劉 雲行の実力
右拳を中段に構えて左を引く。要するに空手の型を作った。
その間にも傷だらけコックは集中しまくっている。
後狙いか?じゃあ先に動いてやるか。
つっ、と少し前に出る。
動かない傷だらけコック。
後狙いじゃねーのか?ならば構わずに先手だ。
石段を蹴って前ってか上に走った俺。
「うらあ!」
右正拳。
だがやはり動かない。
俺の右正拳の風圧で傷だらけコックの前髪が揺れる。右正拳は傷だらけコックの間合いから拳一つ前で止まったのだ。
そして少しその姿勢を保った。
「…引っかからねーか」
「…俺の間合いから少し遠かっただけだ」
ちっ、こんな子供騙しのフェイントには引っかからねーか。焦って双剣を振ってくれれば、隙が出来て儲けも。
仕切り直しとばかりに右正拳を引っ込める俺。
と、同時に、傷だらけコックが石段を蹴り、俺目掛けて跳んで来た!!
「うおっっっ!?」
逆に焦った俺は引っ込めていた途中の右正拳を無理やり放った。体勢不充分。スピードも乗っていない、力が入っていない右正拳を。
そんな腰砕けな右正拳を、身体を滑らせるように屈んで躱し、右に腰を捻って剣を薙ぎる。
「なめんなよっ!!」
超高速で右正拳を引き、同時に剣を握っている腕に合わせた。
このタイミングならカウンターで腕にぶち当たる。
が、傷だらけコックはそこから更に身体を沈めて回転し、左の剣を俺の頬に斬り入れようとした。
やべぇし!!
出した膝を伸ばして上段に蹴り上げる。
だが、傷だらけコックは構わずに回転して、力任せに俺のハイを押し切ろうとした。
当然ながら、俺のハイキックは傷だらけコックの左手、剣を握っている箇所に見事に当たった。
跳ね上がる左腕。
と、その勢いを利用して、今度は後ろに縦に回転し、傷だらけコックの爪先が俺の顎を狙った!!
「ちょっ!!」
仰け反って何とかかわした俺。
タン、と石段に足を付く傷だらけコック。そのまま後方に飛び跳ねて間合いを作りやがった。
「曲芸師かお前は!!危うく貰いそうになっただろうが!!」
「通常なら四つは入っている。しかし今の攻防、当たったのはお前のハイキックだった……」
左腕をプラプラと前に出した傷だらけコック。よく見ると、中指が赤く擦りむいている。
つか、擦り傷一つしか付けられなかったのかよ。
見事な体捌き。
改めて傷だらけコックに驚嘆した。
大体こんな石段の上でやり合うなんで危ねーだろ。コケて怪我でもしたらどうすんだ。
「つー訳で、短期決戦だおらあ!!」
石段を駆け上がり、飛び込むように右正拳。
円を描くように身体を回転させ、躱しながら左逆手に握っている剣を薙ぎった傷だらけコック。
「もう予測済みだっっ!!」
屈んで躱しながらの右裏拳。
それも回転しながら躱して、あっという間に俺の後ろを取りやがった。
だが、そこは下り側。大したジャンプをしなくてもと、軽く跳んでのローロングソバットを放った。
「そこは顔面だろ!!」
「く!!」
回転が間に合わなかったか、腕をクロスさせて俺のソバットをガードした。
「ぐぐぐ!!」
「あ、あれっ!?」
俺は傷だらけコックに放ったソバットを踏み台にして前方に飛んだ。
上りの階段故、危うく躓きそうになったが、そこは北嶋 勇。
即ち俺!!
超格好良く着地して、超格好良く傷だらけコックに対して構え直した。
「おい、さっきも思ったけどよ、その双剣、短剣に似つかわしく無い程重くねーか?」
そう、あの中華料理屋で傷だらけコックと馬鹿弟の双剣を蹴った時に思った事。
あれは単純に力量差での事だと思ったが、どうやら双剣その物がめっさ重いようだな。
「流石だな、その通り。干将と莫耶が炉の中で金と鉄が溶けず、混ざり合わなかった大きな理由が、材質だ」
材質ねぇ……バカチンのオリハルコンみたいなもんかな?
