少女が言っているのは、精霊を身体に宿していない稀有な人間のことだ。


 ぼくからすれば馬鹿らしい限りだが、精霊を神聖視している人間は少なくない。少女の声に嫌悪感が含まれているのはその為だろう。


「ああ、そういえば同世代だったね」


 ぼくにとっては精霊無しだろうと精霊持ちだろうと大差ない。使える人間か使えない人間か、ただそれだけだ。だから、ぼくの返答は無感情なものだった。


 話題を振った少女もそれを感じ取ったのだろう、媚を売るような声で愚にもつかない話題に切り替えた。


 実に下らない、取るに足らない凡俗。ぼくの才能を見込んで近付いてくる者は多いが、そのどれもが判で押したようにつまらない人間ばかりだ。


 中等部に上がれば変化があるのではと期待していたが、この分では何も変わらない退屈な学園生活を送ることになるのだろう。この時は、そう思っていた。


「…………おや、見ない名前があるね」


 廊下に張り出された定期考査の順位。満点を取って当たり前の試験であり、ぼくにとっては無価値と言える掲示だが、今回はぼくの横に見知らぬ名前が並んでいた。


「っ、はい……コール=ヤヴォールトは、例の精霊無しです」


 苦々しそうに答える取り巻きの少女。

 見下していた存在が上位にいる事が不快なのだろう、自らの低能を棚に上げて張り出された名前を睨みつけている。全くもって見苦しい逆恨みだ。


 ただ、元より彼女には期待していないから失望はない。ぼくの横に並んだ名前に少しだけ興味を持ったが、わざわざ隣のクラスまで見にいくほどではなかったので、その日も普段と変わらない退屈な一日を過ごして終わった。


 それでも、彼との邂逅はすぐに訪れた。他クラスとの合同訓練の日、ぼくはコール=ヤヴォールトと出会った。


 集団の中でぽつんと浮いている少年。周囲から漏れ聞こえる声で、彼が噂の精霊無しだと分かった。


 戦闘訓練のパートナーが見つからないからだろう、コール=ヤヴォールトは女の子と見紛うような顔を困惑に染めていた。


「相手が居ないなら、ぼくと戦ろうよ」


 ぼくにもパートナーが居なかったので声を掛けてみた。彼は精霊無しとして避けられているのだろうが、ぼくの場合は別の意味でパートナーが居ない。


 ぼくは戦闘訓練で容赦しないので女子から避けられているし、男子は男子で女であるぼくに負けることを恐れている。先の試験からコール少年には興味があったので格好の機会だった。


「……えっ、僕とパートナーを組んでくれるの? 相手が見つからなかったから助かるよ。ありがとう!」


 花が咲いたような笑みを浮かべる少年。お世辞にも荒事に向いているようには見えないが、ぼくのパートナーを務めてもらう以上は容赦するつもりはない。


「ぼくはフィース=オルテリウス。あらかじめ言っておくけど、女と思って甘く見ない方がいいよ? ぼくは手加減するつもりはないからね」

「うん、よろしくね。僕はコール=ヤヴォールト。こっちはちゃんと手加減するから安心してね!」

「……ふふっ。面白いね、きみ」


 虫も殺さないような顔をしている少年の大言に、思わず口元を緩めた。この様子からすると善意で言っているようだが、ぼくには大人の剣士と戦っても引けを取らない力量がある。そのぼくを相手に『手加減する』とはよく言ったものだ。


 先の試験ではぼくの横に並ばれてしまったが、この蒙昧な少年に力の差を見せつけてやるとしよう。


「ッッ!?」


 しかし、ぼくの思惑は一瞬で砕け散った。

 木刀を構えて静かに佇むコール=ヤヴォールト。彼から僅かな戦意を向けられただけで、たったそれだけの事で、ぼくの身体は心臓を掴まれたように硬直していた。


 それはまるで、かのような感覚だった。……こんな事は認めない。ぼくはフィース=オルテリウス。戦闘訓練で戦意を向けられただけで萎縮するなんて事は、断じて認められない。


 自分に怒りを覚えてギリッと舌先を噛み切ると、不自然に強張っていた身体が嘘のように軽くなった。


「ん? どうしたの?」


 ぼくに不思議そうな目を向ける少年。その瞳はどこまでも人畜無害なものだ。なぜこんな少年を相手に萎縮していたのか、自分でも不思議でならない。


「……いや、なんでもないよ。始めようか」


 ぼくは自然な態度で首を振った。なぜ身体が硬直したのかは分からないが、復調したからには力の差を見せつけるまでだ。


 そしてぼくと少年は戦闘訓練を始めたが……結果から言えば、ぼくはコール=ヤヴォールトに全く歯が立たなかった。


 ぼくの剣技は我流ながらも並大抵の相手には負けない自信があったが、コール=ヤヴォールトの剣術は鳥肌が立つほどに洗練されていた。


 生まれて初めての圧倒的な敗北。


 後から聞いた話では『僕の家は剣術道場をやってるんだよ』との事だったが、ぼくは同級生に完敗したという事実に呆然としていたので、模擬戦を終えた後にどんな会話を交わしたのかも覚えていなかった。


 自宅で湯船に浸かって、ぼくはようやく思考を取り戻した。あの少年は強かった。ぼくのように才能頼りではなく、才能を磨いた強さだ。


 ぼくには精霊があるから死合なら負けないが、精霊の力を借りて勝ったところで何の意味もない。先の試験では学力で並ばれ、剣を用いた模擬戦では完敗した。完膚なきまでの明々白々な敗北だ。


 この無様な結果を悔しく思っても不思議ではないはずだが、しかし自分でも意外に思うほど不快感はなかった。むしろぼくは高揚していた。初めて現れた好敵手を、ぼくの力で屈服させてやりたい。


 ぼくはこれまで努力らしい努力をした事がなかったが、あの少年を地に這わす為には力を磨かなくてはならない。その事が純粋に楽しみだった。

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