三年前

 北嶋さんとタマ、そして印南さんを見送り、一つ息を吐く。

――機嫌が良いみたいだな?

 老子が面白く無さそうに吐き捨てるように言う。

「貴方様は機嫌が悪い様子ですね」

 ぎりりと歯を食いしばり、怒りの形相に変わる老子。

――妲己などの頼みは聞いたのに、この儂を殴り倒し、あまつさえ失せろとの暴言を吐かれたのだ!あの男には怒りしか感じぬ!!

「その男じゃないと貴方様の無念は晴らせません。解ったでしょう?」

 押し黙る老子。少しの沈黙の後、漸く口を開いた。

――……霊魂の儂に生前のような肉体的苦痛を喰らわすとは……確かに恐るべし男………!

 言い終えると震え出し、頭を抱えて蹲った。

――何よりも圧巻なのが、あの恐怖感…!この儂が抗いもせずに成すが儘だった……!

「恐怖感は北嶋さんが本気で怒ったから湧き出した物ですからね」

 対価が無ければ動く事はしない北嶋さんだが、老子のその依頼方法にも問題があった。

 初めて会った者からの命令口調。自分は偉いと表に出した、傲慢さ。

 依頼を請ける事は無いと思ったが、やはりその通りになってしまった。

 印南さんの依頼内容は見当は付いている。警察の仕事だからと、心霊調査部隊の仕事だからと断ったのだろう。

 北嶋さん的には、警察を動かした対価として大量殺人事件の概要を示した事で終わっている。それは印南さんも同意したのだろう。

――しかし、何故妲己の頼みは聞き入れたのだ?突き詰めて行けば、儂の頼みも刑事の頼みも同一な筈

「それは、貴方様は道教の為、自らの失態を取り返す為に、印南さんは使命感の為、自分自身の正義の為。対してタマは自らのとの約束の為。それは北嶋さん的には決して同一では無いのです」

 ペット泥棒から動物達を救う為に事件に巻き込まれたタマ。その過程で既に終えた命を、飼い主に再び会いたいと言う精神力で死期を超越したチワワに、深い感銘を受けたのだろう。

 そのチワワを助けたいと願ったタマの裏表の無い本心に、北嶋さんは簡単に動いた。

 更に言うと、タマは家族・・。家族の為に行動を起こすのは、至極当然だ。

――裏表の無い願いか……妲己ともあろう大妖が……

「貴方様にも忠告はした筈です。素直に胸の内を話せば、北嶋さんは用意できる対価で請けるでしょうと」

 プライドが邪魔をして高圧的な態度になれば、北嶋さんは請ける事は無い。それどころか、身の危険を感じる事になると。

 そんな私の忠告を笑って一蹴した結果が、これだ。

――しかし、儂は妲己を西王母に会わせる事を許す訳にはいかぬ。奴は国滅ぼしの大妖だぞ

「昔はそうでしょうが、今は北嶋心霊探偵事務所のフェネック狐のタマです。そして貴方様も参加して封じたナーガも、今は北嶋の守護柱の一柱。時代は刻一刻と変わっていってるんですよ」

 蠱毒の蛇、人間を呪う神の力を知っている老子は、現在裏山で守護柱を担っているナーガの事をひどく驚いていた。

 ナーガを救い、守護柱として傍に置いている北嶋さんになら、自分の無念を晴らす事ができるとも思ったようだが、思惑通りにいかないのが北嶋さんだ。

 老子は、私の目の前で酷く後悔して頂垂れている。

――儂は道教の頂点。故に唯我独尊。故に孤立無援。そのように思っておった……

「そのお考えは、師匠達と共闘してから変わった筈では?」

――ナーガ封印のあの時に変わったと思っていたが、何も変わってはいなかったのだよな……故に奴等の台頭を許してしまったのだろう……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 三年前……