「西遊記って知っているか?」
「ドラゴンボールだろ?」
「それこそ西遊記をモチーフにした漫画だろ!せめて堺正章とか夏目雅子くらい言えよ!!」
良く知ってんなお前。そっちの方が驚きだが。
「西遊記の孫悟空が愛用した武器、解り易く如意棒と言っておこうか。その如意棒は元々洪水を防ぐ為に海に沈めた巨大な柱だ。長さ四メートル、太さは酒樽程、そして重さは二トン。海底の龍宮に保管されていたこの柱を、孫悟空は強奪した形で龍宮の王、龍王から手に入れた」
「アストロ棒が竜宮城産だったとは!!」
「それはSF西遊記スタージンガーだ!!話の腰を折らずに最後まで聞け!!」
いや、如意棒は有名だが、柱だった事実に普通に驚いてついボケてしまったのだが、この目の前のガイジンが、こうも日本のドラマや漫画やアニメに精通している方がよっぽど驚きなんだが。
「その如意棒の材質こそが神珍鉄……伸縮自在の特殊金属。刀匠の干将は短剣にして、超重量の打撃武器を作りたかったのさ」
尤も、如意棒とは違い長さも太さも変わらないがな、と付け加えて刀身を見せる。
小回りの利く超重量の双剣、か。成程、傷だらけコックの
「因みに、一本どんくらいの重量だ?」
「さぁ……量った事が無いから解らないが、少なくとも俺の体重より重い」
片方でもそれくらいの重量かよ。傷だらけコックの体重は知らんが、およそ60キロ以上と考えても、それを片手で簡単に扱うだと!?
「勘違いしないでくれ。俺は力持ちって訳じゃない。ただ呼吸法で。気功法で、丹田法で、重さを感じないように扱っているだけだ」
「そっちの方がすげーんじゃねーのかよ?まぁいいや、足場になった理由が解ったから」
取り敢えず傷だらけコックは
しかし、それならそれで警戒する事も増えた訳だ。
何だっけ?呼吸法と気功法と丹田法だっけか?
以前読んだ本では、呼吸法が気功法や丹田法の元らしいから同じもんだと思っていたが、何か違うようだな。
いずれにしても気にしてはいけない。
どんなにすげー武器だろうが、どんなにすげー技術だろうが……
「当たらなければ意味は無いっ!!」
そんな訳で、今度は俺が上から跳び掛かった。左手をパーみたいに開いて、掴み掛かるように。
「上から多少スピードが上がろうが、舐めすぎだ!!」
回転しながらの回避、同時に俺の左手のパーに左の短剣の突き。
その短剣をやはり踏み台にして、俺は短剣に左手を乗せて跳び跳ねる!!
「なっ!?」
「文字通り頭上からの攻撃になったなぁ!」
落下スピードをプラスした俺の踵落としが、傷だらけコックの脳天を狙う。
「く!」
やはり、回転しながら落としている脹脛狙いの右の短剣の突き。
「だけど、俺の方が速ぇって!!」
短剣に脹脛を刺される前に、俺の踵が傷だらけコックの脳天に炸裂した。。
「うおおおお!!」
傷だらけコックの脳天に踵が触れた刹那、何と!振り下ろされた踵に合わせるように、身体を縦に前転、回転させ回避しやがったのだ!
「マジで!?」
地面に足が着くタイミングを見計らったように、双剣を地面に突き立て、その勢いで跳び上がり、俺の脳天に踵を合わせて来た!
俺はそのまま後方に跳び跳ねて、その踵を回避する。
たん、と地面に振り下ろした足を着けたかと思ったら。そのまま左回し蹴りを放つ傷だらけコック。
「ぬあっ!!」
更に後方に回避した俺。
やばかった。当たりそうだったぞ。
戦慄を感じたか、俺の額から汗が一滴流れた。
「本当に当たらないな……」
「馬鹿言うなこんちくしょう!俺の攻撃も当たらなかっただろが!!」
憤慨する俺。誉めるとは余裕なのか、ムカつくなぁ!
