第16話 永遠を結ぶクリスタルの光─②

 フィンリーの淹れる紅茶は、世界一だ。そう伝えると、

「知っています」

 あまりに堂々としているので、吹き出してしまった。

「あ、荷物がない」

「デパートの紙袋なら、本田様へお渡ししました」

「うそ……どうやって、」

「お忘れものです、と笑顔で告げただけです」

「はあ! よくまあ、聞き入れましたね……」

「笑顔は最大の武器です。覚えておくように」

「ははあ」

「ついでにいくつかお買い上げ頂きました」

「……………………」

「腫れはだいぶ引いてきましたね」

「すみません」

「謝るのはあなたですか? 事情は存じませんが、私は違うように思います」

「……俺のこと、何か言っていましたか」

「友達ではなく、下僕だと」

「……………………」

 胸が痛い。下僕と言われたことではない。彼に、こんな歪な関係性を知られたことだ。

「ハルカ、戯言だと思って聞き流して下さって構いません。人というのは、第三者にあなたはこういう人間だと言われると、そうなろうと無意識に働くのです。たとえば、あなたは合理的な人間だと言われると、本当にそう演じようとします。自分の性格を決めつけるのは可能性を制限することにもなり得ます。人に下僕だと言われると、そういう人生のレールの上を歩かされます。あなたにはまだまだ違う道も残されている。たくさんできることがあるのに、しようとしない」

「……………………」

「ダンスパーティーがあるそうですね。なぜ参加しないのですか」

「そこに話が繋がりますか」

「ええ。大学の合同パーティーだとか」

「俺の通う大学と愛加の通う大学は姉妹校みたいなものなんです。まだ大学一年だから参加しなくても問題ないです。第一、ダンスは踊れないし」

「実に惜しい。練習すれば誰であっても形になります。あなたと仕事をして少しは人となりを判ったつもりでいます。勤務態度も良好、仕事は積極的にに覚えようとする。一緒に働いていて刺激を受けています」

「俺なんかに?」

「自分を下げなくてよろしい。本田様のことになると、あなたは自分を卑下してしまう。二人の間に何があったのかは存じませんが、とてももったいない生き方です」

「何があったのか、聞いてないんですね」

「ええ、嘘偽りはなく、聞いていません」

「良かった。もし聞いていたら、俺、嫌われます。最低なことをしましたから」

「どのようなことがあったにせよ、あなたを嫌うことはありません。いずれあなたにダンスを教えて差し上げたいですね」

「フィンリーさんがじきじきに? イメージ通りですけど踊れたんですね」

「幼少の頃から鍛えられました。ダンスはできて損はないですよ。さあ、ケーキを召し上がりなさい。疲れた身体には糖分です」

 フィンリーお手製の紅茶と、ふわふわのチーズケーキ。カットされているが焼き印がある。

「どうしたんですか? このケーキ」

「実は本日、いつもお世話になっておりますお客様が大阪からいらっしゃいました。池袋で店を開いたとご連絡を差し上げたら、ぜひ行きたいとお電話を頂きました。その方からのお土産です。大阪で有名なチーズケーキだとか」

「おじさんマークの焼き印と、下にレーズンがあるのが特徴ですね。俺も食べるのは初めてです。いただきます」

 これぞチーズケーキという味だ。

「エアリー感のあるケーキですね。ふわふわだ」

「……一人前にしては、小さく切りすぎました」

「だいぶ大きいと思いますけど」

「もう一つ切り分けましょう。あなたの分も持ってきます」

 確かに軽い。軽く二切れは食べられそうだ。腹も空いている。昼食とおやつだと思えばいい。

 しっかり二切れを頂いたあと、紅茶もお代わりした。

「前回の紅茶より渋みがありますね」

「 ダージリンですよ」

「これが? 前もダージリンでしたよね? 味が全然違うような」

「ダージリン・セカンド・フラッシュ。こちらは夏に摘まれた茶葉です。春に採れたものより渋みが強くなります。ちなみに他の農園より渋みが特徴のタルボ農園で、今年は特に強いです。味が判るなんて、なかなかですね」

「フィンリーさんの淹れてくれた紅茶が格別だからですよ。美味しすぎて涙が出そうです。泣いていいですか? ここにタオルがあるし」

「どうぞ。タオルを冷やしてきましょうか?」

「大丈夫です。頬の痛みも引きましたし」

 こんなことでごまかせたとは思っていない。

 フィンリーの言う『戯言』は砂漠の花に光が射した。幼なじみの関係は一生続くものだと思っていた。けれど、もしかしたら、糸が切れる、もしくは切ることができる人生もあるのではないか、と思い始めた。そう思うこと自体、罪であってはならないが、夢を見ることができた。彼のおかげだ。

 垂らしてくれた糸を掴まるのは、悪いことではない。そう教えてくれたのは、まぎれもなく彼だった。

「もしもの話ですが、」

「ええ」

「俺が甘いものを作ってきたら、食べてくれますか」

「喜んで」

 作り笑顔より真顔。真顔よりも真の笑顔。

 チーズケーキよりもごちそうだ。

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