 儂は日本に居る華僑がマンションを建築するとの情報を弟子から得た。

 だが、華僑が建物を建築する事など、特に珍しい事では無い。何でわざわざそのような情報を齎すのだと、弟子に問うた。

 弟子は暗く、苦虫を噛み潰した表情になりながら発した。

ちん 大人だいにんが指揮している様子なのです」

 陳、それは老子と呼ばれた儂を差し置いて仙人となった者の名だ。

 人を呪い殺す呪術を得意としており、財界の華僑とも深い繋がりがある。そこには野心が見え隠れしており、道教を掌握しようと目論んでいる節が見受けられた。

「いかがなさいますかしゅう老子」

 儂の最後の弟子の一人、りゅう 震与しんよが打ち震えながら問うてきた…。

 尸解仙と言えど陳は仙人。最後の仙人とも言われておる。それ故、道教内部でも人望を集めている程だ。

 故に表立って意見もできぬ。

 何をするにも、取り敢えずは情報が欲しい。もしも邪な目的の為の建設ならば、同士を募って攻撃もできよう。

「情報ですか……しかし、陳 大人は遠見の術に長けております。懐に入るのならば、かなりの実力者でなければ……」

 そう言って暫し考えた弟子。そして、覚悟を決めたように、凜とした面構えとなる。

「その役目、僕にお任せ願えませんか?」

「言うと思うたわ。貴様は儂の最後の弟子にして最強の道士。役目は貴様にしか任せられぬ」

 儂は満足し、頷いた。

「お任せください。万が一の事有れば、この身が砕かれようと、陳 大人と地獄に行く所存」

 恭しく頭を下げ、微笑を零す。

「貴様の兄も、貴様程に自信を持てば良いのだかな……素質は貴様に勝るとも劣らぬと言うのに……」

「兄貴には西王母の守りと云う立派な役目がありましょう。身軽な僕がそれ以外の仕事をいたします」

 微笑を絶やさずに立ち上がり、一礼して踵を返す。

 儂をも凌駕するであろう才能の持ち主に、儂は頼もしさしか覚えなかった。


 震与は色々と考えた結果、日本の建物を探る事にしたそうだ。

 陳の支配力が一番及ばない場所であり、震与の兄もいる国。万が一の事があれば、兄を頼る事もできるとの理由から。

 勿論、それに異を唱える事はしない。

 日本の建物から何か解ればそれで良い。解らなければ、香港や台湾、アメリカやヨーロッパ等の建物を調べれば良い。

 震与は実に良く働いてくれた。日本から泰山の儂の所に知り得た情報を送り続けた。

 解ったのは、日本の建物はマンションだという事。

 地下に巨大な空間を作った事。

 儀式的な設計という事だ。

 それらの情報を元に、儂は一つの仮説を唱えた。

 マンションの住人から生気を吸い取り、何かを飼育する為に建築されたのでは?と。

 もしかしたら、世界各国に建築途中の建物も、その儀式の為かも知れぬ。

 儂は世界各国の道士に通達を出した。しかし、遠見で気付かれたら元も子もない。故に出した通達は一つのみ。

 建物の図面を入手しろ。

 もしも同じ造りならば、儂の仮説が限り無く真実となる。

 出来るならば、儂の思い違いであってくれ。

 儂はそれだけを考えて祈った。

 儂の仮説が正しいのであれば、陳と儂の戦争と成り得るからだ。

 儂は、陳には勝てないと思っていたからだ……

 それから何日か後、震与から日本の建物を見てくれないかとの要請が入った。

 霊視を使おうものならば、陳やその配下に感づかれる可能性もある。

 しかし詳細は儂に見て欲しいと。

 自分ではよく解らない術式が施されている可能性があると。

 正直総本山、泰山を留守にする事はあまり好ましく無いが、これも儂の仕事。儂は渋々ながらそれを了承し、日本へと飛んだ。