「馬鹿を言っているのはお前だ北嶋……お前の攻撃は当たっている。対して俺の攻撃は掠ってすらいない……」
言われて傷だらけコックを良く見ると、奴の額から血が流れて頬を伝っていた。
さっきの踵落としが当たっていたのか。触れただけだと思っていたが……手応えがそんな感じだったし……
ぬ?俺の踵に奴のダメージが伝って来なかった?
いや、実際問題として、掠った、切れたのだろうが、手応えよりも傷が深いのか?
しかし、確かに浅くともヒットはしたようだが、奴は回避を完璧にこなした筈。
縦にくるんと回ってだ。
つか、横にもくるくる回って、回避と攻撃を同時に行っていやがる。
天パが直線で攻めてくるのと対照的に、円を描くように。
暑苦しい葛西が馬力で攻めてくるのと対照的に、流れに乗るように。
無表情がスピードで攻めてくるのと対照的に、カウンターを合わせるように……
「……そうか…やっぱりその双剣は重過ぎるんだな」
傷だらけコックがピクリと身体を固める。
「重過ぎる故に勢いに乗っての攻撃が一番楽なんだな。くるくる回っているのは確かに攻防一体だが、それは双剣を奮った勢いに乗るからか。成程、天パのように切り返しをしない訳だ」
要するに武器が重過ぎるから、急に止まったり高度なフェイントが出来ないのだ。
初撃の流れに乗るのが一番良い扱い方。
成程、片方だけじゃバランスが悪い訳だな。だから一本の時は全く脅威を感じなかったのか。
俺は一人で納得し、一人でうんうん頷いた。
「流石だ。いずれ知られるだろうとは思っていたが」
実にあっさりと認めた傷だらけコック。つか、俺も知っただけで、あの剣舞の攻略が難しいのは変わらない。
脊髄反射の如く躱して、脊髄反射の如く斬り付けて来る事実は変わらない。
スピード命の無表情とはまた違ったスピードだし。
だが、カウンター主体の攻撃なら、そのカウンターにカウンターを合わせりゃいい。
「それでもまだやるか?」
「やるさ。あれが俺の全てじゃないからな」
額から流れる血を袖で拭い、笑う傷だらけコック。
ここにも居たか、バトルマニアが。暑苦しい葛西だけで充分だっつーの。
「仕方無い。格の違いを見せてやるか」
再び構え直す。傷だらけコックも逆手持ちで、腕を十字にして構えた。
「……あと一手…」
「あん?」
「行くぞ北嶋!!」
後に回っていた傷だらけコックが、先手を取って前に出た。。
真っ正面からとは流石に舐めすぎだろと、俺は右正拳をカウンター気味に合わせる。
と、いきなり傷だらけコックが左に剣を薙ぎ、勢いに乗ってくるんと後ろに回転した。
「そう来ると思っていたよっ!!」
途中まで出していた右正拳を高速で引っ込めて、同時に左足で一歩踏み込み、再びの右正拳!!
「ふっっ!」
今度はいきなり右に薙ぎ、右前方に回転。いきなりの方向転換とは、こんな真似も出来るのか!!
追撃を警戒し、カウンターのカウンターを狙う俺。
だが、傷だらけコックはそのまま俺の後方へと移動した。
後ろを取るつもりか?
裏拳で応戦しようと思ったが、傷だらけコックは拳どころか剣の間合い外に留まった。
「……勢い良過ぎて行き過ぎたのか?」
「まさか。言っただろう。剣技、剣舞だけが全てじゃないと」
言いながら傷だらけコックは双剣を石段に突き入れた。
なんか ヤバい!!
咄嗟にジャンプした俺。
ほぼ同時に、俺が居た石段が爆発を起こして噴煙が巻き起こる!!
爆発とか!つか見た事があるぞこれ。
石橋のオッサンや宝条が使っていた札、炸裂符だったか?あれと同じ爆発だ。規模はこっちの方がデカいけどな!
「あの状態からの退避、見事だ北嶋!!」
振り返る俺。同時にめっさビックリした。
「ここは空中だぞ!?」
「上に逃げたお前を追い掛ける為に俺も跳んだだけだ!!」
いやそうだけど!あの糞重い双剣を持った儘、俺を追撃しに来たって事だろ!!
