第23話 やさしい世界
それは、津波のような光景だった。
荒野を埋め尽くすのはサンドキャタピラー。のろのろとした緩慢な速度ではあるが、芋虫たちは圧倒的な物量で大地を侵食していた。
「いやはや、これは壮観ですね……。サンドキャタピラーに脅威を感じた事はありませんでしたが、これまでの認識を改めなくてはいけません」
サンドキャタピラー。
端的に言えば、群れで行動する雑食性の芋虫。成長して羽化にまで至る個体は百分の一にも満たないと言われている脆弱な魔物だ。
僕の知るサンドキャタピラーという魔物も害虫として嫌われていたが、しかしこの世界のものに比べれば可愛いものだった。
ベケで話には聞いていたが、やはり魔物のサイズが既知のものより大きい。大きな芋虫がのそのそ
「私もサンドキャタピラーを見るのは初めてだが、なんとも凄まじい数だな……」
お姉さんも僕と同じように感嘆していた。
サンドキャタピラーそのものは、この世界でも決して手強い魔物ではない。動きが鈍重なので子供でもやり方次第で倒せなくはない。
だが、これだけの数ともなると話は別だ。
芋虫たちは軽く目算するだけでも三桁を超えている。それなり以上に固い表皮を持ち、圧倒的な物量で襲い掛かる雑食性の芋虫。どう考えても無策で挑めるような相手ではないだろう。
最初は大袈裟な対応だと思っていたが、この光景を目の当たりにすればベケが大急ぎで防衛線を築いていた事も納得だった。
――――そしてそう、ベケの防衛線。
本来の予定では防衛線でサンドキャタピラーを迎え撃つ予定だったが、僕とカナデさんは先んじて魔物の群れと相対している。
ストーカー班長を殺害してしまった直後、僕たちは早急に荷物を纏めてベケを発った。班長がカナデさんに執着していたのは周知の事実だったので、ベケに滞在していると官憲の手が伸びる恐れがあったからだ。
しかし、ただ街を逃げ出すという訳にはいかなかった。なにしろ魔物の大群が間近に迫っているという状況下だ。そんな状況で無責任に逃げ出すことなど許されるはずがない。……ベケの貴重な戦力を殺害してしまったのだから尚更だ。
だからこそ、僕たちはこの場に居る。
監督さんたちと一緒に防衛線で戦うことは叶わなくとも、先行して魔物の数を減らすことは出来るという訳だ。
もちろん、監督さんへの配慮も万全だ。
急に僕たちが消えれば混乱するだろうという事で、作業現場の仮設事務所に『勝手ながら先行します』と記載した手紙を届けておいた。敵前逃亡を図ったと誤解される懸念はあるが、あの監督さんなら分かってくれるはずだろう。
「カナデさん、そろそろ始めましょうか。万が一という事もあるので僕から離れててくださいね」
お姉さんに声を掛け、僕は改めて眼前の脅威を見据える。進行経路上の物体を根こそぎ喰らっている、悍ましい芋虫の大群。
班長のアドバイスに従って死体の証拠隠滅にも利用してみたが、班長の大柄な死体はあっという間にこの世から消えてしまった。
これぞまさに食物連鎖。弱肉強食という名の自然の摂理である。…………いや、待てよ。僕は唐突に天啓を得てしまった。
今回は正当防衛で殺害したと考えていたが、この世の摂理で淘汰されたと考える方が精神衛生上好ましいのではないか?
言うなれば班長の死因は――――この世界! ああ、よかった……罪を犯した人間なんて、どこにもいなかったんだ。
「私はここから離れん。コールだけに任せるような真似をするものか」
おっと、いかんいかん。
優しい世界に癒やされている場合ではなかった。さりげなくカナデさんを遠ざけるつもりだったのに、退避するどころか不動の構えを見せているではないか。
「いやいや大丈夫ですよ。今回は危険な事態にはならないはずですから」
「ならば私が近くに居ても問題無いだろう。――違うか、コール?」
うぅむ、これはいけない……。
一応は安全と思われる策を実行するつもりだが、それに失敗したら火魔術を使うつもりなのを見抜かれている気がする。
だが、魔術には『発動点』の問題がある。
僕の感覚的には、魔術発動点の射程は最大で五メートル。前回の火魔術は半径十メートルを超えていたので、火魔術を行使すれば命懸けになるのは避けられない。当然、カナデさんの近くで火魔術を行使することなど論外だ。
「私が離れるのではなく、むしろコールが距離を取るべきだろう。私が本気になればサンドキャタピラーなど造作もないからな」
お姉さんを危険から遠ざけるつもりが、逆に僕の方が庇われてしまった。確かに、カナデさんであれば魔物の数が多くとも負けるとは思えない。物量で押されたところで、カナデさんとサンドキャタピラーでは地力が違い過ぎるのだ。
しかし、その案に賛成する訳にはいかない。なにしろカナデさんは長時間の戦闘では必ず自我を失うと言っていた。
戦闘行為が続く事によって破壊衝動が抑えられなくなるのだろうと思うが、暴走するのがカナデさんの本意ではない事を僕は知っている。
カナデさんは鬼精霊を抑える方法を探す為に旅をしているのだから、そんな彼女に鬼の精霊術を長期戦で使わせる訳にはいかなかった。
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