 思えば、ナーガ討伐以来の日本。久し振りに君代ちゃんの顔を見に行くのも良い。建築物を見終えたら、昔話に花を咲かせに行こうと、そう思いながら。

 そして日本に着いた儂を出迎えたのは、やはり弟子の劉 震与だった。

 前髪が目に入るのでは無いかと心配する程に伸び、後ろ髪を束ねて、少し痩せた顔を儂に一瞬向け、頭を下げる。

 鍛え上げられた鋼の肉体を隠す衣服は法衣に非ず、ただの背広。

 道教の道士だと言う事を隠しているのだが、出迎えに来る時くらいは儂に敬意を払うべく、法衣とは言わぬが、せめて胴着を着てくるべきであろう。

 そう訝しんだ。

「長旅、お疲れ様でした老子。宿を取っております故、先ずは其方にお荷物を置かれてから」

「いらぬ。儂は建築物を見に来たのだ。貴様が未熟故解らぬ術式が施されていると言うからな」

 ぎろりと睨み付けと、震与は苦笑いを浮かべながら、再び頭を下げた。

 一つ溜め息を付き、儂は未熟さを許した。

「まぁ良い。修行を積み重ね、一人前になれば良い。所で、雲行うんぎょうには会ったか?」

「兄貴とはまだ…西王母の潜伏先は遠いので…」

「ふむ、雲行も貴様に負けず劣らず優秀な儂の最後の弟子よ。立派に西王母の警護を務めておるであろうな」

 髭を触りながら頷く。微かに震与が苦い顔をした。

「…何か不満があるのか?」

「いえ…」

 やはり苦い顔の震与。

「貴様、まだ根に持っておるのか?雲行に双剣を与えた事を」

「……………」

 押し黙る震与。嫉妬……怒り……

 この露骨な闇の部分が見受けられるが故、震与は儂の手元に置き、西王母の警護の任務を雲行に与えたのだが。

「貴様と雲行は陰と陽。一方がなければもう一方も存在し得ない。雲行が貴様より勝っておるから双剣を与えたのでは無い」

「理解しております老子。兄貴の役割は西王母の警護……双剣が無くば、責務も果たせぬでしょうから」

「それは己が雲行よりも勝っていると思うての発言か!?」

 強めの語尾にて震与は再び押し黙る。

 何故解らぬのだろう。宇宙のありとあらゆる物は、相反する陰と陽の二気によって消長盛衰し、陰と陽の二気が調和して、初めて自然の秩序が保たれる。

 陰は影にして日陰に非ず、陽は光にして陽向に非ず。

 貴様が泰山で陰としての責務を果たしておると信じているから、雲行は安心して泰山を離れていると言う事を。

「僕は陰の責務を果たします。今は時間が惜しい。ご回答はこれでご勘弁お願いします」

 恭しく頭を下げる震与。責務を果たすと言うのなら、儂にはこれ以上何も言えぬ。

「ならば良い。では参ろうか、貴様が解らぬ術式とやらを拝みに」

「はい。車を待たせております。此方へ」

 震与は儂に顔を向ける事をせずに車へと向かった。儂は多少憤慨しながらも、震与が開けた後部座席に乗り込んだ。

 建築現場は車で約半日。陳の手の者がどこで目を光らせているか解らぬ。故に何度も迂回しての到着故、それ程の時間が掛かった。

 見た所、負を取り込む事をかなり意識して建設されている。

 上空には霊道、このまま建築していけば、三階辺りにちょうどぶつかる計算だ。

「ふん……図面も見たが、これは飼育箱だな」

 外からでは解らぬが、地下に巨大な空間を設けている。此処で入居者の生を喰う蟲を飼育するのだろう。

「金蚕蟲を真似たようだが、規模は遥かに大きいな……」

 金蚕蟲とは、蟲毒と呼ばれる術式の一つ。蚕で作られた蟲毒で、金を餌にするものだ。所有者に巨万の富を与える。

 金蚕蟲のフンを他人に食わせると、そやつは毒に当たって死に、死者の財産が金蚕蟲の持ち主に渡ると言うものだ。

 この建築物の術式は、恐らくは入居者に最初は富を与えて溺れさせ、じわじわと生を喰い、入居者の運も底辺へと追いやり、自殺に至らしめて骨の髄までしゃぶり尽くす物だろう。

