第34話 ホープダイヤモンドの絆─②
フィンリーの様子がおかしい。いつもの微笑みはあるのだが、ときおり外を眺めてぼーっとしたり、眉間にしわを作り小さな息を吐いている。
「体調悪いですか?」
「いいえ、大丈夫です。心配をかけましたね」
「裏で休んでていいですよ。商談はできなくても店番はできるようになりましたから」
「……すみません、少しだけ」
「少しとは言わず、どうぞどうぞ」
この日は数人の客人が来ただけで、客足は途絶えた。
そろそろ店じまいでもするかとドアのプレートをひっくり返すと、外に男性二人が立っている。目が合うと、向こうは軽く会釈をしてきた。
「すみません、いきなり来てしまって」
「お店にご用ですか?」
「ああいや、違うんだ…………ん?」
男性の一人がハルカの顔を見て、首を傾げた。
彼方も彼をまじまじと見る。どこかで見たことがあった。
あ、と声にしたのはほぼ同時だ。
テレビ局でハルカと辺見を案内した人だ。
「あのときの大学生?」
「はい、そうです。偶然ですね」
「どうしたんですか? 何かの撮影とか?」
「撮影っちゃ撮影なんだけどね。ちょっと協力してもらえないかな」
「協力…………?」
ハルカは首を傾げる。
「こちらのお店に、外国人の店主さんがいるでしょ?」
ハルカはうんとも言わなかった。
「その人にちょっと取材をさせてほしいんだよね」
「それは、どうしてですか?」
なんとなく、直感的なものだ。この人は危険だと耳鳴りがしている。
「彼ってイギリス出身?」
「さあ……? そういうセンシティブな話をするほど、深い付き合いはしてないんです。お店の取材ってわけじゃないんですよね?」
「そうだね。店の取材っていうより彼の……」
背後から腰を掴まれた。腹部に当たる手に力がこもり、珍しく荒々しい手つきだ。
「取材はすべてお断りしております。申し訳ございませんが、お引き取り下さい」
耳にかかる息が熱い。触れる肌も火照っている。
「そういうことなんで、すみません!」
ハルカは明るく言うと、フィンリーを押しやりドア閉めた。ついでにカーテンも閉める。
「店仕舞いをします。フロアの掃除をお願いします」
「掃除でもなんでもやりますから寝てて下さい! ものすごい熱いです」
「少々、そのようですね」
「少々どころじゃないですよ! 帰りは送っていきます。住んでる場所はどこですか?」
「家は……ありません」
「へ…………?」
「ホテル暮らしですので」
「なんで…………?」
「なんでと言われましても。本日は最悪の日です。店も変えたいくらいです」
「さっきの取材の件ですか?」
「お手数をおかけしました」
「全然かかってないですから、気にしないで下さい。ホテル暮らしってことはキッチンはないですよね?」
「あっても私には意味のないものです」
「じゃあ俺の家に来て下さい」
「…………何を言っているのか。そのようなご迷惑になるようなことを、」
「俺に心配させておいて知らんぷりするのが一番迷惑なんです。ほら、そっちで休んでて下さい」
売上金のまとめ方ももうできる。商談が数件あり、コンマの数がとんでもないことになっている。
フロアを掃き掃除し、棚に鍵をかけて空かないかチェック。
商談室へ行くと、珍しくもフィンリーはだれた姿で横になっていた。
頬に手を当てると、フィンリーの身体がびくっと反応する。
「やっぱり熱い。一度病院へ行ってから……」
「ただの風邪だと診断を受けています。薬も鞄の中に入っております」
「あ、行ってきたんですね。それじゃあタクシーを呼びますね」
「本当に行くのですか?」
「ホテルで病院食なんて作ってくれます?」
「それは……そうですが……しかし……あなたのお父上が……」
「今日、飲んでくるって言ってました。ちゃんと連絡もいれます」
フィンリーは観念したのか、肩の力を抜いた。
タクシーで家に戻り、門を潜って玄関の鍵を差し込んだ。
「立派なお屋敷ですね」
「大きいのはじいちゃんが造った道場ですよ。俺と父さんが住んでる家は普通の一軒家です。さあ、どうぞ」
玄関には父がいつも履いている靴がない。まだ帰ってきていないようだ。
客室に布団を敷き、フィンリーを呼ぶ。
「ベッドの方がいいですか? 敷き布団って慣れてないですよね?」
「初めての体験で、とてもわくわくしますね」
わくわくとは無縁そうな声でフィンリーは布団に倒れ込んだ。
彼に体温計を差し出すと、おとなしく測る。三十八度。この体温で仕事をこなした彼に怒りたくなったが、見たこともない子供のようなふくれっ面でそっぽを向かれると、何も言えない。
ハルカはキッチンへ行き、冷蔵庫から牛乳を取り出した。
牛乳と砂糖を鍋に入れ、沸騰したらご飯を入れる。皿に盛って蜂蜜を回し入れれば完成だ。
あとはフルーツを適当に切って、ヨーグルトをかけた。
フィンリーが紅茶にシナモンを入れて飲んでいたことを思い出した。蜂蜜を垂らしたが、その上にシナモンを少しだけ振りかけた。
「フィンリーさん、入りますよ」
かすれた声で返事が聞こえ、襖を開ける。
「何から何まで……情けない……ご迷惑をばかりかけて……」
「むしろ役得です。早く良くなって下さいね」
「ライス・プディングですか……?」
「リオレです。国によって作り方や材料が異なります。イギリス風は作ったことがないんで判らないですけど、こっちはフランス風のミルク粥です」
「おじいさまがこうしてあなたに作ったのですね」
「お菓子作りだけじゃなく、料理も得意な人でしたから」
フィンリーはスプーンを口に運び、飲み込んだ。
しばらくリオレを見つめ、
「とても、とても美味しい。どんな素晴らしい料理人でも、こんなにも素敵なリオレは作れないでしょう」
「そこまで褒めなくても……」
「本心で申し上げております。……本日は、独りで居たい気分でした。孤独で世界に見放されたいと」
「山梨のときもそう言ってましたね。フィンリーさんは何か不安なことや寂しいことがあると、人といたくないって思うタイプですか?」
「ええ、そのようです。長い間、人と過ごすということに不慣れな私は、孤独が似合う男になりました」
「都合の良いときだけ、居てくれる存在なんていないです。家族ですら居なくなるのに。それでも、やっぱり俺は人の熱って暖かくて、一緒に居てくれて良かったと思える人と出会えたら素敵だなって思います。俺にとってそれがじいちゃんでしたけど、居なくなって悲しみが怨みに変わったりもして自分勝手な考えになったけど、出会えて良かったって気持ちは変わらないです」
「そういう風に思える相手に出会えたら、きっと私も自分勝手な考えになります。相手に押しつけがましい感情をぶつけても、受け止めてくれるような相手、受け止めたい相手に、ずっと側にいてほしい。……私の感情は重すぎる」
孤独になれば世界に捨てられた気持ちになり、他人といるよりもずっと楽だ。そこから何も生まれなくても、自分はこういう人間なんだと思えれば、負荷が減る。
そんな寂しい方法を選び続ける男に、少しでも救いの手を差し伸べたいと、ハルカは思った。
今日はいろんなことがありすぎたのだ。テレビ局の男性たちは、なぜフィンリーの元へ来たのか。何を取材するのか。聞きたいことは山積みだが、そこに触れてしまえば二度と彼は心を開かなくなるのではないか。神や仏のような見えない力に与えられるプレッシャーは計り知れないほど大きい。
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