見ると、傷だらけコックは爆発によって生じた石段の破片に足を乗せて、ジャンプを繰り返していた。
あんなちっさい、しかも爆風で飛んだ破片を足場に。
「道士ってのはすげーもんだなあ!!」
傷だらけコックは俺の蹴りの間合いに入った!!
同時に、俺はソバットを繰り出す。
左の短剣を蹴りに添えたので、俺は急ブレーキを掛けて、その反動で右ミドルキックを出す。
「空中で切り返しただと!?」
「お前みたいに流れに乗ってじゃねー、単なる力技でだけどなっ!!」
俺は空中で半回転して蹴りを切り替えたのだ。
だが、そこは傷だらけコック。驚きながらも、右ミドルに短剣を合わせてくる。
右ミドルも当然止めて、その反動を利用して更に上に跳ね上がった。
「空中で
飛び散っている破片を足場にしている奴に驚かれるとは気分が良い。
「もう一度踵を喰らえ傷だらけコック!!」
左踵落とし!!
「ぐっっっ!!」
ガードも間に合わせない俺の踵。つか、重くて簡単に上げられないだけだろうが。
兎も角、今度はしっかりと手応えならぬ踵応えを感じた。
舞い散る鮮血。
傷だらけコックの頭が地面の方向に向いた。つか、俺が向かせたようなもんだけど。
「もう一発!!」
右ミドル!!
此処で傷だらけコックは、地面に接触する前に、身体を浮かせた事になる。
つまり、地面にハードに激突して重傷、もしくは死んじゃう所を、俺のミドルによって軽減されたのだ。とは言え、ミドルのダメージもかなりキツいだろうが。
案の定傷だらけコックは吹っ飛んで着地した時、受け身を取れずに、石段から少し転がってしまった。
俺はと言うと、当然華麗に着地した。それはもう華麗に。
たしっ、とか軽やかな音しか立てなかった。
いやー、俺やっぱりすげーわ。と、自画自賛に値するだろう。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
この俺が……道教最強と謳われたこの俺が……
一撃どころか掠り傷一つ負わせる事が出来ないとは……
しかも踵落としからのミドルキック、あれは明らかに俺を助ける為に放った蹴り……
北嶋 勇………
あの状況ですら、俺を助ける余裕があったと言う訳か…!
「おい、大丈夫か傷だらけコック?」
北嶋が呑気に俺に寄って来て、形ばかりの気遣いを見せた。
「だ、大丈夫…だ…誰かさんが落下の激突を緩和してくれたおかげでな……」
震える膝を無理やり抑えて、俺は歯を食いしばって立ち上がった。
「ほう、意外と頑丈だな。どうすんだ、まだ続けるか?とっておきを破られても、まだやるか?」
「とっておき?ああ、空波爆砕の事か。あれはとっておきじゃない。お前と対峙した時から、お前の周りに歩法で描いた陣だ」
通じなかったがなと、やや自虐的に笑う。
「陣ねぇ……お前等は札に何か描いて術を発動させんだろ?直接地面に描いても発動可能なのかよ」
さぁね、と惚けるも、奴には無意味。
何故ならば、あまりと言うか、全く興味が無さそうだったからだ。
「とっておきは別にある。それを披露したい所だが…」
かくんと膝が落ちる。
「ダメージが意外とデカいようだな」
「いや、実はそうでも無い。だが、今は立つ事も儘ならないって事だ」
それはつまり、こう言う事だ。
「完敗だよ北嶋 勇。噂通り、いや、噂以上だ」
俺は負けを認めた。少し休めば再び対峙する事も可能だが、それは助けられた結果だ。
「そうか。んじゃカタコト娘を助けるか」
言いながら遠くから俺達の戦いを見ていた震与を睨んだ。
「おいカタコト娘、ちょっと待ってろ。今助けてやるから」
そして北嶋は手を翳す。
その手に一瞬で握られた一本の日本刀。
その刀から発する凄まじい神気……数多の神々をも超えるであろう、それでも抑えているであろう神気!!
「空間を斬った刀か」
「あー、まぁな。お前がちゃんと
俺がまだ
だが驚きはしない。それが北嶋 勇と言う男なのだから。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
信じられない!兄貴が掠り傷一つ負わせる事が出来ずに、地に伏したとは!!