 その蟲の正体も、何の目的で使用するのかも、今は解らぬが。。

「ざっと見たが、そんな所だ。貴様、こんな事も解らぬのか?」

 震与には泰山で高度な術を教えていた儂だ。この程度なら予測可能な筈。叱ろうと震与の姿を探す。

「…………居らぬとは……」

 先程まで儂の後ろに居た筈の震与の姿が無い。

「おい貴様、どこに行ったか知らぬか?」

 他の道士に聞くが、ただ首を横に振るばかり。

 言葉を発しないとはとおかしく思い、道士達を見る。

 全員瞳も虚ろ、表情も死んでいる。

 おかしい……

「貴様等、一体何があった?」

 一番近くに居た道士の肩を叩く。その時、儂の指先が道士の首筋に触れた。

「むっっ!?」

 儂は慌てて手を引っ込めた。

 冷たい……体温を感じない?

「貴様等まさか……」

 数歩後退りし、道士達から離れた。

 道士達はただ立った儘、未だに首を左右に振り続けている。

「既に死んでおるか!!」

 印を組み、薙ぎ払うように、空に術を描く。

 道士達の背中から火が灯り、何かを焼くと、全ての道士達が無機質の物体が如く地面に倒れた。

 焼けた背中を視る……

 札だ。儂の術で札が焼けたのだ。全ての道士の背中に、見えぬように施された札の燃えカスが燻っていた。

 札で死体を動かしていたのか……!

 儂にも見えぬ札もさる事ながら、死体を動かすとは……!

 此程の高度な術を簡単に行える術者と言えば、陳意外には存在しない!!

 咄嗟に叫ぶ。

「震与!何処だ!!!!!」

 震与が危ない!

 恐らく、陳はとっくに気付いていたのだ。震与を泳がせていた理由は解らぬが、儂が日本に来たのを切っ掛けにし、動いたのだろう。

「やはり陳を出し抜く事は容易くは無いか!!」

 如何に震与と言えど、欺く事は不可能だったか!!

 嫌な汗が全身から噴き出る。

「震与!震与!!むっっ!?」

 ふと建築途中の建物に目を向けると、中心部分にあたる柱と思しき型枠の頂上部分から煙が立ち上っている。

 先程札を焼き払った事を思い出す。

 まさか、震与も既に死んでいたのか!?

 老体に鞭を打ち、可能な限り、その頂上部分へと急いだ。

 煙が立ち上ったのは、6階部分に相当する大黒柱の頂上だった。

 外見はシートで覆われていた建物だ。其処に辿り着いて初めて知ったが、型枠の中はまだコンクリートを打ち込んでおらず、鉄筋のみが組まれた状態。そしてその型枠は大黒柱しか施工されていなかった。つまり、他は鉄筋を組んだ状態の儘。

 何故建物よりも優先的に大黒柱を作ろうとしているのかは不明だが、かなり広めの足場を組んで、不安定な高さの場所から煙が立ち上ったのは確か。

 儂は警戒しながらも、仮梯子を登りながら、頂上部分を目指した。

 かなり拍子抜けした感が多々あったが、全く妨害されずにすんなり辿り着いた。

 罠を疑ったが、それらしい形跡も見つからぬ。

 敢えて誘い込まれているような……そんな印象を受けた。 

 だが、例え罠だとしても、儂は弟子を救わねばならぬ。

 注意深く辺りを見る。足場の中央付近、大黒柱の型枠の頂上辺りから、煙が燻っているのが解る。

 他は、何者の気配も感じぬ。存在も認識されない。

 ならばと煙の場所へ歩を進める。

「震与!そこに居るのか!?震…む?」

 それを発見し、打ち震えた儂。

 それは、肉が焼け、目を見開いて絶命している震与の姿だったのだ……

 儂は力無く両膝を付いた。

「な、なんて事だ……」

 儂の最後にして最愛の弟子の一人。

 いつの間に殺されていたのかは見当もつかないが、大事な弟子を陳に殺されたのだ……

 陳を恐れ、警戒し、回りくどく調査などした結果が此か。

 儂は震与の亡骸に膝をついた儘近寄った。

 亡骸を抱き起こそうと手を伸べた時、煙が手をすり抜けたのを見た。

 儂はその儘固まった。

 煙は幻?ならば震与は焼けていない?

