8◇美味しい朝食
朝になって、いつものごとく自動人形が起こしに来た。
「おはようございます、ご主人様」
目を擦って起き上るが、昨日の嫌な出来事を思い出してディオニスは朝から憂鬱になった。
「……アンはどうしている?」
「食堂にいらっしゃいます」
ディオニスが行かないとアンは屋敷の主を差し置いて食事を取らないだろう。それにディオニスも学校へ行かなくてはならず、いつまでも部屋に籠っているわけには行かない。
自動人形に身支度を整えられ、ディオニスは渋々食堂へ向かった。
そうしたら、アンは席で待っているのではなく、何故だかいそいそと料理を運んでいた。
「どうしたんだ?」
ディオニスはとっさに、取り繕わずにそのまま問いかけていた。自動人形が故障したのだろうか。
アンは振り向くと、あっ、と小さく声を上げてから頭を下げた。
「おはようございます、ディオニス様。昨日は失礼を致しました」
「いや、そんなことはいいんだ。どうして料理を運んでいる?」
見たところ人形は故障していないようだが、壁際に控えている。
アンはディオニスをじっと見て、それから昨日のことなどなかったかのようにしてふわりと笑った。
緊張が解けたかのような、柔らかい笑顔だ。
砂糖の効果があったのだ。さすがライエ名誉教授が用意しただけある。
「しばらくここでお世話になるのに何もしないのも心苦しいので、料理をさせて頂いたんです」
「料理ができるのか?」
「ええ、少しくらいなら」
良家の令嬢なら料理などしない。労働は下級の者がすることだ。
料理をするというアンはやはり労働階級なのだろう。
それはいいのだが、ディオニスは人間が作った料理など食べたことがない。昨日知り合ったばかりのアンが作った料理を体が受けつけるだろうか。
目の前で拒絶したら、また砂糖を使うしかなくなる。ここは無理をしてでも食べなくては。
「気にしなくていいのに。でも、ありがとう」
笑顔が笑顔に見えないのなら、どんな表情でいればいいのだろう。今、緊張しているのはディオニスの方だったかもしれない。
ろくに笑えなかったディオニスに、アンはまた怯えるかと思った。けれど、アンは労わるような優しさを見せた。
「私、昨日は本当に失礼なことを言ってしまいました。笑うのが苦手な方だって当然いるはずなのに」
苦手――。
そう、苦手だ。苦手だった。
自分でも忘れていたけれど、普段ほとんど作り笑いしかしないのだから、得意なはずがない。
アンのその言い方に、ディオニスは妙に納得したというのか、腑に落ちた。
「人様の顔色を窺って、勝手に不安になっているのは私の方でした。こんな立派なお屋敷に置いて頂くのに粗相があってはいけないって、一人で空回りして」
アンには控えめを通り越して卑屈なところがあるのかもしれない。自分が悪いということにしておけば丸く収まると思っているのだろう。
それがいいことなのかはわからない。よいことではないように思うが、性格が悪いと定評のあるディオニスは、相手が折れて謝ってくれることを有難いと感じた。
テーブルにセットされている朝食は、バゲット、フルーツカクテル、サラダ、ミルクティー、そしてオムレツ。
焼き色がほんのりとついたふかふかのオムレツからはバターのいい匂いがした。
「……このオムレツもアンが作ったのか?」
「はい。家でよく作って食べていました」
自動人形が作ったものはもっとしっかり焼いてあって固い。半熟の卵なんて食べて腹を壊さないだろうか。不安はあるものの、綺麗な色をしていて美味しそうにも見えた。
ディオニスが席に着いても、アンは座らなかった。じっと立っていて、ディオニスの反応を確かめようとしている。
面倒くさいなと思ったけれど、ここで美味しいと言ってやればいいだけだ。どんなに不味くてもすぐに呑み込めばいい。
ナイフとフォークでオムレツを崩し、ひと口頬張った。
半熟なのに卵の臭みもなく、甘みさえ感じられて驚いた。かかっているトマトソースにも何か秘密があるのかもしれない。
「うま――っ」
つい、取り繕うのも忘れて普通に声が出た。
驚いたことに、本気で美味しかった。人間が作った薄気味悪い料理のはずなのに。
伯爵として、こういう粗野な物言いはよろしくなく、『美味しいよ』と微笑んで返さねばならないところだった。
けれど、アンはその〈粗野〉な反応を好んだらしい。
「本当ですか? よかった、お口に合ったのなら嬉しいです!」
手を合わせ、顔を綻ばせる。笑うアンの表情にも嘘がなかった。
ああ、こんな他愛のない瞬間に女はここまで嬉しそうにするものなのか。それを意外に思う。
「これ、うちの自動人形たちにも教えてくれないか? また食べたいから」
自動人形は学習する。教えたことは覚えるのだ。
ディオニスの頼みに、アンは戸惑ったように目を瞬かせる。
「構いませんが、お気に召したのでしたら、また私が作りますよ?」
「でも君は使用人じゃない。料理ばかりさせるわけには行かないから」
「私が作りたいだけですから、お気になさらないでください」
アンにとって料理は苦ではないのだろうか。
こんなに上手にできるのなら、コツを簡単に他人に教えるのは嫌なのかもしれない。ディオニスも苦労して会得した魔法を教えてくれと言われたら断る。
「そうか。じゃあ、また頼む」
納得して言うと、アンはまた笑顔を向けた。
「はい。明日も作りますね」
アンは無害な娘だ。
だから、こんなにも警戒心を抱かせないのだろうか。
昨日出会ったばかりの他人なのに、少なくともディオニスの敵ではない。
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