知らず知らずに立慧の首に掛けている腕に力が入る。
「雲行が…たったの一撃も浴びせる事が出来ないなんテ……」
立慧もただ呆然として、成すが儘だ。証拠に首を絞められているのに動じる気配が無い……
そして兄貴を圧倒的に下した化物は、僕に殺気の籠もった瞳を向けた。
いつの間にか、手には日本刀が一振り握られていた。
その切っ先をゆっくりと僕の首に向けた。
「カタコト娘の依頼は兄弟喧嘩の回避。見ての通り、傷だらけコックは暫くは動けない」
「だ、だから何だ!?」
気圧されて一歩下がる。石段に爪先のみ乗っている状態だった。
「言っただろ。俺はカタコト娘を無傷で取り戻す事が出来るってよ」
僕は今度は石段を一つ下がった。
「北嶋サン…頼める義理は無いんだケド……」
「だよな。だから言うな」
殺気が燃え上がるように強まった!!
立慧は申し訳無さそうに、呟くように言った。
「ゴメンね震与…やっぱりここまでやったアナタを許す事は無いみたいヨ……」
僕の腕が湿った。
立慧は微かに震え、涙を流していた。
「立慧…君は僕の命乞いをあの日本人に願ったと言うのか…!?」
押し黙る立慧。だが、震えと腕の湿りが強まった。
「う、動くな日本人!!動いたら」
言った刹那、僕の目の前に腕がった。
同時に背中を誰かに押されて、僕は前方に伏した。
「きゃっ!!」
――大丈夫か西王母?
顔を上げると、九尾狐が立慧の襟首を咥えて空を駆けていた。
馬鹿な!?確かに立慧を絞めていた筈だ!!
そう思って気が付く。
僕の腕が肩からやや下の部分が…無い……!!
「ぐぎゃあああああ!!」
絶叫と共に血が噴き出す。
さっき視界に入った腕は、他ならぬ僕自身の腕だったのだ!!
「ああああああああああああああ!貴様いつの間に!?」
目を剥いて発したであろう。歯を食いしばって発したであろう。
そんな僕の苦悶の顔とは真逆な顔だろう、北嶋の平然とした顔で。
「いつの間にって、勿論さっきだけど」
握られていた日本刀から血が滴り落ちている。
間違いない…あれで僕の腕を斬った。立慧には傷一つ負わせる事も無く…!!
「き、貴様…九尾狐を先に行かせた筈だよな?」
その九尾狐が立慧を救出しているとは、解せない。北嶋 勇に絶対服従な筈だ。
――妾は最初から勇の命令しか聞いておらぬがなぁ?
兄貴の傍らに立慧を置き、北嶋と共に僕を睨みながら言う。
最初から命令を聞いている……
「そ、そう言えば、店で北嶋に命じられていたな」
「そ、そうだったケド…今、この期にもそれを守っていると言うのカ?」
――くだらぬ事を。あの命令は解除されておらん。まぁ、勇は忘れっぽい男故、流石に一日を超えたら妾自ら命令放棄をするがな。それを踏まえても、西王母を守る事は今の妾の最優先事項。みすみす邪仙の手の中に置いてはおかぬ
く…失念していた……桃源郷での一連の流れ……僕自身、この目で見ていただろうに……!!
悔しくて石段を右腕で叩く。
そう言えば、斬られた左腕は……
目の前に転がっている左腕を改めて見ると、それは黒い霧を発しながら、文字通り滅せられている最中だった――!
「ぼ…僕の左腕が…消滅していく……!!」
諦めよりも驚きの方が大きかった。術を仕掛けられた訳じゃない、ただ斬られただけなのに?
「落ちた左腕の心配している場合か馬鹿弟」
日本刀の切っ先が僕の左腕付け根に向いた。
言われて失った方の腕を見る。
「落ちた方だけじゃない、こっちも消滅している!?」
落ちた方は既に滅せられている。つまり、このまま行けば……
「お前そのものが消えて無くなるって訳だ」
背筋に冷たい汗が流れる。
消える!僕と言う存在が消え失せる!!
「うわあああああああああああああああああ!!」
半狂乱になり、左腕付け根に術を放った!!
粉塵と共に肉片が飛び散った!!