 儂は霊視レベルを極限まで高めて、亡骸を視た。

 それは震与の姿をから徐々に形を変えて、一本の剣へと変化した。

 剣が何故震与の亡骸に見えるのだ?

 いや、この剣は!!

 儂は一気に飛び起き、亡骸、いや、剣から離れた。

「これはまさか、尸解!!」

 刀剣を己の死体に見せる法術、いや、道教の奥義!尸解仙となる為の術!!

 震与は尸解し、仙人となったのか!?

 それに、あの剣が何故此処に在る!?

 ありとあらゆる可能性を思案している最中、儂の背中から胸にかけて、激しく痛みが走った!!

「くああああっっっ!!」

 儂は両腕を付いた。

 背中が、肺が、胸が凄まじく痛んだ。

 震える手で右胸を触ろうとすると、今度は指先にも微かだが痛みが走った。

 霞む目で指先を見ると、血が水滴のように丸く現れていた。

「まだ死にはしません。急所は外しています。貴方にはこれからやって貰わねばならない事がありますので」

 背後から聞こえてきた声と共に、儂の背中から何かを引き抜いた!

「がああああ!!」

 血が吹き出て、儂の伏していた地を濡らした。

「痛かったですか?痛みが有るのは死んでいない証です」

 引き抜いた物を振ったのか、風切り音が聞こえ、血が雨のように散らばった。

 儂の血……儂の血を拭い払ったのだ。

 そして振った時に微かに見えた物……

 震与の亡骸に見せている剣と瓜二つの代物……

「貴様……貴様が何故干将と莫耶を持っているのだ…震与!!」

 激痛に歪む顔を何とか後ろに向けると、儂の最後の弟子、震与が、兄の雲行に授けた双剣の一本を持って歪んだ笑みを向けていた……!!

震与は何も言わずに歪んた笑みを儂に向けるのみ.

「答えよ震与!貴様が何故双剣を持っておる!」

 干将かんしょう莫耶ばくや

 中国の伝説的刀鍛冶と、その妻の名に由来する双剣。陽剣の干将には亀甲形の、陰剣の莫耶には波紋状の文様が施されている。

 この剣に纏わる伝承には複数の異説が存在するが、一番有名なものは唐の『呉地記』による伝説であろう。

 刀鍛冶の干将は王の命でこの剣を作ろうとした時、炉の中で金と鉄が溶けず困っていた。

 実は干将の師も同じように剣作りに苦しんでいる時、妻が自ら炉に身を投じた結果、無事に剣が完成したと言う。

 そこで干将の妻、莫耶も同様に、自ら炉に身を投じた。

 その犠牲によって、この双剣は完成したと言う。

「その前に、何故僕がこうして貴方を刺したのかを知りたくは無いですか?」

 歪む笑みを絶やさずに、儂の腹を蹴り上げる震与。

「かはあ!!」

 儂は辛うじて支えていた両腕から力が抜け、脆い足場に全ての体重を乗せて倒れる結果となった。

 弱い足場は簡単に斜めに傾き、儂の血が柱の型枠に流れ落ちた。

「僕はね老子……貴方がなれなかった仙人になったんですよ……貴方よりも遥かに優れている人のおかげでね……」

「わ、儂より優れているだと……儂は道教最強の…ぐっっ!!」

 刺された箇所に躊躇いも無く足を乗せられて、儂は苦痛と屈辱でいっぱいになった。

「怒りましたか?そこですよ。貴方は自分が一番と周りを見下しているでしょう?結果双剣を渡す相手を間違えたり、対抗勢力に簡単に陥れられるんです」

「わ…儂は陥れられてはおらぬ…ましてや陳などに……」

 反論した途端、震与が乗せた足に力を込めた。

「ぐあああああっっっ……!!」

「まだ気付かないのですか?僕は確かに陳 大人に寝返りましたが、今さっき寝返ったばかりじゃないんですよ」

「ど、どうせ貴様の事だ……力を認められたと錯覚し、利用されておるのだろうが……日本に来た時にな……!」

「はあっはっは!!やはり貴方は浅い!僕が陳 大人に寝返ったのはもう5年も前ですよ!貴方が兄貴に双剣を授けたあの時にね!!」

 流石に絶句した。

 震与はあの時に儂の元から離れていたとは………

 だが、そのタイミングで震与を取り込んでいた陳の先見力。あの時既に、このシナリオは陳によって描かれていたと言う訳だ……


「貴方は本当に見る目の無い老いぼれだ。いや、若い頃からかな?だから水谷なんぞに蠱毒の蛇を封じられる手柄を取られるんだ」

 ナーガ討伐の事か……

 君代ちゃんが儂達生き残りの霊能者の霊力を借りて、残りの人生全て賭けて封じたもの……

 儂には道教を導くと言う役割がある故、その役目を背負う訳にはいかぬ。ヴァチカンのネロもそうじゃ。

 一番身軽で一番霊力のある君代ちゃんが、儂達の代わりに買って出てくれた……

 そんな世界の霊能者の…

 宗教、宗派を超えた繋がりを……

「貴様に解る訳が無かろう!だから儂は雲行に双剣を授けたのだ!!」

 この結末は儂の傲慢さ故に起きたもの。

 だが、震与、貴様の闇くらいは儂にも解るのだ。

 貴様は雲行に嫉妬しておる。

 双剣を授ける遥か前からな!!それ故に貴様は陽にはなれぬのだ!!