「っっっがあああああああああああああああ!!」
「ほう?滅せられつつある左腕を肩までぶっ飛ばして、完全消滅を防ぐとはな」
呑気に感心しやがる日本人!!
だが、おかげで目が覚めた。
僕はここで漸く立ち上がり、左肩を縛って止血した。
「……貴様は全てに置いて規格外と謳われていたな。それを失念していた僕の過失だ。甘んじて受けよう、腕の消失を!!」
「何を恰好つけてんだ馬鹿弟。お前が俺より遥かに弱いから腕を失った。弱いから策を練った。そして失敗した。滑稽だなぁ、大笑いだぜ」
本当に愉快そうに笑う北嶋 勇。このように不愉快になったのは久方振りだ……!!
僕の邪気が膨れ上がって行く。
失った左腕の痛みも、怒りによって薄れていた。
「……北嶋サン…やっぱり……」
「言いたい事は解るが、手遅れだ。尤も、敢えて放置していたから手遅れになるのは知っていたけどな」
覇気も闘気も見せず、日本刀を構える北嶋。
「放置していた…だと?」
切っ先を見つめながら問う。
「だってお前、望んで
助け出すだと?要らぬ世話だな。そこは北嶋に同調してもいい。奴が言った通り、僕は望んで
「あいつの言った通り、やはりこうなった、いや、こうせざるを得なかったのが不満だが!!」
着用している法衣が破け、僕の身体が巨大化していく。いや、僕を核に、新たに肉体が形成されて行く……!!
「ぐっ……」
飲み込まれるような感覚…それは肉体的にだけじゃない、精神的にも。
だが、これは僕が望んだ事。多少の自我さえ残っていればいい……!!
「あ…ああ…ああ………」
「震与……貴様、其処まで……」
兄貴と立慧が何か言ったようだが、聞こえない。
単純に距離が離れてしまったから。
そう、僕は今、開明獣などよりも遥かに巨大な体躯の中、正確には胸に顔だけ露出した状態だ。
そこを見て、漸く僕を認識出来る程度にしか存在は解らないだろう。
「これが蚩尤ってヤツか。なかなかデカいな」
呑気な愚か者が感心したように言った。
そう、僕は巨大な人体に牛の蹄を持ち、目が四つ、腕が六本、角が生えた異形の存在、化物の中の化物、蚩尤の中に居るのだ。
僕は蚩尤の目を借りて北嶋を睨み付け、蚩尤の口を借りて北嶋に言う。
――死ねよ塵の如き小さき人間……!!
小手調べと言う訳では無いが、殺気を放って腕を凪ぐ。別に当てようとした訳じゃない、ただの威嚇だ。
「きゃあ!!」
「立慧!!」
――ち…!!
風圧によって身体を浮かす立慧を、兄貴と九尾狐が守った。
――ははははははははははは!どうだ北嶋!この圧倒的なパワー!この圧倒的な邪気!!流石の貴様も為す術が無いだろう!!
既に勝利を確信した僕。その僕に対して、目の前の小さな人間はさっきと変わらず、首をコキッと鳴らして僕に向かって歩き出した。
「よおし、んじゃサクっと死ね」
動じず恐れず怯まず!!北嶋 勇はコンビニにジュースでも買いに行くように、普通に歩いて僕に向かって来た!!
――貴様…僕が恐ろしく無いのか!!
あまりの普通さに逆に問う僕。
「雑魚がデカくなろうが、雑魚には変わらんからな」
雑魚!!この僕を、蚩尤と一体化した僕を雑魚だと!!
――ふざけるな塵が!!貴様だけは絶対に許さん!!
「許さん?俺はお前に許して欲しいとは全く思っていないけど」
く…何だこいつ……
其処に居るだけ、ただ立っているだけなのに、何でこんなに恐ろしいんだ?
奴が一歩進む度、僕の、蚩尤の身体が微かに下がった。
「やめだ北嶋。震与もそうだが、蚩尤すらもお前を恐れている。殺気に反比例し、仕掛けて来ないのが証拠だ」
兄貴が北嶋の肩に手を掛けて動きを止めた。
「そりゃそうだろ。デカい奴は俺に本能的にビビっている。馬鹿弟が奮い立とうが、肉体は蚩尤の物だ。抗い切れる訳じゃない」
僕が感じたんじゃない、蚩尤が北嶋に恐れを抱いていると言うのか!?
馬鹿な!!蚩尤だぞ!?古代中国の魔王中の魔王と恐れられていた存在だぞ!?
訳の解らぬ理屈に震えている僕に、兄貴が視線を向けて言った。
「北嶋は西洋の、世界で最も知られている悪魔の王ですら戦いを避けた男だ。お前の思考を残している蚩尤が挑む筈が無い。或いは純粋な蚩尤ならばどうか解らないが……」
――僕が残っているから手を出せない、と言うのか兄貴……
「或いは、お前如き弱き者が蚩尤を動かそうなど、思い上がりだと言う事だ」
言いながら北嶋の前に出る兄貴。干将と莫耶を構え直して。
「世話を掛けたな北嶋。弟は俺が倒す。俺が解放してやらなければならない」
「解放するだって?兄弟
困った顔をして立慧を見た。
「……解放するとはどういう事ネ、雲行」
「陳の呪縛から。或いは周老子の呪縛から……震与がこうなったのは俺の責任だ。だから……」
干将から陽の気が、莫耶から陰の気が溢れ出る。北嶋との戦闘では、双剣はあくまでも重い剣だった筈なのに?
「北嶋、立慧を連れて先に行け。兄として、俺がやらなければならないんだ」
それは三年振りに見る兄貴の
いや、思えば、あの時も本気では無かったような気がする。……
「俺が蹴り飛ばした所はもういいのかよ?」
「大分手加減して貰ったようだからな。この通りだ」
「そりゃお前が本気じゃねーなら、俺も本気出す訳にはいかないだろが」
面白くなさそうに日本刀を一度振る。
僕の、蚩尤の頬を何か掠めて行った。
――な?
だが、傷など負っていない。
剣圧?だがしかし一体何の為に?
「カタコト娘、こういう事になった。兄弟喧嘩じゃないから依頼外だ」
「……解ったヨ…少なくとも雲行は、恨みや憎しみで戦う訳じゃないって事だしネ……」
立慧は諦めて首を振った。そしてやや沈黙して続ける。
「その代わり、絶対死なないデヨ。これは西王母が道士に向けて発する言葉ヨ」
兄貴は微かに笑い、そして微かに頷いた。
――は、はははははははは!それが一番難しいんじゃないかな立慧!!
「さあ行けよ北嶋。兄弟水入らず。邪魔は野暮ってもんだぜ」
「お前が横からしゃしゃり出たんだろが」
言いながら北嶋は立慧の肩を叩いて先を促した。先頭に九尾狐を立たせて。
これで自分が最後尾、立慧の前にも後ろにも死角が無くなった。
立慧の姿が完全に視界から消えたと同時に、見計らったように兄貴が口を開いた。
「震与、お前がそうなったのは全て俺の責任。その責任を取る為に、お前を殺さなければならない」
――はははははははははは!兄貴!兄貴い!!僕は望んでこうなったんだよ!?偽善的だな!!
首を振って否定する。
「お前が俺を羨み、妬んでの結果だ。それに気付いていない訳じゃなかった」
羨み、妬み…だと?
そうだ。その通り。
僕は兄貴を羨ましく、妬ましかった。
立慧の警護に就いた兄貴を。
僕の方が強いのに何故だ?
僕の方が立慧に相応しいのに何故だ!?
「先の北嶋戦、お前は少なくとも消耗を狙っていたな。だが、奴は全く消耗していない。それは当然だ、俺が本気を見せなかったからだ」
――言うな兄貴?本気を出した所で、あの化物に通じるとは思えないが?
「勿論その通り。対峙して解った。北嶋には底が無い。少なくとも俺には見えなかった」
そして闘気を高めて双剣から陰陽の気を発し、干将を上に、莫耶を下に、剣を横にするように構えた。
「さあ、やろうか。三年前の続きだ震与」
――あの時は僕が勝ったじゃないか?もう忘れたのか兄貴!!
蚩尤の四つの瞳を赤く滾らせて、僕は兄貴を見据える。
三年前のあの時を思い出しながら……………!
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