「……瞳だけは力を失っていませんね。そこは流石と言うべきです。だが、最早身体も口も動きませんか」

 震与が合図すると、道教の法衣を着た道士達、、四角く桝を作るように溶接した太い鉄筋を運んできた。

 陳の配下の道士達か。

 奴等は儂を担ぎ上げると、組んだ鉄筋に針金で身体を縛り付けた。

 針金で肉がみちみちと音を立て出血するも、道士達は躊躇いも無く作業を続けた。

「老子、貴方には人柱になって戴きます。特別に大黒柱のね」

 そう言って五寸釘を儂の腕や足に打ち付けた。括り付けている鉄筋を貫通させた釘もある。それ程強く打ち付けた。

 醜く歪んで笑いながら。

 だが、最早痛みすら感じぬ。貫かれた背中の痛みすら感じぬ。

 儂はもう直ぐで死ぬのだろう。脳からの麻薬で何も感じぬ状態になっておるからだ。

 震与は打ち付けた五寸釘に紙を結ぶ。

 呪符か。

 儂の霊力や魂を根こそぎ奪うつもりだ。地下にて育てる蠱に与える為か。

「まだ建物は骨組しかできておりません。貴方を昇天させない呪符も括っております」

 そうか。それならば儂にもまだやれる事はある。

 儂は早々に『死ぬ』事にした。

 儂の最後の弟子を取り戻す為に。儂の最後の弟子に託す為に。

 魂までも仮死状態にする術……奴等が熱心にコンクリートを練り込んでいる間、昇天の一歩先で留まる術を、己に施した。

 時折は覚醒…と言うのもおかしいが、兎に角、覚醒ができるよう、広く、浅く。

 そして半分以上コンクリートを流し込んだのを確認すると――

「では生きながら死んで下さい、師匠……クックっクックっく……」

 凄まじい邪気を露わにし、儂を型枠に滑り落とした。

 そしてその上から再びコンクリートを流し込む……

 息は既に絶えた。

 もう直ぐで魂も眠る。

 と、その時。

「老子ぃ!老子ぃ!!」

 儂を呼ぶ声が聞こえた。打撃音も聞こえた。

「兄貴!?まだ息があったのか!!」

「貴様、俺達の師を!!がああああああああ!!」


 雲行……

 来たのか……

 だが今は退け……

 貴様だけでは陳は倒せん……

 もう直ぐ、

 もう直ぐで、

 仙人など、悪神など物ともせん男が現れる……

 何故か解らぬが、そんな予感がするのだ……


 君代ちゃん……か……

 そうか、アンタも死んだのか……

 アンタが視せてくれたのか……

 ならば間違いなど有る筈が無い……

 それまで……


 雲行………………


「……どうしました老子?」

 君代ちゃんの弟子に話し掛けられてハッとした。

 また思い出していたのか、忌まわしき三年前の出来事を。

――いや、儂と君代ちゃんが死んだ時期がほぼ一緒と思ってなぁ……

 儂の無念を晴らせる男の出現を、先に逝っていた君代ちゃんが視せてくれた事を思い出した。

 あの時、あの最後の時、君代ちゃんが視せてくれた男……

 北嶋 勇……!!

 性格に多少、いや、果てしなく難有りだが、その力、疑う所は無い。

「お話を聞く限りそうみたいですね」

――ナーガ復活の有事に駆け付けられなかった事、心苦しく思う

「貴方様もそれ所じゃ無かったでしょう?」

 確かにそうだが、言葉に棘があるように聞こえるのは気のせいだろうか?

「それで、貴方様はこれからどうするんです?貴方様の無念は晴れる事になるでしょうから、これ以上現世に留まる必要もありませんが」

――……暫く…もう暫く…陳が倒されるであろうその時まで……

 君代ちゃんの弟子は一つ頷くと、宿に入って行った。儂もその後に続いた。。

 その儂を軽く睨み付ける弟子。

――なんだ?

「私は部屋に戻って眠るんですが……」

――それがどうした?

「……まさか、部屋に付いて来るとは仰いませんよね?」

 ……確かに、女の部屋、それも君代ちゃんの弟子、それもあの悪鬼よりも非道な男の伴侶の部屋に入るのは、流石の儂も気が引ける。

――儂はあの男の部屋にて朝を待つ事にしようか……

 弟子は漸く微笑した。

「朝にお部屋にお迎えに上がります」

――しかし、儂は兎も角、貴様の身の安全は保証できぬぞ

 いつの間にか部屋に札を貼られて見られていた事実がある。あの男は承知で意に介してもおらずに眠っていたが。

――貴様は流石にあの男程肝が太く無いであろう

「私には最強の御守りがありますから」

 そう言ってあの男が書いた文字、俺の女云々を翳して見せる。

「それに、現れたら現れたで倒すだけですから」

――陳を倒せると言うのか?

 「はい」

 弟子は何の迷いも見せず、笑って返事をした。

 儂はとんだ思い違いをしていたのかも知れない。

 肝が太いのは、あの男よりも此方の方かも知れない……


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


 ………忌々しい男よなぁ…!

 飼育箱を難なく発見、破壊し、私の遠見をあっさりと見切っても尚、興味を覚えず、あまつさえ脅しまでかけて来るとは……!

「どうしました陳 大人」

 私のその様子を遠巻きに見ている配下の者共を押し退け、短剣を腰に携えた男が傍に寄ってくる。

 一段高い位置に高価な椅子を置き、訝しんでいた私の前に跪く。

 男の束ねている後ろ髪が軽く宙に舞った。

 漆黒の法衣の揺れが治まるように、左胸に腕を翳して跪く男……

「劉 震与、か」

「はい」

 私に話し掛けられて初めて面を上げる、私の最強の配下、邪仙、劉 震与。

「お前に申し付けていた西王母探索の件だが……」

 少し厄介になりそう故に一時手を引け。

 そう言おうとした矢先――

「申し訳ありません。日本…関西の都市に居る事までは掴みましたが…」

 震与も進展が遅い事を苛立ちながら苦々しい表情を作った。

「いや、そうでは無くて」

「兄貴が護衛しているんです。たかが道士とは言え、兄貴は泰山最強と呼ばれた男。でもご安心を。僕が必ずや西王母を発見します!!」

 未だに兄に劣等感を抱いているか。

 故に闇に染まりやすい。

 それ故に懐柔が容易かった事もあるが……

「お前が良くやっているのは知っている。そんなに気を揉む事ではない」

 だから少し休むが良い。

 そう言おうとしたが……

「勿体無き御言葉、傷み入ります。ですが、大人のお耳には既に届いているでしょうが、日本の飼育箱が破壊されたのです。これは兄貴の仕業に他ならない!兄貴は飼育箱の場所を知っていましたから!!」

 自分に仇為す為、周の仇を取る為に兄が破壊した。と思っているのか。

 頭の中は兄への対抗心でいっぱいなのだろう。ならば言い易い。兄がやったのでは無いのなら、対抗心が刺激されないのなら、大人しく言う事を聞くだろう。

「いや、飼育箱を破壊したのは北嶋 勇と言う男だ」

「北嶋 勇?」

「うむ。名前程度なら知っておるな?史上最強との声が高い、ヴァチカンや水谷ですら口出し不可能の、あの北嶋 勇だ。どうやら西王母を探している節が見受けられる」

 だから西王母は放っておけ。

 そう続けようとした私だが、いきなり立ち上がる震与に驚いて発するのを止めた。

「……そうですか…あの北嶋 勇が!宜しいでしょう。相手に不足は無い!!」

 嬉々として振り返り、歩を進める震与に、私は慌てて引き止めた。

「ま、待て!どこへ行く!?」

 震与は此方を振り返る事無く、肩を震えさせながら言う。

「西王母は崑崙の女王…崑崙は世界の中心…そして天帝に繋がる門…世界を統べる為、我々が掌握しなければならない地…北嶋 勇の目的は解りませんが、我々の邪魔をするのなら、早い内に殺さねばなりません」

 いや、北嶋 勇と揉めるのは得策では無い。

 奴は自分の邪魔さえしなければ手を出さないとも言っている。

 奴の狙いが西王母であるのなら、崑崙の道は勝手に開けるだろう。奴の用事が終わり次第、奴が開けるであろう風穴を利用し、漁夫の利を得る方が遥かに利口だ。

「崑崙は奴には渡さない…それに…西王母には兄貴が……!」

 真の目的はそちらか。困った奴だが、捨て置けぬ。

「よいか震与。奴は必ず西王母とぶつかるであろう。少なくとも西王母を護る神々とな。そこを上手く突き、我々は極力手を汚さずに……って、もう居ない!?」

 私の話が長かったのか、震与の姿は既に無く、配下の者共がただ跪いている空間のみが広がっていた。

「あの馬鹿者が!やはり周の弟子だ!」

 苛立ち、再び椅子に腰掛ける。

 上手く行けば崑崙掌握は簡単に事が運ぶと言うのに……

 だが、まぁいい。

 震与はよく働いてくれた。周を殺してくれた事は評価しよう。邪仙を失うのは惜しいが、大事の前の小事。

 もう用済みで良かろう。

 此方に北嶋が何かしらのアクションを取って来たらば、その旨を伝えれば良い。

 何ならば、西王母を捕らえる事も、崑崙掌握も協力しても良い、と。

 目的は意外と我々に近い物を感じる事ができるからな。

 だが、まぁ…既に動いた震与も、刹那までは私の駒として働いて貰おうか……

 簡単に北嶋 勇に負けるとは思えぬ力量だ。

「……誰か震与に伝えよ。手駒は自由に使う許可を与えると」

 言われて一人の道士が足早に後を追って行く。

 この先、私には関係無い。

 どこまで私の思惑通りに行くかは解らんが、北嶋に余計な不信感を与えぬ為にも、私からは遠見を遠慮しようか。どうせ向こうから何かしらのリアクションが来ることになるだろうしな……!

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